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11=絶望に染まっても

「ノノカちゃん……」

「ヤヨイ、おねえちゃん」


 結局身寄りのないノノカちゃんは、私が預かることになった。かなり弱っている、と分かった上で子どもを放置するなんて非情なことは私にはできなかった。それに、絶望と希望の間をさまよっている子を見殺しにするのは、絶望捜査官としてのプライドが許さなかった。


「ごめんなさい、わたし……」

「いいのよ。……ノノカちゃんは悪くない」


 完全に絶望を抱え込んでいる人ならともかく、まだ絶望と希望の間で揺れている人間の絶望を見えなくすることは、クレハにも不可能らしい。そして仮にノノカちゃんが外を歩いている時に絶望が表に出てきて、それが別の絶望捜査官に見つかれば、まず間違いなく殺されてしまうだろう。

 私がノノカちゃんを目の前にした今この瞬間、ノノカちゃんは絶望に染まってしまったようだった。


「いったんは絶望に染まっても構わない。今から希望を見つけるのでも、遅くないわ」


 ノノカちゃんがそうなるのは時間の問題だった。どれだけ私が慰めようと、ノノカちゃんの両親が生き返ることはない。目の前で親が死ぬところを見て、遺されたのは父親の骨一本。そんな状況で、絶望を抱くなという方が無理な話だ。


「ほんとう?」

「ええ。約束する」


 私は読書机の上に出ていた『ユートピア』を本棚にしまう。この本を読むことはもうないかもしれない、と思いながら。


「あれに書かれている理想郷は、理想とするには歪みすぎている」


 クレハのその言葉の意味が、今なら何となく分かる。あの中に描かれている国は、決して自由ではない。現実世界から切り離されていて、必要以上に人工的に管理された世界。それをよいものだと盲目的に信仰する人はあまりいないだろう。しかし、そうでもしなければすべての人間が救われることはない、もはや今残された人間にはこんな世界を目指すしか方法がないのだ、と言う人は多い。少し前までの私も含めて、そう諦めている人が大多数なのだ。


「確かにこの世界は歪んでいる。でも、クレハの言う世界は本当に実現できるのかしら」


 曲がりなりにも『ユートピア』に描かれるような国を目指す、私たちの世界。この世界が悪い方向に向かっているのだということは、私もだんだん分かり始めている。だがクレハの考える方法に切り替えたとして、それで本当に世界は変わるのか。結局どちらも実現できないままになってしまうのではないかと、私は思う。


「わたしね、おとうさんに言われたの」


 別の読む本はないかと本棚を見る私を、呼び止めるようにノノカちゃんが言った。


「お父さんに?」

「うん。……おとうさんもおかあさんも、ノノカをまもりきることができなかった、って。ずっとノノカをあぶないめにあわせないでそだてることができなかった。このせかいはわたしたちがいきるにはきゅうくつすぎる。でも、そうやってきゅうくつにおもうひとはぜったい、ほかにいるはずだ。だから、ノノカがじぶんでさがしなさい、って」


 ノノカちゃんはすらすらと、お父さんの遺言らしい言葉を口にした。きっとノノカちゃんは、お父さんの言葉の意味をあまり理解していない。難しい言葉は音として記憶して、そのまま反復しているような言い方だった。だが、最後の一文ははっきりと言い切った。


「わたし、みつけた。それが、ヤヨイおねえちゃんなんだって」

「私が?」

「おとうさんとおかあさんと、おんなじことをおもってるひとだって。じぶんでは、さがせなかったけど、わたしはいまあぶなくないもん」


 これでよかったのか、とは思う。ノノカちゃんを絶望から完全に救い出すことは、限りなく不可能に近かった。だがだからと言って、ノノカちゃんが絶望に溺れるのをただ見ていた私は正しかったのか。


「ヤヨイおねえちゃんは、わたしがぜつぼうしてもいいっていってくれた。クレハおねえちゃんも。おとうさんとおかあさんのことはわすれなさいって、いわなかった」

「そんなことを言った人がいたの?」

「にげてくるまえに、あまがさきのおじちゃんがいったの」


 恐らくノノカちゃんの親戚だろう。ずっと落ち込んで、泣いてばかりいるノノカちゃんを励まそうとしてそう言ったのかもしれない。だが、違う。両親を目の前で失ったことが悲しいのではなく、どうしたらいいのか考えることにも疲れて、ノノカちゃんは途方に暮れていたのだ。


「だから、おねえちゃんはいいひとだなって。わたし、『きぼう』できるようにがんばる」


 絶望を抱えてなお決意したノノカちゃんの言葉。私は余計な言葉を返すことなく、ノノカちゃんをそっと抱きしめた。私の腰に回ったノノカちゃんの手に、ぎゅっと力が入る。私が預かるようになってから何度かお風呂に入って、清潔になって艶やかさを取り戻したこげ茶色の髪が揺れる。

 それは紛れもなく、ノノカちゃんから私への信頼の証だった。思えば、私はそうやって他人に信頼されたことがなかった。クレハにも、両親にも。もしかすると私に忠誠を誓ってくれていた五人の使用人たちも、私を信用などしていなかったのかもしれない。ただ私の命令に従ってさえいれば、自分の生活が保障されていたのだから。


「……ありがとう、ノノカちゃん」

「うん」


 私は夕飯を作るためにノノカちゃんのもとを離れ、キッチンへ向かう。流しには昼食を載せたらしいお皿が何枚か、乱雑に置いてあった。

 私が家を空けている間は、クレハがノノカちゃんの面倒を見てくれている。相変わらずクレハがどうやって私の家に入ってきているのか、そもそも私の家にいない時はどこで何をしているのか分からないが、ノノカちゃんからの受けはいいようだった。


「ノノカに特に食欲がなさそうな様子はなかった。精神的苦痛は食欲には影響していないようだ」


 そんな夕飯の時に見ればいいようなことを、クレハはきれいな字でメモに残してテーブルに置いていたりする。やはり腐っても姉妹、報告が必要だと思っているのだろうか。私の前では笑顔など見せたことのないクレハが、ノノカちゃんの前で微笑んでいるだろう様子が脳裏に浮かぶ。


「クレハおねえちゃんね、とってもやさしいんだよ? まいにちえほんをもってきて、わたしによんでくれるの」


 クレハが絵本の読み聞かせをする姿は、容易に想像できる。私が小さくまだクレハが勘当されていなかった頃、よくそうしてもらっていたからだ。クレハもその時のことを思い出しているかもしれない。あの頃はよかった。少なくとも私からすれば、平和な日々だった。クレハが勘当され、クレハ専属の使用人とともに家を出たあの日から、全てが変わったのだ。


「……ヤヨイおねえちゃん?」


 夕食の準備の途中、ノノカちゃんがふと立ち上がり、ポストを見に行った。何か投かんされた音が聞こえたらしい。少しして戻ってきたノノカちゃんの手には、鮮やかな色であちこちに箔のついた便せんがあった。ほのかにお香の匂いさえする。


「これは……」


 こんな大層なものを寄越してくるとすれば、一人しかいない。私の父だ。

 実際その読みは当たっていて、文の最後には父の名前があった。そして本文に目を移して、私はしばし固まる。


『この二日以内に、本邸に顔を見せること』


 それはおよそ五年ぶりとなる帰省を意味していた。

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