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第1回:英雄の末路

プロローグ:世界を救った代償




漆黒の魔王城。天井から垂れ下がる鎖が不気味な音を立てて揺れる中、勇者アルムは聖剣エクスカリバーを両手で握りしめていた。刀身に宿る神聖な光が、周囲の闇を切り裂いている。


「これで終わりだ、魔王ダークネス!」


アルムの声が、広大な玉座の間に響き渡った。魔王ダークネスは、その巨大な体躯を震わせながら最後の咆哮を上げる。


「愚かな勇者よ…我を倒したところで、お前たちが真の平穏を得られると思うか…?」


魔王の言葉に、アルムは一瞬戸惑いを見せた。しかし、仲間たちの声が彼を奮い立たせる。


「アルム、今だ!」賢者エルフィの叫び声。


「やっちまえ!」戦士ガルドの激励。


「神のご加護を!」僧侶セリアの祈り。


聖剣が一閃し、眩い光が魔王城全体を包み込んだ。轟音とともに魔王ダークネスの巨体が崩れ落ち、やがて塵となって消え去った。


勝利の歓声が響く中、アルムは確信していた。自分たちの長きにわたる戦いは終わり、平穏な日々が始まるのだと。賢者エルフィは魔法学院で研究職に就き、戦士ガルドは王国騎士団の団長になり、僧侶セリアは大神殿の聖女となるのだろう。そして自分は、故郷である現代日本に帰り、平凡だが幸せな生活を送るはずだった。


しかし、それは大きな誤解だった。




第一章:現実という名の新たな敵


3年後 - 現代日本、王都市内


「勇者さん、棚の奥までちゃんと並べてくださいよ!接客態度も偉そうだってクレーム来てますからね!」


コンビニ「ファミマ王都店」の蛍光灯が、疲れ切ったアルムの顔を青白く照らしている。深夜2時。彼は無心で冷凍食品を棚に並べていた。


店長の山本は、40代半ばの小太りな男性で、常に神経質そうな表情を浮かべている。魔王と戦った経験など微塵も理解できない彼にとって、アルムは単なる「使えないバイト」でしかなかった。


「すみません、気をつけます」


アルムは頭を下げた。かつて王国の民から「勇者様」と呼ばれ、崇められていた自分が、今はコンビニの店長に謝罪している。この現実が、彼の心を深く蝕んでいた。


時給850円、月収約12万円。魔王討伐の報奨金として受け取った1000万円は、現代日本への帰還費用と、束の間の贅沢、そして異世界での記憶が夢ではないことを証明するために購入した様々な物品で、あっという間に消え去った。今のアルムの全財産は、銀行口座の残高3,247円と、6畳一間のアパートにある最低限の家財道具だけだった。


「お疲れ様でした」


朝6時、シフトが終わったアルムは店を出た。朝日が昇り始めた街を歩きながら、彼は異世界での日々を思い出していた。あの頃は、毎日が冒険だった。新しい街に着くたびに人々から感謝され、宿屋では最上級の部屋を用意してもらえた。金貨の心配をする必要もなく、仲間たちと共に笑い合える日々があった。


それに比べて今の生活は何だろう。家賃6万円のアパートに帰れば、カップラーメンをすすりながら一人でテレビを見る。友人はいない。恋人もいない。家族とは疎遠だ。28歳という年齢は、新卒採用の対象外であり、転職市場でも「空白期間の説明ができない問題児」として扱われる。


「魔王を倒しました」と面接で言えば、精神的な問題があると判断される。「異世界で冒険をしていました」と説明すれば、妄想癖があると思われる。結果として、彼は自分の最大の功績を隠しながら就職活動を続けるしかなかった。




同じ頃 - 市営住宅の一室


賢者エルフィは、薄暗い6畳の部屋で机に向かっていた。周囲には山積みされた参考書。簿記2級、TOEIC、宅建、FP2級、基本情報技術者試験…手当たり次第に挑戦した資格試験の教材が、まるで彼女の絶望を象徴するかのように積み上げられている。


「また落ちた…」


エルフィは、基本情報技術者試験の不合格通知を見つめながらため息をついた。異世界では、彼女の魔法知識は比類なきものだった。火の魔法、水の魔法、風の魔法、土の魔法。さらには高等魔法である光魔法や闇魔法まで操ることができた。魔法学院では首席で卒業し、「千年に一人の天才」と呼ばれていた。


