四
フンと怒って出ていくオリバー君の背を見送り、小さなため息を吐いたジョンさん。
お疲れ様ですと声をかけたくなるほどであったけれど、私は四歳児、空気なんて読めない四歳児と心の中で唱える。
「申し訳ありませんが、こちらでお待ちいただけますか?」
ジョンさんにそう言われた私だけど、ここにいる理由がない気がしているのだ。
父かもしれない伯爵様は、私の存在を歓迎しているようには見えなかったし、オリバー君も私を疎ましく思っているだろう。
「帰ったらだめですか?」
ジェイドお母さんは、私がいたらお荷物でしかないだろうから本当はここでお世話になるのがいいのだろうけど、父親に会って無理だと思ったら帰って来いと言ってくれたから、私は帰りたい。
そう思ったけれど、ジョンさんはとても困っていた。
「お嬢様を勝手に帰したとなれば、私が叱られてしまいます。このお部屋では嫌でしょうが、今はここにいてくれますか?」
私が嫌なのはこの部屋ではないのだけれど、勝手に帰せないということは恐らく伯爵様の許可がいるのだろう。前世を思い出した私は、精神的には大人だからジョンさんの立場を考えれば、勝手に帰せないのは納得がいくけれど、私は四歳。ここは子供らしく振舞わなければと思う。
「私、ここにいないと、困りますか?」
「……ええ、お嬢様がここにいてくれたら、俺はとても助かります」
「じゃあここにいます」
ホッとした様子のジョンさんは、すぐに戻ってくると言って慌ただしい様子で出て行った。
私はというと、薄暗い部屋のカーテンを勝手に開けた。
明るくなった部屋を見渡して思う。
さすが伯爵家、倉庫にしている場所まで掃除がされているようで綺麗だ。
私は暇なのをいいことに、この倉庫にあるものを見せてもらおうと布をめくってみた。
「子供たちが小さいころに使っていた物かな」
赤ちゃんが使うゆりかごに、子供用の椅子、たくさんの絵本に、ボールやおもちゃなど、きっとこの家の男の子たちが使っていたものだろう。
小さな椅子は私が腰かけるとピッタリだ。
その後、ジョンさんが部屋に寝具を運び込んでくれた。
「こちらを使ってください」
伯爵家の寝具はフカフカだった。
私が普段使っている物はペラペラなのだ。こんなにフカフカな布団ならば今夜ぐっすり眠れそうだ。
「何か不便なことはありませんか?」
「お手洗いの場所知りたいです」
ジョンさんは忘れていたと言わんばかりの表情で、部屋を出て割と近くにお手洗いがあることを教えてくれた。
「今日は旦那様と奥様が取り込み中……二人でお話ししていて忙しいようなので、ここにお泊りしてもらえますか?」
コクンと一つ頷けば、ジョンさんホッとしたように一息ついていた。
「食事は届けさせますから、たくさん食べてください」
夜ご飯は、眼鏡をかけたメイドさんが来て、入口にお盆を置いていってくれた。
お礼を言う暇もなくドアが閉まったので、お礼を言えないままだったのが残念だけれど、あのスピードで出て行ったのは私と関わりたくないか、忙しいかのどちらかだろう。
夜ご飯はこの世界で初めて食べる御馳走だった。
スープにサラダ、メイン料理はお肉で、デザートまでついていた。頑張って食べたけれど、四分の一ほどでお腹がいっぱいになってしまった。
もう食べられないけれど、残すのは勿体なくて、じっと料理を見つめていれば、片づけに来た眼鏡のメイドさんにサッと食器を片付けられてしまった。
「お母さんにも食べさせてあげたかったな」
満腹になったお腹をポンポンと叩き、私はフカフカ布団に寝転んだ。
「場所はあれだけど、悪くない」
悪くないと言うより、ジェイドお母さんの家に比べるとここは寒くない。食事も豪華だし、こちらの方が好待遇だ。
それでも、寒い寒いと言いながら二人で肩を寄せ合って毎日寝ていたから、寂しさを感じてしまう。
もし父親が伯爵様なら、私はどうなるんだろうか。そんなことを考えながらいつの間にか眠っていた私は、ガチャンという大きな音で目が覚めた。
