第2話 S級お嬢様、事情によりダンジョンに忍び込む
――― 半日ほど前。私立綾瀬川ダンジョン学園女子寮
「ふふ。皆様、おはよう」
綾瀬川 加恋エルフィードの朝は、学生寮のパウダールームでの身支度から始まる。
「おはようございます、加恋さま! 今朝もとてもお綺麗です!」
「そんなもの、当然でしょう?」
幼少期から最高級の化粧水を使い、毎日専属のスタイリストとトレーナーが数時間かけて髪とボディのケアをする。彼女が通う綾瀬川ダンジョン学園の座学は午前中だけだが、午後はボディケアとトレーニングで潰れ、夕食後には綾瀬川グループの広告塔としての仕事であるテレビ出演や配信活動。
加恋の自由時間は睡眠前の一時間と、登校までのひととき位だ。
(はぁ、ストレスが溜まります)
高級フレンチより庶民的な定食の方が。社交ダンスよりブレイクダンスの方が好きな性分である。理想の綾瀬川 加恋エルフィードを演じる毎日は正直苦痛でしかなかった。
(それに……)
父親の意向で、学園で寮暮らしをする加恋。
綾瀬川グループ総帥の娘とは言っても特別扱いは認められず、学生寮は二人部屋なのだ。つまり……。
(ナニも出来ない!)
お嬢様とはいえ、健康な思春期の少女である。各種欲望は人並み以上に持っており、特に深窓の令嬢や御曹司の少年が逞しいお付きの美男子を……あれやこれやする少々倒錯したお耽美モノが大好きな加恋である。
しかし、先日入れ替わった同室の少女はキスしたら妊娠すると考えているような真面目純粋少女。お耽美トークなどできるはずもなく、ベッドの中でこっそり動画を見るのが精々。毎晩もんもんとした欲望を持て余していた。
「……まあ、それは良いのですが」
艶やかな金髪を梳き、ヘアアクセを前髪に差し込みながらため息をつく。
ソチラの方は仲の良い侍女に手配してもらい、月に数度街に繰り出して発散している。今優先すべき問題は……。
「やべぇ、ですね」
お嬢様っぽくない口調で独りごちる。
そっと開いたスマホのメッセージアプリには、加恋と両親のやり取りが表示されていた。
『ようやくお前にもダンジョン生成者能力が発現したか。正直遅すぎるが……早急にお前のダンジョンで獲得した素材を広報課に送れ』
『やきもきしておりましたがようやくワタシも主人に大きな顔が出来ます。そうですね、なるべく早く貴方の広報動画を……次の休みはいつですか?』
「うぐっ」
両親がそれぞれ送ってきたメッセージの内容を見返し、思わず唸る。
実はこの加恋、いまだダンジョン生成者能力が発現していなかった。
特に母親がしつこく催促してくるので、各種学園行事が重なり1か月ほどアレなナニを発散できていなかった加恋は、ついうっかりダンジョン生成者能力が発現したと嘘をついてしまったのだ。両親は多忙なため、しばらくはこれでごまかせるだろう……そう思っていたのだが甘かった。
「少なくとも数日中にはダンジョンに潜り、素材を獲得しないと」
ちらり、と周囲の学生たちに視線をやる。
学園内に友人はいる。親衛隊のような存在もたくさん。
その中にはもちろん、ダンジョン生成者能力を持った生徒もいるのだが……。
(こんなこと、とても頼めませええんっ!)
適当についた嘘の尻ぬぐいだなんて。加恋は綾瀬川グループの跡継ぎ候補でクールなカリスマアイドルお嬢様である。
実はけっこういい加減でガサツな本性を誰にも知られるわけにはいかなかった。
(一体どうしたら……………はっ!!)
その時、加恋の脳裏に一つのアイディアが思い浮かんだ。
――― その日の夕方
「いつもありがとう、美崎」
「ふふ、これもお嬢様の為ですから。気にしておりません」
一見釣り船のように見える小型ボートから、音もなく小さな船着き場に飛び移る加恋。
「ここが、私立兎島ダンジョンリゾート学園ですか」
周囲を興味深そうに見回す加恋。
彼女が通う私立綾瀬川ダンジョン学園は神戸空港の沖合に造成された巨大な人工島にある(ダンジョン学園は広大なダンジョンフィールドを始め、広い土地が必要とされるのでこういう場所に設置されることが多い)。
そこから更に沖、連絡船でしか行けない離島がここ兎島だ。
「なんというか、寂れ倒してますね。本当に稼働しているんですか?」
バブル期に起きたダンジョン投資ブームの波に乗り、アイランドリゾートダンジョンと銘打ち華々しく開業した後、豪快にコケるという典型的なやらかし施設の一つ。
こんな近くにダンジョン学園があるなんて正直知らなかった。
「それにしても、悪趣味な施設ばかり……」
ここから見えるだけでも、無意味にゴテゴテとネオンがついたウォータースライダーの残骸や、幸せの鐘と銘打たれた展望台、カップルシートが設置されたゴンドラなど。知識としてしか知らないが、ハズレリゾート欲張りセットと言うべき施設が並ぶ。
「先方も、貞操逆転モノにまで手を出し始めたお嬢様に言われたくはないでしょうが」
「ぐうっ!?」
加恋を幼少時から支えてくれている侍女の言葉が背中に突き刺さる。
「……いつも思うんですが、美崎ってたまに辛辣すぎません?」
「なにをおっしゃいますやら。お嬢様が道を踏み外さないよう、見張っているのですよ」
「「ふふ」」
にやり、と笑い合う加恋と美崎。
「それでは、一時間後にお迎えに上がります。お嬢様の状況はつねにモニターしておりますのでご安心を」
「ええ、ありがとう」
加恋に一礼すると、モーターボートを発進させる美崎。
「さて」
船着場から続き斜面を登り始める加恋。
ドドドドドッ!
「!!」
次の瞬間、斜面を越えた向こうに朧げな光が立ち上り、続いて僅かな振動が島全体を揺らす。
「ビンゴ、ですね」
ダンジョン生成を行った時に発生する、特徴的な現象。
加恋が学園関係者以外で唯一知っているダンジョン生成者。
オミチ タイガがこの島にいる。
「まあ、先方はわたくしの事を知らないと思いますが」
ごくり
思わず生唾を飲み込む加恋。
なにしろ彼はわたくしが毎夜……。
「おっと、急ぎましょう」
脳裏に浮かんだアレな妄想を振り払い、加恋はその場から駆け出すのだった。