しかし、現代日本では、その知識は全く役に立たない。魔法の理論は物理学の法則に当てはまらず、魔法の詠唱は現代語には翻訳できない。彼女の持つ膨大な知識は、現代社会においては「妄想」でしかなかった。


「エルフィ、いつまで勉強してるの?もう26歳なのよ?」


母親の声が隣の部屋から聞こえてきた。実家暮らしの彼女は、両親から毎日のようにこの言葉を浴びせられている。


「お姉ちゃん、私の友達、もうみんな結婚してるよ?子供がいる子もいるし」


妹の美咲は、大手商社に勤める典型的な勝ち組だった。大学を卒業してすぐに就職し、順調にキャリアを積み、昨年結婚した。エルフィにとって、妹の存在は成功の象徴であり、同時に自分の失敗を際立たせる存在でもあった。


エルフィは、プログラミングの勉強を始めていた。「魔法の理論が理解できるなら、プログラミングも理解できるはず」という希望的観測からだった。しかし、魔法の詠唱は感情と精神力に依存するのに対し、プログラミングは論理的思考と正確性を要求する。全く異なる思考プロセスが必要で、彼女は深い混乱に陥っていた。




pythonif condition == True:


print("Hello World")




この簡単なコードですら、エルフィには理解が困難だった。魔法では「炎よ、我が意志に従い現れよ」と唱えれば炎が現れるが、プログラミングでは「もしこの条件が真であるなら、この処理を実行する」という論理的な思考が必要だった。


「私の人生、何だったの?」


エルフィは、鏡に映る自分の顔を見つめながら呟いた。かつて美しい魔法使いのローブに身を包み、杖を持って颯爽と歩いていた自分。今は、よれよれのパジャマを着て、参考書に囲まれながら挫折感に支配されている。




建設現場 - 午後1時


「おい、元戦士さんよぉ、手が止まってんぞ!」


戦士ガルドは、重いコンクリートブロックを運びながら、年下の作業員からの揶揄に歯を食いしばっていた。腰に走る鈍い痛み。膝の関節がきしむ音。20代前半で魔王と戦っていた頃の強靭な肉体は、もうそこにはなかった。


30歳。建設現場の日雇い労働者として働く彼は、毎日を生き延びることで精一杯だった。日当は8,000円から10,000円。月に20日働けば約18万円の収入になるが、雨の日は仕事がなく、現場によっては日当が安い。実際の月収は12万円から15万円程度で、決して安定しているとは言えなかった。


「俺だって若い頃は…」


ガルドは愚痴を言いかけて、口を閉じた。「若い頃は魔王と戦っていた」と言えば、また笑われるだけだ。現場の連中は、彼の過去を「中二病の延長」程度にしか捉えていない。


異世界では、ガルドは「鋼鉄の戦士」と呼ばれていた。どんな敵にも怯まず、どんな困難にも立ち向かう勇敢な戦士として、多くの人に尊敬されていた。特に、魔王四天王の一人である「破壊の騎士デストロイヤー」との一騎討ちで勝利を収めた時は、王国中の人々が彼の名前を叫んだ。


しかし、現代日本では、その戦闘経験は何の価値も持たない。むしろ、「暴力的な人間」として警戒される傾向すらあった。面接で「困難に立ち向かう経験はありますか?」と聞かれて「魔王軍との戦闘経験があります」と答えるわけにはいかない。


「ガルドさん、今日はお疲れ様でした」


現場監督の佐藤は、ガルドより5歳年下だが、大学を卒業して建設会社に就職し、順調にキャリアを積んできた。彼にとってガルドは、「学歴がなく、正社員になれない可哀想な人」でしかなかった。


「お疲れ様でした」


ガルドは頭を下げて現場を後にした。夕方の街を歩きながら、彼は自分の人生について考えていた。このまま日雇い労働を続けていけば、10年後、20年後はどうなるのだろう。体力が衰えて働けなくなった時、自分はどうやって生きていけばいいのだろう。


