歯車、一つ
王都を出た草原はそよ風に揺られる草花が柔らかい音を立て、温かい陽の光が降り注ぐ春を思わせる。そんな中でアンナは岩に腰をかけている。
視線の先には幸太郎がウサギ型の魔物相手に慣れない青銅の剣を振り回していた。
「あと何体だっけか……?」
息を上げながらも、決して疲れを見せない懸命な姿に、アンナは「あと5匹」と告げた。
ことの始まりは昨夜だ。
夕食を食べ終えたアンナとトトの元にやってきた幸太郎は真剣な顔をしていた。
「仕事に付き合ってほしい」
幸太郎はまだ駆け出し冒険者で、パーティーメンバーは当然いない。更に異世界トリップしてきたのだから初仕事が不安で堪らないのは理解できたし、頼まれることをなんとなく予想していた。しかしアンナが素直にうなずけないのは、やはり小説のシナリオ通りになってしまうのではないかという不安からだった。
そんなアンナの憂いなど知らない幸太郎は純粋な瞳で見つめてきた。
「頼む、頼れるヤツを考えたらアンナしかいないんだ」
抗いたい気持ちと良心の間で揺れていたアンナの頭をうなずかせたのは、相棒であるはずのトトだ。
「幸太郎と一緒に行こう! お弁当を持って行ったらピクニックにもなるよ!」
幸太郎のことをすっかり気に入ってしまったトトは、アンナの心情も知らずに尻尾を振った。それでも渋るアンナに、トトはうるうると瞳を潤ませて尻尾を力なく下げると悲しそうに鳴いたのだ。
そんな姿にアンナの葛藤では良心が勝ち、こうして早朝からずっと原っぱで幸太郎の仕事を見守っている。
Fランクの仕事は簡単なものばかり。既にEランクになった幸太郎はこの日初めての仕事で、小さい魔獣に関わる依頼だった。それが今回の畑を荒らす小型ラパンの子供を追い払う仕事だ。本当なら魔獣関連の依頼は一人では受けられない。しかし特例としてギルド登録を許可されていたBランクのトトが一緒に請け負うことになった。
「幸太郎! そっちに行った!」
「トトありがとう!」
トトが牧羊犬のように魔獣を誘導し、待ち構えていた幸太郎が叩く。まるで長年の相棒のように息の合ったコンビネーションは、見ているこちらも気持ちがいいものだった。
依頼である増殖したラパンの討伐は早朝から今まで時間がかかり、ようやく依頼数に到達した。
「疲れた」
額から汗を垂らして幸太郎はその場で座り込む。幸太郎よりも走り回っていたトトはまだまだ余裕があるようだ。
「腹減ったな」
粗雑に汗を拭き、空に向かって情けない声を上げる幸太郎に、アンナは家から持ってきたバスケットの中身を広げる。
「簡単なものだけどサンドイッチ作ってきた」
「ありがとう。悪いな」
あれだけ疲れを見せていた幸太郎の表情がパッと明るくなる。
「いただきます」
パン! と両手を合わせた幸太郎は具だくさんのサンドイッチを大きな口で頬張った。
「美味い!」
幸太郎の隣では用意したご飯を夢中で食べるトトが大きく尻尾を振っている。二人共腹が空いていたようで、まるで早食いに挑戦しているような速度だ。
「そんなに急いで食べると喉に詰まるよ」
「分かってるけど、アンナの料理が美味いのが悪い」
とんでもない屁理屈を幸太郎があまりに屈託なく言うものだから、アンナはクスリと笑う。
祖母が亡くなってから、食事は自分のためにしか作ってこなかった。それを寂しいと思ったことはないが、こうして一緒に食べて美味しいと言われることの嬉しさをアンナは噛みしめる。
(これが主人公じゃなかったら恋に落ちてるかも)
幸太郎は少し笑うようになった。表情が乏しいのは元の世界かららしいが、時たま見せる年相応の表情はアンナに安心感を抱かせる。まだたったの十八歳の男の子が精神的に追い詰められて表情をなくすことは、サラやダリオだって心配だろう。
