05
半年に一度、家族全員が集まる日。
今までは、叶いもしない希望を抱いては失望を繰り返してきたその日が、他の姉達と同じように、毎年指折り数えて待つほど楽しみになった。
そうして毎年必ずヘルミナのもとへ帰ってきてくれるようになったカイルとの交流は、彼と出会って四年、ヘルミナが十四になる時まで続いた。
「久しぶり、ヘルミナ」
「カイルにいさま!」
「おお、よしよし。また背が伸びたね」
「ええ、にいさま! ヘルミナは成長しました」
ヘルミナがカイルの迎えに玄関前で待っていると母が不機嫌になったから、本邸に戻った時はいつもカイルのほうから顔を見せにきてくれた。勝手知ったる様子で部屋に入ってきたカイルに、ヘルミナは表情をぱっと明るくするとその腕に飛び込んでいく。あまり体が強くないとはいっても、カイルも既に立派な二十一の青年だった。ヘルミナ一人を受け止めることくらいは造作もないことで、しっかりと腰を掴まれて頬を寄せられる。目を閉じてヘルミナの頬に口付けるカイルの髪の感触に、ヘルミナはくすぐったく笑った。
カイルがヘルミナと仲良くすることに対し、相変わらず母は良い顔をしなかったが、カイルは母を無視してヘルミナを構った。それは家の中での地位と序列を考えれば本来ならばあり得ないことではあったが、いつまで経っても傲慢な少女の気分が抜けきらない母も、カイルにだけはやはり強く出られないらしい。ヘルミナはカイルの関心を得る代わりに母から徹底的に存在を無視されることとなったが、聡いカイルが彼のいない間もヘルミナが不遇に陥ることがないようにと色々と手回しをしてくれていたらしく、家長に嫌われたヘルミナの扱いは以前のままだった。
見目麗しく優秀な兄弟達の中でも、カイルは一等賢く美しかった。
長子のアゼルの飛び抜けた美貌と優秀さは誰もが暗黙のうちに了解するところではあったが、少なくとも、ヘルミナの目にはカイルが一等美しく映った。カイルのどこか中性的な美しさは年を経るごとにも損なわれることはなく、どころか儚げな美しさを保ったままの青年の姿は、社交界に出れば途端に華となるだろう端正さだった。
そのように順調に成長を続けて、他の家族を良く思わない他の兄弟達や姉妹からも羨望と嫉妬の眼差しを向けられるようになっても、カイルはヘルミナにばかり構った。そうしてヘルミナもまた、兄弟達の中で一等聡明な兄に可愛がってもらえることが嬉しかった。どうしてカイルが、他の姉妹達の中でも器量良しとは言えないとろいヘルミナのことを傍に置いていたのかは分からなかったが、それでも望まれる限りは精一杯彼の良い妹であろうと思った。カイルはヘルミナの誇りで、心の拠り所で、カイルがいない間も、彼の存在がなければヘルミナの家の中で息をしていることすら誰からも気づいてもらえなかったことだろう。
「ボクの小鳥。ボクが傍にいない間に、何か変わりはなかったかい」
造形の端正さが際立つ無表情から、低く落ち着いた声が囁かれる。カイルはいつも、久しぶりに会ったヘルミナにまずそのように言葉をかけた。それに対して、ヘルミナは彼の傍から離されていた半年間の寂しさを息せき切って語るのだが、十四となったこの年は僅かに言い淀んだ。その些細な躊躇いを、聡いカイルは見逃さなかったらしい。
「何かあったんだね。いじめられた? また双子かな。お仕置きしてあげようね」
「ち、違います! あの二人が意地悪なのは、いつものことです!」
「まあ、それはそうだ。だが、それはつまり、おまえはいつも双子から意地悪をされているということだね? 手紙にはそんなこと書いてはいなかったけれど。おまえは良い子だが、この兄を心配させまいと隠し事をする。ボクには何も隠してはならないと言っているのに」
