白馬の王子と朴念仁〜古参と新参〜
ランチを終えて外へ繰り出したアンナたちは露店街へとやってきた。ランチ時を終えた町の賑やかさは夕刻まで続くだろう。
木箱に入ったりんごの香りを嗅ぐトトを、アンナは呆れたように見る。
「こら、トトったら! 見回りするんでしょ?」
「ごめんごめん。だっていい匂いなんだもん」
「もう食いしん坊なんだから」
「さっきランチを食べたばかりだって言うのにね」
セシリアがクスクス笑う。トトはふふんと鼻を鳴らした。
「セシリア知ってる? デザートは別腹なんだよ!」
トトの大好物の果物たちを通り過ぎ、人でざわめく道をキョロキョロと見る。こんなに人が多ければスリが多発しているのも納得だ。
「ん? ねぇアイツ怪しくないか?」
幸太郎がつぶやく。アンナたちは幸太郎の視線の先をたどると、一人の男が歩いている。一見普通に見えるが、その挙動は買い物をする人間のそれではない。まるで小川の流れに逆らうような違和感があった。
「あ!」
男が露店で立ち止まった女性に近づいた。骨が浮いた細い手がカバンに入り、スルリと抜こうとした瞬間。
「きゃっ!」
「っち!」
スリに気づいた女性が悲鳴を上げる。男はスリをやめて、カバンを女性から奪い取ると走り出した。
「誰か! ひったくりよ!」
「トト! 行くぞ!」
「任せて!」
走り出した幸太郎とトトが男の後を追う。瞬発力に長けた二人は困惑にざわめく人が作った道を走った。
「さて、私を援護しないとね」
セシリアがニヤリと笑って助走をつけたかと思えば、露店の柱に飛び上がった。
「わ!」
驚く町の人たちはセシリアを見上げる。
「っよっと!」
重力なんて関係ないというように建物へ飛び移ったセシリアは羽が生えたように屋根を伝って幸太郎たちを追いかけた。
「すごい……」
「追いつけるか?」
「もちろんだよ幸太郎!」
息を弾ませトトは犯人との距離を縮めていく。トトの脚力が弱まることはなく、持久力と瞬発力に長けたトトの足はすぐに犯人へ追いついた。
「待て待て!」
「ぅグア!」
トトが一歩地面を大きく蹴り上げると、犯人目がけて飛びついた。
「よし! トトそのままだ!」
幸太郎は犯人にのしかかり、腕を捻り上げた。
「ぃだだだ!」
苦痛に顔を歪めた犯人は四肢をバタつかせる気力もなく大人しくしている。
幸太郎が一切の容赦なく相手の体を拘束していると、騒がしい人垣を分けてやって来た二人の憲兵が幸太郎に代わって犯人を起こす。ふらふらとおぼつかない足は今にももつれて地面に転がりそうだ。
「治安維持の協力を感謝する」
「役に立ったなら良かったです。それにしても駆けつけるの早くないですか?」
幸太郎の言葉に、憲兵の一人が「それは」と呟いた時、蹄の音が近づいてきた。
「あ!」
見知った顔にアンナは声を上げた。
「こんにちはアンナさん」
カツンと地面にブーツの靴底を鳴らして馬を降りた一人の男性がアンナに微笑む。
「ルーカスさん!」
金糸の髪に青い瞳、スラリとした出で立ちの王子様のように美しい男性の名はルーカス・ルパート・スコット。第一騎士団の副団長を務め、剣術だけではなく体術にも秀でており、有名伯爵家の長子である。
そのルックスの良さもあり、貴族内では結婚したい女性は大勢おり、婚約者打診の手紙で彼の執務室はいっぱいになっているらしい。
「ルーカスさんがどうして? まだ遠征中だったんじゃ?」
「あぁ、昨日帰ってきたんです。後処理で帰宅がこの時間までかかってしまったんですが」
「そうだったんですね。お疲れ様です」
アンナとルーカスの親しげな様子に、ルーカスの後ろからやってきたセシリアが眉を歪めながら問いかける。
「アンタたち知り合いだったの?」
セシリアの言葉に、アンナより先にルーカスが頷き、そして「そうだ」と呟いた。
「先ほどは通報ありがとう。君のおかげで迅速に対処出来たよ」
「ま、まあ? 三人でバカ正直に犯人追いかけるより、一人は憲兵呼びに行ったほうが良いだろうし? 当たり前でしょ?」
長いポニーテールの毛先をクルクルと指先でいじりながら満更でもなさそうな顔をする彼女をクスクスと笑うルーカス。
「おかげでアンナさんにも早く会えた」
