煙景
2作目です。
よろしくお願いいたします。
青空に薄い煙が一筋吸い込まれていく。
映画や何かで見るようなものでもなく、ましてや漫画で描かれるようにはっきりとしたものではない。
辛うじて、そうとわかる程度の色の付けられた煙。
もしも私が役者ならば、ここで「あれが父さんの・・・」なんてセリフをキメ顔で吐き出すところだが、実際には火葬場は混雑していて、今焼かれているのが誰なのかもわかりはしない。
ただ、昨夜葬儀場の地下で何度か見た棺桶よりは父の死を明確にしてくれているのも確かだ。
人は焼かれ、煙となり空へ上る。
骨を拾うまではまだ時間があるので待合室へと向かおうとしたが、項垂れた母とその背中をさすりながら歩く兄弟姉妹の姿が見えたのでやめた。
日頃、何かにつけ強さしか見せない母のその項垂れた様子には、何か釈然としない負の要素が感じられたからだ。
それに、今更あの仲良し家族みたいな風景の中に混じるのも少し気が引ける。
小さな池が見える場所にあるベンチに腰掛けて、もう一度煙が見えないかと空を見上げた。
そこへ、制服姿の女の子が1人歩いてきた。
私のほうを一瞥して、もしも聞き間違いでなければ小さく舌打ちをしながら彼女は、ベンチ脇の灰皿の横に立ってポケットから細長いタバコの箱を取り出した。
未成年の喫煙など珍しくもなく、私はただ目の前の景色を俯瞰していた。
だから、「火あります?」という声への反応も少し遅れたように思う。
「え?」
「火、あります?」
見れば、彼女は細いタバコを指に挟んだ状態で私を見ていた。
「タバコは吸わないんだよ」と言いかけて、私は胸ポケットの厚みに気が付いた。
そこには、母が棺桶に入れるのをためらい、何故か私に渡してきた数本を残しただけのピースと古びた銀色のZIPPOライターが入っていた。
ポケットから取り出しされたZIPPOを見た彼女は「渋いっすね」と笑いながら「いいですか?」と指に挟んだタバコを口に咥え、顔を近づけてきた。
私は、ぎこちなくリッドを開きフリント・ホイールを親指で回した。
小気味良い音で着火したZIPPOから懐かしい匂いがする。
彼女は薄い唇から煙を吐き出しながら「ありがとうございます」と言い、壁に背をつけて瞼を閉じた。
私は、リッドを閉じたZIPPOを暫く手の中で回した。
底にあるボトムコードは////ZIPPO////つまり1974年製だ。
そのコードに気付いたとき、脳裏に父の言葉が思い出された。
『このライター。お前が生まれた時に兄貴からもろうたんじゃぁ』
あの時の、照れたような顔。
『いつかお前にやるけぇのぉ』と、当時は喫煙者だった私に笑った。
思えば、禁煙してもう30年になる。
その場の雰囲気で、ピースを取り出した。
初めて吸ったのは11歳。
周りの先輩や同級生に触発されてちょっと悪ぶったつもりで父のタバコを拝借した。
その時の感想は覚えていない。
日に2箱は吸っていた父の影響か、匂いも味も大して新鮮味は無かったような気がする。
箱の中には3本。
久しぶりのタバコを指に挟む感覚は、思いのほか馴染まない。
なにしろ30年ぶりのタバコだ。
小さくそっと吸い込む。
苦い。
「そのZIPPOずいぶん大切につかってるんだね」
彼女の声が風に乗って届く。
「あぁ。いや、父のね。なんというか、形見なんだよ」
「お父さんが亡くなったの?ご愁傷様だね。」
君は?と聞きかけて私は躊躇った。
「私はね、よくわかんないんだけど。ママに言われてきたんだ」
彼女は自分から話し始めた。
「よくわからない?」
「うん。今日のお昼過ぎに必ずここにいなさいって。で、なんて言ったかな。」
彼女は制服のポケットからスマホを取り出しておそらくはそこに映し出されているメモを読んだ。
「遠間さんて名前が呼ばれたらそこに行きなさいだって」
私の目の前が一瞬。薄い何かに遮られる間隔がした。
「遠間・・・君のママ・・・いや、君のお母さんはその・・・」
私の口は、久しぶりのタバコのせいでひどく乾いていた。
「とお・・・ま?さんて人と知り合いかなにかなのかな?」
自分の声が、ひどく老けた声に思える。
彼女は、綺麗な一筋にの煙を吐き出しながら「知らない」とだけ答えた。
暫くの沈黙。
池で何かが跳ねて小さな波紋が生まれた。
「吸ってるタバコも渋いんだね。おじさん」と彼女が灰皿にタバコを押し付けながら笑う。
なんと返事を返したものかわからず、ただ彼女を見つめていると「さっきは火、ありがとう」と小さく会釈した彼女は建物の中へと入っていった。
私は、タバコの先から立ち上る独特な煙をただ眺めていた。
この煙に、父への憧れや子供のころの思い出がすべて詰まっているような気がした。
父の秘密も。
立て続けに3本吸い終えたころ、スピーカーから我が家の名前を呼ぶ音声が流れた。
まだ半ば残っていた3本目を灰皿に落とし、建物へと入る。
初夏なのに、冷んやりとしているのは空調のせいか気持ちのせいなのか。
白塗りの大きなドアが開き、母と兄弟姉妹が先程と変わらず、ひと固まりでその奥へと入っていくのが見えた。
同じドアのこちら側。
彼女が立っている。
ベンチで会ったばかりなのに、その背中はひどく幼いものに見えた。
職員らしき男性が、ドアの向こうで躊躇いがちにこちらを見ている。
父の秘密。
恐らくは、母はそれを知った。
その秘密はきっと、あの母をも項垂れさせるほどのものだったのだろう。
私は、迷っていた。
彼女を追い越し、何も言わずあのドアの向こうへと進むべきか
それとも。
彼女から、薄いタバコの香りがした。
読んでくださりありがとうございます。