カツアゲ君
「──へえ、今日は刑事さんが学校に来たんだね」
いつもとは違って〝よそ行き〟と書かれた白Tシャツを着た不破が、驚きもせず、とくに声色も変えずに声を上げた。当然、いつも通り仮面もかぶっていたから、これでもかというほど、周りの注目を集めている。
俺たちは駄菓子屋を出て、徒歩で冬浜市内へとやってきていた。俺が普段住んでいるところからほんの少しだけ足を運んだだけなのに、こんなにも人の数が違うなんて、と毎回ここへ来るたびに思ってしまう。そして、それだけに普段よりも不破の格好を変だと思ってしまう。
「……いや、それよりもせめて仮面は外せよ」
「だめだめ。この仮面はいわば、スマホの保護フィルムみたいな感じだから」
「意味が分からないんですけど?」
「キミたちを私の顔面から守っているということだよ」
「なおさら意味わかんねえよ。目を見たら石化するとか、そういう感じのやつか?」
「おや、良くその逸話を知っているね」
「知ってるも何も、これ神話だし」
「へえ、そうなんだ?」
「で、結局どうなるんだよ、おまえの目を見たら」
「私の目をっていうか、私の顔を見れば、そのあまりの美しさに心奪われちゃうからね。ある意味では石化するみたいな感じになっちゃうんじゃないかな?」
「ずいぶん自信満々な顔なんだな」
「自信満々というか、事実だからね。謙遜しないってだけだよ」
「……それよりも、俺が話したかったのは、そういうのじゃなくて……」
「おや、キミから振ってきたんじゃないか、この話」
「おまえが色々と横道にずらしてくるから、それに付き合ってただけだろ」
「そうだっけ? まあ、いいや。それよりもなんだい? 本題って」
「名乗りのことだよ」
「名乗り……?」
「今日刑事が俺の学校に来たって話ししただろ?」
「したね」
「そのことについてだよ。……あのおっさん、確信とまではいかなかったけど、随分〝能力〟については疑ってきていた」
「おそらく長年の刑事の勘とかいうやつだろうね」
「ああ。いまはまだ大丈夫だけど、おそらく俺がこのまま活動を続けていれば、間違いなくまた因縁をつけられる」
「だろうね。しかも今回が初犯なんでしょ?」
「初犯言うな。俺のはただの正当防衛だ」
「過剰じゃない?」
「……それはまた別の問題だろ」
「気にしてるんだ?」
茶化すように、見透かされるように、不破が俺の心をえぐって来る。そりゃ、昨日までは特に何も思わなかったけど、後になって、今になって、罪悪感というものがムクムクと湧いてきているのは確かだ。だから、人助けをしよう。……なんてことにもなっているのかもしれないが。
「気にしてない」
しかし俺は、なぜかこれ以上会話のイニチアチブを握られるのが癪だったため、あえて嘘をついた。せめて俺についてあれこれ考えを巡らせて自滅するがいい。不破よ。
「そっかぁ。私に嘘をついちゃうほど追い詰められてるのかぁ」
「ぐぬ!? そ、そんなわけないだろうが!」
「そうかい? 少年がそう言うのなら信じてあげよう」
「と、とにかく、これ以上はバレるのはまずって話だ」
「そうかな? どのみち、バレてもバレなくても、キミをさばけるような法律は、この世界にはないんでしょ? それに、過剰とはいえ防衛は防衛。少年がそこまで気に病む必要はないと思うけどなあ」
「必要はないけど、気にはなるだろ。人間なんだし。それに中塚のやつが万が一死んでもしたら……」
「まあ、今更くよくよしても仕方がないさ。時間は不可逆なんだし、少年は少年なんだし、今を生きようよ」
「変にまとめるなよ。とにかく、バレても大丈夫とかそういうのじゃなしに、俺が言っているのはリスクヘッジについてだよ。こういうのは極力減らしたほうがいい」
「そうはいっても、能力を使う場面での少年は姿が変わるわけなんだし、そこまで過敏になる必要はないんじゃない?」
「いやいや、あるだろ。とっておきのやばいものが」
「ありゃ、そうだっけ?」
「変身時の名乗りだよ!」
「ああ~、あったね、そういうの」
「何忘れてんだよ。というか、やばいだろ、変身するたびに、能力を使うたびに大声で『ジャスティス・カケル』って叫ぶなんて。もう自己紹介してるじゃん。私はカケルですって」
「でも、決闘時に名を名乗るのは礼儀でしょ?」
「あのなぁ……」
「まあ、冗談はさておき、その名乗りで出てくる個人情報って、〝カケル〟だけなんでしょ? そんなので特定されないと思うけどな。この世界でも、特段珍しい名前じゃないんでしょ?」
「それはそうだけど……それでも、何かしらの要因が重なって、俺のことを浮かべた時点でアウトだろ。実際、石野をはじめ、あの刑事にも俺の名前が割れてるし、俺が何らかの力を使うことも知ってる」
「うーん、まあ、少年がそこまで気にするんだったら、変えてみる? 名前?」
「え、いいの? そんなSNSのハンドル名みたいにコロコロ変える事出来るの?」
「できるさ。要するに、少年が羞恥を感じるような名乗りであればいいんだよ」
