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凡人の俺にだけ“声”が聞こえるようになった件 ―地方創生チート始動―  作者: バグ製造機
高校生出会い編

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第八話 勉強会の約束

 蒼護市立図書館。


 窓の外は薄曇りで、海霧がほどけたような白さが街を包んでいる。

 閲覧席の奥、四人掛けの机に俺たちは横並びに座った。


 机上には教科書、ノート、シャープペン、そして俺の安いスマホ。

 今日は“先生役”としてここにいる――そう思うだけで、指先がほんの少し汗ばむ。


『指導を始める前に、簡易テストを実施してください。お二人の学習タイプを判別し、以降の学習方法を最適化します』


 頭の中にリリアの声。いつもの、冷たく丁寧な口調だ。


「じゃあ、いきなり教えるより、まずは小テストからやってみよう。重いのじゃない、確認みたいなやつ」


「おー、なんか本格的じゃん」


 佐藤大哉――みんなはダイヤと呼ぶ――が、身を乗り出して笑う。

 潮の匂いがほんの少しする。手の甲の荒れはきっと網を引いたせいだ。


 佐々木小春は、胸の前でノートを抱えたまま、小さく頷いた。

 小さな手。視線は机の木目から離れない。



「最初は読解。国語の教科書の短い段落を一つ、黙読してみて。終わったら要点を一言でまとめる。時間は……一人ずつ一分で区切ろう。じゃあ大哉から」


 俺はスマホのストップウォッチを構える。


 大哉は片肘をついて、ページを追いはじめた。

 二十秒ほどで顔をしかめ、ペン先で余白に小さな矢印を書き込む。

 四十秒でページを戻し、また進む。


「はい、一分。要点は?」


「えー……春の情景が、なんか、こう……“霞んでる感じ”?」


 ぼやっとしているが、核心から致命的に離れてはいない。

 俺はメモ欄に「長文→負荷」「図や矢印で補助◎」と走り書きした。


「次、小春。よーい、スタート」


 小春はページの端に人差し指を置いた。

 ひと文字ずつ、指先が滑る。


 唇がかすかに動いて“しずかに……みどりが……”と音をつくる。

 三十秒で、まだ一行半。


 四十五秒、二行目に移った瞬間、ふいに一行目へ戻ってしまう。

 焦りで肩がぎゅっと上がるのが見えた。


「……ご、ごめんなさい。遅くて」


 ストップの音。俺は慌てて首を横に振った。


「謝ることじゃない。要点は、どう思った?」


「……読んでる間に、意味が逃げちゃって。読めてるのに、わかんない……みたいな」


 胸がちくりとした。自分を責める癖のある言い方だ。


『観察結果を共有します。佐藤大哉は長文の保持に負荷が高く、視覚的整理を与えると理解が向上します。佐々木小春は読字速度が同年代の平均のおよそ半分程度。行の戻り、読み飛ばし、同形文字の混同が散見されます。意味理解に至る前に認知資源が枯渇しています』


 リリアの報告は静かだが、刃物みたいに正確だ。



「次は図の問題。言葉より絵で考える練習だ」


 俺はノートの真ん中に円を描き、三本の矢印を円へ、一本を円の外へ向けて引く。

 単純な“池とパイプ”の問題だ。


「この三本は水が入るパイプ、一本は出ていくパイプ。同時に開いたら、池の水位はどうなる?」


「お、得意分野!」


 大哉はもう一本のペンを取り、矢印の太さを変えはじめた。

「入」と「出」と書き込み、入の合計が出より太いから増える、と自信満々に答える。


 矢印が太るたびに、彼の声も太くなる。


 一方で小春は、図をじっと見つめて動かない。


「……えっと。太さが大きいと、たくさん……入る? でも、どれが先でどれがあとか、ぐちゃぐちゃになる」


 図は「見える」。

 けれど、頭の中で順序に並べ替えるところで引っかかっている。


 俺は図の横に「入=+」「出=−」の記号を書き、矢印の本数を一本ずつ指で数えながら、声に出して足し引きする。


「プラスが三本、マイナスが一本。声にするとどう?」


「……三から一を引くから、二。二ぶん、ふえる」


 小春の声が、少しだけ明るくなった。



「最後に音でやってみよう。俺が問題文を読んで、要点だけ短く言い直す。二人は聞いて答える。メモは見なくていい」


 俺は同じ教科書から、短い文章題を選び、はっきりと読み上げた。


「五人で清掃をしたら二十分かかりました。作業量は人に比例します。では、一人で作業したら何分かかりますか」


 そして要点だけに削る。


「五人で二十分。作業量は比例。一人なら?」


「えっと……百……?」


 大哉が眉間にしわを寄せる。


「……百分」


 小春は迷いなく言った。


 俺は思わず笑って親指を立てた。

 小春の頬がふわっと赤くなり、胸の前でノートをぎゅっと抱きしめる。


 その仕草が、眩しい。


『結論を補足します。佐藤大哉には視覚優位の傾向が強く、図表・色分け・フローチャートなどの併用が最適です。佐々木小春は聴覚優位で、読字困難――いわゆるLDの傾向が見られます。ただし「診断」ではありません。ここでは学習戦略の選定に関わる“傾向”として取り扱ってください』


