第3回:身体と心の限界
第五章:ガルド編 - 肉体労働の限界
・建設現場「王都駅前再開発プロジェクト」- 午前6時
戦士ガルドは、作業服に身を包み、安全ヘルメットを被って建設現場のゲートをくぐった。朝の冷たい空気が、彼の疲れ切った体に突き刺さる。30歳という年齢は、建設現場では決して若くない。
「おはようございます」
ガルドは、現場監督に挨拶した。25歳の大学卒業者で、現場経験は浅いものの、「監督」という立場でガルドたち作業員を指揮していた。
「ガルド、今日は鉄筋運びだ。3階まで運んでくれ」
「分かりました」
ガルドは、重い鉄筋を肩に担いだ。一本約30キロ。異世界では魔王軍の重装甲兵と戦い、100キロを超える武器を軽々と振り回していた彼だが、今はこの程度の重量でも腰に響く。
「うっ…」
3階まで階段を上る途中、腰に鋭い痛みが走った。しかし、弱音を吐くわけにはいかない。日雇い労働者は、代わりがいくらでもいる存在だった。
・体力の衰えと現実
「ガルドさん、大丈夫ですか?」
同じ日雇い労働者が心配そうに声をかけた。22歳で、体力に余裕がある。
「大丈夫だ、問題ない」
ガルドは強がったが、実際には体の各所に異変を感じていた。
- 腰痛:重いものを持つたびに激痛
- 膝痛:階段の上り下りで関節が軋む
- 肩こり:慢性的な痛みで夜も眠れない
- 疲労感:以前なら一晩で回復していたが、今は3日経っても疲れが残る
「20代前半の頃は、こんなじゃなかった…」
ガルドは、異世界での自分を思い出した。魔王四天王の一人「破壊の騎士デストロイヤー」との戦いでは、3日3晩戦い続けても疲れを見せなかった。「鋼鉄の戦士」という異名は、その圧倒的な体力と持久力から生まれたものだった。
しかし、現代日本に帰還してからの3年間で、彼の肉体は急速に衰えていた。異世界では常に戦闘状態にあり、体は自然と鍛えられていた。しかし、現代の生活では、そのような肉体的負荷はない。加えて、ストレス、不規則な生活、栄養不足が、彼の体を蝕んでいた。
・年下からの屈辱
「ガルドさん、もう少し早く作業してもらえませんか?」
現場監督が、苛立ちを隠さずに言った。
「すみません、気をつけます」
「気をつけますじゃないんですよ。ここは学校じゃないんです。結果を出してください」
5歳年下から叱責されるガルドは、屈辱を感じていた。異世界では、王国騎士団の団長候補として期待され、多くの部下から尊敬されていた。それが今では、年下の監督に叱られる立場にある。
「俺は魔王と戦ったんだぞ…」
ガルドは心の中で呟いた。しかし、その経験は現場では何の価値もない。
「ガルドさん、変なこと言わないでくださいよ」
作業員が、冷やかすように言った。
「中二病は卒業してください。いい大人なんですから」
ガルドは反論したかったが、言葉が出なかった。自分の最も誇らしい経験が、「中二病の妄想」として扱われている現実が、彼の心を深く傷つけていた。
・労災と自己負担
「痛っ!」
午後2時頃、ガルドは重い資材を運んでいる最中に腰を痛めた。激痛で立ち上がれなくなり、その場にうずくまった。
「大丈夫か?」
現場監督が駆け寄ってきた。しかし、その表情には心配よりも困惑が浮かんでいた。
「労災の手続きをしますか?」
「労災?」
「仕事中の怪我なので、労災保険が適用されます。ただし…」
言いにくそうに続けた。
「手続きが面倒で、労災認定まで時間がかかります。それに、労災を使うと、今後この現場で働けなくなる可能性があります」
ガルドは困惑した。労災を使えば治療費は保険でカバーされるが、仕事を失うリスクがある。労災を使わなければ、治療費は全額自己負担になるが、仕事は続けられる。
「自費で治療します」
ガルドは、苦渋の選択をした。日雇い労働者という不安定な立場では、仕事を失うリスクを取ることはできなかった。
