五
翌日、次男のオリバー君がやってきて、ドアを少し開けてじーっと観察するように私を眺めている。
最初は視線が気になっていたけれど、話しかけてくる気配はない。こちらから話しかけたほうがいいのか迷ったけれど、この家で微妙な立場な私からかける言葉が見つからなかった。
オリバー君がいなくなり、暇を持て余した私は文字を覚えられるかもしれないと絵本を見てみたけれど、文字を眺めてみても当然読めるわけもなく、絵を見るだけで終わった。
四歳児の体というのはお昼寝を必要とするようで、日の当たる窓際に置いたフカフカ布団の上で、私はのん気に眠っていた。そんな私は、この伯爵家では、オリビアさんがみんな大好きで、そのオリビアさんを泣かせた私という存在がどう思われているかなんて知らなかったのだ。
翌日も、その翌日も、眼鏡のメイドさんがご飯をくれるけれど、こちらを見ることも話しかけてくることもなかった。多分避けられているんだろうなと思った私は、メイドさんが来てもなるべく視界に入らないようにして、その場を乗り切ったのだった。
その時にフッと思い出した。
前世の私も、人間関係で面倒だなと思った時は改善する努力をするのではなく、関わらないようにしていたことを。
「そういうところは、今の私も昔の私も同じだな」
ここにいれば、何もしなくても三食美味しいごはんが出てくる。さらには、温かい寝床があるだけで、なんだかんだで居心地がいいのだ。でも、本当にここにいてもいいのだろうかと考えていれば、ここ数日、何も言わずにドアから私を覗いていたオリバー君が、なんと今日は部屋の中に入ってきた。
「母上を泣かせたことを、みんな怒ってるぞ」
オリバー君はそれだけ言うと出ていった。
やっぱり浮気相手の子供が自分の家に居たら伯爵様は嫌だろうし、オリビアさんもオリバー君もブライアン君も嬉しくはないはずだ。うんやっぱり家に帰ろう。そう決めた私はそっと部屋を出る。
けれど、お手洗い以外部屋の外に出ていない私は、道がさっぱりわからない。
とりあえず一階に下りるだけで、ものすごく時間がかかったとだけ言っておこう。
広すぎる屋敷でどうにか外に出ることに成功した私は、歩き出す。
屋敷を出る前なのに、もうすでに疲れているけれど頑張って、てくてく歩くこと一時間。
子供の足は一時間も歩けば疲れてしまうらしく、私は道端に座って休憩をした。
「四歳児って全然体力がない」
来るときは馬車で一時間ぐらいだったから、歩いて帰れる距離ではあるはずだけれど、これは四歳児にはなかなか大変な道のりだ。
上着も着ていない私は、曇ってきて少しずつ下がる気温に、家まで帰る道を侮っていたことに気づいた。
それでも一歩ずつ進んでいれば、不意に目の前で馬車が止まった。
「何をしている」
ポカンと口を開けた私が見たのは、馬車から出てきた伯爵様である。
「何をしていると聞いている」
「……歩いて帰っていました」
ピクリと片眉を上げた伯爵様は、何を思ったのか私を抱き上げて馬車に押し込んだ。
「え、あ、あの」
「勝手に帰られては困る」
「え?」
「私は不貞行為などしておらぬ」
不貞行為なんて言葉が四歳児にわかるわけないと心の中で思ったけれど、もちろんそんなこと言えるわけもない。
伯爵様は、私の髪を手に取りじっと見て、そして瞳を至近距離で覗き込む。
あまりにも鋭い眼光に私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「けれど、君は伯爵家の者だ。君は何歳だ?」
「四歳です」
子供らしさを心がけて指を四本出したけれど、伯爵さまの威圧感に若干指が震えてしまった。伯爵様は私の指なんて見ていなかったけれど、私はサッと手を膝に降ろした。
私が一時間以上かけて歩いた道のりは、馬車に乗ればあっという間だった。
伯爵家に到着して、私はどうすればいいんだろうと立ち止まれば、伯爵様は振り返る。
「ついてきなさい」
入口で出迎えてくれる人々を気にも留めず伯爵様は歩いていく。私を見ては驚く人も中にはいたけれど、気にしている暇もなく私は伯爵様の後を追った。
相変わらず広い屋敷で、どこに向かっているかわからなかったけれど、伯爵様が立ち止まった扉を見て思い出した。
ここは伯爵様の執務室である。
「私は君の父親ではない。だが、君が伯爵家の人間であることは間違いない。だから父親候補を呼んでいる」
ん?
伯爵様が不貞行為をしていないなら、もちろん私は伯爵様の子ではないだろう。
父親候補とはいったい誰だろうと首をかしげる私に伯爵様は言った。
「幼子にこのようなことを言ってもわからぬだろうが……とにかく父親だろう男がここにくることになっているのだ。ここで待つといい」
柔らかなソファに腰かけるように言われた私はお言葉に甘えて座らせてもらう。
伯爵様は忙しいようで、大きな机に座り何やら難しい顔で書類を見ていて、私なんて目に入っていないようだったけれど、妙に緊張したままの私は無駄に姿勢よく座っていた。
そう、最初はビシッと座っていたんだけど、たくさん歩いて疲れた体は正直で、その内ウトウトとするのが止められなくなった。ガクンと首が何度も落ちそうになり、その度に伯爵様が私をじっと見ていたのだけれど私は気づかない。
「おーい」
低いその声に、眠っていた私は目を覚ます。
「起きてくれ」
パチッと目が覚めた瞬間、目の前にいたのは、短い銀髪に空色の瞳のおじさんだ。近くにいてもわかるムキムキの腕に私の視線は釘付けだ。
「その子がトリー、四歳だ。どうだ心当たりはあるか?」
「四歳……ってことは五年前だな。アリッサ、いやメアリー、違うなミアかもしれん」
「心当たりがあるんだな?」
「いや、あるにはあるが、俺は子供ができるようなミスはしない」
「そうは言っても、私は不貞行為などしておらぬ。よって私がトリーの父親の可能性は一パーセントもない」
「……じゃあ俺がこの子の父親だってことか?」
短髪のおじさんと私の視線が絡み合う。
伯爵様は大きく頷き、パンと手を叩いた。
「うむ、トリーの父親が無事見つかったようだ」
「ちょーっと待ってくれ。えーと、トリーと言ったか」
「はい」
私の目の前に膝をついて目線を合わせてくれたその人は、困ったように頭をかいて私に言った。
「その、トリーのママはどこにいるんだ?」
「お母さんはいます。でもジェイドお母さんは本当のお母さんじゃないです」
「んん?」
「赤ちゃんが玄関の前にいたって言ってました」
「それは本当か?」
コクンと頷けば、短髪のおじさんは私の顔をじっと見る。
「……母親に似ているところでもあれば、母親が誰か分かると思ったが、これはミドルトンの血が濃いな」
「そうだろう、私も最初に見たときは驚いたものだ」
二人して私を、じっと見るから私は困ったように笑うしかなかった。
「おい、やっぱりトリーは兄貴の子じゃないか? この笑い方は兄貴にそっくりだぞ」
「オリビアもそのようなことを言っていたが、私はトリーの父親ではない」
私は改めて短髪のおじさんに目を向ける。
「おじさんが、私のパパですか?」
私がそう言った瞬間、おじさんは目を見開いた。
おじさんの反応を見る限り、嫌そうな様子がないことはわかったから、私はそのことに胸を撫でおろしたのだった。