海賊船<黒い翼>①
「錨を上げろ!帆を張れ!出港だ!!」
青年の声を合図に船がゆっくりと動き出す。
拡げられた帆には大きな髑髏と交差する刃、そして翼の紋様。それが彼らの乗る船<黒い翼>が掲げる海賊旗だ。
見馴れた港が段々と小さくなっていく。少年は大きく身を乗り出し、波の飛沫と強い潮風を全身に受ける。
「さて、もう引き返せないぜ。覚悟はできてるか?」
そんな彼に青年が言葉をかける。逆立てた銀髪と爬虫類のように鋭い紫色の瞳が特徴的な彼がこの船の船長だ。
「もちろんです、船長。」
少年は力強く答える。いつか船に乗って大海原を冒険するのが少年の夢だった。そして、これから自分も彼らと共に長い航海に出る。
故郷の港はほとんど見えなくなった。どこか物寂しさも感じるが、これで夢が叶う。そう思えば乗り越えられた。
航海技術が飛躍的に発展した今日、海に憧れ、海に駆り出す者達は少なくない。海の玄関口である港町はどこへ行っても各地の文化が入り交じり、かつてない賑やかさを誇っている。
彼はそんな時代の港町に育ったごく普通の少年である。名はヴェルナ=グラウコス。彼もまた海に憧れる者の一人で、いつかこの町から海へ旅立とうと考えていた。そんな平凡だった日常は青年との出会いを期に一転、少年は海賊としての道を歩み出した。
話は数時間前に遡る。
「おい兄ちゃん、どこに目ェ付けて歩いてんだ?」
ヴェルナはいつものように宛もなく町を散策していた。大勢の人が賑わうこの大きな港町で人の波を縫って歩くのは、住み慣れていても意外と難しい。この日は運が悪かったようだ。そもそも露店に気をとられてよそ見をしていたヴェルナがぶつかってしまったのは、見るからに屈強で粗野なよからぬ連中。
「す、すみません、俺の不注意で……」
「おうおう、ちょいと話つけようじゃねぇか。」
そして彼は路地裏に連れ込まれた。これよくあるやつだ、これ面倒なやつだ、全財産いくらもないんだけどなぁ、と思いながらも逃げ出せる状況ではなさそうだった。当然喧嘩などもからっきしで、戦って勝つというのはまず無理だ。そもそも勝ってどうする。
もうダメかと思ったところに現れたのが彼だった。
「おっ、イジメかカツアゲの現場?今時流行んないぜ?」
「うっせぇ、いいんだよ流行りとか!っていうか誰だテメェは!」
「しがないお尋ね者さ。うちの子分が何か粗相やらかしたようで。」
もちろん子分などというのは嘘だ。どこからかあの現場を目撃していたのだろう。
「なるほどな、じゃあ親分が責任取ってくれるってことだなッ!?」
細身な青年より1、2回り大きいかという荒くれが殴りかかってきた。青年はそれを軽く避けると、そのまま激しい蹴りを叩き込んだ。
「なろっ、ふざけやがって!」
もう一人が向かってきたが、やはり同じような目にあった。強い。残る2、3人もその実力にたじろいだ。
「俺、一応民間人には手ェ出すの嫌いだから、これぐらいにしとこうぜ、な?」
そう言って彼は懐から何かを取り出すとそれに火を点けて投げた。空中に放たれたそれはパチパチと爆ぜて荒くれ達を襲った。
「な、なんだこれ、ちょっ!?」
「ば、爆竹…!?」
「よし、今のうちに逃げるぞ!」
そうしてヴェルナは青年に連れられて町はずれの港まできた。
「助けてくれてありがとうございます。あの…あなたは、レイヴ=ヴィスタールさん…ですよね?」
<爆師>レイヴ。
彼の戦い方はその海賊の名を思わせた。安心したところで尋ねてみた。
「なんだ、バレてたか。どうする?俺を突き出すかい?さっきも言ったように、民間人に手ェ出すのは嫌いなんだが、場合によっちゃ容赦しないぜ?」
「まさか。俺は貴方について行きたいです!」
「…は?」
「俺も船に乗せてください!お願いします!」
きょとんとした様子のレイヴに、ヴェルナはどさくさ紛れに思いをぶつけていた。目の前に現れた本物の海賊を相手に、自身の夢と思いを吐き出す。
しかし、彼はヴェルナに背を向け、こう言った。
「悪いが、こっちも遊びじゃねぇんだ。さっきはたまたま俺がいたからよかったが、一人だったらどうしてた?」
