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英雄のつくり方  作者: 河合しず
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1章 英雄の登場

 今日一日を振り返ってみると、幾つかの前兆があったと言わざるを得ない。

 占いの類は信じないが、虫の知らせというか、運気には周期があることを否定するつもりはない。そして今その周期はどん底へ向かって進んでいるのだろうと思い知らされる。

 第一の前兆は、朝一で先輩親衛隊から資料集めを頼まれた時のことだった。

 今日、親衛隊事務室は作成すべき書類の多さに対する恨み節とうめき声で満たされていた。月末恒例の光景である。種々の経費申請、勤怠連絡に月報……、何の為に作成しているのか不明な書類も多いが、とにかく作らなければ給料はもらえない。

 本来、ウルドが所属する親衛隊の職務とは、王宮の警備や王族や要職にある方々の身辺警護であり、組織上は国王軍所属、れっきとした軍人である。しかし、親衛隊に課される任務は警備のような武を必要とするものにとどまらなかった。実際には王宮に関する多種多様な雑務も依頼される。

 例えば、王宮内で式典が行われる時はその警備はもちろんのこと、会場準備や撤去も手伝う。また、王宮内や各省庁で働いている文官達のお使いを頼まれたり、年末の大掃除で大窓の高いところを拭いたり、庭師と一緒に王宮庭園の整備をしたり、果ては、やんごとなき方が飼っている犬の散歩係を命ぜられたり……。

 ウルドが親衛隊に配属された時、隊長のディーンは新入隊員達に向かってこう力説した。「親衛隊たるもの、体を鍛えて武芸を磨くだけでは不十分である。武官、文官、そして要職ある方々が円滑に業務を果たせるように力添えすることこそ、親衛隊の本分である。その為にはコミュニケーション能力こそが最も重要である」と。こういった環境ゆえに、鎧兜を着て剣と盾を握っている時間より、ペンと紙を握って書類作成に勤しむ時間が長くなるのは必然であった。

 ウルドも他の親衛隊達と同様に唸っていた。普段から書類を貯めないようにこつこつ作成しているが、それでもまだ大量の書類が残っていた。

 そこに先輩親衛隊が現れ、至急準備してほしい資料があるとウルドの肩を叩いた。

 先輩、上司の命令は絶対である。自身の書類作成は後回しにして、資料探しを優先させることにした。

 探すべき資料は王宮の図書館にあるという。それを聞いて思わず唸ってしまった。

 王宮内図書館はトウマ国随一の蔵書数を誇り、あまりの量に図書館の全容を把握できている者は誰もいない。トウマ国最高学府である王立アカデミーへ管理を委託しようという話も出ていたが、担当者が図書館の混沌を前にして、いつの間にか皆蒸発してしまった。それ以来手つかずである。

 この図書館にはまだ見ぬお宝級の資料が眠っていると、ウルドの弟で王立アカデミーで助手を勤めているイェニーが昔そう言っていたことを覚えている。そんなところから目的の資料を探す。正に宝探しだった。

 埃にまみれ、得体の知れない黒い虫達に襲われながらも、午前中いっぱいをかけて何とか資料を見つけ出すことができた。しかし、先輩に届けると、先輩は不思議な物を見るような様子で、

「あ、それ、もう必要なくなった。おかしいな、言ってなかったっけ?」

 などと、のたまうのであった。

 入隊直後なら「俺の半日返しやがれ」などと、殴りかかっていたかもしれないが、ぐっと堪え、大きく深呼吸を一つして気持ちを落ち着かせる。先輩方の朝令暮改的な指示はいつものことだ。この程度で腹を立ててはいけない。二年間の親衛隊生活でそれを学んだのだ。