「LD……」


『学習障害(Learning Disability)の略称です。知的能力や努力不足とは無関係に、読み・書き・計算など特定領域で“著しい困難”が現れる状態を指します。小春のような読字困難の場合、一般的に次の特徴が見られます。

 一、文字を読む速度が極端に遅くなる。

 二、読み飛ばしや行戻りが頻発する。

 三、似た形の文字の識別に時間がかかる。

 四、意味理解に達する前に集中資源が消費され、疲労する。

 五、黙読より音声入力のほうが理解が進む』


 リリアの声が淡々と続く。


 俺は横目で小春を見た。


 彼女の肩が小さく震え、視線は机の木目に落ちたまま、ページの端をぎゅっとつまんでいる。

 唇を噛み、顔がわずかに赤い。


 ――説明が、彼女自身の記憶を正確に突いているのは明らかだった。



 このあとも俺たちは、方法を調整して学習を続けた。


 小春には「耳で入れる」を基本に、俺が要点を短く読み上げ、キーワードを大きく書き、定規で行を追わせる。さらにスマホの録音で繰り返し聞けるようにした。


 大哉には「目で入れる」を基本に、歴史や国語を図や矢印に翻訳し、色で強弱をつける。


 二人の表情が次第に変わっていく。


 小春の目は、音で意味をつかむたびにわずかに明るさを帯び、

 大哉の手は、図を描くたびに勢いを増していった。



「……なぁ工藤。俺の名前“大哉”って書くんだけどさ、昔から“ダイヤ”って呼ばれてよ。宝石かよ、って。キラキラネームじゃねえのに、勝手にキラキラにされてる気がしてさ」


 思わず笑いそうになったのを堪えて、俺はまじめな顔で言う。


「輝き方にも、やり方がある。文字で輝くやつもいれば、図で輝くやつもいる。お前は後者ってだけだ」


「お、おう……なんか、今だけは“ダイヤ”って呼ばれても悪くない気がしてきた」


 勢い余って声が大きくなり、司書さんに「お静かに」と目で注意される。

 三人で同時に会釈した。


 緊張がほどけ、空気に少し笑いが混ざる。



 夕暮れ。窓の外の光は琥珀色に変わっていた。


 机の上には、色のついたカードと、太い字のキーワード、矢印だらけの紙片が散らばっている。

 整ってはいないけれど、戦ったあとの机だった。


「いやー、頭入った。図にするとマジで違うな。ありがとな!」


 大哉が大きく伸びをして、肩を鳴らす。


「わ、私も……録音、家で聞いてみる。行ガイドも、作ってみる」


 小春は定規の角をそっと撫でながら微笑んだ。

 緊張で強張っていた指先から、ようやく力が抜けたのがわかる。


『本日の成果を要約します。大哉は図式化・色分け・因果の矢印で理解が飛躍しました。小春は音声入力・短文要約・行ガイド・太字フォント・色下敷きの併用で読解が成立しました。適切な方法を選べば、凡人でも、そして困難を抱える方でも、学習は成立します』


「……なぁリリア。LDって、本人のせいじゃないんだよな」


『はい。本人のせいではありません。社会がまだ方法を“揃えていない”だけです。方法が揃えば、人は役割を得られます。役割は尊厳と生活をつなぎます』


 尊厳。生活。

 俺の耳に、その二語が重く落ちる。


 牛丼一杯にも迷う俺の生活と、小春の「ごめんなさい」が、一本の線でつながった気がした。


 二人と並んで図書館を出る。


 冷えた空気が頬を刺し、街灯がぽつぽつと灯りはじめていた。


 誰かに必要とされるのは、こんな感じなんだろうか。


 俺は胸の内で、そっと息を吐いた。


『本日の最適化は良好です。次回は、小春の録音要約に“速度調整”を導入しましょう。最初は等速、慣れたら一・二五倍、要点の反復は〇・七五倍。大哉には、矢印の“優先順位”を数値で付ける訓練を提案します』


「了解。……ありがとう、リリア」


『どういたしまして』


 冷たいはずの声が、ほんの少しだけ、温かく聞こえた。



 図書館を出て二人と別れ、最寄りのバス停へ向かう。

 夜風は冷たいけれど、足取りは軽い。


 カレンダーアプリの明日の枠に、静かな赤い印がついていた。

 ――病院の医務室。定期検査の日。


 けれど胸の中は、不思議と明るかった。


  俺の担当医は、その医務室でいつも待っていてくれる。

 検査より先に「最近どう?」と聞いてくれて、最後はかならず冗談で笑わせてくれる人だ。


 ちょっと理屈っぽいところもあるけど、それも安心する理由のひとつだった。


 病院に行くのが、少しだけ楽しみになる。

 「友達に勉強を教えたんです」――そんな報告をするのも、なんだか待ち遠しかった。


 医務室は、俺にとって白い天井に押しつぶされる場所じゃない。

 背筋を伸ばして、自分のことを話せる“守られている場所”だ。


 バスの窓に映る自分の顔は、思っていたより少し笑っていた。

 明日の医務室で、「よくやったね」と言われる光景を想像しながら、俺は家路を急いだ。

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