第31話「デスマーチ②」
第31話「デスマーチ②」
旅館の離れは、古い畳の匂いがした。
誠が部屋の中央にノートPCを置くと、ダイヤ、小春、成田の三人が囲むように座った。
誰も口を開かない。
誠の顔を見れば、一目でわかった。目の下の深いクマ。乾いた唇。ボサボサのまま手もつけていない髪。
「……誠、ちゃんと寝てるか?」
ダイヤが心配そうに言った。
「寝てる」
誠は短く答え、PCの画面を全員に向けた。
「見てくれ」
アプリが起動する。
シンプルな画面。大きなボタン。マイクのアイコン。
「牛乳買ってきて」
誠がマイクに向かって言うと、画面に文字が表示された。
《牛乳 買ってきて》
次に誠は「毎週火曜日」と設定し、リマインダーをセットしてみせた。
三人は黙って画面を見ていた。
最初に声を出したのは小春だった。
「……これ、5日で作ったの?」
「ああ」
「正気?」
「正気じゃなかったかもな」
誠は苦笑した。
「でも、まだ粗い。俺一人じゃ限界だった。みんなの目が必要だ」
成田が静かに口を開いた。
「……何をすればいいですか」
その声は、いつもより少し低かった。
* * *
作業が始まった。
ダイヤは実際にアプリを操作しながら、現場の感覚で次々と指摘を入れた。
「このボタン、小さすぎる。じいちゃんたちの指じゃ押せない」
「音声が認識されなかった時のエラー表示、意味わからん。『再試行』じゃなくて『もう一度話しかけてください』の方がいい」
「依頼の履歴、もっと大きい文字で出してくれ」
誠はリリアと並走しながら、指摘が入るたびに修正を反映していく。
小春は画面の文言を一つひとつ確認し、難しい表現を書き直していった。
「『スケジュール登録完了』じゃなくて『毎週のお願いを覚えました』の方が優しい」
「通知の文面、もっと柔らかくしよう。『リマインダー』って言葉、高齢者には伝わらない」
そして成田は、誰よりも手を動かしていた。
バグを見つけると即座にコードを覗き込み、修正案を出す。処理速度が落ちる箇所を特定して、最適化を提案する。誠が詰まったところに、気づけば隣で画面を覗いている。
「ここ、条件分岐の順番を変えると速くなります」
「このAPI呼び出し、非同期にした方がいい」
誠は一瞬だけ成田を見た。
何も言わなかった。
ただ「助かる」とだけ返した。
午後になって、壁にぶつかった。
音声認識と定期依頼を同時に動かすと、稀にアプリの応答が止まる。
誠は画面を睨んだ。
「リリア、ログ解析」
『処理中です』
成田がそっと横に来た。
「スレッドの競合じゃないですか。音声処理とスケジューラーが同じリソースを取り合ってる」
誠はコードを見た。
成田の言う通りだった。
「……そうだな」
二人で並んで修正を進めた。
誰も余計なことを言わなかった。
夕方、ダイヤがのびをしながら言った。
「なあ、腹減った」
「今は無理だ」
「人間は飯を食う生き物なんだよ誠」
小春が苦笑した。
「誠くん、ここ数日ちゃんと食べてる?」
「……食べてた」
ダイヤは誠の顔をじっと見て、呆れた顔で立ち上がった。
「ちょっと待ってろ。飯買ってくる」
コンビニの袋を抱えて戻ってきたダイヤが、おにぎりを誠の前に置いた。
「食え」
誠は無言でおにぎりを手に取った。
一口食べた瞬間、思った以上に腹が減っていたことに気づいた。
全員で、黙って食べた。
その後、作業を再開した。
夜になる頃、最後の統合テストが通った。
「……動いてる」
誠がぽつりと言った。
誰も返事をしなかった。
ただ全員が、画面を見ていた。
音声依頼が登録される。リマインダーが設定される。文字が大きく、言葉が優しく、操作が単純に。
5日前には存在しなかったものが、そこにあった。
しばらくして、ダイヤが口を開いた。
「……誠」
「ん」
「ありがとな」
真っ直ぐな声だった。
余計なものが何もない、ダイヤらしい一言だった。
誠は少し目を細めた。
「みんながいたから形になった」
成田は、その言葉をどこか遠くで聞いていた。
画面を見ているようで、見ていなかった。
* * *
「明日、老人ホームに持っていく」
誠が言った。
「営業、か」
小春が少し緊張した顔をした。
「誰が行く?」
「俺と——」
誠が言い終わる前に、成田が口を開いた。
「僕も行きます」
静かだが、迷いのない声だった。
ダイヤが親指を立てた。
「俺も行く。顔は広いぞ」
誠は二人を見た。
何も言わず、頷いた。
解散の直前、誠はふとスマホを手に取った。
「……そういえば、流石に報告しないとな」
ぼそっと呟いて、連絡先を開く。
マリア先生。
誠はメッセージを打った。
《アプリ、ある程度できました。明日、老人ホームに営業に行きます》
送信。
誠はスマホをポケットに入れ、PCを閉じた。
* * *
同じ頃。
マリア先生は診察室で書類に目を通していた。
スマホが震えた。
画面を見た。
誠からのメッセージ。
読んだ。
もう一度、読んだ。
「…………え?」
静かな職員室に、マリア先生の声が漏れた。
アプリができた。
明日、営業に行く。
つまり——5日間で、作り上げた?
「えええっ」
思わず立ち上がった。椅子が後ろに引っかかる。
隣にいた看護師が振り返った。
「先生、どうかしました?」
「い、いえ、なんでもないです」
マリア先生は慌てて座り直した。
スマホの画面をもう一度見る。
送信時刻。今日の夜。
最後に誠と話したのは、いつだ。
学校を休んでいた。親戚の不幸、と連絡があった。
——親戚。
マリア先生は、その言葉に一瞬だけ目を細めた。
その間に——
マリア先生は深く息を吐いた。
そして静かに、スマホに返信を打った。
《わかりました。詳しい話は後で聞かせてください》
打ちながら、心の中で思った。
——この子たちは、私が思っているより、ずっと先を走っている。