・整形外科での現実
「腰椎椎間板ヘルニアの疑いがありますね」
整形外科の医師が、レントゲン写真を見ながら言った。
「治療費はどれくらいかかりますか?」
「まずはMRI検査が必要です。費用は約1万円。その後の治療費は症状によりますが、月に2万円から3万円程度でしょう」
ガルドの月収は約15万円。治療費だけで月収の5分の1が消える計算だった。
「痛み止めの薬だけでも処方してもらえませんか?」
「根本的な治療をしないと、症状は悪化します」
「でも、治療費が…」
医師は困った表情を見せた。目の前の患者が経済的な理由で治療を受けられない現実に、医師としての無力感を感じていた。
ガルドは、痛み止めの薬だけを処方してもらい、病院を後にした。根本的な治療は諦めるしかなかった。
・プライドとの戦い
「ガルドさん、動きが鈍いですよ」
翌日の現場で、作業員がガルドに文句を言った。ガルドは痛み止めを飲んで作業を続けていたが、腰の痛みで思うように動けなかった。
「すみません」
「すみませんじゃなくて、しっかりしてくださいよ。俺たちの作業が遅れるんですから」
こいつは22歳で、建設業界に入ったばかりだった。しかし、若さゆえの体力で、ガルドよりもはるかに効率的に作業をこなしていた。
「俺だって若い頃は…」
ガルドは言いかけて、口をつぐんだ。「若い頃は魔王と戦っていた」と言えば、また笑われるだけだ。
「若い頃はって、ガルドさんまだ30歳でしょ?俺と8歳しか変わらないじゃないですか」
こいつの言葉が、ガルドの心に突き刺さった。確かに30歳はまだ若い。しかし、肉体労働の世界では、20代と30代の差は絶対的だった。
・酒に逃げる日々
「いらっしゃい」
居酒屋「やきとり大将」で、ガルドはいつものカウンター席に座った。缶ビール350mlと焼き鳥3本。これが彼の唯一の贅沢だった。
「今日も仕事お疲れ様」
店主が、ガルドにビールを差し出した。
「ありがとうございます」
ガルドは一気にビールを飲み干した。アルコールが体に回ると、腰の痛みが和らぐような気がした。
「俺は魔王と戦ったんだ」
酒が入ると、ガルドは決まってこの話を始める。
「魔王軍の四天王と一騎討ちして、勝ったんだ。聖剣を持った勇者と一緒に、世界を救ったんだ」
隣に座っていた常連客が、苦笑いを浮かべながら聞いていた。
「ガルドさん、その話、もう100回は聞きましたよ」
「でも本当なんだ!俺は『鋼鉄の戦士』って呼ばれてたんだ!」
「はいはい、すごいすごい」
相槌は、明らかに適当だった。ガルドの最も誇らしい経験が、酒場の与太話として扱われている現実が、彼の心を深く傷つけていた。
・借金の始まり
「もう一杯お願いします」
ガルドは、3杯目のビールを注文した。
「ガルドさん、今日は少し飲みすぎじゃないですか?」
店主が心配そうに言った。
「大丈夫です。ストレス発散です」
しかし、ガルドの財布には1000円しか残っていなかった。今日の飲み代は既に2500円を超えている。
「すみません、少し足りないので、ツケにしてもらえませんか?」
「ガルドさん…分かりました。でも、あまり無理しないでくださいね」
こうして、ガルドの借金生活が始まった。最初は数百円、数千円の小さな借金だったが、次第に額が大きくなっていった。
第六章:セリア編 - 資格の壁
・診療所「健康クリニック王都」- 午前9時
僧侶セリアは、診療所の受付で患者の診察券を整理していた。白衣を着た彼女は、一見すると医療従事者のように見えるが、実際は事務員としてのパート勤務だった。
「おはようございます」
看護師さんが出勤してきた。30歳で、看護師として10年のキャリアがある。セリアにとって、憧れの存在だった。
「おはようございます」
