彼の耳はうさぎの耳
がやがやと生徒達の声で賑やかなクラスの一角。教室の窓際の真ん中の席。その席に椅子を持ち寄って、あたしたちはお弁当を食べていた。
「――え、みっこ?なに?動物に例えると?」
「うん、そう!例えば、若葉ならリス。ナナは女豹かな」
唐突に話出したのは、グループの盛り上げ役のみっここと、美弥子だ。美弥子は楽しげに何か話し出したかと思うと、それはまた唐突で突拍子もないことだった。私達グループの人たちを動物に例えると、である。
まぁ、誰しも一度は考えたことがある話ではあると思う。そして、美弥子が言うにはあたしはリス、奈々は女豹なのだそうだ。
「め、ひょ、う……!」
「あら、食べちゃうわよ?」
「やだー!ナナってば、似合いすぎ!」
思わずお腹を抱えて笑い出してしまったあたしに、奈々は流し目でこちらを見ながらふふっと笑った。その仕草がまた色っぽくて、決まっている。美弥子にリスと称されてしまったあたしには醸し出せない色気がぷんぷんと香っている。
「悠真くんは、狼かなぁ」
そんな中、みっこが再び爆弾発言をかました。今名前が挙がった悠真くんはあたしの通っている高校で王子様とあだ名されている美少年だ。そんな彼はなんと、素晴らしいことにあたしたちと同じクラス。お陰で、違うクラスだった去年よりも親近感が沸くようにはなったけれど、それでもまだまだ雲の上の存在である。
清潔感のある適度に短い黒い髪、ぱっちりとした二重のアーモンド形の目が魅力の甘い顔立ち。背は高く、モデル体系のナナよりも頭一つ分は大きいから百八十はありそう。サッカー部のエースとして鍛え上げられた適度に付いた筋肉もちょうどいい。おしゃべりではないのに、いつも輪の中心でにこにこしている。何ていうのか、自然と周りに人が集まってくる人望がある。
「狼だとイメージよりも少しクールな感じじゃない?悠真くんはそれよりも、そうね。すらっとしてるし、豹とかチーターとか?」
奈々は美弥子の言葉に首を傾げて、違う動物の名前を挙げた。それでも、あたしにはやっぱりどれもしっくりこない。
「――うさぎ」
あたしの発した動物の名前に美弥子と奈々は明らかに固まった。
「え?いやいや、悠真くんだよ?我らが王子だよ?うさぎはないでしょー、うさぎは!」
「でも、うさぎなの」
あたしの言葉を撤回させようとする美弥子の言葉に対して、あたしはそれでも頑なだ。誰が何と言おうとも、あたしにとっては彼はうさぎ。それは撤回できない。
「――そんなに俺うさぎっぽい?若葉さん」
「ゆ、悠真くん!え、えと、それは」
頑なだったあたしの心も、唐突な彼の言葉にしゅるしゅると小さく萎んでいくのが分かる。
「若葉ってばどっかずれてるんだから、気にしないで」
「そうそう!」
「でも、若葉さんから見たら俺ってそんなに可愛いってこと?嬉しいな」
フォローを入れようとしたはずの奈々と美弥子の言葉があたしの心をグサリと抉る。さらに小さくなるあたしを見て、彼はにこりと笑った。
「えっ!」
「あはは。冗談だよ」
思わず飛び上がるほど驚いたあたしを見て、彼はそう言って笑うとその場を離れて男子たちの輪の中に入ってしまった。その姿はもうすでに遠い。
例え同じクラスであろうとも、彼はみんなの王子様。女子と積極的に仲良くなろうとしていない彼とこうして話す機会なんてなかなかないのだ。
「それにしてもびっくりしたね。悠真くんから話しかけられるなんて、今日はラッキーなんじゃない」
「そだね。他の女子に自慢できちゃうわー」
興奮気味に話す奈々と美弥子を見ながら、あたしはまだドキドキと心臓が煩いままである。
なぜなら、さっきの悠馬くんの目がちっとも笑っていなかったからだ。
***
その日、あたしは図書委員の仕事でいつもより遅い時間まで学校に残っていた。ようやく図書整理の仕事が終わって、教室に荷物を取りに向かった。
「うう、図書委員で遅くなっちゃった。……あれ?電気点いてる」
誰も居ないと思ってたのに、と思いながら教室のドアを開けると中には人影があった。
「若葉さん、今日は遅くまで残ってたんだね?」
「ゆ、悠真くん!あたしはその、図書委員の仕事で残ってたの」
教室にあった人影は悠真くんのものだった。あたしは再び飛び上がりそうになる心臓をどうにか押さえつけて、できるかぎり何事もないように言葉を続けた。
「そういえば若葉さん図書委員だったね。図書委員て結構遅くまでかかるんだね」
「う、ん。うちの図書室って蔵書数多いから、整理するの大変で。えっと、悠真くんは部活じゃないの?」
我が高校は図書の充実ぶりに知られた学校で、図書室という名が嘘のように本の数が多い。その本の整理、返却作業なども司書の先生だけではとても追い着かない。そのために生徒も借り出されて、当番の時には遅くまで作業に追われることになる。
