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17=”天満”との決裂

「お父様……」


 父の登場に、私は思わずそう口にする。父と対面するときにしか使わない上っ面の呼び方が、こうも自然に出てくるとは私も思わなかった。そんな私に対して、父は無表情を貫いていた。


「もうよい。わしに気遣いをする必要はない。お前など、もはや天満家の者ではない」

「は……?」

「聞けばヤヨイ、お前はクレハとつながっているらしいな。加えて子どもを一人匿っていると」

「……なぜそれを?」


 情報があまりにも正確だった。隠して素知らぬふりをするのは無理があったので、私は認める意味を込めて父に聞き返した。


「お前が知っているかどうかは分からんが、絶望が感染することはない。しかし絶望を抱えた人間と関われば、また別の反応が出るようになる。いわば、絶望という名の空気をまとうようになる」

「……私から、その反応が出たと?」

「最初に報告してくれたのは巽くんだ。同業者に察知されるほど、深い関係にあるようだな」


 言い返しようがなかった。もはや私はクレハのことを信じていないとは言えなかったし、クレハの言うことを正しいと思うようになっていた。私とクレハは、切っても切り離せない関係になっている。


「……お言葉ですが」

「魔が差したわけではない、とでも言うつもりか? それだけ絶望を抱えた人間と関わっているようでは、もはや言い逃れはできんぞ」

「あなたのおかげで、最初こそ私はクレハの言葉を疑いました。絶望捜査官になる前から、私はあなたの考え方に違和感を持っていた。それでも、あなたの言うことがある程度は正しいと思っていた。でも、違った」

「ほう?」


 父はみじんも表情を変えなかった。実の娘に考え方を否定されているというのに、何も感じていない様子だった。


「所詮あなたは、机上の空論を語っているに過ぎない。精神統制法の仕組み、絶望捜査官の任務の裏で、何の罪もないまま殺される人の苦しみを、あなたは知らない。親が殺され野垂れ死ぬしかない幼い子どもなんて、あなたは見たこともないでしょう? 椅子にふんぞり返って座っているだけのあなたには」


 私は息を切らしながら言い切った。父が顔一つ変えないのを見て、私の中でたがが外れたようだった。

 しかしそれだけ私が父の(かん)(さわ)ることを言っても、なお父は無表情だった。


「それがどうした?」


 それどころか、子どもがなぜなぜと聞くような、純粋な疑問を父はぶつけてきた。かの哲学者の弟子の考えを盲目的に信仰している、というクレハの言葉が、嫌でも思い出された。


「どうした……って」

「そんなものを知る必要があるか? 精神統制法がなく、絶望捜査官のいなかった昔にも、そうした哀れな子どもはいた。ほとんどの人間はそのような子どもに会ったことがない、というだけだ。それを今更、鬼の首を取ったように取り上げる意味はあるのか?」

「……なら、そんな子たちを見捨てろというのですか」

「見捨てざるを得ないだろう。お前はそういった境遇の子どもたちを全て引き取り、責任を持って教育ができるのかね? その覚悟がなければ、お前の考え方は単なるエゴだ」


 悔しかった。父の言葉はほとんど正論だった。『たまたま』ノノカちゃんは幼くして親を亡くしただけで、私は『たまたま』そんなノノカちゃんに会っただけ。他にもノノカちゃんのような境遇の子はいるだろう。そんな子どもたちを全員引き取って面倒を見る、ということはとてもできない。


「話は終わりか?」

「……しかし、絶望捜査官の制度を整えることで、そういった境遇の人たちを増やしているでしょう。それについては、何も思わないんですか」


 私が唯一できる反論と言えば、その程度だった。昔からそういう人間がたくさんいるのは間違いないだろう。しかし、精神統制法が施行されてから一層増えた。私にはそう思えてならなかった。


「増えるというのであれば、所詮人間はその程度ということだ。一部の例外を除いて、犯罪の根底には必ず絶望がある。その大小も、何に対する絶望かも様々だ。犯罪のない、治安を心配しなくとも暮らしてゆける世界を作るためには、そうした予備軍を見つけ出すシステムが必要だ」

「予備軍……」

「わしがそう言えば、予備軍となった人間全員が犯罪を起こすわけではない、とお前は反論するだろう。しかし犯罪を起こす者と、そうでない者を区別する方法は? 予備軍かそうでないかの区別は簡単だが、予備軍になってからの区別はつかない。最先端の科学をもってしても、だ。ならば秩序を維持するためには現状、予備軍全員を処分するしかあるまい」


 言い返せない。賛成とか反対とか以前に、ただの事実をもとに積み上げられた意見だ。私の方が間違っているとさえ思った。


「今の制度に反対することは簡単だ。しかし代わりとなる方法がなければ意味はない。それとも、犯罪がある世界を望むと言うか?」

「それは、」

「お前に明確な考え方がないのであれば、話は終わりだ。失礼する。あとは巽くん……いや、我が娘に一任しよう」


 父は一方的に話を打ち切り、部屋を後にした。父の足音が遠ざかった後、巽さんが微笑んだ。


「あなたはもう終わりなんです。わたしが正式に天満家の跡取りとして認められた……わたしにもう、敵はない」

「……最初から、それが目的で私に近づいたんですか」

「いいえ? 天満さんが犯罪者になるだなんて、予測できるはずないでしょう。偶然ですよ、わたしにとってあまりに都合のいい偶然」


 あの家の一員に、自らなることを望むなんて。狂っているのは巽さんか、それとも私の父”だった”人なのか。


「でもあなたが怪しいと分かってから、わたしは忙しかったんですよ? あなたを本邸に行かせたのも、お父様(・・・)にあなたを気遣うような言葉をかけさせたのも、全てわたしなんですから」


 巽さんが再びムチを持ち、何のためらいもなく私に打ちつける。何度も当たった箇所にもう一度当たって、痛みで顔が引きつる。身体のあちこちが赤く()れていた。


「わたしは天満さんの身柄を一任されているんです。どうしましょう? 今後わたしが天満家を継ぐ上で邪魔ですし、このまま殺してしまってもよいのですが」

「……それは勘弁してもらいたいものですね。巽さんに殺されるとなれば、どんな殺され方より不名誉ですから」

「口を慎め!」


 巽さんが声を荒げ、ムチに全ての力を込めて私に打ちつけた。歯を食いしばってもなお、全身に痛みが走る。


「そうですね……実験をしてみましょう。食事を与えず、ただ拷問(ごうもん)を続けた時、人間は何日もつのか」

「……そんなことをして、」

「わたしは何も苦しくありませんよ。言ったじゃないですか。これは実験です、わたしは観察者に過ぎませんから」


 そう言うと再び不敵な笑みを浮かべ、巽さんはムチを置いて部屋を出て行ってしまった。巽さんの足音が遠ざかると、途端に部屋の中は静寂に包まれた。外の音も含めて、何も聞こえない。そう言えばここがどこなのかも知らない。自分がどこにいるのかということすら分からないというのは、よくよく考えれば恐怖だった。


「……どうやって出ればいいかも、分からない」


 そもそも巽さんは、私を解放する気などないだろう。巽さんのあの目は、本気で私を殺そうと思っている目だった。


「……本当にこのまま、死ぬのかしら」


 巽さんがいなくなってから、体感的に数時間経った。お腹が空いて、普段の自分なら食事を取っている時間なのだろう、ということが分かった。しかし食事が出てくる様子はない。巽さんが食事を与えずに、と言っていたから、本当にそうするつもりなのだろう。


「……死にたくない」


 窓もなく暗い、誰もいない部屋で、私はそうつぶやくしかなかった。

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