第29話 それぞれの想いを胸に秘めて
<前回までのあらすじ>
妙椿に捕えられた狭子は何とか逃げ出そうと試みるが、失敗に終わる。その時、京から戻った親兵衛と、音音に仕える忍・単節が現れ、狭子奪還を成功させる。
しかし、彼らは犬士達が待つ行徳へ向かう途中、妙椿が放った刺客に襲われる。そして、蒼血鬼らによって手負いだった単節は、更なる重傷を負ってしまうのであった。
「単節さん!!!」
妙椿が放った刺客によって、胸に重傷を負った単節さん。
私が今にも泣きそうな顔をしていると、彼女は必死そうな声で叫ぶ。
「姫…お逃げください…!」
「でも…!!」
私は、彼女の胸に刺さっている小柄に視線を落とす。
いくら鬼とはいえ、もしかしたら心臓に届いている可能性もある。それを考えると、一人だけ逃げる気にはなれなかった。
「浜路姫!!お逃げくださいっ…!!」
「親兵衛!!」
私達の元へ来るはずだった親兵衛も、追手の出現によって行く手を阻まれていた。
彼は小太刀を構え、手甲鉤を持つ敵に立ち向かっていく。
いくら私が“浜路姫”だからとはいえ…自分一人だけなんて、逃げられない…!!
2人が、自分のために戦っている。その事実がのしかかり、逃げるに逃げられない狭子。
「お逃げくだされぇぇーーーっ!!!!」
「!!!」
この雄叫びとも取れるくらいの叫び声を単節さんが発し、私はようやく我に返る。
それこそまさに、鬼が発する殺気と似たようなものだった。
「っ…!!」
本当は逃げたくなくても、「自分がここにいても足手まといになる」と悟った私は、単節さんの側から離れて全速力で走り出す。
そんな私を見送った単節さんは、胸に突き刺さった小柄を引き抜く。
「くっ…!」
それを引き抜いた時に、彼女はそれが鬼にとっての毒――――――蒼血鬼の血が塗られていることに気が付く。
自己治癒力を封じられたため、このまま出血が続けば死を迎えるかもしれない。
しかし、それをものともしていないかのように、彼女は敵に立ち向かうのであった。
「はっ…はっ…」
私はただひたすら、この海岸を走り抜ける。
監禁されていた事によって身体がなまっているため、少し走っただけでも疲れを感じる。しかし、私はひたすら走り続けるしかない。追手がかからない所までいかないと、完全に「逃げ切れた」とはいえないからである。
とにかく…とにかく、犬士達と合流しなくては…!!
ひたすら走り続け、ここがどこの海岸かわからなくても、皆がいるであろう行徳にたどり着かなくては…という強い想いを抱いていた時であった。
「探したぞ、琥狛…」
「っ…!!!」
狭子は自分の視線の先を見た直後、その場で立ち止まる。
「追手がさらに来るかも」とは思っていたけど、よりによって…!!
内心でそう思った私の前には、手下を使って私を捕えた張本人・蟇田素藤がいた。親兵衛のように馬を使ってここまで来たのではなさそうなのに、相変わらず余裕の笑みを浮かべている。
「…今は貴方にかまっている場合じゃないの!!」
そう言い放った私は、横にそれて逃げようと敵から離れるように走る。
「狭子…否、今は浜路姫と言うべきか…。相変わらず、活きのよい娘だ」
「!!」
素藤が一言呟いたや否や、彼は私の目の前にいた。
しかも、本来の名前を呼ばれた途端、私は心臓を掴まれたような気分になる。それは、目に見えない威圧感――――――単節さんとは違った“殺気”のせいなのか。
「放してよ…!」
その後、私はその場から走って逃げ出そうと試みるが、白髪の鬼の手によってあっという間に抱きすくめられてしまう。
抵抗のつもりで、彼の腕を掴む。私を必死で探していたのか、その手は汗にまみれていた。しかも、こんな時だというのに…この白髪の鬼から感じられる体温に、懐かしさを覚えてしまう。それは、私が“琥狛”の生まれ変わりであるがゆえの感覚なのであった。
「もう…もう、私の事はほっておいてよ…!」
私は足が宙に浮いてしまっている事もあり、心の中の余裕がどんどん消え失せていく。
「…そうはゆかん。例え里見の姫であろうとも、俺の女に違いはない。こうして、数百年ぶりに巡り合えたのだからな…」
「!!!」
必死に彼の顔を見ないでいようと俯く私は、理性と過去の自分に苛まれる。
そして、それに追い打ちをかけるようにして、私の千里眼が発動する。ほぼ一瞬だけしか映らなかったが…そこには、苦戦する親兵衛と単節さんの姿がある。しかも、単節さんは胸を抑えながら忍び刀を握っている。それは、とても大丈夫ではない危険な状態である事を物語っていた。
私を抱きすくめている敵の力は強く、抵抗のしようがない。
「貴方が…貴方が、妙椿と手を組み…犬士達の敵でなければ…私は…!!」
自分が持つ“三世の姿”――――――“三木狭子”と“浜路姫”、そして“琥狛”としての感情に振り回され、自分で何を言っているのかわからない状態に陥る。
その瞳は自然と、今にも泣きそうなくらい潤んだ状態であった。
「狭っ!!!!」
この時、その場に聞き覚えのある叫び声が響いてくる。
それは、自分を見失いかけた私の中に、一筋の光を入れてしまうほどの効力があった。
「…来おったか」
素藤は、小さく舌打ちをする。
うそ…!!