「……なあ、そのメカニズムについてよくわからないんだけど。なんで俺が恥ずかしいと思わないと変身できないんだよ」
「それはほら、〝恥ずかしい〟という感情はより純粋な感情だからだよ。そこに欺瞞を挟む余地も、偽証を生む余地も、建前を並べる余地もないからさ。純粋な感情だから、より強く心に介在できる。その状態で強く変身したいと願えば、体もそれに応えてくれる……というわけさ」
「……それ、つまり俺が今の名乗りに……恥ずかしさに慣れたら、使えなくなるって事か?」
「そうだね」
「なんて非効率的なんだ」
「しょうがないさ。こればっかりは、電子機器類の電源ボタンをオンオフするのとはわけが違う。それになにより、キミは純粋な能力を持った者じゃないからね」
「ままならないな」
「全くだね。でも、さっき言った通り、名乗りは変えることが出来る。少年が羞恥を覚えられる範囲で。ちなみに私のほうからはこれと言って、とくに思いつかないけど、少年からは何か代替案は無いかい?」
「そうは言われてもな……そうだ、ちょうど俺の名前も〝カケル〟だから、デスKを名乗るのは……」
「私の話聞いてたかい? 自分がカッコイイと思っている単語を使ってどうするのさ」
「あー……えーっと……じゃあ……」
「ヤレヤレ。思いつかないみたいだし。当分は〝ジャスティス・カケル〟だね」
「だ、ダサすぎる……」
「何言ってんだ。ダサいのがいいんじゃないか。──さて、ここらへんだね」
そう不破に言われ、周りを見回してみる。気が付くとそこは、薄暗い路地裏だった。青いポリバケツが無造作に置かれており、建物と建物の間隔が近く、近くに中華料理屋でもあるのか、鼻を刺激するような香辛料の匂いと、独特の油の匂いが風に乗って匂ってくる。
「……ここにカツアゲ君とやらが現れるのか?」
「みたいだね。私の手元にある情報では、よくこのあたりに出没するらしい」
どうやらカツアゲをする人は、カツアゲ君に決定らしい。
「ていうか、今日平日なんだけど、それでも出没するのか?」
「今日ダメだったらまた来ればいいさ」
「んな適当な……」
「そうはいってもとりわけ、今日中に手柄を立てないとダメ、というわけでもないでしょ? なら適当でいいんだよ、こういうのは。もっと言うと、カツアゲなんて起きないほうがいい」
「それはそうだけど」
「とりあえず、いつ何が起きてもいいように変身しといたほうがいいんじゃない? ……まあ、べつにわざわざカツアゲ君の前で名を名乗りたいというのなら別だけど」
「……それもそうだな」
都合のいいことに、ここは路地裏。人通りが少ないから目撃されることはまずないだろう。……まあ、結構建物が密集してるから声は響きそうだけど。
俺は昨日と同じように、右手を天にかざし、左手を小脇で握りしめ……止まった。
「……な、なあ、本当に昨日みたいに全身が熱くなったり痛くなったりはしないんだよな?」
「そのはずだね。ただ、私が危惧しているのはもっと別のことだけどね」
「別のこと?」
「いや、いまはいいや。とりあえず、さっさと変身しちゃいなよ。冷めないうちに」
「なにが冷めるっていうんだ……」
俺は気を取り直して、もう一度、拳を握りなおすと「へ~んしん! ジャスティス・カケル!」と大声を出した。俺の声がやまびこの如くビル間に反響する。
普通、魔法少女ものなら、ここで可愛らしい音楽や、ピカピカ光る背景を背に着替えシーンに入るのだが、俺のは実に味気なかった。
時間にしてコンマ数秒。
いつの間にか俺の顔面には仮面があって、いつの間にか俺の首からは十字架のネックレスがぶら下がっていて、いつの間にか黒いロングコートを羽織っていた。
「いやあ、いつ見てもダサいね」
不破が忌憚のない意見を俺に浴びせてくる。俺は俺なりに、この格好はカッコイイと思っているのだが、ほかの人間はそうは思っていないのだろうか、と考えたが……。
「その格好してるヤツには言われたくないわ」
白いTシャツに色落ちしたデニムを穿いたやつには言われたくない。
「とはいえ、これで準備は完了したわけだ。あとは待とうじゃないか」
「随分悠長だな。こういうのって、足で稼ぐんじゃないのか? 必ずしもここでカツアゲが行われるわけでもないだろ──」
『うひゃあ!? ななな、なんですか、あなたたちは!?』
突如ビル間に男の声が響く。どうやらそこまで遠くはないようだ。
まさかこんなにタイミングよくカツアゲ君が現れるとは……もしかして不破の仕込みなのか? と思って、不破の顔を見てみるが、仮面をかぶっているからよくわからない。ただ、仕込みであって仕込みでなかったとしても、俺がやることは変わらない。
「不破、今の声、どこから聞こえた?」
「少年の後ろのほうだね」
ビッと俺の背後を指さす不破。その指示に迷いはなかった。どうやら耳はいいようだ。
俺はくるりと身をひるがえすと、そのまま不破が指さしたほうに向かって走り出した。