 第二の前兆は、昼間、王宮正門の警備当番をしていた時だった。

 数少ない親衛隊らしい職務である。だがしかし、この仕事も形式的な意味合いが強い。普段は動きやすい親衛隊用軍服を着用していればよいのだが、警備当番の時は専用の甲冑を着用しなければならないのだ。過度に装飾が施された甲冑は重くて動きにくいわりには鎧として十分な硬度はなく、全く実用的ではない。あえて役に立たない甲冑を着る理由は、見た目が立派だから、である。このトウマ国一壮麗な建築物である王宮とその正門を威風堂々と親衛隊が警備する光景が、王都観光の目玉の一つとなっている。要は観光客向けのサービスである。ただ最近は観光客が減ってきているが……。

 風通しの悪い甲冑の為、体中汗まみれになって不快な気分で正門警備をしていると、老人が少年を引き連れて、こちらに向かって来る姿を見つけた。

 老人はとても奇妙な格好をしていた。大きな三角帽を冠り、灰色のローブを着て、さらに胸まで届くほど長い白いあご髭を垂らしていた。子供の絵本に描かれた魔法使いがそのまま飛び出してきたかのようだった。

 王宮前の広場で井戸端会議をしていた奥様方もその姿に驚いて、老人の方へ視線を向けていた。もう一人少年もいたが、老人のあまりの目立ちすぎる風貌に目がいって、彼の雰囲気や格好は覚えていない。

 老人は奥様連中の好奇な視線を気にも留めず、すたすたとウルドに近づいてきた。

 その老人は国王への謁見を希望していた。今日はいかなる身分であっても直接国王と会い上奏ができる謁見の日だった。謁見に際し、服装の規定はないので、どんなに不審で怪しさ全開な格好であっても、それだけを理由に入場拒否はできない。規律に則り、彼らをそのまま王宮内へ通した。

 と、実はここまでの話はただの前振りだ。本題はここからである。

 老人と少年が王宮内へ入り、それを目で追っていた奥様連中が井戸端会議を再会した時、悲劇は起こった。

 こつん、と兜に何かが当たる音がした。気になって音がしたあたりを手でなでまわした。何かが手にべっちょりと付着した。

 ……鳥のフンだった。


 まだある。第三の前兆は正門警備終了後、会議室の席で起こった。

 一週間後に控えた宮中舞踏会の警備計画について、舞踏会担当者との打ち合わせだった。担当者は宮中の儀式を司る部門の責任者で、ウルドよりもずっと地位の高い人物である。

 親衛隊の役得として、自身より遥かに地位や階級の高い人物と直接会えることが挙げられる。地位の高い人物に自身の顔と名前を覚えてもらうことで、出世が早くなる可能性があるのだ。事実、親衛隊時代に高貴な方々に気に入られ出世した者は多い。ちなみに現在トウマ国は幾つかの属州を有しているが、属州を管理する提督はいずれも親衛隊出身である。全員、親衛隊時代に築き上げた人脈を使ってその地位に就くことができたという。現在の人臣最高位である宰相アスに気に入られ、親衛隊長となったディーンも、既に次期提督の地位が約束されている、との噂だ。

 この舞踏会担当者、とても気さくな方でへんに偉ぶったりしないところはヒラ親衛隊のウルドとしては好感が持てた。しかし困ったことに、とにかくおしゃべり好きで、仕事とは関係のないことまでべらべらと話しかけてくるのだ。打ち合わせ直後は、

「先ほど謁見室の方が慌ただしかったですねえ。国王軍参謀長のジェフ殿もさっき大慌てで王宮内を走り回ってましたよ、何があったんでしょうか? ところで国王軍といえば、知ってます? 国王軍の総司令官、また奥さんに逃げられたらしいですよ……」と、下世話な雑談で始まり、

「晩餐のデザートを依頼してる店の味が落ちた気がするんですよ。やっぱり、息子さんに代替わりしたからですよね。そろそろ依頼先を変えようかと思いまして……、どう思います?」と、警備の打ち合わせと関係あるのか無いのか分からない話が続き、舞踏会会場の装飾に話が及ぶと、