「幸太郎のも美味しそう」
「これは人間用だ」
手に持っているサンドイッチの匂いをフンフンと嗅ぐトトから遠ざける幸太郎の瞳は優しい。天真爛漫で幸太郎への愛情表現を惜しまないトトは、幸太郎の心を少なからず救っているとアンナは思うのだ。
(トトがいればヒロインたちなんていらないんじゃないかしら)
仲良く戯れているトトと幸太郎を眺めながら、アンナはフッ、と笑った。
その時――
キィイイイ! と耳を劈く鳴き声が草原に響き渡った。
背中の産毛が総立つような危機感と、アンナと幸太郎、トトを飲み込むような影に喉が震える。
「ギィィィィィ!」
「な、何だコイツ……!」
体長二メートルはある大型のラパン。瞳は血のように赤く、大きな前歯と鋭い爪をこちらに向けている。
「コイツ、さっき討伐したラパンの親玉じゃないの……!」
ギロリと睨みつけてくる大型ラパンの狙いはアンナたちだ。ラパンは仲間意識が強いうえに凶暴な性格だ。小型なら大した脅威にはならないが大型ラパンなら話は別になる。
大型ラパンが放つ咆哮に、アンナ達はすくみ上がった。
武器は幸太郎が持っている安い剣しかないし、アンナは白魔法専門だ。足元で魔獣とのハーフであるトトが唸り声を上げているが、体格差は歴然だった。とてもじゃないが、この三人では中級モンスターの大型ラパンには敵わない。
(こんな大きなラパン見たこと無い……!)
二年前まで住んでいた森でも魔獣に遭遇したことがあり、その時は木の根に隠れてやり過ごした。しかし今は隠れる場所もなければ標的な自分たちだ。
呼吸がままならず、胸が苦しい。足が震えて立つことすら出来るのか怪しかった。
「アンナ!」
恐怖に支配されつつあったアンナの前に、トトと幸太郎が盾のように立つ。
「こ、幸太郎……」
「大丈夫だ」
何が大丈夫なものか。
(自分だって足震えてるじゃん)
震える両手でしっかりと剣を持った幸太郎は大型ラパンを睨みあげる。
「来いデカブツ!」
「ギィィィィィ!!」
猛スピードで襲い来る大型ラパンにアンナは目を強く瞑った。
「ギェエェェェェ!」
襲いかかってきた大型ラパンの叫び声が草原に響き渡る。
「な……!」
幸太郎の声に、アンナは目を開く。すると大型ラパンの目玉に一本の矢が刺さっていた。瞳からは血が吹き出し、大型ラパンは苦痛に喘ぐ。そこに間髪容れず二本、三本と空間を裂くような弓矢が巨体に撃ち込まれる。そして最後の一撃と言わんばかりに鉛色の矢が大型ラパンの頭を貫いた。
ズズン……! と地面が揺れるほどの衝撃を与えながら、猛獣の大型ラパンは地面に沈む。
「な、なにが起こったんだ……」
アンナと幸太郎はピクピクと痙攣しながら小さくなっていく命の灯火を前に唖然としていた。
「ちょっと大丈夫?」
未だ何が起きたか分からない二人の前に颯爽と歩いてきた人影が声をかけてきた。
「あ、え、これ、あなたが?」
「そうよ。危ないところだったわね」
草原の草をサクッと踏み、現れた少女に思わず目を奪われる。
高い位置で一つに括った長い金髪はそよ風に靡き、キラキラと輝く大きな緑色の瞳をした美少女は大型ラパンに刺さった矢を躊躇いなく引き抜いた。
「アタシが通りかかって良かったわね。その安物の剣で応戦したら死んでたわよ」
引き抜くたびに大型ラパンの体から血が吹き出す。思わず目を逸らしてしまう光景だ。
青いプリーツのミニスカートがよく似合う美少女は全ての矢を回収し終え、こちらに振り返った。
「あたしはセシリア・バーン」
(セシリア・バーン? それってヒロインのうちの一人じゃない!?)
