学生ライフ双六
「エロイン様、ご朝食に向かいましょう」
朝ごはんはいつも着替えた後だ。
この世界の貴族は、そう何回も着替えをしない。エロインは朝起きて寝巻から私服へ着替えると朝食を食べてそのまま外へ出かける。おはなしの御殿へ向かう服は、朝食を食べているときと同じものだ。
服飾を洗浄する便利な魔道具があるから、そのような習慣になったのかもしれない。
もし食事で服を汚してしまったとしても、すぐ簡単に洗い落すことができちゃうのだ。
基本的に飲食の時には1人ではない(人目がある場所)ため、キチンとした服装で食べたり飲んだりする習慣が身についていた。
いつか、ゆったりしたスウェット上下を着て部屋でゴロゴロポテチでも齧りたい。
朝食をする部屋にたどり着くと、ちょうどエロインの父親が外出するところだった。
最近は朝早い王城勤めが多くて朝食を一緒にとるタイミングが合わない。以前から少し疎遠であった。
「お父様、いってらっしゃいませ」
「エ、エロイン。今日もよく励みなさい」
私がいると思っていなかったのか、少し戸惑って返事をしてくれた。
きりっと会釈で見送ったが先日のボールキャッチで今絶賛筋肉痛だったりする。ほどほどに励んでおこう。
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「エロエロリンリンっ!何して遊ぶ?」
「エロリンさま~♪お城をつくりましょ~」
マユリエールとカーリンが呼びに来る。
「あなたたち元気ね…?体は痛くないの?」
エロインは固まった表情で女児を見た。……筋肉痛、私だけ?
「ちょっと痛いけど平気だっ!」
「私も結構痛くはあります…」
ヨナスタンとジーモンだ。サンエード子爵家に招かれてから、おはなしの御殿で会うと自然に一緒に遊ぶようになった。
筋肉痛の痛みでキツイのは私とジーモンだけのようね。くっっ…!
「今日は体が痛いから、のんびりセルフマッサージしてますわ」
「エロイン様、痛みがおさまる魔道具は使われておりませんか?」
──なんですと!?そんなものがあるなんてっ!
「どのようなものかしら?」
「こう、体に塗るようなタイプでサンエルドでも販売してございます。深い傷や火傷などが治るものではありませんが、筋肉痛や少しの切り傷程度でしたら、かなり治りが早くなりますよ」
──あったんだそんな簡易治癒できる魔道具がー!!
なんでセクシーに聞かなかったんだろ私。体が痛くても、痛いのがバレないようにしちゃってたのよね。心配されると思って。筋肉痛ごときで心配させたくなくて。きっと気づかれてたら、セクシーならケアしてくれていただろうに…っ!!
「しかし筋肉痛ですと、すぐ治してしまうと筋肉が育ちません。筋肉をつけたくない方であれば良いですが、エロイン様はボールキャッチの上達を望んでいらしたので…」
「なるほど。筋肉痛は筋肉についたキズの修復で強くなっていくものだから、そこを治してしまうと運動が無かったことになりそうね…」
これは仕方ない。耐えよう。
「カーリンは治したよっ♪エロリンさまも治しましょう~」
「私もちょっと痛いけど、これくらいがまんできるよっ!」
マユリエールは耐えるようだ。友よ、共に鍛えよう。
◆
5人で集まり、ボードゲームをすることになった。
双六のようなものだ。厚紙の上に絵の描かれたマス目があり、ゴールはあるが勝ち負けがない。ちょっと面白いのが、ゴールが複数あること。最初の方で自由に選べる分岐点があった。
進む数は魔道具のサイコロによって決まる。
おはなしの御殿にあるボードゲームは数種類あって、分岐が無い簡単なものから少し内容が複雑なものまで揃っていた。大体が3~4人以上で遊ぶものだったので、マユリエールと2人きりだった時には使ったことが無い。
魔法が使われているのはサイコロだけなのだが、何故サイコロを魔道具にしたのやら。その必要ある?まぁ、これなら体をそれほど動かさずに遊べる。エロインは弱弱しくサイコロの魔道具に手をかけた。
──コロコロ…ポポンッ!
魔道具のサイコロを振るのは初めてだ。
6面の立方体で、どの面にも同じマークが描かれている。数字や点の数ではない。
転がると、2回ほど跳ねてピタっと止まり、上の面から進む先のマスの絵が浮き出てくる。
─ボードの上に置いたコマが勝手に動いた!コマ連動型サイコロなのね。痛む体を動かさなくていいわ!