「今回は青いカーテンにする予定です。……青と言えば、今度の長期休暇、家族で海に行こうと考えてまして。季節外れなんですけど、息子が今から大はしゃぎしてまして……」

 などなど。

 ウルドはそんなこと誰も聞いてねえよと心の中では思いながらも、ぐっと口をつぐんで耐え、「はあ……そうですね」と、適当に相づちを打っていた。

 結局必要のない話につき合わされ、二時間以上も浪費してしまった。本当は三十分程度の打ち合わせのはずだったのに。


 そして夕方。親衛隊の事務室で一向に進んでいない書類作成を必死に片付ける。数々の苦難と妨害により残業は確定的だった。今日は業務終了後に、弟のイェニーと会う約束をしていたのだが、このままでは遅刻。弟にどんな嫌みを言われることか。

 そんなところに、追い打ちをかけるかのようにディーンが現れた。ちょっと話がある、隊長執務室へ来てくれないか、と。


  □ □ □ □ □


 親衛隊隊長の執務室。

 ウルドはディーンの言葉に呆然とした。

 魔王。魔王? 魔王!

 ディーンは焼き菓子を旨そうにほおばりつつ、「【建国物語】を知っているか?」と、尋ねてきた。

「ええ、もちろんです」

「なら話は早い」

 そう言ってディーンは自分のグラスにブドウ酒を注ぐ。ウルドのグラスは空になっていたがディーンはもう注いでくれなかった。焼き菓子が載った皿もディーンの手元に引き寄せられていた。

「じゃあ、英雄と魔王の話も分かるな」

「いや、分かりません」

 ウルドは即答した。

 建国物語はトウマ国の人間なら子供でも知っている有名な物語だ。幼児向けの絵本もあるし、学校では国語と歴史の時間で必ず習う。当然ウルドも知っている。英雄ペルが、その昔トウマ国を支配していた【異形のモノ】と呼ばれる、人ならざるモノ達を退治する物語である。

 物語によると、千年くらい前に、後にトウマ国と呼ばれる土地を支配していたのが異形のモノだ。人間は奴らの奴隷とされていた。英雄ペルとその弟オクはその支配から人間を解放しようとして、異形のモノを倒す旅に出る。兄弟は様々な冒険と困難を乗り越え、遂に異形のモノの王を屈服、トウマ国を異形のモノの支配から解放した。英雄ペルはその功績により、人々から国王となるように勧められたが、謙虚なペルはそれを辞退。代わりにペルと共に旅していた弟のオクが王位に就いた。今のトウマ国の支配者である王家の祖先である。ここが建国物語と呼ばれる所以である。

 異形のモノの呼び方には諸説ある。文献によっては青い悪魔または単に悪魔と記されていることもある。そして異形のモノ達の王は、異形の王と呼ばれることもあるが、より一般的には【魔王】と呼ばれていた。

 また、建国物語は国の始まりを記した歴史書であると同時に、多くの子供達から今なお愛される冒険物語である。かくいうウルドもこの英雄の物語に虜になった。物語に感化されて軍に志願するものも少なくないが、ウルドもその一人だ。

 ウルドの否定の言葉に対して、ディーンは信じられないといった様子で仰け反った。

「お前はこの国の現状をちゃんと理解していないのか!」

 いや、理解はしている。建国物語自体には英雄も魔王も登場するのだ。そこは問題ない。しかし分からないと言った理由は、何故今英雄の話が出てくるのか、ということだ。魔王の話ならまだ分かる。

 ディーンはウルドが現状を何も理解できていない世間に疎い者と映ったのだろう。「いいだろう、一から説明してやる」と言って、今まで幾度となく聞かされたトウマ国の状況を語り始めた。


