八
「いいかいトリー、王都では変な人には近づいたらダメだよ」
馬車の中で私に優しくそう言ってくれるのはブライアン君だ。
この度遺言状を作成するために、現在、みんなで王都に向かっているところである。
なんでも王様からの集合命令なので拒否権はないそうで、伯爵様はもちろん、ポールさんもブライアン君もオリバー君も一緒だ。
そして多分ミドルトンな私も。
「もちろん今回遺言状を作成する六十五歳のマイクおじいさまも来るよ」
ブライアン君の説明によれば、貴族には六十五歳までに魔法契約で遺言状を作成する義務があるそうだ。魔法契約とは、その名の通り魔法使いが行使する契約で、遺言状に名を連ねる人はその場にいなければならないらしい。
ブライアン君は馬車の中で、私を気にかけていろんなことを教えてくれる。
そして休憩時間に馬車を降りようとすれば、自然に手を貸してくれる紳士なお兄さんなのだ。
「立ち合い人として、今回は王族の方や、神殿の偉い人もくるんだよ。あとはミドルトンの配偶者数名も一緒に見届けることになっているから、母上も王都で待っているよ」
そう言いながらスッと胸のポケットからハンカチを取り出したブライアン君は、私が座る場所に置いてくれる。さらには、水の入ったコップまで差し出してくれて、本当に面倒見がいい。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「魔法使いがいるのですか?」
遺言状よりもそっちが気になってしまうのは、この世界で魔法なんてみたことも聞いたこともないからだ。それに、魔法という言葉に夢が詰まっている気がする。あわよくば私も魔法使えたりしないのかなと思ってワクワクとブライアン君の話に耳を傾ける。
「数は少ないけど、魔法使いはいるよ。僕が知っているのは、遺言状の作成の時、貴族が結婚する時、あとは大きな契約をするときなんかに魔法使いを見ることができるよ」
契約の時にしか魔法使いの出番がないなんて。
これは思ってたのと違うかもしれないけれど、念のため確認してみよう。
「魔法使いはお空飛びませんか?」
「え? なんで魔法使いが空飛ぶの?」
心底不思議そうな顔でそう言ったブライアン君。
そして私を指さして笑うのはオリバー君だ。
「なんだトリー、魔法使いが空を飛ぶと思ってたのか、ワハハ」
「えっと、それじゃあ、手から火が出たり水が出たりしませんか?」
「何で魔法使いにそんなことできるんだよ」
涙を流して笑うオリバー君。
微笑ましいと言わんばかりの顔で私を見る伯爵様。
そしてポールさんはというと。
「トリーは四歳にしては大人びていると思っていたが、ちゃんと子供らしいところあって安心したぞ」
四歳にしては大人びているのは前世の記憶があるからだ。
しかし、今回はそんなことは関係ない。
魔法と言えば空を飛んだり火を出したりできると本気で思っていた。
「えっと、じゃあ、手から光が出て怪我を治したりは?」
「できないよ」
「あ、あとはスプーンを曲げたりとか?」
いや、それは魔法じゃなくて超能力だった。
そう思ったけれど、目の前のポールさんがおもむろに荷物からスプーンを取り出して、グイっと力で曲げるではないか。
「俺は曲げれるぞ」
「すごい」
「まあな」
得意気な顔のポールさんに、なんか違うとは言えない。
「トリー、魔法使いは書類の効力を絶対的なものにする人だと覚えていればいいと思うよ」
スプーンから目を逸らして、そう言ったブライアン君に小さく頷く私。
この世界の魔法には夢がないことが発覚した瞬間だった。
そんなこんなでミドルトン大移動。
権力者の伯爵様のおかげで立ち寄る街では歓迎されるし、宿は高級、ちょっと治安の悪そうな場所を通る時は騎士団長のポールさんのおかげか、山賊やら盗賊やらに出くわすこともなく、旅は順調だ。
今回の旅は、想定よりとても早いペースで進んでいるらしい。
「それもこれも、四歳のトリーが泣きごと一つ言わないおかげだが、無理していないか?」
ポールさんにそう聞かれた私はしまったと思った。
普通の四歳児が旅をしていたら、わがままの一つや二つ言うのではないだろうかと今気づいたのだ。確かに、暇だし、お尻痛いし、休憩したいなんて思ったけれど、私は荷物も持っていないし、馬車に座っているだけなのでこの中の誰よりも楽をしている自覚があったから、特に何か言うことはなく黙っていたのだった。
気持ちは大人なんです、なんて言えるわけもなく、私は笑って誤魔化した。
順調に進む馬車は、問題なく王都に到着。
王都は賑やかで人もたくさん、街並みもきれいだ。
私は今回の旅でミドルトン家の男たちがモテるということを知った。人の多いところに行けば、ミドルトン家は注目されて、なぜか若い女の子たちにキャーキャー言われていて、みんなそれに驚くどころか当たり前のような顔で対応するのだ。
中でも独身のポールさんの人気は絶大だ。騎士団長という役職はもちろん、爽やかな笑顔で女の子たちに対応する姿はさすがモテ男だと思った。
そんなポールさんは、王都についてすぐ別行動をとった。
「ポールおじさんは昔付き合っていた人達の中に、トリーの母親がいるか確認しに行ったみたいだよ」
そう教えてくれたのは、私の汚れた手を拭いてくれているオリバー君だ。
綺麗好きのオリバー君のおかげで馬車の中は塵一つなく綺麗だ。旅の途中だというのに、みんなの服に皺もなく清潔感すらあるのはオリバー君のおかげである。
綺麗好きも極めると人の役に立つのだからすごいと思う。
「オリバー君、すごい、馬車も服もピカピカ。かっこいい」
その言葉に口元が緩むのを抑えられないオリバー君の可愛さと言ったら、馬車の中の空気がほんわかしてしまったぐらいだ。
その夜のことだ。
また私は修羅場に遭遇している。
「この子は私の子です」
「いいえ私が産んだ子だわ」
私の目の前には、自分が母親だと名乗る二人の女性と、顎に手をあてて困った顔のポールさん。
どうやら五年前に関係のあった女性二人が自分が産んだと言い張っているようだ。
「トリーは誰が母親だと思う?」
ポールさんがそんなことを言うものだから、二人とも私をギラギラした目で見るではないか。
「私がお母さまですよ」
「あら、私がママよ」
さすがモテ男ポールさんのお相手だった人、タイプは違えど、美人だ。けれど妙に迫力がありすぎて思わず一歩下がってしまった。
この二人のどちらかが私の母だとしても、私にわかるわけないのだから、私は困ったように笑ってその場をやり過ごしたのだった。
結局この日はどちらが母親かなんてわからなかったけれど、二人ともポールさんに未練があることだけはわかった。
後日ミドルトン家が調査をして二人とも母親ではないことが判明した。
これによりポールさんは私の父ではないとはっきりした。
ポールさんがお父さんならいいなと思っていたのは、ポールさんだけは私にずっと優しかったから。多分この人はみんなに優しい人なのだろうけど、私はその優しさに救われたし、とても嬉しかったのだ。
「いい夢を」
父親ではないとわかったこの日も、寝る前にそう言って私の頬にキスをしてくれる。
「あの」
「ん?どうした?」
顔を近づけたままのポールさんの頬に私は思い切ってキスをした。
「いい夢を」
布団をサッと被った私は、ポールさんがどんな顔をしていたかなんてわからない。
「フフ、おやすみ」
けれど、その一言はとても優しく響いた気がした。