6=絶望捜査官として
「天満さんよ。……おれを、殺してくれ。あんたの手で殺したんだって、この世界に知らせてやってくれ」
「……っ」
男の言葉を合図に、私はまっすぐに拳銃の先を向けた。しかし、手が震えて照準が定まらない。それで私自身が、この男を殺すのをためらっているのだと気づいた。
「おれが自分で勝手に死ぬのじゃいけねえんだ。あんたみたいな絶望捜査官に殺されて、リストに名前が載って。それで初めて、あのバカな女も気づくんだろうよ」
「……」
「気にすんな。おれはあんたを恨んだりはしねえよ。街の真ん中にあるあのでっかい処理施設に放り込まれたって、文句は言わねえ。おれは絶望に打ちひしがれた人間なんだ」
男の背中からは、さっきより濃い闇があふれ出ていた。本当ならば今すぐに死なせてその発生源を止めなければ、周囲の人たちに瞬く間に“感染”してしまう。だが私は頭の中でそこまで分かっていて、なお引き金を引けずにいた。
「シリアルナンバー74344、島永アキヒサ。……処理を、開始します」
口を開きそう宣言するのがやっとだった。
シリアルナンバーを割り振られた人たちがどういう経緯で絶望を抱えることになったのか、その原因を書面で見たことは何度もある。だが話を実際に聞いたのは初めてだった。私は、同情しているのだ。
「せめて、おれに息子一人を守れるだけの度胸が、ありゃあよかった」
震える私の手がようやく、引き金を押し込む。私と巽さん以外誰も見ていないその場所で、銃声が一発鳴り響く。狙ったところから寸分違わぬ位置を撃ち抜き、彼は撃たれたということを知らないまま天へ召される。
引き金を引く本当に寸前、彼が「ありがとう」と言った気がした。
* * *
『絶望はこの世から根絶されうる。人々から絶望を取り除くことこそ、希望の手を差し伸べるための唯一無二の手段である』
そう著書に残したのは、かの哲学者の弟子の一人。犯罪のない世界、ユートピアを唱えたかの哲学者の弟子は十二人。それぞれが世界中に散らばり、師匠の考えに対して少しずつ異なる解釈を著書によって示した。その中でもこの考え方は、最も急進的だと言われた。
「今日は『ユートピア』ではないのか」
一人寝室で机に向かって本を読む私に、声がかかった。
「……クレハ」
「昔のようにクレハ姉さま、と呼んでくれて構わないぞ。もっとも、期待はしていないがな」
クレハはあくまで平坦な語調でそう言った。冗談で言っているのかどうか、私には分かりかねた。
「……そうよ。あいにくあの本を読みたい気分ではなくて」
「あれに描かれている理想郷は、理想とするには歪みすぎている。ちょうど、今アタシたちが生きる世界のようにな。それを嫌というほど感じさせられるから、あの本は嫌いなんだ」
クレハの趣味嗜好の話を初めて聞いた。本当は幼い頃にもあれが好き、これが嫌いという話を聞いたことがあるかもしれないが、覚えてはいなかった。
「……今日のあの男。本当にあれで、よかったのかしら」
「自らそのことを尋ねるとは。アタシも随分と信頼されたものだ」
「どうせ私が言わなくても、話していたでしょう。思い上がらないで」
ふっ、とクレハは笑う。どこがおかしいのかと私はにらむようにしてクレハを見たが、次の瞬間には真顔に戻っていた。
「……アタシの意見を言わせてもらうならば、あの判断は間違ってはいない。あの男自身が、死後にお前を恨んだりはしないと宣言していた」
あたかもその場に居合わせていたかのような言い方だった。私はクレハの言葉の続きを待つ。
「そして皮肉にも、お前は絶望捜査官としても正しいことをした。そうだろう?」
「それは、確かに」
「しかしお前は自分の行動が本当に正しかったのかと考えている。殺してくれと言われて殺したのにもかかわらず」
それが、この世界に疑問や違和感を抱いているということなのだろうか。確かに巽さんはあの男に対して、何の感情も抱いていないようだった。それどころかためらう私にイライラさえしているように見えた。
「……いずれ分かる。これまで育ってきた環境を正しかったのかどうか疑うのは難しい。重要なのは、その違和感を違和感として抱き続けることだ。誰も何も疑わなくなった時が、この世界の本当の終わりだ」
ばさっ、と音がした。振り返るとクレハの姿はすでにない。どこからいなくなったのかは分からないが、やはり昨日と同じようにカラスの羽が一枚、ベッドの上に落ちていた。
「違和感を、違和感として抱き続ける……」
クレハの言葉を反復する。その瞬間、私の頭を鋭い痛みが襲った。頭の奥の方が、きしむように痛んだ。
「なに……この痛み……」
そうして脳裏によみがえったのは、それまで私には存在していなかったはずの忌まわしい記憶。理不尽な暴力を受け、涙もまともに流させてもらえずに床にへたり込む、かつての私の姿だった。




