第22話 マリア先生の爆弾発言
座卓の上には、開きかけのノートと、色のついた付箋がいくつか。
窓越しの光が障子に広がって、畳の目をやわらかく照らしていた。庭の新緑が、目にしみる。
小春の実家の温泉旅館――その離れ。
俺と小春と大哉、そしてマリア先生の四人で、また“勉強会”ならぬ作戦会議だ。
「ここ、落ち着くよな」
大哉があぐらをかいたまま、肩をぐるりと回す。
「眠くなる、の間違いじゃない?」
小春が笑って、付箋に「やること」と丸文字で書いた。
「そういえば」先生が湯呑を置いて、さらりと言う。
「この春から、もっと近くに住めるようになったから。これからは顔を出しやすいわ」
「え、ほんとですか。ありがたいです」
「えー先生、じゃあ毎日でも見張りに来れるな」
「見張りって言わないの」小春が肘でつつく。
和やかな空気。けれど俺は、今日ここに来た本題を切り出すつもりでいた。
深呼吸ひとつ。ノートをくるりと回して、見出しに太線を引く。
「じゃあ、始めよう。――まずは、マネタイズ」
その言葉に、畳の上の空気が少しだけ締まる。
「金の話かぁ……」大哉が口を尖らせる。
「でも続けるなら必要だよね」小春は素早くペンを走らせ、項目を箇条書きにしていく。
『収益化は継続の条件です。可能な手段としては、小規模な資金調達の仕組み――クラウドファンディング等が挙げられます』
耳の奥に、リリアの丁寧な声。
俺は頷き、メモに「CF(少額)」と書き足した。
「先生はどう思います?」
「必要。続けるなら、ね。ボランティアは尊いけど、いつか燃え尽きる。」
先生はそこで一拍おいて、付箋を指で整えた。「ただし、約束と責任がくっついてくることも忘れないで」
「次。アプリの形態について。今の俺たちはWebアプリだけど、このままでいいのか?」
「そもそもスマホって、みんな持ってるか?」大哉が眉を寄せる。「最近やっと買ってもらったけど、じいちゃんばあちゃんはガラケーの人もいるぞ」
「ネイティブにしたら起動は早いし、ボタンも大きくできる。でも更新が大変だよね」小春が自分のノートに、丸と三角でメリット・デメリットを書いていく。
『ネイティブ化は操作性を向上させます。一方で、保守コストと審査の負荷が上がります。現戦力では段階的移行が妥当です』
リリアの補足。合理的すぎて、ぐうの音も出ないやつ。
「段階的に、か……」俺はペン先を唇に当てた。「まずはWebの使い勝手を極限まで高めて、次に最小構成でネイティブ」
「“最小構成”って、どのへんまで?」
「通知と、ボタンの押しやすさと、オフラインで見られる“地域の基本情報”。この三つ」
小春がぱっと顔を上げる。「じゃあ、次の議題につながるね。――高齢者向け」
彼女は一枚の付箋を新しいページに貼り替えた。
「この前、おばあちゃん、ゴミ出しの日がわからなくて困ってたの。自治体のサイト、スマホからだと見づらいって」
「あるある」大哉が苦笑する。「うちの親父、燃えるゴミの日を永遠に覚えない」
「あとね、電球を替えられないとか、買い物で重いものを運べないとか、日常の“ちょっと困る”が多い。そういう時に、簡単に頼める仕組みが欲しい」
「地域の高齢者に一番ニーズがあるの、そこかもしれないな」俺は頷く。
『ユーザー対象を狭く明確にすると、初期の成功確率は上がります。UIは単純化、重要機能を大きく。緊急連絡機能の追加を推奨します』
「緊急連絡……」小春はその言葉に赤線を引いた。
「でもよ、頼みごとって具体的にどうやんの?」大哉が首をひねる。「掲示板? それとも“手伝って”ボタン押したら近くの誰かに通知?」
「“近くの誰か”をどう担保するかだよね」小春が顎に手を当てる。「怪しい人が来たら困るし」
「認証。あとで“仲間募集”の議題で、そこも触れよう」俺は一旦そのページを閉じ、次にめくった。
「――じゃあ、議題四。仲間募集」
「来たな!」大哉の声が一段階上がる。「新しいやつが来たら、絶対面白くなる!」
「でも変な人来たらどうするの?」小春の視線は現実的だ。
『募集要項にスキル条件を明記してください。応募時の課題提出と、身元確認のフローを。最低限の安全策です』
リリアの声に合わせて、俺は「スキル/課題/身元」と三つ並べて書く。
「――こんなところか。結論は出てないけど、方向性は見えた」
俺が息を吐くと、場はふわりと緩む。
障子越しの明るさが、少し傾いて色を変えた。
「休憩にしようか」小春が湯呑を配り直す。
「おお、いただきます」大哉が伸びをしてから、俺に顔を向けた。「なあ誠、結局さ……どれから手ぇつける?」
「全部いっぺんには無理だ。優先順位をつける」
「だよなぁ」
と、そこで先生が、何気ない調子でぽつりと言った。
「――ねぇ、一度、法人化してみない?」
時間が止まった。
「ほ、法人化……?」
俺の声が、すべって畳の上に落ちた気がした。
大哉がまず反応する。「マジ? オレら会社になるの? やべ、名刺ってやつ作れんの?」
「だ、だいや、落ち着いて」小春が肘で突く。「先生、それって……本気?」
「本気よ」先生はやわらかく笑う。「あなたたち、ここまでよく考えられている。だったら“ごっこ”から一歩出るのも、おもしろいと思うの」
『法人化は、契約と責任の単位を明確にします。信用も上がる反面、義務とコストが伴います』
リリアが淡々と続ける。
『未成年の場合は後見的同意が必要ですが、方法はあります。やるなら、準備のリストアップを』
俺は無意識に、ノートの空白を探していた。
心臓の鼓動が、ほんの少し速くなる。
「もちろん、すぐに結論を出せとは言わないわ」先生は湯呑に口をつけ、置く。
「でもね、あなたたちが“続ける覚悟”を持てるなら、私が金銭的なことも含めて出資という形でフォローもできるし未成年だと後見人がいるから私がなってもいいわ」
「法人化したら、資金も動かしやすくなる」先生が続ける。「設備投資も、補助も、契約も。責任を負う分、できることも増える」
「最低限は私が補助するわ。」
言った瞬間、小春の視線が俺に向く。
俺は息を飲む。
『提案:法人化→最低限の設備→段階的ネイティブ化。資金不足分は小規模CFで補う。ただし、プラットフォーム選定は厳格に』
リリアの“正しい”声が、耳の奥で重なる。
俺は、畳の目を見つめた。
ここで頷けば、もう後戻りはない。
でも――。
俺は顔を上げ、先生を見る。
「……やります。法人化。俺たちで」
先生は、うっすらと目を細めた。
「いい返事ね。ただし、ルールは守る。――まず、責任者を決めましょう」
障子の向こうで、春の光が角度を変える。
俺はノートの新しいページを開き、太字で書いた。
誠ついに会社を作る――