しかし、そんなあたしのことはさて置いて、悠真くんはサッカー部だ。サッカー部にはもちろん部室があって、彼らは荷物もそこへ持っていく。だから、彼が練習終わりのこの時間に教室にいることなんてそうそうないことなのだ。
「俺は忘れ物しちゃって。数学、明日提出の宿題あったろ?」
彼はそう言って持っていたノートを顔のところに上げた。確かに、今日の数学の時間に明日までと言われた宿題があったことを思い出した。
「うん、そうだったね」
あたしが目を伏せて頷くと、彼が歩いてくる。あたしは教室のドアのところに居たので、悠真くんはもう帰るところなんだろう。邪魔になってはいけないと思って、あたしがドアの脇に避けようとした。
しかし、その動きはがっしりと掴まれた腕によって遮られることになった。
「それでさ、若葉さんってどうして俺の顔見ないの?」
「……え?」
「若葉さんさ、『視えてる』だろ?」
目を伏せようとしていたあたしの視界には彼の白い制服のシャツしか写らない。ふわりと香る匂いは制汗剤のものだろうか。そして背中には教室の硬い壁。横を見れば、彼の腕。どうやらあたしは彼の腕に捕らわれているらしい、とそこでようやく気付いて動揺が体を巡った。
「な、何が?」
「若葉さんが、俺のこと顔から上、絶対見ようとしなかっただろ?それって、何かが見えてるからじゃないの?」
「……何のことか分からないんだけど?」
「じゃあ、僕の顔を見て」
「……み、見ればいいんでしょ!見れば!」
あたしは半ば自棄になって、彼の顔を見上げた。百六十センチほどのあたしからすると、彼の頭の位置は見上げる位置にある。そして、彼の顔を見ようと顔を上げると自ずと彼の頭も視界に入る。
「でも、君の昼休みに話してたのでようやく分かった。若葉さんさ、僕の『耳』が視えてるんだろ?」
そう言った彼の「耳」が音に反応するようにぴょこりと動いた。思わずそれに目を奪われたのを彼は当然ながら見逃すことは無かった。
「見えてない、見えてない、見えてない!」
「嘘だ。若葉さんの視線、俺の耳を見てるけど?どう?俺の耳、結構手触りいいんだけど」
「ぐっ……!」
「視えてるって言うんなら、触ってもいいよ?」
「……み……」
「毛並み、柔らかいよ?」
「……すいません!初めから見えてました!触らせて下さい!」
そしてあたしは毛並みの魔力にあっさりと敗北し、彼の耳を存分にもふ――撫でさせてもらった。
彼の耳にはうさぎの耳が生えていたのだ。そして、それはなぜかあたしにしか見えていないことも割とすぐに分かった。
何故ならば、キラキラした王子様が平然とうさぎの耳を着けているという状況がありえなすぎたから。そして、周りの女子たちもそれについて口に出す人が誰一人もいなくて、普通に彼に憧れている様子だった。
「それで?」
「え?悠真くんの耳、とっても触り心地が良かったです!ラビットファー素敵です!」
「……そうじゃなくて、どうして見えるの?」
キラキラと言い放ったあたしを悠馬くんは心底呆れた目で見て、首を振った。
「今年の春にインフルエンザで高熱出して、しばらく休んで。それで治って学校に来たら、悠真くんにうさぎの耳が生えてて」
これは本当の話だ。本当にあたしは高校二年の春まで彼の耳が見えていなかった。それなのに、季節外れの春に罹ったインフルエンザで高熱を出して、学校に来たら世界が変わっていたのだ。
「生えてって、元からなんだけどね。じゃあ、それまでは見えてなかったのか」
「うん」
「……ばあちゃんがたまに見える人間がいるって言ってたけど、あれって本当だったのか……」
そう頷きながらもあたしの視線は悠馬君のぴょこぴょとと動く長い耳に釘付けだ。それまで自制していたものが外れたかのように彼の耳に夢中である。
そんなあたしの邪まな視線に気付いていないのか、完全に無視しているのか彼は考え込んだ様子で眉を顰めている。
「あの!もう一回触っても良いですか?」
「……若葉さんさ、これが何とか気にならないわけ?」
「気にならないと言ったら嘘になるけど、それよりも耳の肌触りが最高で!こんなに素敵なものがこの世に存在していたのかと、今はそのことに心が奪われています!」
思い切ってあたしが頼んだ言葉に、悠真くんは呆れた顔であたしを見た。だけど、あたしはそんなことには屈しない。畳み掛けるように彼に言い放つと、彼は心底嫌そうに顔を歪めた。
その後、彼が人間の世界で身を隠して暮らす獣人であること、このことを他の人にバラしたら殺すようなことを言われたような気がする。
でも、そんなことよりも彼の耳をこれからもたまに触っていいと言う旨を無理やり承諾してもらって、そのことに胸を躍らせていたのだった。
「ちょ、若葉さん!もういいだろ!」
「いやー、まだ触り足りない。まだ撫でたい。もうちょっと!もうちょっとだけ!ね、お願い!」
誰だ、顔がセクハラオヤジと言ったヤツ!セクハラではない、これはアニマルセラピーである!




