魔性の憂鬱
ラナ・アンデルは、ギルド・マンチキンの受付嬢だ。栗色の髪を二つに結い、幼い風貌と天使のような笑顔で冒険者達を迎え入れ、そして見送る。冒険者達、特に男からの支持は厚く、求愛も多い。わずか十六歳にして魔性の魅力と好かれるためのテクニックを身に着けている。
そんな中、一切自分に興味の欠片すら抱かない男がいる。
Dランクの冒険者、田辺幸太郎だ。
幸太郎は不思議な男だった。無愛想な男は多くいるが、それでもラナが笑いかければ表情の一つくらい変わる。特に同じ年の頃の男なら。それが幸太郎にはさっぱり通じない。
(なんで私を好きにならないのよ)
ラナは自分が如何に男の心をくすぐるか理解していた。笑顔の種類も見せたい感情に合わせて数種類もある。しかし幸太郎は鈍感なのか全てが空振りだ。
(今日こそは!)
始めは自分になびかない面白い男だと思っていたが、今では意地になっていることをラナ自身は気づかない。
ほぼ毎日マンチキンへ顔を出す幸太郎を今か今かと待ち続け、マンチキンの扉が開いた時、ラナの瞳が光る。
「こんにちは幸太郎さん」
元気いっぱいの笑顔に反応はなかった。ならば微笑だ。貴方が好きですと愛情たっぷりの熱視線は、普通の男ならすぐにデートに誘ってくる。
「どうも。あのこの依頼なんだけど……」
幸太郎はラナの顔を一度見ただけですぐに依頼書に視線を落としてしまった。
「最近で出没する中級魔獣の討伐ですね」
幸太郎は成長著しく、三ヶ月前までFランクだったのが、今ではDランクだ。増えた仲間も強くて評判も良い。最近ではギルド内からも一目置かれている。期待の新人といったところだった。
「では幸太郎さん、気をつけてくださいね。ラナは応援してます」
しおらしく微笑んで見せるが、幸太郎は「じゃあよろしく」とだけ呟いて、頼もしくなった背中を向けた。
結局幸太郎の表情はピクリとも動かず、ラナは悔しさだけを募らせた。
マンチキンは午後五時には閉まることになっているが、その後は事務処理やらで結局帰るのが午後七時を過ぎてしまうこともある。今日がその日だ。
「疲れた……」
くたびれた顔にマンチキンのアイドルは欠片もない。ただぐったりと肩を落としてフラフラと自宅に帰るだけ。
「どうして幸太郎さんには私の魅力が通用しないのよ……」
最近ラナは悔しさから幸太郎攻略のことばかり考えている。
笑顔もダメ、微笑もダメ、思わせぶりな言葉もダメ。他の男達なら笑顔一つで良かった。自分の容姿に自信のあったラナにとっては屈辱だ。
(あーぁ……)
ラナは幼い頃の記憶を思い出し、苦い気持ちになった。
ラナ・アンデルの幼い頃は悲惨なものだった。
他国の貧民街で生まれ育ち、母親は娼婦で父は知らない。そんな環境だったからか、今とは違ってラナあまりは笑わない子供だった。そんなラナを母親は力いっぱい殴った。
娼婦を生業としている母親からすれば、笑顔は商売道具で生きる手段だったからだ。ラナは母親の姿を見て生きる術を学び、街に立って客引きや物乞いをするようになった。その時のラナは笑った。美しい母親に似た可愛らしい顔に浮かべる笑みは、見る者によっては天使のように可憐で、反対に悪魔のように蠱惑的に映った。
ラナは段々と自分の武器を理解し始めていた。笑顔一つで多くの人間が自分の言うことを聞くこと、そして惑わすことが出来る才能があるのだと。
そしてラナは強かに生きてきた。常に自分にとって有利に働く方を選んできたし、そしてそれは間違っていなかった。
母親を捨ててでも、ギルド長の手を取ったことだって。
(やめやめ! 私はギルド長に感謝してるし、この仕事だって向いてるんだから!)
ラナは首を振って思い浮かべていた母親の顔を消した。
(こんなこと考えちゃうのは疲れてるからよ!)
