七
「誰やねん」
鏡の中の自分を見た瞬間、思わず心の声が漏れてしまったではないか。
「今、何か言いましたか?」
不思議そうなメイドさんに私は慌てて首を振る。
「えっと、可愛くしてくれてありがとうございます」
「お気に召していただけたのなら幸いです」
そう、鏡に映るのは、私。
でも昨日までの私とは違う。
可愛らしいドレスをきた、可愛らしい子供がそこにいる。
見るからにサラサラの髪は可愛くアレンジされていて、小さな花飾りまでついているではないか。これがまた銀色によく似合っていて可愛さ倍増である。鏡に映るのは自分だけれど、まるで自分ではないように感じる。
昨日の今日で、伯爵様がメイドさんたちに何を言ってくれたのかはわからないけれど、メイドさんたちはとても優しかった。朝から贅沢にもお風呂に入れてくれて、あれこれ世話を焼いてくれて、気づけばお腹はいっぱいで、とても可愛らしくしてくれたのだ。
鏡の中の自分を見つめていれば、トントンというノックと共に部屋へ入ってきたのは伯爵様だ。
「可愛らしくなったな。少し庭を歩こう」
なぜか庭へ誘いに来てくれた伯爵様について行けば、そこには色とりどりの花が植えてある。
あまりの美しさに立ち尽くす私だったけれど、伯爵様に呼ばれて止まっていた足を動かす。
「我が家の鍛練場だよ」
そこで剣を交えていたのはポールさんとブライアン君だ。
ブライアン君は近くで見たら首が痛くなるほど大きかったけれど、大人のポールさんと並ぶと全然違った。身長差はそんなにないけれど、体の厚みが違う。腕の太さも何もかも違うから、一撃の重さが違うのだろう。
「ま、参りました」
「ブライアンは筋力をもっとつけろ」
ニカっと笑ってそう言ったポールさんの爽やかなこと。
さすが騎士団長。
光る汗がこれまたよく似合う男である。
そして多分、近くに座り込んでいるのはオリバー君だろう。
見るからにボロボロで、疲れているようだ。
「よし、次はオリバー」
「……む、無理です。もう腕が上がりません」
「ん?そうか、体力が足りてないぞ。成長期なんだから、たくさん動いて飯食って寝ろ」
伯爵様はこの様子を私に見せたかったのだろうかと不思議に思っていると、スッと私を抱き上げた。
戸惑う私に構わず、スタスタ歩いていく。
こちらに気づいた三人は、驚いた様子だ。
「トリー、まるで天使が舞い降りたかと思ったぞ」
ポールさんは男前の顔でこんなセリフを当たり前のように言うものだから、反応に困る。
そしてオリバー君はポカンと口を開けていた。
ブライアン君は、スッと立ち上がったかと思うと、私の目の前で足を止めた。
「……噂を鵜吞みにして、君にひどいことを言った。ごめんね」
「いえいえいえ、私、全然大丈夫です」
ブンブンと首を振る私に、眉を下げて申し訳なさそうな美青年。
対照的なのは、さっきまでポカンと口を開けていたオリバー君だ。
どう見ても不機嫌そうな顔で私を見ているではないか。
「オリバーも、トリーに謝るんだ」
ブライアン君にそう言われたオリバー君は渋々言った。
「悪かったな」
投げ捨てるようにそう言って、プイっとわかりやすく顔を逸らしている。
今度は私がポカンと口を開ける番だった。
「オリバーなんだその態度は」
ブライアン君にそう言われても口をへの字に曲げたままのオリバー君。
やれやれと言わんばかりの表情なのはポールさん。
そして伯爵様はというと、ニンマリと笑っていた。
短い付き合いの私でもわかる、この笑い方の伯爵様は碌なこと考えていないと。
「オリバー、土にまみれてとてもいい汗をかいたようだね」
「え?」
「オリバーは今日一日汗を流すことを禁じる」
「ええええええ、父上突然何をおっしゃってるのですか」
動揺を隠せないオリバー君はとてもきれい好きなんだそうだ。
それもただのきれい好きではない。
汚れが大嫌いなオリバー君は、屋敷の掃除も自分でやってしまうほどらしい。
さらには自分で植物を育て、汚れが落ちる洗剤の開発までやり始めたり、綺麗好きがとどまることを知らないようだ。
そんなオリバーくんにとって、一日汚れたままでいるなんてことは考えられないらしい。
これは、もしやちゃんとごめんなさいができなかったオリバー君への罰なんだろうか。
オリバー君は、多少きついことを言っていたけれど、汚れた私をピカピカの四歳児にしてくれたし、私としては何も思うところはないのである。
そう思った私は、口を開いた。
「えっと、お風呂は入った方がいいと思います」
驚いた顔で私を見るオリバー君。
「お風呂とても気持ちがいいです。ピカピカツルツルいい匂い」
今朝風呂に入った私は、爪の先までピカピカだ。クンクンと自分を匂えば石鹸のいい匂い。
抱っこしてくれている伯爵様にも匂いを嗅いでと言うように、鼻に手首を持っていく。
呆気にとられた伯爵様は、いい匂いだと言いながら肩を揺らして、私に良い感情を持っていなかったであろうオリバー君はなぜか頬を紅潮させて私を見ていた。
「トリー、おまえはいいやつだな」
「へ?」
「お風呂の素晴らしさがわかってる四歳児なんて最高じゃないか」
十二歳男子は単純だった。
自分の大好きなものを褒められたら嬉しくてたまらなくなったらしい。
それから、さりげなくスッと私を伯爵様の腕から抱き上げたのはポールさんだ。
「トリーは優しいな」
そう言ったポールさんに、私は困ったように笑った。
私は優しくなんてない。
昔から。
そう、昔からだ。
フッとした瞬間に思い出す前世の自分。
昔の私も人間関係で揉めるのがいやで、困ったときはよく笑って誤魔化していた。
私は、面倒ことが嫌いなただのめんどくさがりなのだ。
前世大人だった私は、怒るのは疲れることだと知っている。
怒るのにはパワーを使うことも。
だから、きちんと怒ってあげられる人の方が、本当は優しいのではないかと、そう思うときがある。
こんなことを考えている四歳児なんておかしいだろうから、口には出せないけれど。
この日を境に、オリバー君とブライアン君と仲良くなった。
ブライアン君は暇を見つけては、本を読んでくれたり文字を教えてくれたりする。そしてオリバー君は効率的な汚れの落とし方や、自作の洗剤の効能を教えてくれたりするようになった。その説明がマニアックすぎて、四歳児じゃなくてもわからないと思うけど、とにかく熱意は伝わってくる。
「すごいすごい」
パチパチと拍手まですれば、もう嬉しくてたまらないと言った顔のオリバー君。
この素直さが好きだなと私は微笑ましい気持ちになるのだった。
誤字脱字報告して下さった方ありがとうございます。
そして感想を書いて下さった方ありがとうございます。こちらの都合ので申し訳ないのですが、感想の返信は完結後にさせていただきます。ネタバレになりそうで感想返信文章書くのにヒヤヒヤしてしまいまして。