「それは――」
「そういうことだ。テメェの身も守れないようでやっていける世界じゃないんだ。」
レイヴの言う通りだ。もし彼がいなかったら今自分がどうなっていたか想像もできない。そんな有り様で海賊になりたいなんて、出過ぎた真似にも程がある。しかしヴェルナは諦めなかった。歩き出すレイヴを遮り、頭を下げる。
「この通りっす!!今は確かに弱いし、何の役にも立たないかも知れないです。けど、必ず、…必ずお役に立ちます!この恩を返したいんです!」
レイヴは再び歩き出す。そして振り返り、こう言った。
「……おもしれぇ。着いてきな。」
「じゃあ……」
「いいか、使えねぇと思ったら容赦なくその辺に捨ててくからな?」
そんな経緯を経て今に至る。船内を案内される途中でレイヴがぼやいた。
「申請のない航海はNG、その上で犯罪やらかしたら海賊扱いだ。わかりやすいっちゃわかりやすいけど、面倒な世の中だよな。」
海に出る者が増えたことの弊害も確かにあった。海の治安の壊滅的な悪化。その結果がこの言葉通りの状況だ。
「ま、そんなわけだからそれなりの働きはしてもらうからな。」
「はっ、はい!…でも……」
「何だ?」
「船長は、どうしてそんな時に海賊に?」
純粋な興味で訊いただけだったが、あまりつついてはいけないところだったのか、レイヴは少し考える様子を見せる。
「…訊かない方がよかったです?」
「いや、気にすんな。とりあえず、これだけは言っておくけど、俺達は暴れたくて海賊やってるわけじゃねぇ。どっちかというなら宝探しが本職だ。その辺りはわかっておいてくれよな。」
その答えには気になることもあったが、深くは追及しないことにした。
そうして最後に案内されたのは小さな船室だった。
「邪魔するぞ、お前ら。今日からこいつも相部屋だ。」
どうやらここが自分の部屋になるらしい。しかし、「お前ら」ということはすでに少なくとも二人先客がいる。
目の前のレイヴこそどちらかといえば優男の部類に入るが、もしこれでルームメイトがいわゆるイメージ通りの海賊だったら――
しかしそれは杞憂だった。
そこにいたのは双子かと思う程にそっくりな少年二人。歳の頃はヴェルナより少し下くらいだろうか。
「じゃ、俺の案内はここまで。仲良くやれよ。」
「あ、ありがとうございました…?って、ちょっ……」
戸惑うヴェルナを置いてレイヴは去っていった。まさかここにきて投げ出されるとは。
「やーい、捨てられたー」
そしてまさかのこの第一声である。放ったのは長い前髪で左目を覆った方の少年。直後彼はヴェルナが言葉を発するより先にもう一人の方に殴られた。
「…リクと、このうるさいのが弟のリキ。……よろしく。」
もう一人――リクが挨拶する。どうやらこちらはまともなようで少し安心した。
「ああ、俺はヴェルナ。よろしく。」
リキはまずこの第一印象だし、リクも少々物静かが過ぎるというか――。しかし、歳が近いこともあってか、その後打ち解けるのに難はなかった。
その夜、ヴェルナは不思議な夢を見た。
誰かが名前を呼んでいる。
応えようとしても身体が動かない。何もできないままヴェルナの意識はいつしか闇に飲まれていった。
意識が再び戻ってきた時にも呼び声は続いていた。
「あーさーだーぞー!起きろー!ヴェルナー!!」
名前を呼ぶトーンが変わった……いや、違うこれは夢じゃない。
この声の主はリキだ。大声で起こしにかかっているらしい。朝一番でこれはつらい。
「お、起きた……でも頭痛い……」
「よっしゃ、朝飯だ!行こうぜ!」
「ちょっ……」
散々な目覚めで体調は最悪だったが、食堂に並ぶ食事は最後に立ち寄った港――すなわち今はヴェルナの故郷で仕入れた食材を使っているそうで、すでにだいぶ離れただろうにいつもと変わらない味がそこにあり、いい意味で少し変な感じだ。
「やぁ、昨日きた新入りって君かい?」
食事を終え、部屋に戻る途中でこう話しかけてきたのはすらりとした長身の男性。頭に巻いた緑のバンダナから茶の長髪を流し、全体的に海賊らしからぬ爽やかで落ち着いた印象を受けるが、頬に施された大きな刺青がその印象にアクセントを付していた。