「そ、それは、にいさま……だって、ただでさえにいさまにはご迷惑を……」
あわあわと顔を背けると、不機嫌そうに目を眇めて見据えられ、結局いつもヘルミナは小さな声で敗北を認めて謝ることになる。
ヘルミナは、カイルさえいればよかった。ヘルミナのことを気遣ってくれるのはカイルだけだ。だが、ヘルミナもそこまで鈍くはない。カイルが自分のいない間も、どうやってか本邸に手を回してヘルミナのために尽くしてくれていることを薄々と察していれば、彼に自分の現状が筒抜けであることも分かったが、それでもこれ以上余計な気苦労をかけたくはなかった。
ヘルミナがすっかり萎縮しきって縮こまると、カイルもそれで黙っていたことは許してくれたようだったが、ヘルミナが隠しておきたいと思っているもう一つのことについては当然のように忘れてくれていなかった。
「それで、何の変わりがあったの」
「……そ、その……」
ヘルミナは言い淀んだ。これを口にした時、カイルがどのような反応を示すのかが分からなかったということもあるし、ヘルミナ自身この報せについてどのような感情を抱けばいいのかよくわかっていなかったこともある。
「かわいいヘルミナ。ボクに隠し事を?」
「し、しません! ……その、私もまだ昨日知らされたばかりで、あの……母様が」
「あの女が?」
カイルは不愉快そうに眉を寄せた。表情に乏しい人形のような顔が、人間味を持って僅かに歪む。ヘルミナはその反応を諭すべきか否か考えて、結局なんともいえずに口を結んだ。カイルは昔から母のことを鬱陶しがっていたらしいのだが、元々この家の血筋らしく要領が良かったため、母からの過干渉も涼しく流していたところがあった。それが、ヘルミナに構うようになってから、ヘルミナを庇うために矢面に立つことが増えていたため、自分の存在が兄に迷惑をかけているようで酷く申し訳なかった。
「あの女が、なに。教えて、ヘルミナ。あの毒婦がかわいいおまえに何と言った」
「あ、あのにいさま、ちかい……」
「答えないともっと近付く」
腰を抱いたままの兄が更に容赦なく顔を寄せてこようとするので、ヘルミナは慌てた。ほとんど仰け反りかけながら、カイルから逃れるように顔を背けて悲鳴に近い声で答える。
「縁談をと!」
「縁談?」
唐突にぱっと掴まれていた手が離されて、変な体勢に体を捩っていたヘルミナはそのまま床に倒れ込んだ。慌てて振り向くと、常の如く無表情のカイルがいる。色素の薄い灰色の瞳は、温度なく座り込むヘルミナを見下ろしていた。
「誰の」
「わ、わたしのです……」
小さな舌打ちが聞こえた。常から自然体に気品のある兄が、まさかそんな行儀の悪いことをするとは思えず、唖然とした顔をしてしまったヘルミナに構わず、カイルはヘルミナに手を差し伸べる。戸惑いながらもおずおずとその手に手を重ねれば、ぐいと強い力で引き上げられて、ヘルミナは再び彼の腕の中に戻っていた。
「ヘルミナ」
耳朶に囁きが吹き込まれる。吐息を含んだ甘い響きの低音に、ヘルミナの頬に朱が昇り、ぁ、と小さな声が口をついて漏れ出た。その、自分の口から思わず零れ落ちた音の、蕩けるような響きに羞恥心が沸き起こって固く目を閉じる。
「この兄の許可も取らずに、おまえがどこかに嫁ぐことはないよ」
「に、にいさま……」
カイルの言葉に、ヘルミナは嬉しいようなどう反応したらいいのかわからないような複雑な気持ちになった。カイルはそうは言ってくれるが、貴族にとって結婚は義務である。姉妹の中の末子とはいえ、十四にもなるヘルミナにいまだに婚約者がいないこと自体、本来ならば珍しいことで、今の今まで放置されてきたのはひとえに両親のヘルミナに対する無関心に他ならない。
