あるばいと
居間と応接間の間にある机に向かって座りバイト中。
時給1000円だから悪くは無い。問題は充電ホルダーに
刺さった携帯とPHSが9台あるってこと。auが私のを入れて
4台、ドコモが3台、PHSが2台。鳴ることもあるし鳴らない日
もある。要するに電話番だ。アイフォンは使わないのかと
聞いたらつながら無い携帯電話は使えないって。
建物の中で圏外になるしすぐ切れるから使ったけどすぐ止めたらしい。
確かに田舎で使ってる人もいなかったなぁ。
レポートや論文の校正も時々あるけど医学用語が分かるはずもなく
せいぜい誤字脱字のチェック程度。
後は何しててもかまわないらしいから本を
読んだり勉強したりネットで遊んだり。
伯父は一人用のソファーでびろ~んとのびてるし従姉妹達も
でろ~んとべろ~んとのびてる。ビール、お茶、ジュース等
飲み物もてんでばらばらでしゃべったり沈黙してたり。
居間にテレビが無いから静かというか何というか。
医者ってストレスの溜まる仕事なんだと実感した。
お風呂入ってたり自分のものを洗濯してたり。
猫が夜の駐車場で集会するのを思い出した。適度な距離をとって
香箱座りしてじっとしてるあれ。
伯父のプライベート用が鳴る。表示された名前は加畑さん??
『はい。代理で出ておりますが滝沢の携帯でございます』
『ん?娘さんですか?お父さん電話に出られますか?』
『あ、先日はありがとうございました、貴美です。少々お待ちください』
「加畑さんです」
立ち上がって伯父に携帯を渡す。出たくない相手だと両手で×とか
お風呂だとかで逃げるんだけど友達だとそのまま出るみたい。
『おう。この前はありがとねー。うん・・・うん・・』
私は勉強に戻ったけど予習してる英文和訳が上手くいかない。いつでも聞いて
いいと言われてるんだけど伯父は電話中だしなぁ。鎌首を持ち上げた
由美さんに聞いてみようっと。
「あの・・ここの訳なんですけど、これじゃ変ですよね?」
「ん・・意味としては通るけど日本語としてはねぇ・・
前置詞+副詞って説明できる?」
「えっと・・単語としては分かるけど文法の説明はできないです」
「ん。そこで引っ掛かってるのね。前置詞ってのは・・・・・・で
副詞が・・・で合わせると・・・・・・・・・・」
「そうするとこんな訳になるんですね?」
「そうそう、それで大丈夫。日本語としても読みやすいでしょ?」
「凄いなぁ・・受験から10年経ってるのにちゃんと説明できるなんて」
「そんなことないよ。お父さんの受け売り。分からなかったら聞いてね」
『うん。分かった、本人に伝えとく。今度飲もうや・・・またな』
電話を切った伯父が携帯を戻しながら続ける。
「この前ヘアモデルやった写真な、明後日発売で掲載されるって。
出版社やカメラマンが連絡取りたがってるけどモデル不詳で全部
停めてくれてるらしいよ。
ヘアサロンで使ってる髪型見本の写真も大好評で指定が多いらしい。
もう少ししたら電話してから来てくれってさ。無料でやってくれる
けど写真撮らせろって」
「基本的にはショートボブの変形なのにそんなに指定が多いのが
不思議ですよねー。近くで見ると複雑なカットだけど派手ではないのに」
「そりゃモデルが良いし。ちょっと中年好みのカットだしな。派手じゃないけど
しゃれてるってことだろう。あそこの店へやってくる高校生が自分の小遣いで
払ってるわけじゃないからスポンサーの意向だぁね。まぁ、あれだ。
金もでるけど口も出る・・・」
「柏餅貰ったけど食べる?番茶欲しい人何人?」
由美さんが番茶を煎れてくれた。
「週刊朝目かぁ。何冊か買い込まないとね。ところで部活決まった?」
「まだ決めてないんですよ。弓道部か茶道部か、合気道の道場も3つ見学したけど
