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数学と音楽

作者: 宮藤 隆

数学と音楽。一見なんの関係もなさそうであるが、少し調べれば切っても切れない関係である事がおわかりになるだろう。ドレミファの音階を発明したのがピタゴラスである事はあまりにも有名である。


「すぐれた演奏には感情など入り込む余地はない。それは未熟な者の単なる甘えである。すべての音楽は数式化する事ができる。それを己の肉体の限界まで突き詰め、正確無比に演奏してこそ真の芸術家たりうるのである」


これが著名な数学博士であり、超絶技巧を誇るピアニストでもあるマツウラ氏の信条であった。しかし、これに噛みついたのがクラッシック界の重鎮であるギュンダー氏である。


「感情を伴わない演奏には何の価値もない。超絶技巧などともてはやされているが、工事現場の機械となんら変わりはない。地面を貫くやかましいドリルの音にいったい誰が感動するだろうか。わたしにとって彼の演奏はただの騒音でしかない」


そう言ってマツウラ氏の演奏を酷評した。この業界におけるギュンダー氏の影響力は絶大であり、マツウラ氏の評価は瞬く間に地に墜ちた。マツウラ氏は失意のうちに表舞台から姿を消した。


しかし月日が流れると若年層を中心にマツウラ氏を再評価する動きが出てきた。若者は権威主義には迎合せず、ただ純粋にマツウラ氏の超絶技巧に憧れたのである。そんな折にマツウラ氏が復活のコンサートを開く事を発表したのだった。


チケットは瞬く間に完売した。だが、公演間近になって事件が起こった。マツウラ氏に脅迫状が届いたのである。


「コンサートを中止しろ。さもなければ会場を爆破する。もし強行されれば数千人の命が奪われることになるだろう」


マツウラ氏はこれをギュンダー氏の仕業と決めつけた。自らが葬り去ったと考えていた者がまた脚光を浴びるのを快く思っていないのだと。老害の嫉妬は見苦しいと嘲った。だがギュンダー氏はマツウラ氏の挑発を受け、ならば当日は最前列で拝聴させてもらうと堂々と宣言したのである。


公演前日、会場には警官がつめかけ、重苦しい雰囲気に包まれていた。持ち込まれる機材には入念にチェックがなされた。すべての搬入が終わると責任者は何か異常がなかったかを担当者にたずねた。すると担当者は申し訳なさそうにひとつだけ検査できなかったものがあると答えた。それはマツウラ氏のビアノである。マツウラ氏はピアノを検査される事を断固として拒んだという。


音楽家が自分の大事な楽器に触れられたくないのは当然であるとも言える。だが何事も疑ってかかるのが警察の仕事である。急遽マツウラ氏の身辺調査が行われる事になった。


コンサート当日を迎えた。物々しい雰囲気ではあったものの、会場には多くの人々が詰めかけた。この手の爆破予告はよくあることなので、誰も本気にはしていなかった。


その頃、警察の捜査はすすみ、マツウラ氏が代表をつとめる音楽事務所から不審な金の動きがあることがわかった。平和興業なる会社に何度も多額の送金がなされていたのである。


この平和興業の代表者は馬飼野といって、かって学生運動の過激派に属し逮捕歴のある男であった。またこの男はマツウラ氏と同じ大学の出身であった。


警察は馬飼野の身柄を拘束し、マツウラ氏との関係を問い詰めるとあっさり白状した。馬飼野は旧知のマツウラ氏からブラスチック爆弾の入手を依頼されたのである。その用途については知らされていなかったが、ニュースで爆破予告の事を知りマツウラ氏を脅すことを思いついたのだという。


ついにマツウラ氏に逮捕状が出された。だが、コンサートはすでにはじまっており、下手に手出しをすることが出来ない。警察はマツウラ氏に何か不審な動きがあればいつでも飛び出せるよう舞台の袖から固唾を飲んで見守っていた。


いっぼう、観客は爆弾騒ぎなど忘れてマツウラ氏の演奏に聞き入っていた。演目は「創造と破壊」マツウラ氏の楽曲のなかでも超絶技巧を要する一番の難曲である。鍵盤に向かうマツウラ氏の表情には鬼気迫るものがあった。


演奏はついにクライマックスを迎えた。マツウラ氏が最後に鍵盤を叩き終えると一瞬の静寂ののち、会場に凄まじい爆音が鳴り響いた・・・。


それは爆弾の爆発音を思わせるかのような観客の拍手の嵐であった。観客はみな立ち上がっている。その最前列に感動の涙を浮かべるギュンダー氏の姿があった。マツウラ氏は観客に深々と頭を下げた。


興奮覚めやらぬなか幕がおりるとすぐさま警察はマツウラ氏を拘束した。マツウラ氏は容疑を認めた。ビアノからはプラスチック爆弾がみつかった。


警察の聴取によりわかった事実は次の通りである。


ギュンダー氏に糾弾され失意の日々を過ごしていたマツウラ氏は復権を賭け、究極の演奏方法を思いついた。それはまさに「創造と破壊」であった。自らが完璧だと考える演奏を数式化し、プログラミングする。その通りの演奏がなされれば起爆装置が作動し、ビアノに取りつけた爆弾が爆発する仕組みである。命を賭けて一世一代の演奏を披露するのである。至高の演奏が出来るならば命など惜しくはなかった。観客を巻き添えにすることも厭わなかった。


ギュンダー氏は後にこのように語っている。


「彼とは思想を異にするが、あの日の演奏が心を揺さぶられるものであった事は認めざるを得ない。それは生身の人間に出来うる最上のパフォーマンスであったと言える。終盤においてわずかに運指に乱れがあったが、そんなことは些細な問題にすぎない」


なぜ爆弾が爆発しなかったかについてはマツウラ氏が多くを語らない為、推測の域を出ないが、演奏に聞き入ってくれる観客に心を打たれ、完璧な演奏をする野望を棄て、多くの観客を巻き添えにしない為にわざと運指を乱したのではないかと言われている。



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