自分にとって、唯一無二の『特別』である存在にしかおよそ情らしき情を見せない者ばかりのこの特殊な家の中にあっても、結婚の拘束力は絶対だった。両親がそうであったように、既にヘルミナの上の姉達の中には愛のない政略結婚を結び、とっくに家を出ている者もいる。ヘルミナは姉妹達の中では末子だから、彼女らより早くに出て行くことはないだろうが、それでもいつかは出て行くことが決まり切っていた。この家は何の役にも立たない人間を肉親の情で置いておくほど甘くはない。今すぐにということはなくとも、結婚に備えて相手を探しておくことは必要なことだった。
だが、ヘルミナはまだ社交界にも出てはいない。最終的には家の益になる結婚しか許されないとはいえ、顔見せも済んでいないうちから縁談の話を持ってこられるとなると、いよいよ母がヘルミナの存在に我慢できなくなってきたということなのだろう。この母に告げられた縁談相手は、遠方に土地を持っている方だと聞いた。厄介払いの意図は言われずとも察することができた。
しかし、ヘルミナはまだ、実際に母のカイルに対する執着の度合いがどれほどか完全に理解はしていなかった。そのことを思い知らされたのは、翌日、滅多に話しかけてこない使用人から母からの言付けを聞かされた時のことである。
「ヘルミナ様、縁談相手の方が午後からお見えになるとのことです」
初耳だった。慌てて母に確認を取ろうにも、母は昼前からカイルを連れて外に出ていて、ヘルミナもこれが母の計画であることを察する他なかった。ヘルミナの一存では、まさか母が呼んだ相手との約束を一方的に無下にするわけにもいかない。
当然のことながら他の兄姉達が助けてくれるはずもなく、だからヘルミナは、ろくろく家族どころかカイル以外とは話をしたこともない状態で見知らぬ相手を出迎えなくてはならなくなった。客人が訪れた時にしか着ないドレスを引っ張り出してきて、なんとか見苦しくないところまで身嗜みを整え、慌てているうちに使用人が呼びにきたことは覚えている。どうにか逃げられないかとほとんど泣きそうな気持ちになりながらも、告げられた部屋に向かったヘルミナを待っていたのは、しかし、予想外の光景だった。
「……あ……っえ……?」
使用人に促され、部屋に入室したヘルミナの背後でバタンと扉が閉まった音がどこか間抜けに響いた。声がかかるかと思ったが、いつまで経っても相手から言葉が発せられることはなく、訝しんで恐る恐ると顔を上げて、ヘルミナは目を見開いた。
そこにいたのは、見知らぬ男性ではなかった。どこか、顔だけならばよく見知った人物だったといえる。血が繋がっているのだから当たり前だ。
「……あ、アゼル兄様……」
自分と同じ黒髪、赤目。だが、自分が持てば暗いばかりのこの色が、目の前のぞっとするほど均整の取れた男のものであれば恐ろしいほどに人の目を引く。
部屋にいたのは、長兄のアゼルだった。次兄のカイルと年子である彼は、この時は既に二十二で、跡目を継ぐための仕事が本格化するにつれてほとんど本邸に寄りつかなくなっていた。
ヘルミナは、自分が部屋を間違えたのだと思った。冷静に考えれば、使用人の案内でこの部屋に通されたのだからそんなことは起こり得るはずもなかったのだが、皆が恐れるアゼルの目の前に不用意に出てきてしまったことに怯えて思考は麻痺していた。慌てて謝罪の言葉を紡ぎ、部屋を辞そうとした時だった。立っていたアゼルが、こちらに真っ直ぐに歩いてきて、ヘルミナが開けかけた扉に手をつくことで閉める。
バタン、と音がした。何故だかヘルミナには、扉の閉じただけのその音が、これから先のヘルミナの人生までもが暗く閉ざされたような絶望的な音に聞こえた。
「アゼル、兄様……?」