居酒屋「やきとり大将」の暖簾をくぐり、ガルドはいつものカウンター席に座った。


「いらっしゃい、いつものね」


店主の鈴木は、ガルドの常連客としての顔を覚えていた。缶ビール350mlと焼き鳥3本。これが彼の唯一の贅沢だった。


「俺は魔王と戦ったんだぞ!お前らなんかじゃ想像もできねぇ、地獄を見てきたんだ!」


酒が入ると、ガルドは決まってこの話を始める。最初は興味深そうに聞いていた他の客も、今では「また始まった」という表情で彼を見ていた。


「ガルドさん、その話もう聞いたよ」


隣に座っていた常連客の佐藤が、苦笑いを浮かべながら言った。


「魔王軍の四天王と戦って、勝ったんだ。聖剣を持った勇者と一緒に、世界を救ったんだ」


「はいはい、すごいすごい」


佐藤の相槌は、明らかに適当だった。ガルドは、自分の最も誇らしい経験が、酒場の与太話として扱われている現実に、深い絶望を感じていた。




診療所「健康クリニック王都」- 午後3時


僧侶セリアは、診療所の受付で患者の診察券を整理していた。週3日、1日4時間のパートタイム勤務。月収は約8万円で、一人暮らしをするには到底足りない金額だった。


「セリアさん、この書類の整理をお願いします」


看護師の飯田さんが、山積みになった書類を持ってきた。セリアは黙って書類を受け取り、作業を始めた。


異世界では、セリアは「聖なる僧侶」として多くの人々から尊敬されていた。回復魔法によって無数の人々を救い、「奇跡の聖女」と呼ばれることもあった。特に、魔王討伐の旅路で仲間たちの命を何度も救った経験は、彼女の人生の中で最も誇らしい思い出だった。


しかし、現代日本では、その能力を使うことができない。回復魔法は確かに使える。手をかざすだけで、軽い怪我なら完全に治すことができる。しかし、それは「医師法違反」に該当する可能性があった。


「セリアさん、この患者さんが転んで膝を擦りむいたそうです。消毒してガーゼを当ててください」


セリアは、泣いている小さな男の子の前に座った。膝の擦り傷は軽いもので、回復魔法を使えば30秒で完全に治すことができる。しかし、彼女にできるのは、消毒液で傷を清拭し、ガーゼを当てることだけだった。


「痛いよぉ」


男の子が泣き声を上げる。セリアの心は痛んだ。この子の痛みを瞬時に取り除くことができるのに、それを使うことができない。法律という見えない壁が、彼女の能力を封じ込めていた。


「大丈夫よ、すぐに良くなるから」


セリアは、男の子の頭を優しく撫でながら言った。しかし、その言葉は彼女自身にも向けられているようだった。


診療所の帰り道、セリアは小さな教会に立ち寄った。平日の夕方とあって、中には誰もいない。彼女は祭壇の前に座り、静かに祈りを捧げた。


「神様、なぜ私たちを見捨てるのですか?」


祈りの言葉は、もはや彼女自身の心に届くことはなかった。異世界では、神の存在を確実に感じることができた。祈りは確実に届き、神の加護は明確に現れた。しかし、現代日本では、神の存在は「信仰」でしかなく、確実性を伴わない。


「私たちは世界を救ったのに、なぜこんな目に遭わなければならないのですか?」


教会の静寂の中で、セリアの疑問は空虚に響いた。




第二章:絶望の再会




ハローワーク王都支店 - 午前10時


ある晴れた木曜日の午前、アルムはハローワーク王都支店の待合室にいた。30社連続で面接に落ち、心が完全に折れかけていた。


「勇者の経験を活かせる仕事…」


求人情報を見ながら、アルムは苦笑いを浮かべた。営業職、事務職、販売職。どれも「勇者」という経歴とは程遠い仕事ばかりだった。


「次の方、どうぞ」


相談窓口から声がかかる。アルムは重い足取りで席を立った。しかし、その時、見慣れた後ろ姿が目に入った。


「エルフィ?」


振り返ったのは、確かに賢者エルフィだった。しかし、かつての美しい魔法使いの面影はなく、疲れ切った表情を浮かべている。


「アルム…?」


二人は、お互いの変わり果てた姿に言葉を失った。


「君たちも、ここに来てたのか」


低い声が聞こえた。振り返ると、戦士ガルドが建設作業員の格好で立っていた。日焼けした顔には深い皺が刻まれ、肩を落として立つ姿は、かつての勇敢な戦士の面影を微塵も感じさせなかった。