 今トウマ国は戦争状態にある。ウルドの今の生活を振り返ってみても全く実感がないのだが、戦争は間違いなく現在進行形である。

 戦争の相手は、建国物語で出てきた異形のモノだ。

 トウマ国の東の外れには何人も寄せ付けない深い森と険しい山々が連なっている。その地域一帯は年中霧に覆われ、未だその地域の詳しい調査は行われたことがない。そこには地下世界の入り口となる洞穴があるとか、異世界へ通じる門があるとか、様々な伝説があるが、もっとも信じられている説は、建国物語や古い伝承に出てくる異形のモノの住処、というものだった。

 今から約一年前、異形のモノが突如その地より現れ、トウマ国を侵攻し始めた。

 それまで一部を除いた権威ある学者先生方によると、地下世界も異形のモノも所詮伝説、伝承であり、実在はしない。あくまで空想によって生み出されたおとぎ話、と言っていた。建国物語で出てくる異形のモノは実際は怪物などではなく、異民族の比喩である。建国物語とは国外の異民族からトウマ国を守った話である、というのが通説だったらしい。

 しかし、地下世界や異世界はともかく、異形のモノは実在した。風貌も文献にある通りだった。人間と同じような姿をしているが、体格は成人男性の二倍近くもある。全身が紺青色の皮膚で覆われ体毛はない。また大きく裂けた真っ赤な口に、異常に長い腕。腕力も人間など足下にも及ばなかった。

 異形のモノ空想説を唱えていた学者先生達の権威は失墜した。そして以上に窮地に陥ったのが国王軍だった。不意を突かれたせいもあり、緒戦は一方的にやられまくった。異形のモノの軍勢の前に街や要塞は次々と陥落し、国土は蹂躙された。開戦後三ヶ月ほどでようやく異形のモノ達の進撃が停止した。しかし国王軍側も反攻する戦力が整わず、戦線はこう着状態に陥った。異形のモノの進撃が止まった正確な理由は不明だが、国王軍の様々な知略策略と奮戦の結果、攻撃する余裕が無くなったと考えられている。


「とまあ、今は戦争状態だ」

 ディーンは簡単にトウマ国の現状を伝える。もっとも、ディーンの説明は魔王率いる異形のモノが攻めて来た、今国王軍はそいつらと戦っている、以上、という随分乱暴な説明だった。先述の説明は、ウルドがディーンの説明とは全く関係なくまとめたものだ。文献云々の件は歴史学者である弟から教えてもらった。

 ともあれ、ディーンの説明で魔王は登場したが、もう一つの英雄の説明はまだ出てこない。それにこの話を聞かされても、ウルドのこれから伝えられるであろう厄介な任務とどんな関係があるのかさっぱり分からなかった。

「異形のモノ達の王である魔王を倒す。それは王国全体の願いです。この未曾有の国難において、総力を挙げて戦うことは当然だと思います」

 ディーンの説明に対して、ウルドはありきたりな感想を述べた。しかし現在異形のモノ達と戦っているのは国王軍である。主に王都で任務にあたる親衛隊としてはほとんど戦争と関わることはない。どれほど激しい戦闘が行われ、戦況はがどうなっているのかほとんど分からない、というのが正直な所だ。戦争というものに全く実感が湧かなかった。

 ——本当にこれでよいのだろうか?

 ウルド達も国を守る軍隊の一員だ。戦場に近い街や村では、若者を中心に労役が課せられ、女子供達は疎開が行われているとも聞く。それに対してウルド達は今日ものんきに雑談とつき合いながら宮中舞踏会の準備をしていた。

 そう思う一方、それは国王軍の一般兵士の仕事があり、俺達には俺達の仕事がある、しかたがないと思う自分もいる。だから今自分で言ったことに気持ち悪さを覚えた。ディーンに気づかれないように手を強く握りしめ、唾を飲み込む。

