魔導コンパクトミラー
お昼を少し過ぎたころにエロインは目を覚ました。寝ていたのは短い時間だ。
母も起きていて、こちらをずっと見ていたようだった。
「お母さま。エロインはとても強くなりました。だからもう、大丈夫ですよ」
きりっとして小声で言った。
静かに、横になっている母の目から涙が頬を伝った。
エロインの結ばれていない髪の毛をてっぺんから撫で、ほっぺをゆるくつままれた。
きりっとした顔がむにっと伸びる。
「エニョインわ、お母様に元気になってほしいです」
むにっと頬を伸ばされたまま喋ったらすぐ手を離された。最初のほうだけ変な発音になって、母が少し笑顔になる。
「エニョインのために元気にならないとね…」
母は涙を流しながら合わせてくれた。
ふと、人の気配を感じる。
背後で父が泣いていた──!いたんかい!
「お、お母さまが元気になるように、エロインは毎日ここに来ます。今日はゆっくりねむってください」
なんとなく母との会話を父に聞かれてはならないように思って、この場を辞することにした。
母も長く臥せっていたのだし、急な変化はよろしくない。
ベッドから降りて母を見ると、ゆっくり目を閉じてそのまま眠ったようだ。良かった。
父と手を繋いで部屋をそっと出る。
母へ毎日会いにいくことを許してもらおうと聞いたら、父から行ってくれ、話してくれとお願いされた。
父よ、泣き顔どうにかしたほうがいいぞ?既にエロインの中では弱腰公爵のイメージである。
「お父様泣いてるのー?どこか痛い…の?」
幼女ツッコミで自覚してもらった。
自室に戻ってエロインは思いふける。
私にはただ一つの前世があるわけではない。今日知ったことだった。
前世の前にも、少なくとも2回以上は生きている。
そして他の世界で生きた記憶は、エロインの人生というものに追加アップデートされたようなものに思えた。たとえエロインとしての人生よりも長かったとしてもだ。
本来の在処はここにある。
お母さまは酸っぱいドレッシングがかかったサラダが好き。
あまいハチミツで練られたお菓子、ハニバーも好き。
そして、時々エロインの髪の毛を変なふうに結んで笑っていた。
この記憶は今の現世ではない。母と会話をしているときに自然に思い出した記憶だった。
現世では母に避けられ寂しい気持ちばかりが募り、髪を結んでもらったことがない。
この世界での前世にエロインは何をしていたのだろう。
何歳まで生きたのか、どのようにして転生を果たしたのか。具体的なことがまだ分からなかった。
母と会話して前世の日々の一部を思い出したように、何かきっかけがないと思い出せないのかもしれない。
そして母のところで見た夢も気になる。
幻影ラムネ菓子で見た紫の竜巻のような渦もあったし、ただの悪夢だったのだろうか。
それにしては現実にあったかのようなリアルな夢だった。
とりあえず。まずは母を快方へ向かわせねば!
母はエロインに対して何か悔恨があり苦しんでいる。
その原因を全部聞き出してしまいたいが、心身へのダメージがありそうだった。
少しずつ。絶対に無理はさせない。
とにかく今の不健康そうな容態を脱してもらう。机の上にある筆記具に思いつく対策を日本語で書きまくり、それを隠し持った。
『解決』には至っていないが、何か思い出せないモヤモヤした気持ち……の正体の一部を掴むことができたのだと思う。消えてしまう前に。
◇
次の日。
朝食は父と一緒にいただくことができたので、昨日の口約束を強化するべく計画を話しておく。
しばらくは容体を確認しに、母側に特に問題なければ会ってよいとさせてもらうこと。今までは父からの許可が都度必要だったしね。
次に、定期的に午後に一度会わせてもらうこと。
その日のおはなしの御殿で見聞きした話ができる。日々の出来事を共有することで、母子のコミュニケーションをしっかり取りたい。
そんなことを子供口調でおねだり的に話し出してみたら、魔道具も使うのはどうかとすすめられた。
WEBのリモート会議みたいに、遠隔で映像で会話ができるものがあるのだ。
「ええー☆どういう魔どうぐですか?使いたいですっ!」
「化粧台の鏡についている魔道具だぞ。使い方は侍女に聞くとよい」
そんな機能あったのね!
毎朝おはようの挨拶に使わせてもらおう。
◆
おはなしの御殿は、基本的に魔道具の持ち込み不可になっている。
身を守る防御系のみ一部OKだ。
それ以外は不可。見つかったら一時没収されてしまう。
そして今まさに目の前で、カーリンが魔道具を没収されていた!
