ハズレ姫のビーストテイマー
「待ってトト!」
走り出してしまったトトの後を追うアンナに、セシリアと幸太郎も駆け出す。
いくつもの角を曲がり、薄暗い道を駆け抜けて、ようやく開けた場所へたどり着いた。
そこは王都の外れ。平民と貴族の住まいの隔たりの場所。
煉瓦の隙間から雑草が生えるほど整備されていない。有るものと言えば、オズ国が生まれた時に唯一あったと言われる古い井戸だった。今は魔法のおかげで水は街のいたる所へ流れて井戸は使われない。この井戸は命の井戸と言われていたが今では昔の話だ。
「トト、もうなんなの……」
トトの俊足に追うのに必死で、足を止めた途端にドッと疲れが押し寄せてくる。
「え……」
絶え絶えになる呼吸を整えていると、なにもない場所に一人だけ忘れ去られた井戸に腰を掛ける女性がいた。
優しく穏やかな声。ピンク色の唇からは呟くような美しい歌が紡がれ、それに誘われた小鳥が合わせるように鳴く。足元にはリスが女性の顔を伺うように見上げ、猫がゴロゴロと喉を鳴らしながら膝の上で微睡んでいた。
まるでおとぎ話のワンシーンのような光景に、アンナ達は息をするのも忘れて魅入ってしまう。
「あら、可愛いワンちゃんね。こんにちは」
トトの頭を撫でながらこちらに振り向いた水色のドレスを着た女性は、アンナ達を見るなり驚いたように腰を上げた。
「な、なんで貴方達がここにいるんですの!?」
「え、あたしだけが見える幻? ミリアリアに見えるんだけど?」
セシリアが目を擦るが、目の前の光景は変わらない。ただ顔を真っ赤にしたミリアリアがパクパクと口を動かしているだけだ。
(原作にはこんなシーンなかったはずだけど……)
物語の筋書きは、セシリアと上手くいかないミリアリアを主人公が慰めることでミリアリアの好感度が上がり、セシリアと張り合いながらも信頼関係を築いていく流れだ。主人公がミリアリアを慰めるのは、主人公がこっそりとハートフィールド邸に忍び込んでだったはずで、こんな井戸の登場など加隈あんなの記憶にない。
(なんで? 物語が変わってる……!)
しかしイベントの場所はさして問題じゃない。ここで幸太郎がミリアリアを慰めなければいけない。最近の幸太郎はどこかおかしいとアンナは思っていた。
「えっと、ミリアリア……?」
居心地悪そうに表情を曇らせるミリアリアに、セシリアが近づいて地面に座っている猫を撫でようとした。
「可愛いネコ~! キャ!」
シャ! と鋭い爪がセシリアの手の甲に引っかき傷をつける。
「痛いじゃない!」
威嚇し合う猫とセシリアに、ミリアリアは観念したように溜め息を吐いた。
「いけませんわ。猫は警戒心が強いんですの。少し距離を置いて、手は上から撫でないでくださいまし、怖がりますわ」
セシリアはミリアリアの言う通りにすると、あれだけ威嚇していた猫はセシリアに近寄って手にすり寄った。
「わあ!」
瞳をキラキラさせるセシリアを優しく見守るミリアリアは同じく嬉しそうに微笑んでいる。
(状況も違う……。ミリアリアを慰めるストーリーにセシリアはいないはず。……でもまあ多少の違いは大したことないか)
ホッと胸を撫で下ろすアンナに、ミリアリアは立ち上がってトトを見た。
「その犬は貴方のですの?」
「そうだよ、トトって言うの」
「とてもお利口そうですわ」
トトが誰かを気に入らないことはあまりないが、それでもミリアリアに撫でられるとお腹を見せて転がってみせる。
「あら、随分甘えん坊さんですのね」
慣れた様子で撫でるミリアリアから、愛情をたっぷり貰ったトトは上機嫌だ。
「さすがビーストテイマー。動物に好かれるのね」
セシリアが感心したように言うと、ミリアリアの表情は曇ってしまう。
(ミリアリアの能力ビーストテイマー)
動物を使役して戦うが、使役できる頭数は限られている最弱と呼ばれるスキル。
「……こんなもの、役に立ちませんわ……」
ミリアリア・イヴ・ハートフィールドはオズ王国に三つある侯爵家の一つ、ハートフィールドの長女だ。
ハートフィールド家は強い魔法を宿す血筋で、豊富な知識と高度な攻撃魔法を得意とし、オズ王国を支える一柱と言われている。
しかしハートフィールド家の長子として生まれたミリアリアには、強い魔力は備わっていなかった。攻撃魔法も防御魔法も才能がなく、唯一使えるのが動物を使役する魔法だけ。
期待はずれと周りから指さされ、才能がないことを嘆く両親。次に産まれた次女は魔法の才能があり比較され貶められる。そんなミリアリアを社交界は「ハズレ姫」と呼ぶようになった。
使えもしない魔法の知識だけが溜まっていく中、ミリアリアは環境に耐えられず逃げるように冒険者となる。そこで出会った主人公はありのままのミリアリアを受け入れて恋心を抱く。
と、ここまでがミリアリアの生い立ちとハーレム要員になる筋書きである。
「こんな能力……」
悲しみに歪むミリアリアに、幸太郎はスッと近寄った。
「凄いと思う」
「え……」
「こいつらミリアリアのことが好きなんだろ?」
チラリ、と未だ首を傾げるリス達がツブラな瞳でミリアリアを見つめていた。
「テイムってやつしなくてもここまで好かれるって、それって魔法より凄いことだろ」
「そうよ、あたしなんて引っかかれたのよ? 動物に好かれるミリアリアが羨ましいわ」
セシリアは慣れてきた猫の顎を撫でながら夢中で可愛がる。
「そう、かしら……」
頬が赤くなっていくミリアリアは、きっと褒められることが少なかったのだろう。自分を肯定されることは欠けていた自尊心が満たされていくのが見て取れた。
「ねぇ、さっきの歌をうたうと動物が集まるの?」
「え、えぇ……」
ミリアリアに集まってくる動物がもっと見たいという期待の眼差しに、戸惑いながらミリアリアは息を吸うと、また歌い出す。
すると小鳥が舞い戻り、トトは気持ちよさそうに地べたに寝そべった。美しい歌声は優しく、動物たちは愛するミリアリアの歌声をじっと聞き入り、時に甘えるように心を預けた。その姿はハズレ姫なんかではなく、女神のように美しい姿だった。