 一方、ディーンはウルドの言葉を額面通り受け取ったらしい。ヤニで黄色くなった歯を見せて笑う。

「その国を思う熱い心。アイラー君。やはり君は私が期待していた通りの男だ。その熱意と意志で魔王を倒してくれ」

 ウルドのこめかみがちくりと痛んだ。思わず顔をしかめる。痛みは一瞬ですぐに落ちついた。

「……あ、はっ、はい。ですから、国全体が力を合わせて魔王を倒さないといけません」

「ああ、魔王を倒し国を救ってくれ!」

 ここでやっとウルドは違和感を感じた。話がかみ合ってない。情報が全部揃っていないと言うか、根本的に認識が相違しているところがあるような。

「……誰が倒しに行くんです?」

 最初に聞いておくべき質問だった。

 ウルドはてっきり、国王軍が遂に魔王打倒の反攻作戦を実施するので、ウルドを含む親衛隊も協力をする、その為の任務だと思っていた。

 ディーンはだいぶ前髪が後退した額を人差し指でかりかりと掻いた。

「君が行くのだよ、アイラー君」

「はい?」

 間の抜けた声を出してしまった。ディーンはさっと長椅子から立ち上がる。

「正確には、英雄ペルの末裔の少年と共に魔王を倒すのだ!」

 ウルドは呆然とディーンの顔を見上げた。


  □ □ □ □ □


 ウルドの理解をよそに、話はとんとんと進んでいく。

 今すぐ、英雄殿に会ってもらう、ディーンに言われてそのまま宰相の執務室に引っ張られて来た。

 宰相の部屋は、ディーンの部屋よりもずっと広く、サイドテーブルには舶来物の磁器が並び、部屋の隅には凝った置き時計が設置され、格調の高さをうかがわせた。これまた大変高価そうな来客用のテーブルを囲んで六人の男が座っている。

 部屋の一番奥にある席には部屋の主であるトウマ国宰相アスが座っている。王家を除けば人臣最高位、一部では冷鉄宰相などと呼ばれている。部屋の中にいる男達の中で一番背は低いが地位は一番高い。

 アスの対面、部屋の入り口に一番近い席には、国王軍参謀長ジェフがいた。軍の頭脳と呼ばれ、総司令官に次ぐ二番手であるが、異形のモノとの戦争において実質の指揮権を握っている。兵士達からの人望も厚く総司令官以上に頼りにされていた。ジェフは白髪で顔にもしわが多いが背筋はまっすぐに伸び、体は引き締まっている。体格だけなら一般の若者に負けないだろう。

 アスから見て右手側の長椅子にはディーンとウルドが座っている。アスもジェフもウルドが滅多に会えるような存在ではない。ウルドはさすがに緊張していた。

 そしてウルドの対面には老人と少年が座っていた。

 昼間の正門警備中に見かけた老人と少年だった。大きな三角帽、灰色のローブ、胸にまで届く長いあご髭、忘れるはずもない。少年の方も顔も改めて見ると、……思い出すような思い出さないような。

 ディーンが言っていた英雄の末裔とはこの奇抜な格好をした老人、ではなくて、その老人に寄り添うようにして座っている印象薄い少年の方だった。老人は少年の付き添いらしい。主よりも目立つ従である。

 ウルドは英雄などと聞いたから一体どんな人物なのか、もしかして後光でも差しているんじゃないかと色々と想像を巡らしていたが、いかにも平凡そうな少年を見て、拍子抜けした。

 見たところ少年の年齢は十代前半の普通の子供だった。背は低く、体も細かった。顔は少女と言ってもいいほどで、髪を伸ばせば、ちゃんと観察しない限り女の子だと間違えそうだ。唯一変わった所と言えば、少年の夕日のように朱い瞳だった。やたら瞳だけがきらきらと輝いている。この国では珍しい色だ。外国出身なのかもしれない。