「アンタたちの名前は?」
「田辺幸太郎」
「私はアンナ・モリス」
「ふーん。見たところ初心者って感じね」
上から下までジロジロ見てくるセシリアは不躾だが馬鹿にする気はないようだ。
「大型ラパンの討伐はまだ早いんじゃない?」
セシリアはどうやら勘違いをしているらしい。
「依頼は小型ラパンの討伐だったんだが、大型ラパンが出てきて」
幸太郎の言葉にセシリアは、なるほどと、頷き、ご愁傷さまといわんばかりに息を吐いた。
「運が悪かったわね。この時期はラパンの出産期なの。だから農作物は荒らされるし、子供を守るために大人ラパンも凶暴化しやすいのよ」
アンナも森によく入るから魔物のことはそれなりに知っているつもりであったが、まさか草原にまで大型ラパンが凶暴化して現れるとは思っていなかった。セシリアの言う通り運が悪かったのだろう。
「とにかくありがとう。助かった」
「どういたしまして」
セシリアはニコリと気持ちのいい笑顔を向ける。
幸太郎は張り詰めていた糸が切れたのか、地面に尻もちをついて大きなため息を付いた。余程怖かったのだろう、未だ表情が強張っている。
「幸太郎大丈夫……?」
足に力の入らないアンナが四つん這いになりながら幸太郎の肩を叩くと、幸太郎は気の抜けた顔で微笑む。
「アンナが無事で良かった」
(自分も怖かったくせに)
縮こまっていただけの自分とは違い、勇敢に立ち向かった幸太郎の背中を思い出して、アンナは情けなくなった。
(私のほうが長くこの世界で生きているのに、年下に守られて……)
「ありがとう、幸太郎」
アンナは幸太郎に笑みを向けた。きっと幸太郎はアンナが悲しい表情をすることを望んではいない。
「お礼ならセシリアに言ってくれ。俺は結局何もしてないから」
「情けないけどな」と幸太郎は言うけれど、アンナは自分のために立ち向かった幸太郎の背中がまぶたに焼き付いて離れない。
「セシリア、お礼がしたい。 俺に出来ることがあれば言ってくれ」
幸太郎は助けてもらった恩を返したいようだ。アンナに対しても同じく義理堅く、幸太郎は人との縁を重要視するところがあり、その人柄が物語に繋がっていくのだろう。
「ホントに!? じゃあそれを貰おうかな!」
太陽のように笑ったセシリアが指差したのはアンナのバスケットだ。
「これ?」
「その中身食べ物でしょ? アタシお腹ペコペコなの~! 一週間くらい依頼で森の中にいたからさ」
そういえば……とアンナはセシリアを見た。マントやブーツは土で汚れていて、すぐにでもシャワーを浴びたほうが良いのではないかというくらい。食事をろくに出来なかったというのも納得できる。
「コレでいいの?」
「そう言ってるでしょ?」
アンナはバスケットの中からサンドイッチを取り出して手渡すと、セシリアはそのまま齧り付いた。サンドイッチを噛み砕く豪快な音と共に印象的な緑の双眸が輝き、サンドイッチを頬張る肌が染まっていく。
「美味しい~!!!」
よほどお腹が空いていたのか、セシリアはバスケットの中身を全て平らげる勢いで食べ続けた。その隣でトトがよだれを垂らし、羨ましそうにセシリアを見上げていた。
「はあ~、お腹いっぱい」
腹を満たして満悦のセシリアに水を渡すアンナは、物語の中のセシリアを思い出していた。
セシリア·バーン――彼女は弓矢の使い手で主人公に冒険者としてのノウハウを教える頼れる相棒的存在のキャラクターであり、主人公の二人目のパーティーメンバーだ。勝気で腕が立つ自信家で、素直に愛情表現出来ない不器用さがあるが仲間思い。いわゆるツンデレヒロインで読者に人気があった。
「それでセシリア。俺達は王都に帰るけど、セシリアの拠点が王都なら一緒に行かないか?」
幸太郎は小説の中の言葉そのままに、セシリアを誘う。アンナはそれを見て、やはりこの世界は物語の通りに行くのだと、今更実感が湧いた。
「そうね、私も報告しないといけないし、一緒にギルドまで行きましょ!」
ハツラツと笑うセシリア、これから幸太郎に惹かれて行くのだと思うと、アンナは物語の因果律は歪められないのではないかと不安に思った。




