公爵令嬢、痴話喧嘩に巻き込まれてこの世を去る?
「ギデオンさま!私を裏切るのですかっ?!」
そう言ってギデオンさまの婚約者候補となったリシェールさまは、愛らしい筈の顔を怒りで歪めピンクブロンドの美しい髪を振り乱しながら叫んだ。
王宮の廊下、人の往来も少ない王家の居住区内でそれは起きた。
王太子ギデオンさまの背後に隠れながら、元婚約者である私アンティエーヌ・マクレガーはこの修羅場に頭を抱えていた。
「ギデオンさまは私を選んでくださったのに、何故その女が貴方さまの隣りに居るのです?!」
誤解です!・・・と叫びたいが、頭に血が上った人間にこう言って落ち着かせる自信がない。
人目が少ないとは言え、これだけ怒鳴れば宮仕えの皆さんが何事かと慌てて駆け寄ってくる。
事の始まりは10年前。
2つ年上のアルシアン王国王太子ギデオンさまと婚約を結んだのは6歳の時だ。
理由は単純。
筆頭公爵家マクレガーの娘が王子と年頃が合っていただけの事。
可もなく不可もなく、互いに支え合うつもりでいた。
だが、私が学園に入った15歳の時、同じ歳の平民出身のリシェールさまに心奪われたギデオンさまは婚約解消を願い出た。
リシェールさまは珍しい癒しの加護持ちだった。
この国で加護を持つ者は貴重だ。
それ故、王家は彼女を聖女として迎え、喜んでリシェールさまを国母候補にするだろう。
そう思った私は彼の申し出を了承し、王家も彼女を王太子妃にすべく伯爵家へ養女の打診をしていた。
しかし、半年経っても手続きが進まず、未だリシェールさまは婚約者候補であって正式な婚約者ではなかった。
痺れを切らしたリシェールさまは王宮に乗り込み王家に直談判、とやって来たところで王太子さまと私が一緒に廊下を歩いていた姿を目に留めてしまったのだった。
王宮図書館に来た帰りに、国務相である父の元を訪ね一緒に帰宅しようとしたのが不味かった。
侍女と共に宮内を歩いていると、後ろから王太子さまに呼び止められたのだ。
今回の婚約解消についてご自身が言い出したこととはいえ、ギデオンさまは酷く申し訳なさそうだった。
私に瑕疵が無いよう、方々に根回しをしているようだと父も言っていた。
そんな気遣いの出来る彼の声を無視することは出来なかった。
だが、今、こうして金切り声を上げるリシェールさまを前に、やはり無視をするべきだったと強く後悔している。
「落ち着くんだ、リシェール!ティーネとは廊下ですれ違っただけだ。君が心配するような事など何も無い!」
ああ殿下、それ、火に油を注ぐやつですよ・・・。
「ティーネですって?!?その女をまだ愛称で呼ぶの?!」
ほら言わんこっちゃない。
怒った女に迂闊な言葉は気を付けないと、刺されますよ?
こういうのを痴話喧嘩と言うのでしょう?
私、ただ流れ弾に当たっただけの不幸な通行人その一ですよね?
ひとり心の中で巻き込まれた自分に同情していると、ギデオンさまは下がるようにと背後の私にちらっと視線を向け、意図を汲んだ私は頷き返した。
その様子が気に入らなかったのか、リシェールさまは更に激昂した。
「ふたり目配せするなんて、一体どういう事っ?!私という者がありながら・・・」
嫉妬に狂った女は怖い。
私はギデオンさまの背後からそおっと距離を取ろうと後退った。
「待ちなさい!貴女とはまだ話が済んでいないわ!」
「いい加減にするんだ、リシェール!」
掴みかかる勢いで迫って来たリシェールさまの前に立ちはだかると、ギデオンさまは早く行きなさいと私を促した。
方向転換してこの場を去ろうとした時、リシェールさまの視線がギデオンさまの脇に立つ護衛騎士に向けられている事に違和感を感じた。
ギデオンさまの護衛騎士はリシェールさまと殿下の間に割って入り、最早混戦状態だ。
だが、一瞬鈍く光る何かが見えた。
もしや・・・?!
「殿下・・・」
私に視線を向けるギデオンさまに声をかけようとしたその時、なんとリシェールさまは騎士の剣を引き抜いてギデオンさまに襲いかかっていた。
「危ないっ!!」
力いっぱいギデオンさまを突き飛ばすと、リシェールさまの振り下ろした剣先は、彼の居なくなった場所に飛び込んだ私の胸に強烈な痛みと共に突き刺さった。
驚きと恐怖と激痛で声が出ない。
このまま死んでしまうの・・・?
「ティーネっ!!!」
ギデオンさまの悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。
剣を受けた胸から温かいものが流れ出る。
「ティーネ!ティーネ!しっかりしろ!!」
仰向けになる私に覆いかぶさるギデオンさまの泣き顔が見える。
ギデオンさまは無事ね?
そう思った私は、少しほっとして眼を閉じた。
何故、こんな事になったのだろう?
殿下もリシェールさまも相思相愛だった筈。
なのに、痴話喧嘩に巻き込まれた挙句、刺されて死ぬって、これって無駄死にってこと?
そんな運命ってありなの?
お二人の為、国の為に婚約解消まで受け入れたというのに、何か間違った行動が私にあったというの?
こんなことなら、絶対に二人に関わらなかったのに・・・!
もし、戻れるなら、二度とふたりには関わらない!!
その時、私の体から光が溢れだし輪となって回り出した事など、心の中で叫ぶ私は知る由も無かった。
時計の針が時を刻む音が聞こえたのを最後に、私の意識は暗闇に吸い込まれていった。