二十九
周りに人がたくさんいるけれど、美女二人の喧嘩を誰も止めに入らないのは関わりたくないからだろう。
私も今すぐこの場を離れたい。
そう思って後ずさりしたのが悪かったのかもしれない。
「レオ様の運命の相手に私がなりたかったのに、あなたのせいよ!!」
深紅のドレスを着た女性が私をビシッと指さしてそう言って。
「皇子様はいつか出会うかもしれない運命の相手にしか心を預けられないと言って……キスさえしてくださらなかったわ」
水色のドレスを着た女性に泣きながらそう言われた私は、咄嗟に返す言葉が見つからなかった。
「ずっとずっと好きだったのに」
「私だって、運命の相手さえ現れなければ、結婚するはずだったのに」
「こんな子供じゃなくて私の方がレオ様にふさわしいわ」
そう言って私を見ながら泣き出した二人に、私はどうしようとオロオロするばかりだ。
私が現れなければ、結婚する人が決まっていたなんて話初めて聞いた。
しかも相手は私みたいな子供じゃない、大人の女の人だ。
レオナルド皇子の横に並んだら、美男美女でお似合いだと思う。
「あ」
今、レオナルド皇子の隣に自分以外の女性が並んでいるのが嫌だなと思った。
自分の感情に戸惑う私の視界の端に、慌ててこちらに来るレオナルド皇子が見えた。
その瞬間、私はレオナルド皇子に背を向けて走り出した。
広い会場内を人の間を縫うように進む。
とにかく今はこの場を離れたかった。
「ハァハァハァ……」
広い会場の端の方にきて、私は歩調を緩めた。
乱れた息を整えながら思う。
レオナルド皇子に合わせる顔がないと。
だってレオナルド皇子は私のことをずっと好きだと態度でも行動でも示してくれていたのに、私は戸惑ったり、曖昧に笑って誤魔化してばかりいたんだ。それなのにレオナルド皇子に、結婚するかもしれない女性がいたことや、夜這いを仕掛けられたなんてことを知って、それが嫌だなと思ったなんてそんなこと。
「言えない」
ポツリと呟いた言葉は小さくて誰にも聞こえていないと思っていたのに。
「何が言えないの?」
「え?」
驚いて振り向けば、肩で息をしながらそう言ったのはレオナルド皇子だ。
「ねぇ、トリー、さっきの令嬢たちに何か言われた?」
「……大したことではありません」
「じゃあなんで俺から逃げたの?」
あ、と思う。
レオナルド皇子はいつも私に対して物腰が柔らかくて優しいのに、今は怒ってる。
だから、思わず目を逸らしてしまったけれど、レオナルド皇子は、一歩間合いを詰めて、私の顔を覗き込む。
「俺のこと嫌になった?」
咄嗟に首を横に振る。
けれど、自分でも、さっき気づいたこの気持ちをどう言葉にすればいいのかわからないのだ。
レオナルド皇子の横に自分以外の人がいることをリアルに想像できてしまって、それが嫌だと思ったけれど、これがどういう種類の気持ちなのかを自分でもちゃんとわからない。そんな不確かな想いを告げていいのか私にはわからない。
悶々と考えている私と、切羽詰まった顔のレオナルド皇子、異様な雰囲気の二人が周囲から注目を浴びているとは二人そろって考えるのに夢中で気づかなかった。
何と言えばいいだろうかと考えながら、フッと顔を上げて、私はその時になってやっと周囲の視線に気づいた。
ここは会場の端で、人はまばらだったはずなのに、いつの間にか多くの人がこの場にいる。レオナルド皇子の護衛の人たちも、私の護衛の人もいるし、お母さんやお父さん、ポールお兄ちゃんとミシェル皇女まで近くに来てくれている。
そして心配そうにこちらを窺っているではないか。
レオナルド皇子は、周囲に気を取られている私の両肩に手を置いて、私の顔を覗き込んでいる。
「トリーやっぱりあの二人に何か言われたんでしょう?」
「いえ」
「じゃあ何で、俺を見てくれないの? いつもトリーはちゃんと目を見て話してくれるのに」
