十三
私とジェイドお母さんは、大きな家の前でポカンと口を開けていた。
だって伯爵家の敷地内に狭い家があると聞いて見に来てみたら、とても大きな家が目の前にあるのだから。
「トリーにはこの家が小さく見えるかい?」
「ううん、大きいお家に見えるよ」
「こりゃあ……もしかしたら、場所を間違えたかもね」
でも、右を見ても左を見ても近くに他の家はない。
「ううん、青い屋根で、丸い窓が三つのお家だからここで合ってるよ」
ここは伯爵家の敷地内にマイクさんが余生を過ごすために建てた家らしい。
「マイクさん、お家小さいから大きくするって言ってなかった?」
「……今からマイクに確認しよう」
ジェイドお母さんと二人で来た道を引き返しながら私は、一カ月前を思い出す。
マイク・ミドルトンさんが父だとわかったあの日、私の人生は大きく変わった。
あの日、ジェイドお母さんとマイクさん、二人の話し合いは長い時間がかかった。
そもそもこの二人、お互い旅先で出会い、その街に滞在している間だけの関係だったらしい。付き合いも短く、お互いの素性を知らないまま別れたさっぱりとした関係の二人が、急に家族になろうというのは難しい話なのだ。
そんな関係だからジェイドお母さんはマイクさんと結婚する気はなかったようだけれど、マイクさんは違った。
「残りの人生を共に過ごしてほしい。そして共にトリーの成長を見守りたい」
そう言ったマイクさんに、黙ったままのお母さんは迷っていたように思う。
「嫌かい?」
「嫌ではない。だけど、マイクを愛しているかと聞かれたらわからない。そんな相手と結婚するなんておかしいだろう、そう思ったのさ」
「私は君のその素直なところをとても好ましく思っているよ」
「何言ってんだい? 愛しているかわからないと言ってるのに……」
「少しずつ育んでいく愛の形もあるとは思わないかい?」
そう言ってマイクさんがお母さんを見つめて、二人の顔が近づいた時、そっと目の前のドアが閉められた。
とてもいいところだったのに、ポールさんが覗いていたドアを閉めたのだ。
二人でドアの隙間から覗き見をしていたのに、子供には刺激が強いと思ったのかポールさんは私を抱えてその場を離れた。
「まあ、あの様子だと二人は心配なさそうだな」
「お母さんたち大丈夫?」
「親父、けっこう本気で口説きにかかってたから大丈夫だろう」
「……ポールお兄ちゃんは嫌じゃないの?」
「何がだ?」
「ジェイドお母さんがマイクさんと結婚したら、ジェイドお母さんがお母さんだよ」
ポールさんのお母さんはもう亡くなっているとはいえ、父親が再婚するのは嬉しいものではない気がするけれど。
「全然嫌じゃないぞ、可愛い妹ができるんだから大歓迎だ」
やっぱりモテ男のポールさんはいい人なのだ。
嬉しくてギュッと抱き着けば、優しく笑ってくれるから私は言った。
「ポールお兄ちゃん大好き」
「俺もトリーが大好きだぞ」
そんな私たちのやり取りを、こっそり見ていたのは伯爵様だ。
「トリーはポールのことを、お兄ちゃんと呼んでいるんだね」
「羨ましいだろう」
私を抱いたままそんなことを言うポールさん。
伯爵様が、私にお兄ちゃんと呼ばれたいなんてそんなことあり得ないと思っていたのに、伯爵様は言った。
「私のこともポールのように呼んで欲しい」
まさかのお兄ちゃんと呼ばれたい人だったのだ。
けれどさすがに、伯爵様を馴れ馴れしくお兄ちゃんと呼べない私は妥協案を出すことにした。
「アル兄さま?」
「……もう一度言ってくれるか?」
「アル兄さま?」
「非常に良いな」
深く頷くアル兄さまに、なぜか自慢気なのはポールお兄ちゃんだ。
そしてお兄ちゃんと呼ばれたい人がまだいた。
「本当は僕がお兄ちゃんと呼ばれるはずだったのに」
「そうだね、オリバーの気持ちは僕にもわかるよ。でもトリーから見たら僕らは甥だから……」
あれ?
いつの間にオリバー君とブライアン君が会話に加わったんだろう?
しかも、しゅんと落ち込んだ様子で私を見つめるオリバー君とブライアン君。
二人をお兄ちゃんと呼んでいいのだろうかと悩む私の前にさらにもう一人、呼び方にこだわる人がいた。
「旦那様がアル兄さまなら、わたくしはオリビア姉さまということかしら? フフフ」
困ったように笑う私に期待の瞳を向けるミドルトン家の人々。
そんなこんなで私には、兄や姉と呼ぶ人が増えたのだった。
呼び方と言えば、マイクさんは父なのだけれど、一カ月経った今でも、お父さんと呼べない。マイクさんは自分から父と呼んでとは言わないし、急にお父さんと呼んでいいか迷っていたらタイミングを逃してしまったのだ。
父と呼ぶきっかけがあればなと思いながら、マイクさんのいるであろう部屋までの道のりを進む。
「マイク入るよ」
と言いながらノックもせずにマイクさんの部屋に突撃するお母さん。
「二人で昼食後の散歩に出かけたのではなかったのかい?」
「行ったさ。マイクが小さい家だって言うから噂の家を見に行ってみたら、大きな家じゃないか」
「そんなことはない。あれは私が余生を過ごすために建てた小さな家だ。部屋の数も少ないし、いろいろ不便だと思うのだが」
「何言ってるのさ。十分大きな家だったよ、ね、トリー」
「うん、とても大きなお家だった」
コクコクと頷く私に、マイクさんは納得してないようだったけれど、お母さんが頑張って説得をしている。けれどなかなか折れないマイクさん。
「しかし、トリーが遊ぶ部屋もないし、子供は広々とした場所でのびのび育てなければ」
「伯爵家の敷地は広いじゃないか」
「まあそうだが……トリーはどう思う?」
「お庭も広いし、お家もとても大きかったです」
建て替えなんてしなくていいよとわかるように、さっき見た家を褒める私。
けれど、マイクさんは頑固だった。
「しかし、これからは今までの分、できることは全てやりたいのだ」
マイクさんは、お母さんが私を産んでいたことを知らなかったのだから仕方ないのに、今まで苦労させたことをとても気にしているらしい。
「マイク……今までのことは気にしなくていいと話したじゃないか」
知らなかったことを後悔してもどうしようもないのだけど、マイクさんは責任を感じているようで、なんだかしんみりした空気になった。
その時、私は今だと思う。
「お父さん、あのお家、窓が丸くて可愛くて好きです」
驚いて私を見るお父さんに、私は困ったように笑った。
「……お父さんと、そう呼んでくれるのか?」
コクンと頷けば、目尻の皺を深くして優しく笑うお父さん。
「良かったじゃないかマイク」
「ああ」
「マイクはトリーに父と呼んでもらえないの気にしてたのさ」
そう言って笑うお母さんに、お父さんは困ったように微笑んだ。
ああ、この表情はよく知っている。
アル兄さまの笑い方も私の笑い方も、お父さんそっくりなのだ。
結局、お父さんから見れば小さな、私とお母さんから見たら大きな家が私たち家族の住む家となった。
これから先どんな生活が待っているかわからないけど、お母さんとマイクさんと三人仲良く暮らしていけたらいいなと丸い窓から外を見ながら思うのだった。
やっと更新できました。
読んで下さった方ありがとうございます。