「――――まだ花も蕾の段階に、辺境貴族との縁談とは。あの女も小癪なことを考える」
余程お前にカイルをやりたくないらしい。
艶のある低い声が、独り言のように紡いだ言葉に出てきた名に肩を跳ねさせる。と、同時に、自分がこの部屋に来た目的を思い出した。
自分よりも遙か高みからこちらを見下ろしてくる兄の腕が、ヘルミナの身動きを封じるように扉についていた。その腕の中で、今までろくに話をしたこともない長兄との近い距離に怯えながらも、ヘルミナはやっとのことで必死に質問を絞り出した。
「あ、アゼル兄様……その、縁談相手の御方は」
「帰した」
「えっ……それは、お母様の命で?」
意外な答えに目を丸くして長兄の顔を見上げる。アゼルは、けれどようやく自分を直視したヘルミナに目を眇めて見せただけで答えなかった。凝固した血の塊のような蔭のある瞳。触れれば切れるような冷たさを孕んだ冷徹な眼差しに、我知らず息を呑んでいたヘルミナだったが、頭が回り始めてくるとこの状況は何なのだろうと恐怖の中に疑問がよぎった。
「に、兄様。あの、私、御用がなければこれで――」
「咲かなければいい」
「……え……?」
「咲いた花はどうせ散る。大抵は、摘み取られるか、踏み潰されて。蕾のままでいられないなら、どうせ毟り取られ、蹂躙されるだけ」
朗々と語られる声と、注がれる視線の冷たさに何も言葉が出てこない。この長兄が何を言っているのかわからなかった。だが、身動きすら取れないこの状況で、何か自分がとてつもなく大変なことに陥っているような気がしてならなかった。背筋に冷や汗が伝い落ちるような錯覚を覚え、徐々に体から血の気が引いていく。
「咲かなければいい。――――なのに、既に匂いがする」
「アゼ……っ!?」
喘ぐように呼びかけた名が、喉奥から絞り出された悲鳴にかき消される。不意にヘルミナの肩口に顔を寄せたアゼルに驚く間もなく、強い力で肩を掴まれ、そのまま床に投げ出された。上質な絨毯の上に倒れ込んだヘルミナは、目の前にきた靴の形に、以前にもこのような光景を見た気がしたが、その記憶を手繰り寄せるより先に目を見開いた。鮮烈な痛みが掌に走ったのだ。
「っぁあ……っ!?」
じん、とした熱い感触の次に、氷を押し付けられたような感覚を何倍にもしたような痛みに襲われた。痛みを堪えるために、反射的に体を縮こませるように身を捩る。生理的に潤んだ瞳を持ち上げれば、酷薄な目でこちらを見下ろすアゼルの姿が見えた。その手の中にあるものを捉えて、恐怖で体が強張る。鞭打たれたのだと理解した。
アゼルの暴力は、ほとんど呼吸と同じくらい自然に為された。この家では何も珍しいことではない。元々、最たる例が両親だった。彼らは教育のために鞭を打つ。それを見て育ってきた子ども達もまた、自分達よりも立場が弱い者には平然と鞭を振るった。アゼルはその中でも一等恐ろしく、なまじ自身が他に例のないほど優秀である分、些細なことでも他者を罰し、だから彼の傍には誰も寄りつくことがなかった。
それでも、この時までは、ヘルミナはアゼルに打たれたことはなかった。
「っぁ、やあっ、アゼルにいさまっ、ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
ヘルミナの、何故自分が謝っているかもわからないまま必死に紡がれる謝罪の言葉は、しかし聞き届けられることはなかった。アゼルはそのまま、何度もヘルミナを打ち据えた。一分も表情を動かすことなく、凍てついた眼差しで、そうすることが当然と言わんばかりの態度で、十四のヘルミナを鞭打った。アゼルに打たれる度、服が乱れ、捲れ上がり、逃げようともがくせいで髪は乱れた。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、事情もわかるままにひたすらに慈悲を請うたヘルミナは、それでも許されることはなかった。