「みんな…」


最後に現れたのは、僧侶セリアだった。診療所のパート勤務用の白衣を着た彼女は、以前の神聖な雰囲気とは程遠い、疲労困憊した表情を見せていた。


4人は、ハローワークの一角にある休憩スペースに集まった。3年ぶりの再会だったが、誰も喜びの表情を見せることはできなかった。


「まさか、みんなここで会うとは思わなかった」


アルムが口火を切った。


「私、26歳になっちゃった。資格試験ばっかり受けて、全部落ちて…」


エルフィの声は震えていた。


「俺は建設現場の日雇いだ。毎日、年下の奴らにバカにされてる」


ガルドの拳が、わずかに震えていた。


「私は診療所でパート…でも、回復魔法は使えない。医師法違反になるから」


セリアの目には、涙が浮かんでいた。


4人の間に、重い沈黙が流れた。かつて世界を救った英雄たちが、現代日本の社会システムの前では、ただの「就職難民」でしかないという現実が、重くのしかかっていた。


「アルム・エンドウ様、お待たせいたしました」


相談窓口から、職員の声がかかった。アルムは立ち上がり、相談窓口に向かった。職員は40代の女性で、いかにも公務員らしい表情で書類を見ていた。


「就職活動の状況はいかがですか?」


「30社受けて、全部落ちました」


「そうですか…履歴書を拝見させていただきますが、25歳から28歳まで、空白期間がありますね。この期間は何をされていたのですか?」


アルムは一瞬、迷った。正直に「異世界で勇者として活動していました」と言うべきか、それとも適当な嘘をつくべきか。


「海外で…ボランティア活動をしていました」


「どちらの国で、どのような活動を?」


「えっと…」


アルムは答えに詰まった。異世界での経験を現実の国名に置き換えるのは不可能だった。


「履歴書に虚偽の記載をするのは良くありませんよ。正直にお話しください」


職員の表情が厳しくなった。アルムは観念し、可能な限り現実味のある話に脚色して、異世界での経験を話した。


「…というボランティア活動をしていました」


「なるほど。しかし、そのボランティア活動を証明する書類はありますか?」


「書類は…ありません」


「そうですか。残念ですが、証明書類がない活動は、履歴書上は空白期間として扱われてしまいます」


アルムの肩が落ちた。


「また、あなた方のような『特殊技能保持者』の就職は、一般的に困難とされています」


「特殊技能保持者?」


「はい。いわゆる『異世界帰還者』の方々です。近年、増加傾向にあるのですが、現代社会への復帰が非常に困難なケースが多いんです」


職員は、分厚いファイルを取り出した。


「異世界での経験は、残念ながら現代日本の職歴としては認められません。魔王討伐などの功績があっても、それは国からの報奨金が支給されている通り、『特別なボランティア活動』として扱われます」


アルムは愕然とした。自分たちの命を懸けた戦いが、単なる「ボランティア活動」として片付けられている。


「年金制度についても、厳しい現実があります」


職員は別の書類を取り出した。


「国民年金の受給資格を得るためには、最低25年の加入期間が必要です。しかし、あなた方の異世界での活動期間は、この加入期間には算入されません」


「つまり、年金はもらえない、ということですか?」


「現在の制度では、非常に困難です。ただし、今から25年間きちんと保険料を納付すれば、受給は可能です」


アルムは計算した。28歳の今から25年後は53歳。そこから年金を受給できるとしても、額は微々たるものだろう。


「あなた方のような特殊技能保持者には、まず職業訓練を受けていただくことをお勧めします。一般的なスキルを身につけることで、就職の可能性が高まります」


職業訓練のパンフレットを渡されたアルムは、力なく休憩スペースに戻った。


「どうだった?」


エルフィが心配そうに尋ねた。


「最悪だ。俺たちの冒険は『ボランティア活動』扱いで、年金ももらえない。『特殊技能保持者』って呼ばれて、職業訓練を受けろって言われた」


4人の顔が、さらに暗くなった。


「私たちって、社会のお荷物なのかな…」


セリアの呟きが、重い空気に溶けていった。


かつて世界を救った英雄たちは、今、社会という名の新たな迷宮の入り口に立たされていた。魔王よりも恐ろしい敵、それは「制度」と「システム」という名の見えない魔王だった。


この未曽有の敵を前に、彼らは再び立ち上がることができるのだろうか?

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