今だけ秘密のハジメテ
アンナが提案した対策はその日から始まり、ここ数日ラナは人の気配を怖がらなくなった。
「幸太郎さんお待たせしました!」
ストーカーに遭っていても仕事を休むことは出来ない。ラナは毎日の終業の時間に迎えに来る幸太郎に笑いかけた。
「おつかれ」
一週間ほど続いている徒歩三十数分の二人の時間を、ラナは無自覚だが楽しみにしていた。
「今日も大変でした」
仕事の詳細は職員以外には話せないが、食堂の新メニューくらいなら話せる。そんな取り留めのないことを幸太郎に話すことが心を満たしていく。
幸太郎は愛想の良い方ではない。話だって相槌だけだが、それでも周りを警戒してくれていることはラナにだって分かる。無表情のくせにお人好しで、会話だって盛り上がらないのに隣りにいるだけで安心する。二つだけ年上なのに、どこか大人びていて……年上に対する憧れだろうかとも思ったが、ラナに言い寄ってくる他の年上の男は何人もいたが、こんな気持ちを抱いたことはない。
(幸太郎さん、私のことどう思ってるんだろう)
表情からは読み取れない幸太郎の気持ちは、ラナの心をかき乱している。可愛いだけではなく仕事を頑張っている自分を見てほしい。ひとり分空いた二人の距離を無理矢理縮めてしまおうか、でもそんなことをしたら嫌われてしまうかもしれない。そんな考えがグルグルと頭の中を回った。
「ラナ!」
「アンナさん」
折角二人きりだったのに……と思うのは良くないだろう。ラナを心配したアンナが静まった通りからトトを連れ立って手を振った。
「少し心配で見に来ちゃった」
「幸太郎さんがいたから安心でしたよ」
「アンナが心配することじゃない。夜は危ないから早く帰れ」
でも心配でさ、なんて笑うものだから、ラナは少し反省した。
アンナは珍しい白魔法を使える貴重な人材だ。だから何度もマンチキンへ勧誘している。人となりで誘っているわけではないとアンナだってわかっているだろう。なにせ二年前にラナと同じくらいの年頃で店を構えるほどの人間だ。損得を考えて強かになれなければ一人では生きていない。それはラナが一番良く理解している。それなのにアンナはラナの話を聞き、対策まで立ててくれたのだ。
(アンナさんもお人好しだよね)
それともそれだけ自分に親愛を抱いてくれているのだろうか、そう思うと少しむず痒い気持ちになった。
「二人で大丈夫なところ見られて安心した。それじゃ私は帰るね」
しかしラナはこういうところが理解できない。アンナはお節介を焼くわりには、幸太郎を女性と二人にさせようとする。
「じゃあね~」
トトは夜の散歩が楽しいのか、尻尾を振ってアンナの横を付いて行く。
「アンナさんって、本当に人が良いんだから……。幸太郎さんもそう思いません?」
チラリと幸太郎を見れば、いつもは一文字を引いている唇が緩やかに上った。
「そうだな」
「……ですよね」
柔んだ黒い瞳は、まだアンナが去ったほうを見つめている。
「行きましょうか」
「あぁ」
すでに開いている店は酒屋ばかりで、窓から漏れる明かりと笑い声をBGMに、二人は歩き出す。
もう少しで自宅だというところで、幸太郎の足がピタリと止まった。
「幸太郎さん?」
「誰だ」
肩越しに路地に入る曲がり角を睨み、腰にささっている剣に手をかけた。
「……なんだよその男……!」
ブルブルと怒りに肩を震わし、ギョロリこちらを睨みつける男が一人出てくる。
「だ、誰……?」
「俺を忘れたのかよラナ……!」
フードを目深にかぶる男の常軌を逸した雰囲気に直感でストーカーだと気づいたラナはストーカーと対峙した幸太郎の背中に隠れた。
「なんだよ、俺に笑いかけてくれたじゃないか! 何度もデートに誘って、その度に残念そうにしてたじゃないか! 毎日毎日家につくまで見守ってやってたのに!」
血走った目で二人を睨みつける男は、懐からナイフを取り出し、震える手でしっかりと握りしめる。
「ふざけんなよ、お前より俺のほうがラナのこと好きなんだ! お前みたいなやつ……!」
(この声!)