合わせる顔がないんだから仕方ないではないか。
とりあえずこの場を乗り切るのならいつもみたいに笑って誤魔化してこの場を乗り切ればいい。
そう思って笑おうとしたけれど、本当にそれでいいのだろうかとフッと思った。
レオナルド皇子は、いつも真っすぐだ。
出会った瞬間から、これまでもずっと私を好きだと言ってくれている。
それなら私も、笑って誤魔化すのではなく、自分の考えを言ってみようと思う。
「トリー、何があったのか教えてくれないか?」
「何もなかったわけではなくて、何かならあったんですけど、それは内面的なことなんです」
「え? 内面的?」
キョトンとするレオナルド皇子。
私はこの人と一生一緒にいたいとか、この人を愛しているかとか、そんなこと今はっきりと言えない。
「今、レオナルド皇子のことを愛していると言ってしまうと嘘になります」
「わかっている」
「でも、レオナルド皇子の隣に自分以外の女性が並んでいるのが嫌だなと思ったんです」
「え?」
なんだこれ。
ドキドキするのに、ソワソワする。
いつもなら笑って誤魔化してるから、こんなに落ち着かない気持ちになることはないのに、今は心が騒いで落ち着かない。
レオナルド皇子がどう思うのか気になる。
じっと見つめていれば最初驚いていたレオナルド皇子の表情がじわじわと明るくなっていく。
自分の想いを口にするって恥ずかしい。
でも、ずっと真っすぐに想いを言葉で、行動で、視線で、私に伝え続けてくれたレオナルド皇子に私は向き合いたいと思ったんだ。
それでも恥ずかしいから、畳みかけるように私は話す。
「それでですね、レオナルド皇子は、少しずつ育んでいく愛の形もあると思いますか?」
この言葉は四歳のあの日、結婚を渋るお母さんにお父さんが言った言葉だ。
ポールお兄ちゃんと二人で、ドアの隙間から覗き見をした時に聞いたこの言葉に、目の前の人がなんと答えるのか聞いてみたくなったのだ。
「もちろんだ、俺はトリーなしでは生きていけない。出会った瞬間から俺はトリーを愛してるんだ」
私を真っすぐに見て、堂々とそう言ったレオナルド皇子。
「トリー、俺とのこと前向きに考えてくれるってことでいいんだよね?」
コクンと頷けば、レオナルド皇子は、それはもう嬉しそうに笑った。
そして感極まって、私を抱きしめる。
嬉しそうなレオナルド皇子の腕の中で、私はこっそりと一人笑った。
私はお父さんとお母さんが、少しずつ愛を育んで、仲のいい夫婦になっていくのをずっと見ていた。だから、そういう愛の形もあると知っているから、きっと大丈夫と思えるんだ。
レオナルド皇子の腕の中から周囲を見れば、みんな微笑ましいといわんばかりの顔でこちらを見ている。
その時、私はフッとポールお兄ちゃんと目が合った。
私と目が合ったお兄ちゃんは、ハッとしてミシェル皇女に向き直った。
そして言った。
「ミシェル皇女、俺は君と同じだけの大きな愛を……今は返せない。けれど、君を愛し始めている。だから、少しずつ育んでいく愛でもいいだろうか?」
途端に、涙目になるミシェル皇女。
これまで、ポールお兄ちゃんに猛アタックしていたけど、ずっといい返事をもらえなかったミシェル皇女にしてみれば、泣くほど嬉しいことだったようだ。
そんな皇女の涙を指で拭いてあげるポールお兄ちゃんは、やっぱりモテ男の振る舞いを自然とできてしまうようだ。
我が兄ながら、いい男だなと思う。
「実の兄だとわかってはいるが、そんな顔で他の男を見ないでくれ」
レオナルド皇子のその言葉に、私は驚いた。
「トリーの前では余裕がなくなるんだ」
シュンとする皇子に、キュンとくるではないか。
その後もポールお兄ちゃんと視線が交わり、目で会話をする私たちを目ざとく見つける皇子と皇女が焼き餅を焼く姿がよく見られるようになるとか。