思いがけない存在が自分の視界に入り、私は嬉しさと共に目を見開いて驚く。
私と白髪の鬼の視線の先に現れたのは、名刀・村雨丸を腰に下し、馬に乗って現れた男性――――――――犬塚信乃の姿であった。
「信乃っ…!!!」
私は、心の底から会いたいと願っていた人物の名を叫ぶ。
その一声で、私は本来の自分―――――“三木狭子”としての己を取り戻したのである。馬を走らせながら、私達の方へ来る信乃。それに対して、私の顔を己の顔近くまで持ち上げて、頬と頬をくっつけて挑発する素藤。
「蟇田素藤…であったな。某は、狭を返してもらいに来た!!」
馬から降りた信乃は、構えの体勢を取りながら声を張り上げる。
言葉とは裏腹に、素藤の行為に憤りを感じていたのか、村雨丸の持ち手を強く握りしめていた。
「…腕づくで奪ってみるか?」
抱きかかえた私を地面に下した後、不敵な笑みを浮かべる素藤。
彼もまた、鞘から刀を抜き始める。私はつばをゴクリと飲み込みながら、その様子を見つめていた。
互いに刀を抜いた二人は、ゆっくりと構える。この緊迫した空気は、まるでこれから一騎討ちを繰り広げる武士と武士の戦い。時代劇で言う所の、宮本武蔵と佐々木小次郎による宿命の戦い――――――そんな雰囲気を彼らから感じていた。
私を巡って…なんて考えられないけど、彼らはどんな想いを胸に抱いているのだろう…?
私は2人を見つめながら、そんな事を思う。
その後、刀と刀のぶつかり合う音が周囲に響く。信乃の村雨丸が“名刀”と言わしめる代物だからか…それとも、素藤の剣撃が強いのか…どちらにしても、とても澄んだ音が響き渡っていた。
「何故、お主はそれほどまでに狭に執着する!?狙いは千里眼の“力”か!!?」
斬り合いが続く中、信乃が声を荒げて叫ぶ。
「…貴様ら犬どもに教える義理はない」
「何!!?」
「…ふん。だが、千里眼など関係ない。俺とあの娘は、貴様ら犬士と伏姫とやらのように深き縁で結ばれておる。何せ、二世の契りを交わした間柄だからな…!」
素藤も、話しながら刀を振るう。
しかし、普段の余裕ある話し方とは違い、多少声を荒げているようであった。
「それにしても…貴様は、このような場所で油を売っていて良いのか?」
「え…?」
素藤の台詞に、私はきょとんとする。
信乃は無言のまま、何も答えない。表情が普段のポーカーフェイスに一旦戻った白髪の鬼は、話を続ける。
「…今頃は、関東管領や滸我公方の兵が安房へ侵攻している頃。里見に仕えるべく生まれた貴様らをこちらへ寄越すとは…里見義実も、愚かな人間だな」
「あ…!!」
その台詞を聞いた途端、私は何かを思いついたような表情をする。
里見家に深い恨みを持つ玉梓が企んだ事―――――――素藤らを使って関東管領や古賀公方を和睦させ…里見を大軍で攻める計画が進んでいた事を私は思い出す。
「…!!」
それから幾何の時の間で斬り合いが続き――――――敵の一閃によって、信乃が持っている村雨丸が宙を舞う。そして刀は、少し離れた場所に飛ばされて突き刺さった。
「これで…終いだな」
勝ち誇ったような表情をする素藤は、信乃に刀の矛先を向ける。
刀を失い、どう対処すべきか深刻な表情をする信乃。蒼血鬼は刀の構えをかえ、人の子である彼にとどめをさそうとした、その時だった。
「っ!!?」
突然の出来事に、動きを止める素藤。
彼の動きを止めたのは――――――――その姿を後ろから抱きしめた狭子であった。
いろんな想いがグチャグチャしている…。でも、全部をひっくるめて今、思うのは…
瞳を閉じていた私は、ゆっくり開いてから話し始める。
「素藤…やめて…!」
「琥…狛…!?」
豆鉄砲をくらったような表情で、背後にいる私に視線を下す素藤。
この時、無意識の内に口にしていたから気が付いていなかったが、私は彼の名前を初めて呼んでいたのであった。