「え?」
「ドロシーに行こうと思っていたんです。遠征中はアンナさんのハーブティーが恋しくて仕方ありませんでした」
「そうだったんですか。じゃあ渾身の一杯を淹れますね」
「ははは、ありがとうございます」
二人の親しげな雰囲気に水を差すように憲兵が声をかける。
「スコット様。我々はこの者を駐屯地に連行します」
ビシリと敬礼をする憲兵はどこか緊張した面持ちでルーカスの言葉を待っている。ルーカスは頷いた。
「あぁ、ありがとう。よろしく頼むよ」
「っは!」
「ほら! 来い! ったくスリなんかしやがって!」
犯人を軽く罵りながら、二人の憲兵は犯人を引きずって駐屯地へと去って行った。
その後姿が小さくなるまで見送るとルーカスはアンナに向き直る。
「ところでアンナさん。彼女たちはご友人ですか?」
「え?」
ルーカスの視線が幸太郎たちに向けられる。そういえば幸太郎たちに出会ったのはルーカスが遠征中で王都には留守だった。ハーレム回避のために奔走していたので忘れていた。
「縁あって親しくなりました。彼女は弓使いのセシリアで、彼は剣使いの幸太郎です。二人共冒険者なんです」
「そうなんですか。幸太郎さんは珍しい名前ですね。外国の方ですか?」
「まあ、そうですね。出会ってからアンナには世話になってます」
「アンナさんはお優しいでしょう? 僕も会う度に良くしてもらっています」
「へぇ、そうですか」
「えぇ、もう何年も」
「…………」
二人の間に見えない火花が散る。アンナはそんなことに気づかずに、代わりにセシリアが間に入った。
「申し訳ないんだけど、アタシたちはこれからトトの仕事は完了した報告に行かなきゃいけないから、このへんで」
「ルーカスも一緒に行こうよ!」
空気を読まないトトを無言で睨みつけるセシリアに黒白の動物はビクリと震えた。
「そうでしたか。それでは僕は失礼します。アンナさん、また後ほど」
「わかりました。お待ちしてますね」
「ハーブティー楽しみにしています」
「お任せください!」
アンナの言葉を嬉しいそうに受け止めて、ルーカスは立派な馬に乗った。陽の光が金の髪に透けて眩しく、微笑みは甘い。その姿に周りの人間は頬を染めた。
「ではまた」
馬はルーカスの指示を忠実に守り、美しく筋肉質な体を翻して去っていった。
「………何だあいつ」
「え? ルーカスさんだけど」
「そういう意味じゃない」
珍しく苛立ちを隠さない幸太郎に内心驚く。いつも何を考えているのか分からないのに、今は顔を見れば分かってしまう。不快感に目を細めて去っていった方向を未だ睨んだままだ。
「はあ、危なかった。アンナ、アンタって本当に面倒くさい人間が集まってくるわね」
「え?」
「あぁ、もう良いわ」
(面倒くさい人間って何のこと? 人間じゃなくて、私の周りは常に面倒事でいっぱいだよ)
「アンナ、あいつとは知り合って長いの?」
「幸太郎! 蒸し返さない!」
「…………分かった」
(幸太郎、どうしたのかな?)
疑問に思っても基本的には分かりづらい男だ。そんなにルーカスが気に入らなかったのだろうか。
「さ、行くわよ」
周りを見れば人垣はなくなり、あの逮捕劇が忘れ去られたように賑やかさが戻っている。人の流れが復活している中、いつまでも立っているだけのアンナたちを迷惑そうに思っている視線は少なくはない。途端に居たたまれなくなり、アンナはセシリアの言葉に頷いた。
「そうだね、行こう」
「アンナ、はぐれないように気をつけて」
「分かってる。私のほうが幸太郎より王都の暮らしが長いんだから大丈夫だよ」
(いつからこんな心配性になったの?)
もしかしたら冒険者として危険な依頼を請け始めて危機感覚が鋭くなったのかもしれない。慎重なのは良いことだが、どうして自分がその対象になるのか、まるでわからない。
「アンナ」
「どうしたのトト?」
三人の前を先導していたトトが耳をピクリと動かした。
「なんだか良い音がする」
「いい音?」
(匂いではなく?)
「こっち!」
「あ! ちょっと! トト待って!」
トトは露店市から逸れて路地へと走り始める。三人は戸惑いながら足の早いトトを追いかけた。