セリアは頭を下げた。同じ医療現場で働いていても、資格の有無による格差は絶対的だった。
- 看護師:時給1800円、月収約25万円、医療行為可能
- 事務員:時給900円、月収約8万円、事務作業のみ
「セリアさん、この書類の整理をお願いします」
セリアは黙って書類を受け取った。診療録、検査結果、保険請求書類…医療に関わる重要な書類だが、セリアにできるのは整理することだけだった。
・回復魔法への渇望
「おばあちゃん、大丈夫?」
午前10時頃、80歳の患者であるおばあちゃんが、診察室から出てきた。転倒して膝を打撲し、痛みを訴えていた。
「痛くて、歩くのが辛いのよ」
おばあちゃんの膝には大きな青あざができていた。セリアは、その傷を見て心が痛んだ。回復魔法を使えば、30秒で完全に治すことができるのに。
「先生が湿布を処方してくださったので、それを貼って安静にしてくださいね」
セリアは、できる限りの優しさを込めて言った。しかし、心の中では「なぜ私の力を使えないの?」という苛立ちが募っていた。
異世界では、セリアは「聖なる僧侶」として無数の人々を救っていた。回復魔法によって、死の淵から仲間を救ったことも数え切れない。特に、魔王討伐の旅路では、彼女の回復魔法がなければ、勇者パーティーは何度も全滅していただろう。
しかし、現代日本では、その能力を使うことができない。医師法、薬事法という法律の壁が、彼女の力を封じ込めていた。
・看護師への道のり
「看護師になりたいんです」
セリアは、診療所の院長である医師に相談した。
「それは良いことですね。でも、看護師になるには看護学校に通う必要があります」
「どれくらいの期間と費用がかかりますか?」
「3年制の看護専門学校なら、学費は年間約120万円。3年間で360万円ですね」
セリアは愕然とした。月収8万円の彼女にとって、360万円は天文学的な金額だった。
「奨学金制度はありますか?」
「看護師等修学資金貸付制度がありますが、卒業後に指定された医療機関で5年間働く必要があります」
「それは構いませんが、他に条件はありますか?」
「年齢制限はありませんが、入学試験があります。国語、数学、生物、小論文、面接です」
セリアは、高校時代の記憶を辿った。異世界に召喚される前の学力で、看護学校の入試に合格できるだろうか?
・受験勉強の開始
「生物基礎から始めましょう」
セリアは、書店で購入した参考書を開いた。
【細胞の構造】
細胞は細胞膜、細胞質、核から構成される。細胞膜は選択的透過性を持ち…
「細胞膜?」
セリアは混乱した。異世界では、人体の構造は「魔力の流れ」で説明されていた。体内には「生命の魔力」が循環し、傷を負うとその流れが乱れる。回復魔法は、その流れを正常に戻すことで治癒を促進する。
しかし、現代医学では、人体は「細胞」「組織」「器官」という物理的な構造で説明される。魔力という概念は存在しない。
【問題】血液の循環について説明せよ。
セリアは、異世界の知識で答えようとした。
「血液には生命の魔力が宿っており、心臓から全身に魔力を運搬する。心臓は魔力の源泉であり…」
しかし、参考書の答えは全く違っていた。
「心臓は血液を全身に送り出すポンプの役割を果たす。血液は酸素と栄養素を運搬し…」
セリアの異世界での医学知識は、現代医学とは根本的に異なっていた。
・数学の壁
看護学校の入試には数学も含まれていた。
【問題】ある薬品の濃度が5%の溶液300mlに、同じ薬品の濃度が20%の溶液を何ml加えると、濃度が10%になるか。
「濃度?」
セリアは、この概念を理解するのに苦労した。異世界では、薬草を煎じて回復薬を作っていたが、「濃度」という数値的な概念はなかった。経験と勘で、薬の強さを調整していた。
「5%の溶液300mlということは…」