男の声に覚えがあった。
マンチキンによくやってくる男だ。中級ランクの依頼を受ける度にラナをしつこく誘ってくるので濁してやりすごしていた。しかし笑いかけれ渋々だがしつこく言い寄ることもなかったので、ラナとして扱いやすい男だと認識していた。
「な、なんでこんなこと……」
膝の震えが喉まで伝わったかのように震える声に、男はニヤリと不快な笑みを浮かべた。
「そりゃ君が好きだからさ! 好きな子は守りたいものだろ? ラナはか弱いから俺が守ってやらなきゃ!」
それなのに、と鋭い視線が幸太郎に移る。
「お前知ってるよ。女ばっかりのパーティーに男一人で加入してる奴だろ。あと薬卸してる冴えない女もいたな。それなのにラナにまで手出しやがって!」
ジリジリと近づいてくる男に、幸太郎は剣を抜いた。
「妄想もここまで来ると病気だな」
「テメェ!」
ナイフを構えて駆け出した男に、幸太郎は怯むことなく鞘付きの剣で手を叩き、落としたナイフを蹴る。そのまま男の喉元へ剣先を構えて鋭い視線を向けた。
「お前さ、人の心ほど思い通りにならないことはないって知らないのか? アンタがどんなにラナのこと好きでも、彼女には迷惑なんだよ。あとアンナは冴えない女じゃない!」
幸太郎がギロリと睨みつけると、男は胸を忙しなく上下させ、ラナに助けを求めた。
「ラナ! 見ただろ? 剣で人を脅すような奴なんだ! こんな男やめて俺にしろ!」
(だから助けてくれとでも言うの……?)
確かに原因は自分だが、だからといってストーカーされる謂れはないはずだ。怖い思いをしなければならない理由はないはずだ。
「……迷惑だし怖かった……貴方に優しくしていたのはギルドの職員としてです」
ラナの言葉に蒼白した男は、その場で膝をつく。
「そんな……」
ラナが自分のことを好きだと信じて疑わなかった男は魂の抜けたような表情をして、誰かが通報したのか衛兵がやって来て男を連れて行った。
「一件落着か?」
「かもしれませんね」
安堵したように笑ったラナは、そのまま地べたに尻をついてしまった。
「あはは、安心したら腰抜けちゃいました」
情けないとは思いつつ、今はこれから訪れるであろう安寧に心底ホッとした。
「はい」
「え」
ラナは目をパチパチと瞬かせた。目の前には座り込んでいるラナと同じくらい足を屈ませ、背中を向いている幸太郎がいる。
「おんぶするから乗って」
「……はい」
どうせ腰が抜けたままでは帰れないのだ。ならば幸太郎に甘える方が良いだろうと思い、ラナはなんとか背中に乗った。
「お、重くないですか?」
「重い」
(……デリカシーない)
しかし幸太郎は抱え直す素振りも見せず、ラナの家への道を迷いなく歩き続ける。
(幸太郎さんあったかいな)
服越しに伝わる幸太郎の体温と、黒い髪の間から見える項に胸が締め付けれるような甘い痛みが走った。このまま家につかなければいいのに、と願うほど、ラナは幸太郎にギュッとしがみつく。
「苦しい」
「ごめんなさ~い」
ふふふ、と笑って少し汗をかいた首筋に頬を寄せる。
(これが、好きって気持ちなのかな)
今まで誰かの心を弄んでばかりいたラナ。今では自分が幸太郎の一挙手一投足に翻弄されている。それが憎たらしくも嫌いではなくて、初めて訪れた恋という感情を、ラナは目を瞑って受け入れた。