「貴方が…“この世界の者達の戦い”に、私を巻き込ませたくないというのは、よくわかったわ…。それでも、私は彼らの使命が終わるまで、あの男性と一緒にいたいの…」
「狭…?」
流石に、信乃はこの台詞が聞こえていないため、私が素藤を後ろから抱きしめている事ぐらいしかわからなかったのである。
「鬼としての矜持を忘れ、そなたが狂気に狂う所など…私は見たくない…」
ボソッと呟いたこの一言は、無意識の内に述べていた言葉である。
それが、私の中にいる“琥狛”が言った言葉であるのは、言うまでもない。
「…」
少しの間黙り込んだ後―――――――素藤はようやく、振り上げていた刀を下した。
それと同時に、彼を抱きしめていた私は腕を放す。
「…行くがいい、狭子」
「え…?」
刀を鞘に納めた素藤は、隣にいた私に視線を向ける。
その瞳は、わずかに悲しみの色が浮かんでいた。しかし、すぐに表情は真剣なものと変わり、視線の先にいる信乃を睨みつける。
「今日の所は、引き下がってやろう…。だが、これで終わらせるつもりはない。…人間共の戦が終われば、今度こそ…この娘を戴きに参る」
その横顔を見た時、私はいつもの余裕な笑みに戻っていた事に気が付く。
すると、それに応えるようにして信乃も真剣な表情で言い放つ。
「承知した。…その時は、そなたを全力で迎え撃とう」
地面に突き刺さった村雨丸を引き抜いた信乃は、その矛先を素藤に向けていた。
その真剣な表情を見た素藤はフッと笑い、私の方へ向く。
「…お前は、その物好きな性分は昔と変わらぬようだな。そして、戦の合間に考えておくのだな…。俺と共にあるか、…奴と共に老いて死ぬか…」
優しい口調をした素藤は、私のおでこにソッと口づけをし、その場を去っていった。
素藤が去った後、私はその場に茫然と立ち尽くしていた。
「狭…!!」
「信乃!!」
その時、視線の先にいた信乃が、私に向かって走ってくる。
それに気が付いた私も、彼の方へ向かって走り出した。その後、互いに走り寄った私達は、再会の抱擁を交わす。
「信乃…。やっと…やっと会えた…!!」
「…ああ」
この瞬間をどれだけ待っていたのだろうか――――――
私は涙で顔がグシャグシャになりながら、彼の胸の中にうずくまる。今、大変な状況になっているにも関わらず、自分を助けに来てくれた―――――――その事だけでも、私はものすごく嬉しかったのである。
「…そなたの生まれの事、丶大様から聞いた」
「…!!」
私の背中に腕を回し、強く抱きしめた状態で信乃は口を開く。
それは、様が行徳で述べていた私が里見の五の姫・浜路姫であるという事実であった。私の心臓は強く脈打ちながら、彼の話に耳を傾けていた。
「だが…そなたが何者であろうとも、某にとっては、心から愛しく想う女子・“狭子”だ。それは、この先もずっと変わらぬであろう…」
「信乃…!!」
思いもよらぬ告白に、私の頭の中は真っ白になる。
しかし、この言葉が偽りでない事は、彼の瞳を見た直後にすぐわかった。私は涙目になった顔で、信乃を見つめる。…その後、彼は私の唇に優しく口づけをした。それは「大丈夫だよ」と、大人が子供を安心させるような―――――――優しいキスだった。
再会を喜ぶ私達の間で、ほんの少しだけ時間が止まったような瞬間だったのである。
いかがでしたか。
今回はまさに、戦いとラブストーリーが混在していた話でしたよね。
…原作では後編の主人公なのに、親兵衛の活躍をなかなかお見せできていない(汗)
某サイトに書かれていた通り、彼の設定は考えるのが難しいのがよくわかりました。(苦笑)
さて、今回でやっと信乃と再会し、助け出された狭子。
しかし、救出に来たのは彼一人…?
というわけではありません。
また、いくら鬼の末裔とはいえ、胸に小柄が突き刺さった単節も大丈夫とはいえないでしょう。
その辺りの結末を次回で書かれると思いますので、お楽しみに★
ご意見・ご感想があれば、よろしくお願いします!