セリアは計算を始めたが、途中で分からなくなった。
5% × 300ml = 15ml分の薬品
20%の溶液をxml加えるとすると、20% × xml = 0.2xml分の薬品
全体の薬品量:15 + 0.2x
全体の溶液量:300 + x
濃度:(15 + 0.2x) ÷ (300 + x) = 10% = 0.1
この方程式を解くことが、セリアには困難だった。
・小論文での挫折
「看護師を目指す理由について述べよ」
小論文の課題を前に、セリアは筆が止まった。本当の理由は「回復魔法を合法的に使いたいから」だが、それを書くわけにはいかない。
「人々の健康と生命を守りたいから」
ありきたりな理由しか思い浮かばない。しかし、それは本心でもあった。セリアは本当に人々を救いたいと思っている。ただし、その方法が現代社会では認められていないだけだった。
・バイトと勉強の両立
看護学校受験のための勉強をしながら、セリアは生活費を稼ぐためにバイトを続けなければならなかった。
午前9時〜午後1時:診療所でパート
午後2時〜午後6時:受験勉強
午後7時〜午後11時:コンビニでバイト
午後11時〜午前1時:受験勉強
この過酷なスケジュールで、セリアの体調は次第に悪化していった。
「神様、お力をお貸しください」
深夜の勉強中、セリアは祈りを捧げた。しかし、現代日本では神の加護は感じられない。全て自分の力で乗り越えなければならなかった。
・信仰の揺らぎ
「なぜ私たちは、こんな目に遭わなければならないのですか?」
セリアは、小さな教会で祈りを捧げていた。平日の夕方、教会には誰もいない。
異世界では、神の存在は絶対的だった。祈れば必ず答えがあり、困った時には神の加護が現れた。セリアの回復魔法も、神からの賜物だった。
しかし、現代日本では、神の存在は「信仰」でしかない。確実性を伴わない、曖昧な概念だった。
「神様、私たちは世界を救ったのに、なぜ報われないのですか?」
セリアの疑問に、神は答えてくれなかった。
第七章:社会システムの複雑さ
・年金事務所「王都年金事務所」- 午前10時
4人は再び集まり、今度は年金制度について詳しく調べることにした。ハローワークでの衝撃的な事実を受けて、自分たちの老後について真剣に考える必要があった。
「国民年金について相談したいのですが」
アルムが窓口で申し出た。
「どのような内容でしょうか?」
40代の女性職員が、事務的な口調で答えた。
「異世界での活動期間を、加入期間に算入できないでしょうか?」
「異世界?」
職員は困惑した表情を見せた。
「海外でのボランティア活動期間です」
アルムは慌てて修正した。
「海外でのボランティア活動でも、国民年金の加入期間には算入されません。ただし、国民年金の任意加入という制度があります」
「任意加入?」
「海外に住所を移す場合、国民年金の加入義務はなくなりますが、希望すれば任意で加入を続けることができます。ただし、保険料の納付は必要です」
職員は資料を取り出した。
「過去の未納期間について、遡って納付することも可能です。ただし、時効は2年間です」
「2年間?」
「はい。2年以前の保険料は、原則として納付できません。ただし、特例として10年間遡って納付できる『後納制度』もありますが、加算額が発生します」
・複雑な年金制度
職員は、年金制度の説明を続けた。
「年金には3つの種類があります」
1. 国民年金(基礎年金)
- 20歳〜60歳の全国民が対象
- 月額保険料:16,590円(令和5年度)
- 満額受給(40年加入):月額約6.6万円
2. 厚生年金
- 会社員・公務員が対象
- 保険料:給与の18.3%(労使折半)
- 受給額:加入期間と給与額により変動
3. 企業年金
- 企業独自の制度
- 確定給付型・確定拠出型等
