第30話「デスマーチ①」
電話を切ったあと、部屋には静寂だけが残った。
誠は天井を見上げ、深く息をついた。
成田の声のトーン、言葉の選び方、間の取り方——全部が何かを隠していた。
だが、今それを追及しても何も解決しない。
誠は唇を噛み、拳を握りしめた。
「リリア!」
小さく呟くと、いつものように声が返ってきた。
『はい』
「あの詐欺サイト、追跡できるか?」
『可能です。ただし、相手も技術を使用しています。足跡を辿るには最低でも2週間から3週間を要します』
誠は目を閉じた。
2-3週間。
その間、ダイヤは自分を責め続けるだろう。
小春も心配そうな顔をするだろう。
成田は——何を思うのか。
『追記します』
リリアの声が続いた。
『探索を続行した場合でも、金額の回収可能性は27%以下と推定されます』
「……そうか」
誠は静かに息を吐いた。
そして、ふと思いついた。
「だったら、すぐに50万円稼げばいいじゃねえかな」
『提案の意図を確認します』
「アプリに機能を追加するんだ。音声入力と、定期依頼の自動化。ええっとマリア先生が前の会議で言ってただろ、今後こういう機能があるといいって。あの時は参考程度にしてくれって帰り道にぼそっと言ってた程度だけど」
誠は勢いよく起き上がり、ノートPCを開いた。
「あのアンケート、じいちゃんたちが本気で答えてくれたんだ。文字が打てない人でも使える。毎週同じものを頼める。それができたら、老人ホームがすぐ導入してくれる。企業に売れる」
『警告します』
リリアの声が、いつもより強い抑揚を帯びた。
『短期間で商業レベルのデモを完成させることは不可能です』
「不可能って——」
『音声認識の精度調整、方言対応データベース構築、スケジューリングロジックの実装、プッシュ通知システムの統合。これらは通常、専門チームが2ヶ月から4ヶ月を要する開発項目です。デモを完成させたとしても、テスト期間とマーケティング戦略が存在しない状態では、投資対効果が見込めません』
「それでも!」
誠は画面を睨んだ。
「何か方法はないのか。デモだけでも形にできれば、老人ホームに見せられる。あのアンケート、本気で答えてくれたじいちゃんたちを裏切れない」
沈黙。
数秒の間があって、リリアがゆっくりと答えた。
『……了解しました。最大限のサポートを提供します』
「本当か!?」
『ただし、警告を繰り返します。本格的なデスマーチになります。睡眠時間は平均3時間程度。学業成績および健康状態への悪影響が予測されます。それでも実行しますか』
「やる」
誠は即答した。
「やるしかないんだ」
『追加の警告です』
リリアが続けた。
『この計画には複数の問題が存在します。第一に、開発期間が極端に短く、品質保証が不十分です。第二に、販路が確立されていません。第三に、法人として契約を結ぶ場合、未成年の単独契約には制限があります。第四に——』
「ああうるさい……わかってる。俺にはお前がいるだろ。それに今回だけは何があっても形にしたいんだ。このままチームを潰させるわけにはいかない」
誠は唇を噛んだ。
「全部わかってる。でも、やるしかないんだ」
誠はスマホを手に取り、学校に連絡することにした。
内容は親戚の不幸で何日か休むってことにした。これマリア先生にはあとでバレそうだから、まぁあとで考えるか。
だが、しばらく集中するにはこれしかない。
* * *
翌日から、誠の生活は一変した。いや、というより夜中からデスマーチの始まりである。
まず機能構成回りの知識をすべてリリアに同期してもらった。内容が大量だったのか、始まった瞬間にその場で気絶してしまい、今も吐き気がするが休んでいる暇はない。
朝6時に起床。すぐにノートPCを開く。
リリアと仕様を詰める。
昼休みもなく、ただ画面と向き合う。
夜中の2時まで画面と向き合い、3時間だけ眠る。
そしてまた朝が来る。
1日目——音声入力APIを選定し、基本的な統合を完了。
リリアの解析で最適なライブラリを絞り込み、実装の手順を最短化。
それでも深夜1時までかかった。
『警告します。このペースでは体調不良が確実です』
「大丈夫だ」
誠は目をこすりながら答えた。
2日目——音声認識が動き始める。
だが精度が低い。「牛乳」が「牛肉」になる。「買ってきて」が認識されない。
方言の訛りを調整するため、リリアが地域データを解析。
誠は目をこすりながら、ひたすらパラメータを調整し続けた。
『問題が発生しています。現在の音声認識精度は68%。商業利用には最低90%が必要です』
「じゃあ90%にする」
『そのためには追加で——』
「あとリリア、今回だけでいい。生理的な欲求を抑えられたりできないか?」
『……可能です。ただし、終了後に強い反動が予測されます』
「構わない。やってくれ」
『了解しました』
指がキーボードを叩き続ける。
3日目——誠は部屋から一歩も出なかった。
母親が心配そうにドアをノックする。
「誠、大丈夫? お医者さん行く?」
「大丈夫。寝てるから」
嘘をついた。
画面から目を離さなかった。
『現在の進捗率は42%です。予定より7%遅延しています』
「わかってる」
誠の手が震えた。
目がかすむ。視界がぼやける。
それでも止まらない。
4日目——定期依頼機能が形になり始めた。
毎週火曜日、毎月1日、指定した時間に自動でリマインダー。
だがスケジューラーのロジックにバグがある。
日付計算が狂い、通知が来ない。
誠は頭を抱えた。
「リリア……もう一回、ロジック見直す」
『推奨します。休息を取ってください。現在の集中力は通常時の54%まで低下しています』
「休んでる暇ない」
『警告を繰り返します。このままでは——』
「黙ってろ!」
誠は叫んだ。
『理解しました。作業を続行してください』
5日目——朝。
統合テストで致命的な不具合が見つかった。
音声入力中に定期依頼を設定すると、アプリがクラッシュする。
誠の手が震えた。
「……間に合わない」
『落ち着いてください。ログ解析を開始します』
リリアの冷静な声が、かろうじて誠を支えた。
昼過ぎ——原因を特定。メモリ管理のミス。
夕方——修正完了。再テスト。
そして——
「……できた」
画面には、動くデモが表示されていた。
音声で「牛乳買ってきて」と言えば、依頼が登録される。
「毎週火曜日」と設定すれば、自動でリマインダーが飛ぶ。
誠はその場に崩れ落ちた。
目の下には深いクマ。
髪はボサボサ。
シャツは皺だらけ。
だが、画面は輝いていた。
『完成を確認しました』
リリアの声が響いた。
『ただし、警告を繰り返します。このデモは最低限の品質基準を満たしていますが、実運用には多くの課題が残されています。セキュリティテスト、負荷テスト、ユーザビリティテストが未実施です。販路の確保も——』
「わかってる」
誠は小さく笑った。
「全部わかってる。でも……これしかないんだ。それにあとは仲間とやってみるさ。そのために俺は……あの三人、いや、成田も加えると4人か」
* * *
その夜。
誠は成田に対する違和感を、まだ心の奥に押し込めていた。
追及しても、本人が苦しむだけだ。
短期間で話してくれるなら、待つ。
ただし、距離感だけは意識的に保つことにした。
そしてマリア先生には連絡しなかった。
大人の助けを借りず、自分たちで解決したい。
先生には心配かけたくない。
——それに、先生に甘えたくなってしまうから。
誠は深呼吸をして、チームメンバー全員にメッセージを送った。
《明日、旅館の離れに集まってほしい。大事な話がある》
返信は、すぐに来た。