ラナは帰宅したら、アンナの店で購入したドライラベンダーのナイトスプレーをベッドにかけようと決めて、帰宅を急ぐ。
その時、ラナの背後から砂利を踏む音がしたように感じた。だがすぐに振り返っても誰もいない。後ろは真っ暗だ。
「……ネズミかな?」
きっとそうだ、と納得して、ラナはようやく着いた自宅へと鼻歌を歌いながら入った。
ここ最近のラナは疲れていた。どんよりとした笑顔は元気がなく、溜息ばかりついている。
「ラナどうしたの? 顔色悪いけど?」
マンチキンにポーションなどの治癒薬を納品しに来たアンナが心配そうに声をかけてきた。
「あぁ、アンナさん……。それが、その……えっと……」
口ごもるラナにアンナは気付いてこっそりと提案してきた。
「ランチ一緒に食べようよ」
コクリと頷いたラナは、少しだけ肩の荷が降りたように、やっと笑うことができた。
待ち遠しいランチタイムに訪れたのはサラとダリオが営んでいる宿場だ。ここの店はいつでも繁盛しているが、ランチタイムは最たるものだった。ランチを求めて賑わう店の中で、すでに席を確保してくれていたアンナのもとへ早足で近づくラナ。
「すいませんアンナさん!」
「大丈夫だよ、お疲れ様」
手をひらひらと振ったアンナの目の前に腰を掛けると、タイミングよくランチが運ばれてきた。どうやらアンナが事前に頼んでくれていたようだ。
「それで、どうしたの?」
ラナは打算的だが仕事熱心な人間で、勤務中に機嫌が態度に出るようなヘマはしないタイプだった。それが見るからに顔色が悪いのだから、心配する人間は多かっただろう。唯一声をかけてきたアンナに、ラナはお節介な人だと思いながら、嬉しかったのも確かだ。
「それが、最近変なんです……」
「変?」
ラナの言葉にアンナは眉を顰めた。
「最初は誰かに見られている気がして、それが最近は家まで付けられてて……」
話を聞いたアンナの雰囲気が変わる。不快さを隠すことなく、ラナの話を深刻に受け止めていた。
「それはいつから? 相手の特徴とか見た? ストーカーに心当たりは?」
アンナは食事を机の角へ遠ざけ、空いたスペースに紙を置いてペンを取った。
「あ、えっと……多分男性です。思い切って振り返った時にちょっとだけ影が見えたので……。特定は出来なかったんですけど……」
ラナは意外に思っていた。てっきり話を聞いてくれるだけだと思っていたら、アンナはこの件を解決するつもりでいるらしい。
「なるほど……。帰宅する時は誰かと一緒にいること以外に対策らしい対策は出来ないかな……。それか私の家に泊まるのはどう?」
「い、いえ! 泊めてもらうわけにはいかないので……!」
ラナは一人でいることのほうが気楽だった。友人と呼べれる人間は一人だっていたことがないし、困ったこともない。反対に誰かと一緒にいることが負担に思う時もある。
(一人が楽だわ。だって気を使うもの……)
アンナの好意が嬉しい反面面倒くさい。そんな自分でも処理しきれない感情が腹の中でグルグルと回っている。
「アンナ、食べないのか?」
「幸太郎さん」
顔を上げれば、両手に料理の乗った皿を持った幸太郎がアンナに声をかけていた。
「今ラナと話しててね」
アンナがチラリとこちらを見る。どうやら幸太郎に話しても良いかと伺っているようだ。ラナはコクリとうなずいた。
「実はラナがストーカーされてるみたいなの」
「そうなのか」
幸太郎は相変わらずラナに興味がないようだが、だからと言ってストーカー被害に遭っているラナを心配していないわけではないようで、普段より若干だが眉が険しそうに歪まれている。
「そうだ、幸太郎がラナを家まで送ればいいんじゃないかな?」
「え?」
ラナと幸太郎はアンナの提案に目を丸くした。確かに、ラナは幸太郎に対して意味ありげな態度を取っているが、それが本心だったことは一度もない。しかしアンナがそれを知ることはないし、知られるようなヘマをラナはしない。つまりただの厚意だ。
「こ、幸太郎さんが大丈夫であればお願いしたいです」
ラナにとっては幸太郎を射止める絶好のチャンスではある。しかしどうにも居心地が悪いのは、彼自身を危険に晒すことは本意ではないからだろう。それでも頼むのは、ラナ自身、ストーカー被害で心を削られていたからだ。
どうせ断れるだろうと思っていたが、意外にも幸太郎はコクリとうなずいた。
「いいぞ」
「あ、ありがとうございます」
こちらを見た幸太郎は相変わらず何を考えているのかわからない表情をしていたが、今やCランクになった冒険者だ。それだけの実力を持っている男がそばに居てくれるだけで心強かった。