第七話 勉強会スタート!凡人教師、初めての教壇
答案が返却されるたびに、紙の音が教室に小さく響く。
蒼護市にあるこの通信制高校では、登校日といっても十数人が集まるだけだ。
毎日会うわけじゃないから、互いの距離感も全日制とは違う。
だからこそ、ちょっとした噂がすぐ広まる。
机の上に置かれた答案用紙を見て、俺は息を呑んだ。
――九十点。
国語も数学も英語も、どれもトップに近い数字。
「……マジかよ」
隣に座っていた男子が、ちらっと答案をのぞき込み、呟いた。
今まで“下の下”だった俺が、急に上位に食い込んだのだ。
全日制ならクラスの中で埋もれて終わりだろう。
でも通信制は人数が少ない。成績上位なんてすぐに知れ渡る。
教室の空気がざわついているのがわかった。
『当然の結果です』
頭の中に、冷たい声が響く。
リリア――俺を導く“声”。
『学習法を最適化すれば、凡人でも天才に見える。それだけのことです』
俺は小さくうなずいた。
誇らしいはずなのに、胸の奥がざわつく。
……注目されることなんて、今まで一度もなかったから。
◆
答案返却を終えて下校時間。
俺は鞄を肩にかけながら、財布を取り出して電車賃を数える。
家からの仕送りと、たまにやるバイト代でどうにか暮らしている。
けれど生活費にほとんど消えてしまって、遊ぶ金なんてまるでない。
コンビニの菓子パンを買うかどうかで悩むくらいのギリギリの生活だ。
しかも月に数回は病院に行かなきゃならない。その交通費も地味に重い。
「……はぁ」
ため息をついたその時だった。
「工藤! お前すげぇじゃん!」
振り返ると、佐藤大哉が笑って立っていた。
家は漁師。いつも潮の匂いがする陽気な男だ。
登校日も週に数回しか顔を合わせないけれど、彼の明るさは誰にでも印象を残す。
「なんで急にそんな頭良くなったんだよ」
「いや……別に」
「ごまかすなって!」
がしっと肩を叩かれ、俺は少しよろめく。
大哉は声を潜め、真剣な顔になった。
「なぁ工藤。俺にも勉強、教えてくれよ。今度なんか奢るからさ!」
「えっ……」
思わず素っ頓狂な声が出る。
『お受けください』
リリアの声が冷静に告げる。
『これは“対価の試金石”になります。お金ではなくとも、生活を少し潤す価値はあるでしょう。通院の交通費くらいは補えます』
俺は無意識に財布を握りしめた。
確かに、今の俺には牛丼一杯だってありがたい。
「いや、俺なんか……」
「頼むよ。俺、漁師継ぐのが嫌なんだ。親父からは“継げ”って言われてるけど、海に出るしか選べないのは……もううんざりで」
大哉は顔をしかめた。
「でも勉強は全然ダメだ。だから少しでも教えてほしいんだ」
その言葉に、胸がざわついた。
その時だった。
「あ、あの……」
小さな声が背後から聞こえる。
振り返ると、佐々木小春が立っていた。
温泉街にある家族経営の宿の娘で、登校日でもほとんど誰とも話さないおっとりした子だ。
「わ、私も……教えてほしいの。全然できなくて」
小春は俯き、小さく声を震わせた。
「勉強、ほんとについていけないんだ」
驚いた。
週に数回しか会わない、この通信制の環境で――俺に頼ってくるなんて。
『同時指導は効率が下がります』
リリアが冷ややかに言い放つ。
『条件を整理してください。場所と時間を限定し、同じ場で教えるのは試験的に一度だけにするのです。それなら“試金石”としての価値は残ります』
確かにその通りだ。
でも、必死に頼んでくる二人を前に、俺の中で何かが抗った。
「……少しずつでいいなら、俺でよければ」
「マジか! ありがとう工藤! じゃあ次の登校日の帰りにでも、牛丼奢るわ!」
大哉は笑顔で俺の背中をばんばん叩く。
小春もほっとしたように「ありがとう」と小さく微笑んだ。
今まで誰かに必要とされるなんてなかった俺が、初めて“役割”を与えられた瞬間だった。
『これでいいのです』
リリアが告げる。
『この選択でもう少し金銭的に楽になりますよ。通院の負担も和らぐはずです』
俺は二人と図書館で集まる約束を交わした。
週に数回の登校日じゃ埋まらない時間を、勉強会で補う。
それは部活動なんてない通信制ならではの、新しい“居場所”のように思えた。
――けど、どうすんだよ俺。
先生なんか、やったことないのに。
来週も病院に行かなきゃならないし、余裕なんて全然ない。
心臓が落ち着かないまま歩き出し、背中に二人の笑顔がちらついて離れなかった。
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