 アスがこの部屋に居合わせる男達を地位の高い順に老人と少年に紹介していく。当然ウルドの紹介が最後になった。

「そしてこちらが、親衛隊に所属している、……アントニーだったか?」

 アスが首をひねった。名前を覚えられていない、当然と言えば当然だが。

「アイラーです、閣下」

 ディーンがアスに耳打ちする。

「ああ、そうだった。アイラーね。アイラー。彼があなた方の護衛として付き添います」

 ウルドは老人達に向かって黙って頭を下げる。少年は怯えるように少しだけ頭を下げたが、老人は身じろぎ一つしなかった。

 王国側の人間の紹介が終わると今度は老人と少年の紹介に移った。

 老人は年齢を感じさせない機敏な動きでさっと長椅子から立ち上がる。柔和な表情で辺りを見渡す。老人は室内でも三角帽を冠ったままだった。

「わしこそが、その名を知らぬ者なし、希代の大魔法使い、マローリンじゃ」

「……へ?」

 ウルドは耳を疑った。——何を言っているのだこのジイさん。大魔法使い? その名を知らぬ者なしって、マローリンなんて名前聞いたことないぞ。

 ウルドは周りを見渡す。ウルド以外の人間は真剣なまなざしでマローリンを見ていた。間抜けな声を出したのはウルドだけだったようだ。ディーンがウルドだけに聞こえる声で補足してくれた。

「高名な魔法使い様だ。この度トウマ国の危機を聞いて、はるばる遠くの異国から駆けつけてくださったのだ」

 魔法使い? それこそ昔話や物語に出てくる空想の産物じゃないのか? まあ異形のモノが実在したんだ、魔法使いだって、っていやいや、それとこれとはまた話が別。

「うそだろ……」

 ウルドが否定の言葉を発しようとした時、さっきまで愛想良く笑っていたマローリンが急に鷹が獲物を狙うような鋭い目つきになった。ウルドはマローリンの視線に驚いて、それ以上言葉が続かなかった。耐えきれず目を逸らす。

「いかにも。この国を救うため、遠くはるばるやってきたのじゃ」

 マローリンは再び愛想良い表情に戻っていた。ただ口調にせよ態度にせよどことなく芝居がかった感じを受ける。

「そして、わしの隣に座っておるのが、何を隠そう、英雄ペルの末裔であるチェド=フェヒナーじゃ」

 マローリンに紹介されたチェド少年は、何も喋らずただ軽く頭を下げただけだった。

 チェドが顔を上げた際にウルドと目が合った。チェドはさっと目を逸らし、不安そうに辺りをきょろきょろと辺りを見渡していた。まるで小動物のようだった。

「このチェド殿が魔王を倒し、このトウマ国に平和と安定をもたらすのじゃ!」

 マローリンはそう宣言した。


 ウルドに申し渡された任務とは、チェドとマローリンを護衛し、異形のモノ達の王である魔王を倒すことだった。

 しかし、疑問が噴水のように湧き上ってきた。特に説明もなく進んで行く打ち合わせに耐えられなくなってウルドは質問を始めた。

「ちょっと待ってください宰相様。そもそも、この少年が英雄ペルの末裔だなんて、何を根拠にそう言っているんです?」

 ウルドは当然且つ根本的な質問をアスにぶつける。するとアスが答えるより先にマローリンがウルドに向かって言った。

「高名な魔法使いであるわしの言葉を、信じられぬと言うか、若いの」

 いや、そもそもあんたが魔法使いだってところから信じられないんだ。

 一方ウルド以外の人間はどうやらマローリンが魔法使いであることを信じて疑っていない様子だった。——魔法なんてこの世にない、物語にだけ存在する空想の力のはずだろ?

 すると今度はアスが補足した。

「サウザー!」

「アイラーです、閣下」

 小声でディーンが再び訂正する。

「……アイラー。英雄ペルの末裔だという証拠に、チェド殿が先祖伝来の品々を幾つか見せてくれた。その中にペルに縁ありと考えられる品々があった」

 どこかで拾っただけなのかもしれない。それだけで彼を英雄の末裔だと考えるのは、危険じゃないだろうか?

