幽香
幽香とは、奥ゆかしくてほのかな香り。かすかな香りのことです。
蓋を開ければ、清々しい香り。
真新しい墨の香りは格別だ。突き抜けるような清涼感のあとに寄せてくるふくよかな香りは、高貴さをも感じさせてくれる。
この一瞬は贅沢で、香りと共に墨の深い黒色が、創造の翼を拡げる時でもある。
墨の香りは静かに空間を包む。
そこはかとなく香るは典雅と好事家に愛されるとか。さもあらん。わたしのような者でも、この香りには特別の思いを抱いているのだから。
決して文字を書くのが得意でも上手い訳でもないが、無心に集中できる、あの時間は好きなのだ。心地よい緊張感とでもいうのだろう。
目の前の白い紙と無言で対峙出来るあの時間、それを墨の香りが思い起こさせる。
筆を半紙の上に置く、一瞬の覚悟。
紙に落とされた最初の点から、墨を含んだ筆先は勢いよく滑りだす。
はらう。
はねる。
止まる。
力加減ひとつで築く、白と黒の世界。
そこに迷いは禁物。勢いを削がれた線は、無様な姿を晒すだけだ。書き終わるまで気は抜けない。
だからこそ、思い描いた世界が築けた時の達成感は喜びに浸される。緩やかに安堵感が満ちてくる。
墨の香りの清々しさは、筆を下ろす、最初の一瞬に通ずるのだろうか。
子供の頃は、あの一瞬が怖かった。上手く書けなかったらどうしようと思い悩みすぎて、いつも躊躇していた。
しかし墨の香りに安心感も覚えた現在は、この瞬間が楽しい。
快くもある。
ここから世界の構築が始まるのかと思えば、浮き立つようなひとときに変化した。
墨の香りは、今日も新しい世界へと、わたしを誘ってくれるのだろう。
なんだかお習字の達人みたいなエッセイですが、最近は筆の箇所をペンに変え半紙はケント紙となり、墨汁で文字ならぬイラストを描いているわたしです。
製図用インクもよいですが、墨汁の香りは気が引き締まりますね。(コスパも、ね♡)