二十五
それから、しばらくはレオナルド皇子と手紙のやり取りをしながら日々を過ごしていた。
ポールお兄ちゃんもミシェル皇女から手紙が届いているようだけれど、以前のように困った様子もなく、返事を返しているようだ。剣を交えた時以来、ミシェル皇女とポールお兄ちゃんの仲は急速に発展したように思う。あれだけ悩んでいたポールお兄ちゃんの表情が最近は明るくなった。
「ポールお兄ちゃん、嬉しそうだね」
「そうか?」
「うん、前は憂鬱そうな顔で手紙読んでたのに、今は嬉しそうだよ」
思わずニコニコと笑ってポールお兄ちゃんを眺めていれば、ポールお兄ちゃんは思いもよらぬことを言った。
「一緒にシャーロット帝国に遊びに行ってみないか?」
「シャーロット帝国に遊びに?」
「ミシェル皇女もレオナルド皇子も忙しいようで、なかなかこちらに来れないそうなんだ。それで、たまにはこちらから会いに行ってみるのもいいのではないかと思ってな」
確かにレオナルド皇子の手紙にも会いに行きたいけれど、仕事が忙しくて時間が作れないと書いてあった。いつも会いに来てもらってばかりだから、こちらから会いに行くという発想がなかった。
「でも、ポールお兄ちゃん仕事はいいの?」
騎士団長のポールお兄ちゃんが、これまで仕事を休んでいるところをあまり見たことがないのだ。
「有給休暇が溜まっていてな、下の者が取りにくくなるから上が率先して休むようにちょうど言われていたんだ。トリーはシャーロット帝国見てみたくないか?」
「行ってみたい」
帝国がどんなところか見てみたい。私はこの国から出たことがないから、他国の様子を見てみたいと思う。それに、レオナルド皇子が喜んでくれるかもしれないと思う気持ちも少しあった。
「それ、僕も一緒にいい?」
部屋に入ってきて一言目にそう言ったのは、オリバー兄さまだ。
「実はシャーロット帝国でいずれ商売をしたいと思っているから、前から見に行きたいと思ってたんだ」
それからは早かった。
お父さんもお母さんも、ポールお兄ちゃんが一緒なら心配ないとすぐに準備を進めてくれた。
みんな身の回りのことは自分でできるので、今回は三人で移動することになった。
だから、行こうと決めた三日後には出発することができた。
「行ってきます」
馬車の窓から顔を出して振り返れば、お母さんとお父さん仲良く手を振ってくれている。
今回の旅では、ポールお兄ちゃんが馬車の御者をしてくれて、馬車の中にはオリバー兄さまと二人だ。
シャーロット帝国には、馬で駆ければ三日で着くそうだけど、今回は街に寄ったりしながらのんびり行く予定だ。
そして、初めてシャーロット帝国に足を踏み入れて思った。
この国はとても栄えていると。
一番最初に立ち寄った街は特別大きな街ではないそうだけれど、活気に溢れていた。
自分が住んでいた国がいかに小さく、田舎かを知った瞬間でもあった。
「シャーロット帝国はすごいな」
活気にあふれる街を見てそう言ったオリバー兄さまに私も頷く。
「品揃えが全然違いますね」
野菜屋さんを覗けば、売っている品物の種類の多さに驚く。
「あ、うん。もちろんそれもなんだけど、道が綺麗なんだ」
「道ですか?」
「うん。道の端を見てごらん。ゴミが落ちていないし、歩きやすい。それに雨が降ったのに、ドロドロしていないんだ。多分水はけがいいんだと思う」
オリバー兄さまはすごいと思う。そんな視点で物事を見れるなんて、ただ綺麗好きなだけじゃない。
ポールお兄ちゃんは旅慣れていて、宿屋の手配などの細々したことを全部やってくれて、オリバー兄さまは目につくところはピカピカに磨いたりしていた。そんな中、私がやったことと言えば、馬車に乗っているだけだった。
そこで私は、街に寄ったときに言ってみた。