何となく情熱傾けられるか自信が無くて」
何となく親子で視線を交わした気がするんですケド・・・
「何でもやりたいものやればいいのよ。弓は未経験だよね?お茶は?」
「裏千家で一通りのことは仕込まれましたから、できなくはないんです」
柏餅を食べながらお茶をいただく。やっぱり餡子は潰し餡が正義。
異論は認めない。それにしてもこの家の人達ってお茶いれるのが上手いんだろ。
紅茶は伯父さん、コーヒーは亜美さん、日本茶は由美さん。
得手不得手はあっても水準以上、得意なのはみんな違うのが面白い。
教えてもらって見てもらいながら入れても同じ味にならない不思議
悪くないとは言ってくれるけど合格点はまだ貰えない。
「どちらも精神的に落ち着きそうだからいいんじゃない?」
「茶道部の部長も弓道部の主将も女性で茶道は表千家で弓道は未経験」
「・・自分で決めるのが良いと思うけどね」
「それよりも周りがみんな勉強できそうなのが心配なんですけど」
「同じ入試問題で受験して入学してるんだから大丈夫だよ。どうせ6月の
中間テストまで比較できる材料無いんだし。昔と違って授業も50分単位でしょ?
昔は100分だったから理解できないと大変だったけどさ。その分細切れで
きつくなったとこもありそうだけど。とりあえず予習だけさくっとやって
授業で分からないとこは誰かに聞くことだね。お父さんがベストだけど
ざっと教科書見せてもらった限りでは私達でも大丈夫そう。一番良いのは
お父さんに授業で終わった部分の教科書へ直接書き込んでもらうこと
なんだけど・・・」
「だが家庭科とかは断る。小学校までしか家庭科無かったし公民なんざ
受けたこともない。どうせ大学受験なんてお勉強というか受験職人の技術だ。
基礎さえ頭に入ってれば受験勉強そのものは1年も必要ないよ」
「何だか凄いことをさくっと言ってるような・・」
「いいかい、模擬試験を受けても経験値なんざ手に入らない。
自分の立ち位置が確認できるだけ。
受験技術は反復練習と学習でしか向上しないよ。
逆に言えばそれだけのものでしかないんだ。物覚えの良し悪しはあるだろうけど
2倍の能力がある秀才でも3倍の時間を突っ込まれるか3倍の
効率で学習されたら絶対に負ける。まぁそれなりに秀才ってのは勉強するけどね」
「何とかなるから心配しないでいいよ。私達もそうだったし、お父さんの時代は
もっと凄かったらしいけどさ」
「別に凄くはなかったよ。3年の夏休み直前まで遊んでていささかやばかったけど」
「女子から手紙貰ったり付き合ったり忙しかったらしいよ」
「無い無い。携帯なんて無い時代だし電話も家にあるダイヤル回す黒電話だもん
長電話とかできない。それでも付き合ってたのはいたけどな」
「そういえば、メルアドとか携帯番号聞かれたりした?」
「えっと・・付き合ってくれと言われてごめんなさいしたのが5人、メルアドや
電話番号書いたメモが10枚位、教えてくれと言われた人数は覚えてないですよー
女子の何人かだけで番号とアドレス交換したけど」
「ふーん軽く見られたもんだねぇ。そのうちに鉄壁女とか呼ばれたりして」
「それもちょっと嫌だなぁ・・」
「でも、考えが短絡的だねーというか、会ってその場で付き合えと言える神経が
よく分からないな。私達のときは最初はそうでもなかったから少しは中身も見て
くれたんだろうけど、貴美ちゃんは破壊力凄すぎ。今度渋谷とか原宿行ってみよう」
「ファッションとか流行とかあんまり興味ないですから、神保町あたりをゆっくり
歩いてみるのが先ですよ。渋谷とかはそのうちに」
「滝沢家の発祥は神保町だからな。お父さんの住んでいた場所も案内してあげる。
ビルが建ってるだけだけどね」