十九
王都で過ごすためのミドルトン家の屋敷は今、人口密度が高い。
なぜならば、レオナルド皇子とミシェル皇女が来ているからだ。
帝国の皇子様と皇女様が移動するのだから、もともと連れてきている護衛の他に、お世話をする侍女、従者、さらには騎士団からも護衛として騎士が来て警備にあたっているんだとか。
「ポール様」
ミシェル皇女はポールお兄ちゃんに一直線だ。
駆け寄るミシェル皇女に、表面上は穏やかに対応しているお兄ちゃん。
そしてレオナルド皇子はというと、紳士的なスマイルで、お父さんとお母さんと挨拶を交わしている。
「今日は突然の訪問すまない」
「いえ」
「どうしてもトリーと二人で話がしたくて」
ということで、応接室に移動して、私とレオナルド皇子二人きりになった。
二人きりと言っても、過保護なミドルトン家の要望により、扉は全開で、所々窓まで開けてある。少しでも嫌なことがあったら大声で叫ぶようにと、レオナルド皇子の前で言い聞かせていた兄さま達の言動が失礼に当たる気がしたけれど、レオナルド皇子は寛容だった。
「みんなトリーのことを大事にしてくれてるのだな」
そう言って逆に喜んでくれているから、私は何とも言えない気持ちになったのだった。
「今日はトリーに聞きたいことがあったんだ」
「何でしょうか?」
「トリーには好いた相手がいるようだが、その相手とは交際しているのか?」
「へ? 好いた相手ですか?」
驚く私の反応に、レオナルド皇子は妙な顔をしていた。
「……心に決めた相手がいると聞いたのだが」
「心に決めた相手はおりません」
「本当か?」
パアアっと顔が明るくなるレオナルド皇子に私は頷く。
「早とちりをしてしまったようですまない」
「いえ」
「トリーに好いた相手がいると聞いたら居ても立っても居られなくなってな」
困ったように笑う私を見て、レオナルド皇子は優しく目を細めて笑っていた。
「今まで生きてきて、こんなに余裕がなくなったのは初めてだ」
そう言ったレオナルド皇子の瞳に熱を感じた私は、思い切って質問してみることにした。
「本当に私が運命の相手なんですか?」
「絶対だ。俺にはわかる」
そう言い切ったレオナルド皇子に、迷いはなかった。
けれど、レオナルド皇子が確信をもっていたとしても、私には全く運命の相手だとかそういうことはわからないのだ。
「私にはレオナルド皇子が運命の相手とか、そういうことはわかりません」
「ああ。分かっている。そういうものなのだ」
「え? そういうものとは?」
「母は父が運命の相手だとわからなかったそうだ。どうやら運命の相手と自分はわかっても、相手はそう感じないようでな、皆相手を口説くのに必死になると、子供の頃から話には聞いていたんだ。俺はその話を半信半疑で聞いていたけど、トリーに出会って本当なんだとわかったよ」
私を見つめるレオナルド皇子は甘かった。
「今思えばトリーを初めて見た時から、ずっと気になっていたんだ」
「初めて見た時ですか?」
「トリーは気づかなかったと思うが、あの、人が大勢いるパーティー会場で、トリーを見つけた瞬間、俺はトリーからずっと目が離せなかったんだ。それでリンゴ鶏を渡してくれたあの時もそわそわと落ち着かなくて。あの後もずっとトリーが気になって、気になって、何をしていても、頭からトリーのことが離れなくなった」
こんなに真っすぐ見つめられて、こんなに真っすぐに想いを伝えられたことはない私はどうしていいかわからない。
「次に会った瞬間、俺の運命の人はトリーだとわかった。どうすれば俺を好きになってくれるだろうか、どうすればトリーと仲良くなれるだろうか、一瞬でいろんなことを考えた……はずだったのに、口から出たのは結婚してくれだ。驚いただろう?」
ええ、もちろん驚きましたとも。
突然帝国の皇子様にプロポーズされたのだから、驚きすぎた。
小さく頷く私に、レオナルド皇子はすまないと申し訳なそうに言って気遣ってくれた。