「あっ、はい……」
「ふぅん……」
すると彼はヴェルナを観察するようにじっと見回した。
「レイヴもまた面白いのを拾ってきたねぇ。君、名前は?」
「えっ、ヴェルナ=グラウコスです。」
「…ヴェルナね。俺は副船長のシルバリッド=ハーヴェイ。よろしく。そうだ、この後暇かい?ちょっと話がしたいんだけど。」
「えっと…、はい、たぶん……」
「そ、じゃあ後で談話室においで。じゃ、またね。」
それだけ言うと彼は去っていった。
「おいおい、あれ副船長じゃん。何しでかしたんだよ。」
リキがつんつん小突いてきた。しかしまるで心当たりがない。
「よくわかんないけど……ドンマイ。」
「ドンマイって、えっ、何それどういうこと!?」
リクが何やら物騒な言葉を残して二人はさっさと部屋へ戻っていった。仕方なくヴェルナは1人で談話室へ向かった。
「やあ、よく来たね。」
着いた時には彼はすでに一角で待っていた。おどおどしているヴェルナに手招きをした。
「あの、副船長、話って……」
「ああ、そんな堅い話じゃないよ。あと気軽にシルバって呼んでくれていいから。」
「え、いや、でも…」
いいからいいから、と席をすすめる。戸惑いながらも席につくと、シルバは二人分の珈琲を淹れ、それから話し始めた。
「どこから話そうか。まずは……そうさね、なんで海賊なんてなろうと思ったんだい?」
「それは――」
「その様子だとレイヴにホイホイされたわけだね?…ああ、気にすることはないよ。うちのメンバーって割とそんな感じだから。」
上手く言葉にできず戸惑うヴェルナだったがシルバがすっかり拾ってくれた。ひとまず安心して話を続ける。
「いつか海に出てみたいとは思ってたんです。港町で育ったせいもあるかも知れないですけど、なんていうか……ずっと憧れみたいなのがあって。」
「へぇ…、殊勝な心がけだねぇ。」
「そうですかね…?確かに下手すれば海の方が治安が悪いなんて言われる時世ですけど、昔から海に呼ばれてるような気がして……なんて、変ですよね。」
ふっとシルバの表情が変わった。何か考え込むような仕草にヴェルナが問いかける。
「…どうかしました?」
「いや、なんでもない。……よければその話、少し聞かせてもらえる?」
「えっ、いいですけど…」
まさかそこに食いついてくるとは思わなかった。それほど重要なこととは思っていなかったので困惑しつつも話を続ける。
「誰かに呼ばれてる気がするんです。昨日も変な夢を見て……」
「夢?」
「誰かが俺を呼んでるんです。それから…『目覚めよ』って。」
「なるほどねぇ……わかった。面白い話をありがとね。」
何やら考え込んだ後、いい笑顔を見せる。まるで何かを確信したように。
「…どうしてこんな話を?っていうか、信じるんですか?」
「んー、なんでだろうね。平たくいえば興味があるから、かな。ま、変な話したけど、これからよろしく頼むよ。何かあれば頼ってくれていいし。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
シルバは何やら満足げに立ち上がり――何か閃いたようにすぐに席に戻った。
「でさ、正直どうよ?」
「は?」
先程とは違う、かなり砕けた口調で突然また続けた。
「暇、なんでしょ?友達はできたみたいだけど。」
悪戯を思い付いた子どものように目を輝かせてまくし立ててきた。
「ええ……、まあ……。というか、何をしていればいいのかわからないというか……」
「なるほどねぇ……。そんな君にいい暇つぶしがあるんだけど、どうだい?」
それからというもの――
(は、謀られた……!?)
船内の掃除だけは完璧に覚えた。炊事は担当している班がいるようだから回ってはこなかったが、洗濯もある程度慣れた。
というか、叩き込んだ。
暇つぶし、とは要するに雑用全般だった。
(『ドンマイ』って、まさかこのこと…?あの話はどうでもよくて、これが狙いだったとか……!?)
その真偽が明らかになるのはもう少し先の話になる。何も知らないヴェルナはすっかり雑用係の地位に収まっていた。