「つまり、国民年金だけでは月6.6万円しかもらえないということですか?」
エルフィが震え声で尋ねた。
「そうです。老後の生活には、厚生年金や企業年金、個人の貯蓄が必要です」
・税金の複雑さ
次に、4人は税務署を訪れた。
「魔王討伐の報奨金に税金がかかるのですか?」
アルムが税務署の職員に尋ねた。
「報奨金の性質によりますが、一般的には『一時所得』として課税対象になります」
「どれくらいの税率ですか?」
「一時所得は、(収入金額 - 必要経費 - 50万円)× 1/2 が課税対象です。この金額を他の所得と合算して、累進税率で計算します」
職員は計算例を示した。
報奨金1000万円の場合:
- 課税対象:(1000万円 - 0円 - 50万円)× 1/2 = 475万円
- 所得税(33%):約157万円
- 住民税(10%):約48万円
- 合計:約205万円
「205万円も税金を払わなければならないのですか?」
「はい。ただし、必要経費が認められれば、税額は軽減されます」
「必要経費?」
「報奨金を得るために支出した費用です。例えば、武器や防具、旅費などです」
アルムは考えた。確かに、異世界での冒険には様々な費用がかかった。しかし、それを証明する領収書などは存在しない。
・国民健康保険の負担
「国民健康保険料も高額ですね」
セリアが、国民健康保険の通知書を見ながら言った。
「前年の所得に基づいて計算されます」
市役所の職員が説明した。
「報奨金があった年の翌年は、保険料が高額になります」
アルムの場合:
- 前年所得:1000万円(報奨金)
- 国民健康保険料:年額約80万円
- 月額:約6.7万円
「月収12万円で、保険料が6.7万円?」
アルムは愕然とした。収入の半分以上が保険料で消える計算だった。
・就職活動の理不尽さ
「履歴書の空白期間について、詳しく教えてください」
面接官がアルムに質問した。これで50社目の面接だった。
「海外でボランティア活動をしていました」
「どちらの国で、どのような団体で活動されていましたか?」
「えっと…」
アルムは答えに詰まった。異世界の国名を現実の国名に置き換えることはできない。
「正直に申し上げますと、記録が残っていない活動でして…」
「記録が残っていない?それは問題ですね」
面接官の表情が厳しくなった。
「弊社では、経歴に不明な点がある方の採用は控えさせていただいております」
・ハローワークでの絶望
「特殊技能保持者向けの就職支援制度はないのですか?」
ガルドがハローワークの職員に尋ねた。
「制度としては存在しますが、予算が限られており、対象者も限定的です」
職員は分厚いファイルを取り出した。
「異世界帰還者の就職率は、一般の求職者と比較して著しく低いのが現状です」
データを見せられた4人は愕然とした。
- 一般求職者の就職率:65%
- 異世界帰還者の就職率:23%
- 正社員就職率:8%
「なぜこんなに低いのですか?」
「主な理由は3つです」
職員が説明を続けた。
1. 経歴の証明困難:異世界での活動を客観的に証明できない
2. スキルミスマッチ:異世界のスキルが現代社会で活用できない
3. 社会復帰の困難:現代社会のルールやマナーに適応できない
「では、どうすれば就職できるのですか?」
「職業訓練を受けて、現代社会で通用するスキルを身につけることをお勧めします」
職員は職業訓練のパンフレットを差し出した。
- プログラミング講座:6ヶ月
- 介護初任者研修:3ヶ月
- 簿記・経理講座:4ヶ月
- 溶接技能講習:2ヶ月
「でも、訓練期間中の生活費は…」
「職業訓練受講給付金という制度がありますが、月額10万円が上限です」
・4人の絶望
年金事務所、税務署、ハローワークを回った4人は、コーヒーショップで落ち合った。