「あら、おはなしの御殿に入学ね」
このゲームのボードには、
1)おはなしの御殿→ 2)専門へ進むまでの期間→ 3)専門の学院時代→ 4)就職
といった流れのものだ。
(3)の専門の学院時代のところで、何の専門かを選ぶことができる。
このボードで選べる分岐としては、学術院、魔導学園、剣技学園の3タイプがあった。
文系、理系、体育会系 といった感じ。
おおまかに、今後の人生における職業別の世界観がわかるようになっている知育玩具になっていた。
おはなしの御殿を卒業…卒園といったほうが正しいかしら。とにかく卒園すると、3年ほどフリーになる期間がある。
学術院や剣技学園などの学院系は、10歳からの入学なのだ。
フリーの3年間は、貴族それぞれの教育によって大きく差が出てくる。
裕福な貴族なら、各専門の教師を独自に雇ったり、高名な魔導士の元へ師事させたり。
「私もにゅうがく、しました~~♪エロリンさまといっしょです」
「カーリンだけじゃないよ!みんな一緒だよっ!」
みんなサイコロを振り、全員がおはなしの御殿へ入った。
おはなしの御殿時代のマスは10個くらいあり、何かしらステータスが上がる内容が描かれている。
「僕は体力が5ポイントあがったっ!」
上がったステータスは、サイコロが覚えていてくれるようだ。
ヨナスタンのコマの上に +5 と表示が出ている。おお〜便利。
「ヨナタンは体を鍛えているの?」
さっそく先日つけたあだ名で呼ぶ。
「は、はいっ!動体視力を鍛えようと…僕、頑張りますので…」
少し顔を赤くして、なぜか照れながら答える。照れる場面だった今?
ところでボードに書かれているそれぞれの内容が面白い。
分岐までのマス目には「魔力+5」とか「知識+10」だとかプラスの要素のものが多いのだが、分岐以降には「20以上の知識が必要」だとかのマスがあるのだ。
子供の頃からしっかり各スキルを習得しておこう、と思わせる知育玩具なのである。
それぞれ力を蓄えていざ分岐点!
人気の業種とかあるのかな?このボードでは学術院、魔導学園、剣技学園の3タイプへしか進めないけど、こんど業界について教わっておこう。
「私は剣技学園へ進もうかしら。体力のポイント高いし…」
「「「ええっ!!」」」
あら?意外なのかしら。
「まどう学園に行きましょうよ〜。いっしょにドレスパーティしましょ~♪」
「パーティはどこでも行けるのではないの?」
魔導学園以降のマスを見てみる。
「魔力15以上でドレス品評会」「知力10、魔力10以上でセマエーデ音楽会」「体力と知力10、魔力30以上で王城ドレスパーティ」といったものがある。
どこかの塔に引きこもって魔導を極めているような人生ではない。パリピライフが続いている。
学術院、剣技学園よりも交流会のようなイベントが多いようだ。ふむ。
「剣技学園へ進んだあとは、別の学院へ移動ができませんよ」
ジーモンが念押しする。ゲームなのに真面目な表情だ。
「僕は剣技学園へ進みます。エロイン様をお守りしますっ!」
ヨナスタンがきりっとした表情でこちらを見る。
思わずにっこりしてしまう。あら嬉しいこと言っちゃって。おませさんめ。
マユリエール、カーリンは魔導学園に
ジーモンは学術院に
私とヨナスタンは剣技学園へ進んだ。
***
ボードゲームをしながら、ジーモンは部屋の中の様子を観察した。
エロイン様が注目を集めている。ドレスめくり事件のあとは大人しくしているのに、チラチラっとこちらへ向けるいくつかの視線を感じていた。
その中には王子たちの視線もある。
ジーモンはおはなしの御殿へ通うにあたって、すべての王族・貴族の名前や関係性をたたきこまれていた。
自分はソルレイユ第1王子と同じ年齢。
貴族は王子と同じ世代の子を持とうとする。その結果、王子の同世代には国の重鎮となる貴族の子息令嬢が集まるのだ。
そしてレインエルド第2王子もいる。現在おはなしの御殿にいる貴族はみな、王子たちと同世代だという意識を持っているだろう。