「ご飯は私が買ってくるよ」
「いや、俺が行こう」
「え、でも、たまには私も」
「トリーが持つには大変だ。ここでオリバーと待ってていいぞ」
ポンポンと私の頭を撫でたポールお兄ちゃんは、軽食が売っている屋台の方向へと歩いていった。
私だって買い物ぐらいはできるのだけれど、みんなの中で私はいつまで経っても子供の様で、小さい頃から扱いが変わらない。
「よし、今のうちに馬車の中を掃除しよう」
そう言って腕まくりをしたオリバー兄さま。
以前掃除の手伝いを申し出たけれど、オリバー兄さまの掃除へのこだわりは凄まじく、かえって邪魔になることを学んだ私は、そっと馬車を降りて、邪魔にならないようにするしかない。
「私、役に立ってない」
そんなことを呟きながらトボトボと歩いていると、後ろでガタンと大きな音がした。
それは馬車の方から聞こえてきた。
「オリバー兄さま?」
呼んでも返事がないことに首を傾げて、馬車の方に近寄れば、馬車の陰から人が出てきた。
「大変だ、人が倒れてるぞ」
馬車の中を指さすから、私はオリバー兄さまに何かあったのだと思って慌てて駆け寄った。
「オリバー兄さま、大丈夫で……えっ」
馬車の扉を開ければ、倒れているのは間違いなくオリバー兄さまだけれど、オリバー兄さまは一人ではなかった。オリバー兄さまの首に剣を突き付けている男がいる。
「黙って乗れ」
その言葉に、足が後ろに下がりそうになったけれど、後ろから背を押された。
「乗らないと、オリバー兄さまが殺されますよ」
「そんな」
どうしよう。
チラリと周りを見たけれど人はいない。
人の邪魔にならないような場所に馬車を止めたんだから、人がいなくて当たり前なのだけれど、思わず誰かいないかと探してしまう。
「早く乗ってください」
ドンと背を押されて、足を踏み出すしかなかった。
「トリー・ミドルトンだな?」
頷いていいものか迷ったけれど、オリバー兄さまの首元にあった剣がこちらを向いた瞬間、私は頷いた。
「騒ぐなよ」
どうやら相手は二人の様だ。
一人は馬車の御者をするようで、馬車の中には男が一人。そしてオリバー兄さまは縄で縛られ、足元に転がされている。そのまま馬車が動き出してもオリバー兄さまは気絶しているようで起きることはなかった。
窓の外が見えないようにカーテンが引かれてしまい、どこに向かっているのかすらわからない。
私は身を小さくして、ポールお兄ちゃんが早く気づいてくれますようにと祈ることしかできなかった。
それから、どれぐらい馬車を走らせたのだろうか。
もし殺すつもりなら最初に殺されていたはずだから、命の危険はないと思いたい。
とにかく落ち着くんだと自分に言い聞かせて、小さく深呼吸して、そっと男を見る。
この男は誰だろうかと顔を見ても知った顔ではなく、心当たりはない。
何かわかればと思ったけれど、男が口を開くことはなかった。
静かで居心地が悪い中、ただただ時間だけが過ぎていく。
そして不意に馬車が止まった。
「外に出ろ」
剣の先を向けられた私は、大人しく外に出る。
外に出れば、そこは森の中で、私にはここがどこかもわからなかった。
私にわかるのは、ポールお兄ちゃんと別れたのがちょうどお昼時で、今は夕方になっているという時間の経過だけだった。
「そっちの男は置いていけ」
馬車の中にいるオリバー兄さまは、縄で縛られたままだ。
一瞬オリバー兄さんが身動ぎした気がしたけれど、もしかしたら見間違いかもしれない。
黙ってその様子を見ていた私を、男が興味深そうに見ている。
「小娘のくせに、随分落ち着いているんだな」
「確かに、静かすぎますね」
そう言われた私がどんな顔をしていればいいのかわからず、誤魔化すように笑ってしまったのは長年の癖だろう。