「もう、どうしようもないね」
エルフィが力なく呟いた。
「年金はもらえない、税金は高い、就職はできない…」
「俺たちって、社会のお荷物なのかな」
ガルドが自嘲的に笑った。
「でも、俺たちは世界を救ったんだ。なんで、こんな扱いを受けなきゃならないんだ?」
アルムの声には、怒りと悲しみが込められていた。
「神様は、なぜ私たちを見捨てるのでしょうか?」
セリアの目には、涙が浮かんでいた。
4人の間に、重い沈黙が流れた。かつて世界を救った英雄たちが、今は社会システムの複雑さに翻弄され、完全に打ちのめされていた。
・制度の矛盾
「おかしいよ、この社会は」
アルムが静かに言った。
「俺たちは命をかけて世界を救ったのに、その経験は『職歴』として認められない。魔王討伐は『ボランティア活動』扱いで、年金の加入期間にもならない」
「私の魔法知識は『妄想』として扱われて、資格試験は全部落ちる」
エルフィが続けた。
「俺の戦闘経験は『暴力的』として警戒されて、建設現場でも邪魔者扱いだ」
ガルドの拳が震えていた。
「私の回復魔法は『医師法違反』で使えない。人を救う力があるのに、法律が邪魔をする」
セリアの声は絞り出すようだった。
・社会の構造的問題
「問題は俺たちじゃない」
アルムが立ち上がった。
「問題は、この社会のシステムだ。『普通』から外れた人間を受け入れない、硬直した制度が問題なんだ」
「でも、制度を変えるなんて、俺たちにできるの?」
ガルドが疑問を口にした。
「魔王だって倒したじゃないか。制度だって、倒せないはずはない」
アルムの目に、久しぶりに光が宿った。
「でも、制度には実体がない。どうやって戦えばいいの?」
エルフィが困惑した表情を見せた。
「実体がないからこそ、厄介なんだ。でも、必ず方法はある」
・新たな決意
「もう一度、戦おう」
アルムが3人を見回した。
「今度の敵は魔王じゃない。『制度』と『システム』という見えない敵だ。でも、俺たちなら勝てる」
「どうやって?」
「まずは情報収集だ。敵を知らなければ、戦略は立てられない」
アルムは、久しぶりにリーダーらしい表情を見せた。
「俺たちと同じような境遇の人間が、他にもいるはずだ。そういう人たちと連携すれば、何かできるかもしれない」
「でも、私たちには何の力もないよ…」
セリアが不安そうに言った。
「俺たちには、魔王を倒した経験がある。絶望的な状況から逆転した経験がある。それは、誰にも負けない武器だ」
アルムの言葉に、3人の心に小さな希望の火が灯った。
・情報収集の開始
「まずは、俺たちと同じような『異世界帰還者』がどれくらいいるのか調べよう」
アルムが提案した。
「インターネットで検索すれば、何か分かるかも」
エルフィがスマートフォンを取り出した。
「『異世界帰還者 就職』『元勇者 転職』『魔法使い 資格』…」
検索結果には、予想以上に多くの情報が表示された。
- 「異世界帰還者の就職活動ブログ」
- 「元魔法使いの資格取得奮闘記」
- 「勇者だった俺の転職活動」
- 「異世界帰還者支援掲示板」
「こんなにたくさん…」
エルフィが驚いた。
「俺たちだけじゃなかったんだ」
ガルドの表情が少し明るくなった。
・同志の発見
掲示板には、4人と同じような境遇の人々の書き込みが溢れていた。
【投稿者:元魔法使い】
「魔法学院で首席だった私が、今はコンビニバイト。プログラミングを学ぼうとしたけど、魔法の理論とは全然違って挫折しました。同じような人、いませんか?」
【投稿者:元戦士】
「筋力だけが取り柄だった俺。建設現場で働いてるけど、腰を痛めて限界です。戦士の経験を活かせる仕事って、ないんですかね?」
【投稿者:元僧侶】
「回復魔法が使えるのに、医師免許がないから使えません。看護学校に行きたいけど、学費が高すぎて諦めそうです」