「順番は逆になってしまったのだが、俺はトリーのことを知りたい。そしてトリーに俺のことを知って欲しいと思っている」
グイグイ押してくるレオナルド皇子に曖昧に笑うしかない私。
その時、レオナルド皇子はシュンとした様子で私を伺い見て、自信なさげに言った。
「迷惑じゃないだろうか?」
そんな顔で聞かれたら、首を横にふることなんてできない。
小さく頷いた私に、レオナルド皇子は嬉しそうに笑った。
それからいろいろ話してレオナルド皇子はなんと二十四歳で、私より十歳も上だったことがわかった。
レオナルド皇子は、話し上手で聞き上手だった。
そして、なんだかふわっとした空気を醸し出すから、妙に落ち着く。
恋とか愛とか、そんな感情はないけれど、多分、この人の隣は居心地がいい。
好きだよと瞳で語る皇子に私は、好印象を抱く。
人間、好きだと言われると悪い気はしないのである。
けれど、結婚したいほど好きかと聞かれるとそれは違うとはっきり言える。
さすがに会って間もない相手に好きだと言われてもコロッとはいけない。
ただの十四歳なら、もしかしたら大国のかっこいい皇子様に告白されたらコロッといってしまうのかもしれないけど、精神年齢は十四歳ではない私は、素直に喜べない。
「トリーの苦手なものは?」
「苦い野菜は苦手です」
「俺も子供の頃は苦手だったな。他には何かある?」
「……修羅場が苦手です」
驚くレオナルド皇子に、しまったと思う。
話しやすいレオナルド皇子に、うっかり本音が駄々洩れになってしまった。
「いや、あの、修羅場とは、できれば遭遇したくないものですよね。そのドロドロした場面と言いますか、痴情のもつれなど、自分が当事者になるなんて嫌だな。なんて思って……」
笑って誤魔化す私に、レオナルド皇子は何も言わなかった。
聞かれたくない雰囲気を少しでも出せば、サッと話題を変えてくれたり、その小さな心遣いが心地よい。
そういえば、転生したことに気づいたのも、修羅場に遭遇した時だったなと思い出す。
今では仲良しの、嫁と姑の間柄のジェイドお母さんと、オリビア姉さまが、飛び蹴りしたり体当たりしたりしてたのだ。
「フハハ」
思い出し笑いをした私をレオナルド皇子が不思議そうに見ている。
「すみません。ちょっと思い出して」
「何をそんなに楽しそうな顔で思い出してたんだ?」
「今となっては笑い話なんですが」
そんな風に和やかな雰囲気で会話する私たちだったけれど、外から聞こえてくる喧騒に二人視線を合わせた。
「レオ様、大変です」
扉の外から聞こえてくる声に、何事だろうかと思っていたら、護衛の一人が慌てた様子で部屋の中に入ってきた。
「どうした?」
「奇襲を受け陛下がお倒れになったそうです」
「奇襲?」
「はい、すぐに国にお戻りください」
「詳細は道中に聞こう」
スッと立ち上がった皇子は、先程までの緩んだ顔とは違い、キリリした表情だった。
「トリー、残念だが行かねばならないようだ」
「はい、お気をつけて」
「もっとゆっくり話をしたかったのだが……風邪をひかないようにな」
「はい」
「健康には気を付けて過ごすのだぞ」
「はい」
「危ないことはしてはいけないぞ」
「はい、もちろんです」
私は小学生ではない。けれど、皇子は真面目な顔で私に言って聞かせている。
「知らぬ男にはついて行かないのだぞ」
「はい」
「いや、知っている男でも、ついて行ってはいけないぞ」
「はい」
「……トリーの兄たちがいれば余計な虫がつくことはないだろうが、心配だ」
心底心配そうなレオナルド皇子だけど、後ろで待っている護衛の人はそわそわしている。
「レオナルド皇子、私は異性に言い寄られたことなどありませんから、心配ありません。それよりも、そろそろ行かなければならない様子ですよ」
「……わかった。手紙を書く」
最後にそう言ったレオナルド皇子は、慌ただしく出て行った。