 ウルドの疑惑を感じ取ったのかアスは更に言葉を続けた。

「それに、国王陛下がチェド殿を本物の英雄の末裔だとお認めになられた」

 ——国王陛下が?

「陛下がそうご認定されたのだ。なら、臣下である我々に口出すことはまかりならんぞ。君は陛下のご裁断を疑うというのかね」

「……あ、いや、そのようなことは……」

 納得はいかないが、国王の名を出されてはこれ以上反論しようがなかった。変なところで逆らって寿命を縮めるのはまっぴらごめんだ。

「そういうわけじゃ。分かればよろしい」

 マローリンが小さく舌を出す。……イラッときた。

 まだ疑問は解消されない。ウルドは質問を続けた。

「ではこの少年が英雄の末裔として、それでどうして魔王討伐が可能なのでしょう。英雄の末裔でないと魔王を倒せない理由があるのでしょうか?」

 そう言ってウルドはチェドを見る。チェドは体をびくっと震わせると逃げるように視線を逸らした。

「なんだ、ディーン? ちゃんと説明していなかったのか?」

 アスはディーンを睨みつけた。いつもは部下達にぞんざいな態度を見せるディーンの顔は青ざめ、慌てて弁明を始めた。

「伝えましたとも。建国物語の話から事細かく丁寧に。少し物覚えの悪い奴でして。こら、謝れ」

 そう言って、ウルドの頭を無理矢理押さえつけた。……さっきまでは俺のことをべた褒めしてたくせに。ウルドは内心呆れ返っていた。

 そのやり取りを見て、今までずっと黙っていた参謀長ジェフが口を開いた。

「宝剣だ」

 ジェフは腕組みしたままウルドの方を向く。

「トウマ国の至宝【ウエンリハト】。その剣があれば、たとえひ弱な人間の力でも魔王を倒すことができる、と言われている」

 ひ弱、という部分が妙に強調されていた。一瞬全員の視線がチェドに集まる。チェドはずっと下を向いたままだったが、ますます小さく縮こまってしまった。

 ジェフの言葉にマローリンが続ける。

「その通りじゃ。ウエンリハトがあれば魔王を倒すことが可能じゃ。いや、その剣が無ければ魔王を打ち倒せぬ、が正しいかのう。これもまた建国物語にある通りじゃ」

 ウルドは建国物語の内容を思い出す。確かに、英雄ペルは長い旅の果て、魔剣ウエンリハトを入手する。その剣で異形のモノと魔王を倒したのだ。

 再びジェフが語り出す。その喋り方は丁寧で、この部屋の中で一番知性と気品があるように思われた。

「ウエンリハトは英雄の血を継ぐものにしか扱えない、ということらしい」

「それは、本当ですか?」

「宝剣は王家が所有しているが、しかしこれまで誰一人その剣を扱える者はいなかったそうだ。マローリン殿は、剣の力を引き出せるのは英雄の末裔だけだ、そうおっしゃった」

「その通りじゃ」ジェフの言葉にマローリンが首肯する。

 ウルドはチェドを見る。チェドはまだ下を向いていた。

 マローリンの言葉が全て正しいと仮定すれば、この少年だけが魔王を倒せる、ということになる。たとえその宝剣があったとして、こんなひ弱そうな少年が本当に魔王を倒せるのだろうか? 甚だ疑問だ。

「では、その剣は何処にあるのです? 国王陛下が所有されているということは、この王宮内に?」

「それがだなウルド君。宝剣はこの王宮にはない、ハクラの砦にあるのだ」

 そう言ってジェフは弱々しく頭を垂れた。

 今日の午後、マローリンとチェドは国王に謁見した。その目的は、チェドを英雄の末裔だと認めてもらい、国王軍の協力と王家が所有するウエンリハトを得るためだった。しかし剣は王宮にはなかった。王都から遠く離れたハクラの地にある砦に保管されている。そしてその砦は今異形のモノに占領されていたのだ。