おはなしの御殿の入口に魔道具チェッカーがあって、これが反応すると左右にいる護衛警備員によって持ち物チェックされてしまう。
危ない魔道具を持ち込むような子はいないのだが、生活魔導具とかがひっかかって没収されてる子を見たことはあった。
スマホ持ち込み禁止、みたいな感じね。
エロインはそもそも魔道具をあまり持っていないので、これに引っかかることはない。
「ごめんなさい~~ポケットに入れたままでしたの~~♪」
悪びれた様子なくカーリンが言い訳をする。
没収されたのは手のひらサイズの丸い形状のものだった。何だろう。
*
「カーリン、何を没収されちゃったの?」
「魔導のコンパクトミラーですの~♪」
なんと!魔法のコンパクトミラーといえば魔女っ子!
魔法ではなく魔導と呼ばれているけど似たようなものだろう。
「それはどう使うの?」
「エロリンさまと使いたいです~~♪!」
いや、どう使うものなのよ。
鏡を使って映像を送れたりするようだから、通信系だとは思うけど。
「エロイン様おはようございます。魔導具でしたら何でも聞いてください」
出来る子ジーモンがやってきた。
「魔導のコンパクトミラーについて詳しく」
「はい。小さい鏡の魔導具です。同じく通信魔導具へ姿と声を伝えることができます。鏡の大きさや品質で機能が違ってきます」
魔導のコンパクトミラーだと、手のひらサイズの小さな鏡なので少ししか通信できないみたい。
安いものだと、伝言を残すだけのものがあったりするそうだ。
「変身できるやつとかは無いのかしら?」
「えっ変身ですか?…知っている中では、ええと聞いたこともありません…」
魔女っ子ご愛用タイプは無いらしい。残念。
「そうだジモタン、今度メロウディングのおじさんとサンエルドの商品開発室へお邪魔させていただくことになりそうだわ。こないだの幻影ラムネ菓子を本格的に企画してみたいの」
「は、はいっ!それは楽しみです」
ジーモンは嬉しそうに返事してくれた。
──そこへ割り込んでくる男児が1匹。あ、いや1人。
「ジーモン君。先生が呼んでいましたよ」
眼鏡キャラきた。
***
ジーモンが会釈して先生のほうへ向かった。
眼鏡男児はそのままそこへ居座り、エロインに話しかける。
「ゼイネス・バルヴィーンです。お話するのは初めてですね」
え、これからお話するつもり?何をかな。
「ごきげんよう。エロインよ」
挨拶してあげたら、眼鏡男児の表情がちょっと柔らかくなる。
「サンエルドで買い物をされるのですか?」
「そうね。買い物に行ってみようかしらね?」
「サンエルドより、ルー・デ・オウレリアのほうが良い品がありますよ」
は?
「今度行かれてみませんか?」
ナンパか?
私から返事がないのを、良い印象だと思っているらしい。
ムっとした顔をして不機嫌オーラを出していたのに気付かないのね。
「なぜ?」
「え?えっと、ルー・デ・オウレリアが扱う品物は一級品です。王都で一番良いものがそろいますよ。時間制でしか入れない専門店もありますが、私の紹介であれば待たずに入れます、それに」
「しばらくは忙しいから遠慮するわ」
眼鏡男児はさらに言いつのろうとしていたので、こちらからさっさと切り上げた。
下がった気分を上げるために我が友マユリエールを撫でにいこう。
*
マユリエールはどこかしこがぷにぷにしていて撫で心地がいい。
そうそう、この弾力が…となでなでしていたら、肩近くで「痛っ」と声があがった。
「マユリン!どこか痛いの?」
「あ、ちょっと…ううん大丈夫!」
今触っていたあたりをしっかり見る。確か、痛いと声があがったのは肩より少し下のあたりだった。袖をめくってみた。
青あざが出来ている!
マユリンこれ、と指摘しようとしたら袖でさっと隠されてしまった。
「階段でちょっと転んじゃったの!平気なの!」
その回答で、良くないケガだと判断する。
マユリエールなら、階段から転んで怪我なんてしたら武勇伝として話してくれそうなものだ。少し大げさにこーんな高いところから転んじゃって。とか。
だがとりあえず、筋肉痛と違って治したほうがよい「怪我」だ。
前に話していた簡易治癒できる魔道具は使わなかったのだろうか。
聞いてみたら、
「…だめなの。平気だもん。」
と何かをこらえるような表情でこたえた。
エロインは直観で家庭内DVを疑った。帰ったら父に相談しよう。
*
おはなしの御殿からの帰宅時。
カーリンが没収されていた魔導コンパクトミラーを見せてくれた。
ジュエリーのような装飾がついた美しい折り畳み手鏡だ。
フタを開くと鏡がある。この鏡をくるっと指で円を描くと起動するらしい。
主に使うのは邸宅内らしく、このミラーで母親から時々連絡が来るらしい。ちゃんとしてるか聞かれるそうだ。カーリンは家でも元気いっぱいだろうから、おそらく監視用に使われてるんだろうなぁ。
魔導コンパクトミラーは高そうなアイテムに見えた。
見た目が、ちょっと大人の女性向けのような気がする。凝ったデザインなのだ。
大人が持つものに憧れるというのもあるけど、子供時代にしか使わないデザインの魔道具はないのかな。
今度、サンエルド商店で色々見てみようっと。
◇
帰宅して母の別邸へ向かう。
すると、母の侍女が庭の方から手招きしている。ガゼボに母がいた!