『どのような貴族もライバルだと思ってはならない。良き顧客、協力者として見るのだ』
父が言っていた。
対立する派閥はあれど、どのような貴族も敵やライバルのように思ってはならないと。
サンエード子爵家がもつ商店の顧客であり、事業の提携をするような協力関係を持つ相手なのだと思え。そのためには、相手が何を望み、どのようにこちらを見ているかを探るのだ──と。
エロイン嬢はつい最近まで目立たない令嬢であった。
それがドレスめくり事件の日、自ら名前を名乗ったことで彼女がエロティカーナ公爵家の令嬢だという認識が高まったのだ。
5歳なのに言葉もしっかりしていて、先生への受け答えも堂々としている。秀悦した公爵令嬢だということも明白だった。
エロティカーナ公爵家は国内外ともに権力、権威のある貴族。強い派閥なのだ。自分と同じように、親から付き合い方について指導を受けた子供もいるだろう。
令嬢がボールキャッチに訪れることになった日以来、父がエロイン様を意識しているのを感じていた。
『誰よりもエロイン様の味方でいなさい』
以前聞いていた、公平にどの貴族へも良い態度をといったものではない。敵だとか味方だとか言わなかった父が、そんなことを言い出したのだった。
有事あれば、おはなしの御殿の中にいるどの貴族よりも優先するように。ヨナスタンと自分は、何かあればエロイン様を優先して守るのだ。
そしてそれは王族よりも、という意味であった。
「私は剣技学園へ進もうかしら。体力のポイント高いし…」
─ええっ!!??
周囲を観察していた意識が、突然ボードゲームのほうへ戻る。
ゲームとはいえ、このボードゲームで遊ぶ子は大体が自分の行きたい専門の方向を選ぶのだ。遊びとはいえ剣技学園を選ばれるとは……
現実でも、進路を剣技学園とした場合は途中から他の専門へ移ることが難しかった。
魔導学院で魔防のスキルを身につけてから剣技学園へ、というのはある。
しかし逆に、剣技学園へ進んだ者が魔導学院や学術院へ転向するというのは滅多にない。
エロイン様は大変英明な方だと思うが、知らない魔道具も多い様子であった。もしかすると一般常識的なものをご存じないのかもしれない。
公爵家で、知る必要のない知識としている可能性もある。エロティカーナ公爵家は、常識を覆す力のある貴族だからだ。
「僕は剣技学園へ進みます。エロイン様をお守りしますっ!」
ヨナスタンが先走った。これはゲームだぞ!
周囲にいる貴族令息の目つきが鋭くなったじゃないか…。エロインの発言に驚いているのはいっしょに遊ぶ5人だけではない。
と思ったら、つかつかと1人こちらに向かってくる男児がいる。─ライナルト様だ!
ライナルト・アードルング公爵令息が堂々と自分たちの輪の近くに座りだした。
ボードゲームの成り行きを盗み見…見守るようだ。
ライナルト様は自分と同じ7歳。すでに体格が良く7歳児の中でも一番身長が高かった。
アードルング公爵は国防としては最大の力を持つ貴族。派閥には辺境伯や魔導伯をそろえ、王族に一番近い貴族といえる。
その嫡男が近づいてきた。
「あら?あなたも遊びたいのかしら?」
「いや、エロイン嬢が剣技学園へ進まれると聞いたものでどのような目が出るのか見たくなったのだ。ゲームを見てよろしいだろうか」
「いいわ」
エロイン様から許可が出たライナルト様が気をよくして、自分を押しのけてもっとボードの近くにこようとした。ここは自分がどく必要がある。
立ち上がり少し後ろへそれようとしたら、
「ジモタンこっち」
ジモタン!?えっジモタン?自分のことですか??
エロイン様がこちらを見て手招きされた。
ジモタンと呼ばれたことに驚きながらもエロイン様の近くへ向かうと、ひょいっと手をつかまれた。というか握られた!
「─ふぁっ!」
変な声が出てしまった!
密着するようにエロイン様の横に座らされる。太もも同士がくっつく距離だ!
ど、どうしよう。父上どうすれば!
なんとか少しでも距離を置こうと身をよじよじしていたら、エロイン様もよじよじついてくる!なぜですか!?