真っ暗な場所で、私の視線は、明るい入口へと固定された。
部屋に入ってきた人数は二人。
ボソボソとする声が、男の人だとわかる。
布団に丸まっていた私は、人が近づいて来たから咄嗟に目を閉じた。
「兄上、ここにいるよ」
「……確かに銀髪に見えなくもないが、本当に父上に似ているのか?」
「うん。髪は洗ったら綺麗になってちゃんと銀色で、瞳も空色だし、顔が父上そっくりなんだ」
「寝顔はそうでもなさそうだが」
視線を感じすぎて、穴が開きそうだけれど、今の会話から恐らく伯爵家の子供だろう。向こうからすれば私は疎ましい存在だろうし、寝たふりしたままやり過ごそう。
そう、思ったけれど、そうはいかなかった。
乱暴に肩を揺すられて、さすがに寝たふりは続けられない。
今起きたと言わんばかりに、目をさすって、私は目を開けた。
一人は、夕方会った時に見たオリバー君十二歳、そしてもう一人は、オリバー君を大きくして凛々しくした感じの青年だ。恐らく十八歳の長男だろう。
銀色の髪に、空色の瞳は、父親と同じ、そして私とも同じだった。
じっと見られているのがわかるから、何とも気まずくて、私は困ったように笑い誤魔化した。
「似てるな」
「やっぱり僕が言った通りだったでしょう、兄上」
上から見下ろされる形になっていて、いい加減首が疲れた私が正面を向くと、すっと膝をついたのは長男の方だった。
「君は何が目的だ?」
目的って何がだろうと首をかしげれば、小さなため息とともに話が始まった。
「君がここにきた目的だ。伯爵家特有の色を持つ君は、恐らく血縁者だろう。誰に命令されてここにきたんだ?目的はなんだ?金か、権力か、我が伯爵家を内部から壊すようにでも言われたのか?」
普通の四歳児にそんなことを言っても意味がわからないだろうということを、この長男はわからないらしい。
ため息を吐きたいのは私の方だけれど、そんなことができるわけがなく、曖昧に笑ってみる。
「兄上、この子意味が理解できてないんじゃない?」
ボソボソと兄弟で何やら話しながら、部屋を出ていく。
私は二人が来たことで目が覚めてしまい、お手洗いに行った。
部屋に戻ってもうひと眠りしようかと考えていれば、廊下で出会ったのは先程の長男だ。
「……小さいな」
長男はかなりの長身なようで、首が痛くなるほど見上げなければいけない。
「君は喋れないのか?」
「お話しできます」
「……さっきは喋らなかったから、もしかしてと思ったんだ」
答えにくい質問は笑って誤魔化すしかなかったし、口を挟む暇もなかったから黙ったままだっただけである。
シーンと沈黙が流れて、気まずくなった私はどうしたの? と言うように首を傾げてみる。
「君の母親はどこにいる?」
「お母さんは家にいます。でもお母さんは、本当のお母さんじゃないです」
「本当の母親ではない?」
「家の前に赤ちゃんがいたって聞きました」
そうだ。私だっていきなりのカミングアウトに驚いたのだ。普通ならショックを受けるところだけど、前世の記憶が蘇ったばかりで、そっちのほうに驚いてショックを受ける暇もなかった。
「なるほど……育ての親がいるのか。生みの親のことは何か分からないのか?」
コクンと頷けば、何かを考えるように黙ってしまった長男。
まだ、眠気を感じる私は、そろそろ帰らないのかなと思っていたけれど帰る様子はなかった。
「名は何という?」
「トリーです」
「俺は、ブライアンだ」
長男はブライアンと頭の中にメモをする。
それからブライアン君は夜中にも関わらず帰るそぶりを見せず、私はあくびをかみ殺した。
「部屋に戻って眠っていいぞ」
その言葉に頷いて部屋に入ると、なぜか後ろからブライアン君もついてくる。
ブライアン君は何を言うわけでもなく、私をじっと見ていた。視線が気になって眠れない。そう思っていた私だけれど、さすが四歳児。すぐに眠ってしまった。
だから、ブライアン君が私の寝顔を見つめて、頬をツンツンと触っているとは夢にも思わない。