「エロイン、おかえりなさい。今日もとても可愛いわ」
やつれながらも、穏やかな笑顔でエロインを迎えいれた。
ガゼボに入り、母の隣に座って容態をチェックする。
今日はいかがでしたか?ご飯は何を食べましたか?体温は…
メモした紙を元に、確認をすすめる。
この世界の妊婦について、侍女を通してしらべたものもある。
前世との大きな違いは妊娠期間が短く、魔導コントロールというのが必要というところだ。
前世だと約10ヵ月かかる妊娠期間は、この世界では半年ほど。
魔導コントロールというのは内容が複雑なので、ここは別途対策が必要である。
生まれてくる子供の魔力と性質に影響があるのだ。
だが、食事の基本的な栄養関連は大差ない。
母の場合だと、ビタミンとミネラルは大丈夫そうだけどタンパク質が足りていない状況のようだ。この点を母へ伝えると、近くの侍女がそそっと寄ってきた。
「奥様、エロインお嬢様もこう申されていらっしゃいますし、もう少しお食べになりましょう」
「でも、脂っこいお肉はたくさん食べられないもの……」
なーんだ。食の好みか。
脂っこいお肉は逆にとりすぎ注意だから、タンパク質を補充するような母の好みにあう食事を開発してもらおう。なんなら私が作ってもいい。
エロインシェフ始動か!なんて意気込んでいたら、
「どうか、 ”飲んで美味しい完全栄養満点ジュース” は毎日必ず召し上がってくださいませ。エロインお嬢様のために」
「わ、わかったわ。エロインのために頑張って飲むわ…」
私をネタに侍女が母を押し切っていた。
なーんだ。栄養面のアシストアイテムもこの世界にはあるのね。
母は今まで飲食拒否してたのかしら。侍女ファイトッ☆
*
母へも鏡の魔導具を使って話したいとお願いしたら、朝起きたら挨拶しましょうね〜となった。
部屋へ戻り、さっそく侍女に使い方を教えてもらう。
エロインの小さな化粧台の鏡に、飾りのような出っ張りがある。
そこを押してから鏡の上で円を描くと起動するらしい。
円でなくても、ハートとか四角でもいいらしい。
一筆書きで、指で囲った形に切り取られた映像が相手に送られるのだそうだ。
受信する側が小さなコンパクトミラーだと、その範囲内にしか映像は送れないという制限もある。
母とは広い鏡同士なので自由に通信できそうだ。
「お母さま。鏡の魔導具の使い方を侍女に教えてもらいました。おやすみなさい。また明日」
まだ夕食前だが、母とは食事が別なので夜のあいさつを送っておく。
母の鏡のほうも保存できるので、映像を送っておいて後で見てもらうこともできるのだ。
就寝のあいさつを送ってから、エロインは夕食へ向かった。
**
エロインは今、公爵邸でちょっとしたヒーローである。
母の長い闘病生活を快方へ向かわせたきっかけと見られているのだ。
そして母も、「エロインのために頑張る」と周囲に宣言していた。
今まさに、胸に手をあてて期待のまなざしを向けられている。こんなときは…
にっこり笑顔でファンサービスッ☆
今日は朝も夕食も父が一緒に食事をしてくれる。
こちらを見て期待のまなざしを向けている。ファンかな?
「マリアーウェとはどんな話をしたのだ?」
あ、母の様子を聞きたかったのね。
「お食事をがんばって食べてくれるとお約束してくださいました♪」
そうかそうか、良かったなと父は上機嫌だ。
マユリエール嬢についての心配事も相談しよう。
エロインは、今日あった出来事を伝えた。
「お友達のマユリエールが心配なのです。お怪我をちょっと癒せる魔道具も、あげたいのです」
父は、またそうかそうか、と親身になって聞いてくれた。
魔道具も、調査隊も手配しようとしてくれている。
えっ調査隊?どんななのそれ。
「その子の家名…ええと、おうちの名前はわかるかな?」
幼女ムーブかましてたせいか、父は私が友人の家名が言えないと思っていそうだ。
「ズュートリナ男爵家のマユリエール嬢です」
きりっとして言った。
「──その子の髪の毛の色はわかるかな?」
「ピンク色です!」
「分かった。父のほうで調べておくから、そっとしておくように」
はぁい。
元気よくエロインは答えたが、一瞬の間を見逃さなかった。
ズュートリナ男爵家と聞いたとき、父の反応は微妙だった。知っている名前だったのだろうか。
[あとがき]
この世界での呼び方ですが、学生だと男女どちらも「〜君」と君づけが主流です。
おはなしの御殿では、君呼びはまだ少ない方なのでゼイネス君はおませさん。