【投稿者:元勇者】
「魔王討伐の経験を面接で話したら、精神的な問題があると思われました。もう30社以上落ちてます。生活費が尽きそうで怖いです」
「みんな、俺たちと同じ問題を抱えてる」
アルムが画面を見つめながら言った。
・オフ会への参加
掲示板で「異世界帰還者オフ会」の告知を見つけた4人は、参加することにした。
場所:王都市内の貸し会議室
日時:土曜日午後2時
参加費:500円
「緊張するね」
エルフィが会議室の前で立ち止まった。
「大丈夫だ。みんな、俺たちと同じ境遇なんだから」
アルムが扉を開いた。
会議室には、20人ほどの人々が集まっていた。年齢は20代から40代まで様々で、職業も多岐にわたっていた。
「初めまして、司会をやらせていただいている宮本です」
30代の男性が立ち上がった。
「私は元召喚師で、現在は派遣社員をしています。今日は貴重な時間を割いてお集まりいただき、ありがとうございます」
・体験談の共有
オフ会では、参加者が自分の体験談を語った。
「私は元魔法使いです。現在は清掃員をしています。魔法の知識を活かそうと、化学系の仕事を探しましたが、『学歴不足』で全て断られました」
「私は元盗賊です。身軽さを活かして宅配業者で働いていますが、『犯罪歴』がないか疑われることが多くて辛いです」
「私は元商人です。商売の経験を活かそうと思ったのですが、『現代の商法を知らない』として相手にされませんでした」
どの話も、4人にとっては身につまされるものばかりだった。
・共通の問題
話し合いの中で、異世界帰還者が抱える共通の問題が明らかになった。
1. 経歴の証明困難
- 異世界での活動を客観的に証明できない
- 履歴書の空白期間として扱われる
2. スキルの非互換性
- 異世界のスキルが現代社会で活用できない
- 新しいスキルの習得に時間とお金がかかる
3. 社会の偏見
- 「変人」「妄想癖」として扱われる
- 精神的な問題があると疑われる
4. 制度の不備
- 異世界帰還者を想定していない制度設計
- 特別な支援制度が存在しない
・団結の兆し
「一人じゃ何もできないけど、みんなで力を合わせれば何かできるかもしれません」
司会が提案した。
「具体的には、どんなことを?」
参加者の一人が質問した。
「まずは、政治家や官僚に現状を訴えることです。異世界帰還者の就職困難が社会問題であることを認識してもらう」
「でも、政治家が相手にしてくれますかね?」
「相手にしてもらえるような方法を考えるんです。数の力、メディアの活用、世論の形成…戦略はいくらでもあります」
アルムが立ち上がった。
「俺も協力したい。このままじゃ、俺たちの人生は終わってしまう」
「私も」
エルフィが続いた。
「俺もだ」
ガルドも立ち上がった。
「私も、人々を救いたい。それが私の使命です」
セリアの声には、久しぶりに力強さが戻っていた。
・新たな希望
オフ会の最後に、宮本が発表した。
「来月、『異世界帰還者支援法』の制定を求める署名活動を開始します。また、メディアにも働きかけて、この問題を社会に広く知ってもらいます」
「支援法?」
「はい。異世界帰還者の就職支援、技能認定、年金制度の特例などを盛り込んだ法律の制定を目指します」
参加者たちの表情が明るくなった。
「俺たちでも、社会を変えられるかもしれない」
アルムが呟いた。
かつて魔王を倒した英雄たちは、今度は社会システムという新たな敵に立ち向かう決意を固めていた。絶望の底から這い上がり、希望の光を見つけた瞬間だった。
しかし、彼らはまだ知らなかった。真の敵は、彼らが想像するよりもはるかに巧妙で強大だということを。社会システムを陰で操る、真の黒幕の存在を。
戦いは、まだ始まったばかりだった。