君が馬鹿だと言ったのは、
とある島国の数ある中の小さな国に、それはそれは美しい姫君がいた。
近隣諸国の権力者はこぞってその姫を娶りたいと争いに争いを重ね、とうとう一つの国がすっぽり姫のいる国の周りを奪い取ってしまおうとしていた。
普通ならば戦の気配に恐れ怯える民だろうが、この国は他のそれとは明らかに異なっていた。
「え、姫様が“豚”に嫁ぐ?」
「え、“豚”が姫様を?」
「瞬はなにをしとる」
「わしらが大事にお育てした姫様みすみす渡すはずなかろう」
「姫様が“豚”に狙われてるってよー」
「いや、“豚”が狙ってたのはみーんな知ってるっしょや」
「ひめしゃまお嫁にいくの?」
「えー無理無理どの面で姫様貰う気なのよ、うわ、さぶいぼ出た!!」
「あれに姫様嫁がすくらいなら戦して死ぬわ。」
「いや下手すりゃ勝つでしょ。だから御館様迷ってんじゃない?」
「にしても軍議長いなー。」
「瞬が暴れとるんじゃろ。」
「そりゃ姫様案件だからな。」
「となれば、御館様は嫁がす気か?」
「うーん、どうだろねー。」
「ていうか戦すればよくない?」
「馬鹿あっちは二十万くらい、でこっちは二万だぞ。」
「みんなが十人ずつ殺せばいいんでしょ?」
「ん?んー。そうか?うーん、そうだな…」
「できそうじゃない?」
「簡単に言うな。戦はそういうものではない。」
「にしても姫様、どうなさるんだろうねー。」
「いや、姫様ってより姫様の予知がどう出てるかだよな。」
「わしゃ認めん!!」
「はいはい、じいちゃん。認めたくないのはみーんな一緒。」
仲の良い国だった。
身分に関係なく愛された特別な姫。
美しさゆえに評判の悪い男に目をつけられてしまった悲劇の姫。
“豚”と呼ばれるその男の評判はそれはそれは悪かった。
何故ならその男の見た目はもちろん性格も、なにより悪かったのはその男の悪癖である。
今まで男には何人もの美しい娘が嫁いでは”消えて”いる。
何人も嫁いでいるはずではあるが、噂では興味が無くなった女から刀の試し切りに使うともっぱらの噂であった。
酷い娘では初夜に”事”が済んですぐに殺され、亡骸は髪ひと房が故郷に届けられたという。
後継ぎが生まれてからというものその男は”そういった行動”を繰り返しているらしい。
目を付けた女は国もろとも手に入れ、興味がなくなれば女を殺す。
人に好かれる道理など到底ありはしなかった。
「御館様、戦に致しましょう。あのような男に姫をくれてやる道理はございません。」
「瞬よ、そう急くでない。全ては姫のお言葉次第よ。」
奥に座す。
軍議の中に添えられた紅一点。
目を瞑り、じっと動かぬ姫の口が開くのを多くの男が今か今かと待っていた。
「わらわはあれの嫁には参りません。皆様、急ぎ戦の支度をなさいませ。かの男は今、国を離れ燕島におりまする。」
その瞬間、喜色ばんだ野太い声が広間に響き渡った。
男たちのみならず、姫への冒涜を許せぬ民は女も子供も老人も、皆武装し、食糧や水を携えて出かけて行く。
他国にはない、根っからの戦闘民族と誉れ高いこの国では当たり前の光景だった。
「姫様は残られるので?」
「獲物がちらつくと面倒事も増えるじゃろう。」
「そうなると国に残るのは姫様と護衛の女衆のみでございますな。」
「皆には苦労をかける。」
「なにを、姫様のためならば皆喜んで戦いまする。」
「わらわには…それを手放しに喜ぶことが出来ぬ。」
「はは、瞬のやつ等とうとう御館様に“殿”を申し出ておりましたぞ。」
「…頭の悪い…馬鹿な男よ…。」
「その割には姫様お顔が嬉しそうですぞ。はは、この戦が終われば恐らく瞬のやつ姫様を嫁にくれと言いだすに決まっておる。」
「…どうかの…。」
燕島は本島とは違う離れ島。
片道だけで徒歩ならば海岸に行くまでで四日はかかるような場所だ。
そこからさらに舟で一日かかる。
出立の日、父は姫に声をかけた。
「姫よ、本当にこれで良いのか。」
「これが仏のお導き。父上も皆をよろしく頼みます。」
「…ここに残り、瞬と夫婦になる道もあるのだぞ。」
「いいえ、それではこの国は滅ぶ一途にございます。」
「…だが、皆は納得するまい…」
旅発つ民や父を見送る。
その姿が見えなくなっても姫はしばらくその場を離れなかった。
「各々方、参りますぞ。」
きゅっと口を引き結び、姫は後ろに控える女衆六人を率いて国を後にした。
その後の話は悲惨なものだった。
戦に出た者たちが目にしたのは、人っ子一人“いない”燕島。
誰かがいた跡もなければ、何もない。
まず呆然としたのは先陣切って殿を名乗り出ていた瞬だった。
「御館様、これは…一体…」
「瞬、許せ。これが姫のご意思よ。」
民は瞬時に理解した。
姫は国を取り囲まれそうな民を逃がし、そして姫はその身を持って民が逃げる時間を稼いでいたのだと。
まんまと姫にしてやられた。
国を出てから五日。
もはや姫は国にはいまい。
そうしてその翌日、御館様率いる民と合流したのは姫様付きであるはずの女衆であり、彼女らの報告によって姫の死が伝わった。
一日。
たった一日であの男は執着に執着した姫を殺した。 いや、もしかすると、男は“それ”によって姫が死ぬとは知らなかったのかもしれない。
しかし結果は同じ。
その証拠である品を震える手で御館様は受け取った。
それは小さな手ぬぐいにおさまる程度の二本の角だった。