「淫売」
少しの感情も滲まない、限りなく人間味の薄い男の声が、鼓膜を震わせた。
気づけばヘルミナはぐちゃぐちゃになった自分のドレスの中で、男にのし掛かられていた。どこもかしこも熱を持ったように痛む体に、恐怖の塊のような男の手が触れて、首を絞められた気がする。曖昧なのは、そこから先のことを覚えていないからだ。
許容外の混乱と恐怖を味わったヘルミナは、耐えきれずに意識を手放した。
そうして次に目覚めた時、ヘルミナの傍にいたのはあの恐ろしいアゼルではなく、誰よりも優しい兄のカイルだった。
「かわいそうに」
目覚めて、起こったことの恐ろしさに泣き始めたヘルミナに、カイルは読んでいた本を閉じて静かにそう言った。
ヘルミナは、あれから先に母との用事を切り上げて帰ってきたカイルに見つけられたらしい。カイルのベッドで介抱され、目覚めたヘルミナを、カイルは腕のなかに抱き寄せた。
もしかしたらカイルには、胸騒ぎか予感のようなものがあったのかもしれない。彼のいない間にヘルミナが意地悪をされるのはいつものことだったから、いつかの時のことを思い出して、なるべくヘルミナの傍にいようとしてくれたのだろう。結果的には一歩遅く、間に合わなかったと言ってしまえばそれだけだったが、カイル以外の誰もヘルミナのことを気にかけることのないこの家では、目覚めた時に彼が傍にいたことがどんなにかヘルミナの心を慰めたかしれない。
「殺してあげようか、アイツ」
カイルは泣きじゃくるヘルミナをしばらく黙って抱き締めていたが、やがてヘルミナの髪を撫でながら、何気なく囁いた。それがあまりに、常のカイルの声音と何一つとして変わらない、落ち着いた声だったから、最初ヘルミナは彼が何を言ったのかわからなかったくらいだった。脳裏に言葉の意味が浸透して、理解した途端、ヘルミナは染み付いた恐怖から反射的にカイルにしがみついていた。
「ダメ、ダメです、やめてっ! カイルにいさまに何かあったら……っ!」
「ボクの心配なのか。アゼルにボクは殺せないよ。ボクを殺したら、自分も殺されることくらいわかっている」
ヘルミナの汗で額に張り付いた前髪を優しく払いながら、幼い子どもに説くようにカイルは言葉を紡いだが、ヘルミナは少しも安心できなかった。
殺してあげようか、と尋ねた時のカイルの雰囲気は、熱もなくヘルミナを鞭打っていた時のアゼルに似ていた。恐らく、ヘルミナが本気で頼めば、カイルはアゼルを排そうとしてくれる。ヘルミナの首を絞めていた時のアゼルと同様、眉一つ動かさない冷徹な眼差しで。だが、ヘルミナは最愛の兄にそのようなことをしてほしいとは思っていなかったし、アゼルに関わるのも恐ろしかった。
「そう。おまえがそう言うのなら」
常と全く同じ様子が、かえって限りなくカイルが本気であったことをヘルミナに察せたが、ヘルミナが泣いて頼むとカイルはあっさりと引き下がった。そうして、ようやく泣き止んだヘルミナのほうへと体を乗り出すようにして、ベッドに手をつく。もう片方のカイルの手は、ヘルミナの手の上に重なって、彼は顔を寄せると至近距離でヘルミナを見つめながら囁いた。
「穢されてはいないね」
何を言われたのかわからず、ヘルミナは数度瞳を瞬かせ、兄を見返した。
カイルは、感情の読み取れない灰色の瞳をヘルミナに向けながら、そっと言葉を紡いだ。まるで、心のうちにある、一等大切な感情を乗せるような、他の誰にも届かないほどの音で。
「おまえはきれいなまま」
その時の声を、眼差しを。
ヘルミナはずっと覚えている。