「カーリンもエロリンさまのとなりがいい~♪♪」
「ダメだよっ!私はここだもん」
エロイン様は今、自分とマユリエール嬢との間にいる。マユリエール嬢は場所を譲る気は無いようだ。
「ほらほら、次はジモタンの番よ?」
「ジモタン…?そういえば、お前はジモスタンという名前だったか」
違います。弟がヨナスタンで自分はジーモンです。とライナルト様へ説明していたら
「私が勝手にジモタンと呼んだだけよ。これは特別だから、あなたはダメよ」
エロイン様がぴしゃりと言い切った。ありがとうございます。
守るどころか守られてしまった。
ボードゲームでは、最後にそれぞれの成績発表がある。ゴールに届いた時点でのスキルセットで、その後の進路候補が表示されるのだ。
自分は学術院でそれなりに好成績を収め、卒業後の進路に王城の文官と出た。家業が無ければ最もよい勤め先だ。
エロイン様は後半に体力ポイントが溜まらず、旅の占い師や曲芸師と表示されていた。
「あら!これはいいわね。占いやってみようかしら」
武芸の道に進んだ場合の進路候補としては悪い結果なのだが、エロイン様は嬉しそうだ。
「しかし体力がなければ占いをするために必要な素材あつめが難しいだろう。魔獣に襲われてしまうぞ?」
「護衛を雇えばいいのでは?素材ってどんなものが必要なのかしら」
「まぁ、エロティカーナ公爵家なら用意できるか……」
ライナルト様はわりと真に受けやすい方なのだろうか。ゲームの結果が現実に起こると仮定して色々注意しだした。
「エロリン!私はお菓子屋さんだったよ!一緒にケーキつくろうよ!」
「あら、お菓子屋さんもいいわね」
「エロリンさま~♪カーリンはお茶屋さんでした。いっしょにお茶会しましょ~♪」
「お菓子とお茶…そうなるとティーハウスかしら。いいわねぇ♪」
「占い師とだいぶ違うではないかっ」
「はいはい。じゃあ、ティーハウスで占いもやっちゃおう」
エロイン様がライナルト様を軽くいなしている。さすがである。
ちなみにヨナスタンはカフェ店の護衛で、自分はカフェ店に訪れる客ということになった。
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「ライナルト、王子におかわりないか?」
ライナルトの父、アードルング卿が尋ねた。
テーブルには肉系の食事が品数多く豪華に並んでいる。今日は父と時間があったので、夕食を共にしている。
ライナルトは父が大好きで、一緒に食事ができるのを嬉しく思っていた。
「はい。本日もお元気でかわりありませんでした!」
王子とはソルレイユ第1王子のことだ。
おはなしの御殿には2人の王子がいるが、ライナルトと同学年ということもありソルレイユ王子を優先して側にいるようにしている。
「また、本日はエロティカーナ公爵家のエロイン嬢と話す機会がありました」
「ほう?聞かせてくれ」
父からの質問がうれしく、今日あった出来事を話し出す。
「エロイン嬢は、将来は公爵家を出られるかもしれません。ボードゲームをされていたのですが、旅の占い師という結果がでて喜ばれていました。仲の良い令嬢たちと、店を持つという話をしていました」
「ほ…う? 店を。どのような?」
「不思議なお菓子とお茶があり、訪れるものへ合う何かをすすめるようです。こー、コーディネート、と申していました」
「ははっ。子供が好きそうなお店なのだな。エロイン令嬢もまだ5歳であったはず。可愛らしい時分であろう」
「…大変、可愛らしい方だとは思います」
ライナルトは慎重に答えた。
以前、どこぞの令嬢が─という話をしていたら、その令嬢と引き合わされたのだ。
その時はただびっくりして恥ずかしくもあり、少し話しただけだったのだが…。
もしかしたらエロイン令嬢を連れてきたりしないだろうか。ボードゲームについて話しただけなのに、そういう、何か大人の話になるようなきっかけにされるのは不味い気がした。
そこまで考えて、ふと思い出した。父へ告げておいたほうが良いと思う。
「そういえば2人の王子が、エロイン嬢を気にされていました」
[あとがき]
ライナルトはジーモンを押しのけたという意識がありませんでした。体がほかの子よりずっと大きいので、自分が進む先に小さい子がいれば当たらないように手で避けるクセがついています。
大きな大人が児童の塊の真ん中をつっきる時、子供たちをそれぞれ左右に寄せるのと同じ感覚でした。
我儘や意地悪ではなく、ただの配慮不足。