一
転生したことに気づいたのは~のタイトルでこれまでは短編を書いていましたが、短編にしては長くなりそうなので、四作目は連載作品です。
少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。
うわぁ。
お昼を食べようとした口を開けたまま私は、目の前の光景を見て動きが停止していた。
家の中で、まさかの修羅場に遭遇。
「ふざけんじゃないわよ」
「ふざけてるのはあなただ。突然人さまの家に上がり込んで」
「あら、あまりの狭さに犬小屋かと思ったわ」
「……そもそもあんた誰だ?」
うん。うん。私も同じことを思っていたところだった。
「わたくしのことを知らないですって、この泥棒猫。あなたがうちの人を誘惑したんでしょう」
「は?ちょっと表に出な」
「のぞむところよ」
いきなりドアを開けて入ってきた綺麗なおばさんと、私のお母さんの戦いが始まろうとしている中、私は思うのだ。あれ、こんな修羅場見たことあるぞと。
「あれ? 見たことあるはずないのに、なんで……って、え、え、ええええええ」
そうだ。
私は似たような修羅場に遭遇したことがあるじゃないか。
会社のロビーで、社長夫人とその不倫相手が似たような言い合いをしていたことを思い出す。
それがきっかけだった。
突然頭の中に、膨大な量の記憶の波が押し寄せてきた。
私は私だ。けれど今の私とは違う、地球の日本で生まれ育った私の記憶。
そう、あれは会社の受付の仕事をしているときのことだった。
社長夫人が、社長の不倫相手の秘書を出せと怒鳴り込んできたのだ。
女同士の殴り合いの喧嘩の迫力の凄さと言ったら今思い出しても怖かった。
いろいろゆっくり思い出して考えたいところだけど、今はお母さんの様子が気になる。
私は、小さな体を懸命に動かして、ドアを思いきり押した。
「よいしょ」
外に出てみれば、女同士の戦いが始まっていた。
両者とも髪が乱れている、お母さんは長い爪でつけられたであろう傷が顔にあった。
「この、やりやがったな」
助走をつけて走って繰り出したお母さんの飛び蹴りは鮮やかだった。
けれど、今は技に見とれている場合じゃない。
「お母さん」
「トリー家に入ってな、グフッ」
私のせいでよそ見をした母が、体当たりをして倒されてしまった。
打ち所が悪かったのか、目を開けない母に私は駆け寄ろうと懸命に足を動かす。
「お母さん、お母さん」
その時だ。
急に腕を掴まれたのは。
「あの人にそっくり」
あっと思う。
これは、こんな小さい子供に向ける目つきではない。
そう、私はまだ四歳なのだ。
どうしよう。
母が心配だけど身の危険を感じる。
大ピンチだ。
こういう時はどうすればいいんだろう。
せっかく思い出した前世の記憶に何かいいアイデアはないだろうか。
そう思って考えたけれど、いい案なんてなく、私は誤魔化すように笑った。
「……その、困ったときに笑う顔がまたそっくりだわ」
ドキッとした。
だって、目の前の女の人は、もう怒っていなかったから。
ただ、悲しそうに、愛おしそうに私の顔を見ていた。
「あなたの母親に伝えて、二度とうちの人の前に顔出さないでって」
「聞こえてるよ。あいたたた」
後ろを振り返ると、お母さんはちょうど起き上がろうとしていたところだった。
「ちょっと待ちな」
「何よ?」
「悪いけど、あんたのご主人?私は知らないわよ」
「はぁ? こんなにあの人にそっくりな顔した子供がいて、しらをきる気?」
「だから、そこがまず誤解だ。この子は私の子じゃない」
「……え?」
驚いたのは、殴り込みにきたおばさんと、私だった。
だって、私はお母さんを、お母さんだと思っていたから。
まだたった四歳だけど、物心ついたときには私はお母さんといた。
「朝起きたら、家の前に赤ん坊がいたんだよ。それがその子」
まさかの展開に、ただただ驚くだけだ。
「父親がわかってるんだったら、連れて行ってくれ」
「え、何を言ってるの」
「あんたが言った通り、ここは犬小屋みたいな家で、その日食べるのもやっとだ」
「それは、その、突然来て失礼なことを言ったことは謝るわ」
「別にいいさ、今年は冬を越すのも厳しいと思ってたとこだ」
確かに、隙間風が入るこの小さな家は、真冬になると凍死するのではないかと思うほど寒い。そして、お母さんはいつも私に少ない食料を分け与えてくれた。私がいるから満足に働けない日もあっただろうし、私がいるからしなくていい苦労をしただろう。
血がつながった本当のお母さんだと思っていた私は、ただただ甘えて、与えられるだけだった。
「私は別にトリーを追い出そうと思ってるわけじゃない。でも父親がいるのなら一度会ってきな。それで一緒には暮らせないと思ったら戻ってきな」
「お母さん」
「行ってきな、トリー」
そう、二人で話がまとまったところで、この場にいるもう一人の人物が声をあげた。
「私がこの子を連れて帰ること決定みたいな話をするのね」
「あんたがここにきたのも運命さ」
「まあ、連れて帰るつもりだったからいいのだけれど」
「この機会にあんたも旦那ときちんと話をつけるといいさ」
「……そうね、今更だけど私は、オリビア・ミドルトンよ」
そう言って、綺麗な服を女の戦いで汚した女性は、美しいお辞儀をした。
「ミドルトン……まさか、あのミドルトンかい?」
「伯爵家のミドルトンよ」
「……あんた伯爵夫人だったのかい」
「こんなのでも一応はそうなの」
「思ったよりも大物じゃないか。私はジェイドだ」
「ジェイドね、今回のことは早とちりで本当に申し訳ないことをしました」
「いいさ、あんた、思ったより根性があるし、気に入ったさ」
お母さんとオリビアさんは最後は笑いあいながら話していた。
お母さんと話し終わったオリビアさんは服が汚れるのも気にせずに私の前に膝を突いた。
「お名前は?」
「トリーです」
「トリーにはまだ難しい話だとは思うけれど、聞いてちょうだい。あなたから見るとおじいさまにあたる方が、六十五歳になって遺言状を作成することになったの」
「遺言状……」
「そう、遺言状で自分が亡くなった後に財産をどうするかを決めておくのよ。まだまだお元気だけど、貴族にはある一定の年齢になったら魔法契約で遺言状を作成する義務があるの」
「魔法契約」
「わたくしも詳しいことはわからないけれど。とにかく、今、そのおじいさまの財産を狙って、ミドルトンの血筋だと言い張る自称ミドルトンがたくさん出てきたのよ」
「自称ミドルトン」
「そうなのよ。それでその自称ミドルトンを、本当に我が家の血筋の者か調べていたのだけれど、ほとんどが偽物。しかも次から次へと湧いてくるから、数が多すぎて疲労困憊でね。それでミドルトン家の血筋の者を血が濃い順に探すことにしたら、トリー、あなたに行きついたの」
魔法契約ということはこの世界には魔法があるんだろうか、いろんな疑問があるけれど、一番の疑問がある。
「私はミドルトンですか?」
「ええ、間違いなくあなたはミドルトンの血が流れてるわ。探索が得意な魔法使いにミドルトンの血筋の者を探させたの。それにあなたのその空色の瞳も、汚れて今はわかりにくいかもしれないけど、髪は恐らく綺麗な銀髪をしているはずよ」
私の髪の色はくすんだ灰色だけれど、確かに洗ったら銀に見えるかもしれない。
「トリーを頼んだよ」
「ええ」
私は、お母さんに手を振って、オリビアさんに遅れないように足を進める。