「だから、先ずはハクラの砦を奪還する必要がある」と、アス。「それを国王軍が引き受けてくれる、とジェフ殿は約束してくださった」

 アスとジェフがお互いを見つめる。いや睨み合っていた。

「もちろんだアス殿。軍の威信にかけて砦を攻略しよう。戦略的にも重要なことだからな」

 ジェフは刺々しい口調でアスに言い返す。アスは鼻息粗いジェフを鬱陶しそうに見やる。

「期待しているよ参謀長殿。くれぐれもガサの二の舞にだけはするなよ」

「ふん、あれは我々の落ち度というより、アス殿が監督されている文官共の失政だと思うがね」

 ジェフの言葉に、アスが身を乗り出した。

「何を言う、軍人の分際で……」

「閣下もジェフ様もお止めください。部外者がいます」

 一触即発の二人の間をディーンが割って入った。二人は顔を醜く歪めると顔を背けた。部屋の空気が一気に凍りつく。

 しかし彼らの対立は今に始まったことではない。王宮に勤めていれば周知の事実だった。マローリン達の謁見が終わった後、彼らの対応について宰相ら主要な大臣と国王軍の総司令官や参謀長らと会議が行われた。喧々諤々の議論が行われたらしい。問題は軍事のみならず政治的、より正確には政局的な意味合いも含んでいた。

 会議の結果、国王軍が中心となってハクラの砦を攻略しウエンリハトを奪還する。一方英雄の末裔チェドの護衛は親衛隊を中心として行う、という役割分担が成立した。

 なんという内輪揉め、なんという縦割り行政、なんという国民不在の政治劇。

 本来であれば全部国王軍に任せればよいものを、手柄を総取りされたくないアスとディーンの意向だろう。軍の一組織でありながら政治的立場は宰相に近い親衛隊をこの計画に参加すれば、もし本当にこの少年が英雄の末裔として魔王を倒しても、国王軍側に全て手柄を持っていかれることはない。一方、失敗しても宰相側の損失はウルド一人だ、たいした傷ではない。何処にでもありそうなドロドロした話だが、その狭間に押しやられたウルドとしては、はた迷惑な話だ。

 部屋の空気は緊張に包まれていた。その雰囲気を破ったのはマローリンの咳払いだった。

「ごほん、この国が抱えている問題は異形のモノだけではありますまい。しかし英雄チェド殿が必ずやこの国を救ってみせましょうぞ」

 そう言って、マローリンはチェドを見た。少年はずっと俯いていた。


 アスとジェフのいがみ合いが収まった後、幾つかの細目について確認が行われた。

「明朝、国王陛下に謁見した後、直ちに出発してもらう」

 アスのこの言葉によって会談は終了となった。

 全員が立ち上がる。チェドだけ立ち上がるのが少し遅かった。

 ウルドはチェドを見つめながら考える。結局最後までこの少年は何も話さなかったな。果たして今日の会談の内容を理解しているのだろうか。国の運命は彼にかかっているということになるのだが。本当にこんなひ弱そうな奴が英雄の末裔なのか? とても信じられない……。

 宰相の部屋を退出する直前、

「よろしく頼むよ、若いの」

 マローリンが右手を差し出してきた。ウルドはその手を握ろうかどうか十秒ほど悩んだ。


 宰相の部屋を出た後、ディーンと一緒に親衛隊の事務室へ戻る。外はすっかり闇に覆われていた。

「アイラー君、頼んだぞ」

 先頭を歩くディーンがそう言って振り向いた。随分と嬉しそうな顔だった。これが首尾よく行けば、自分の栄達もますます確実なものとなる、そう顔に書いてある。酷い上司だ。

「あと、国王陛下のお考えは分からないが、少なくとも私と閣下はマローリン殿の言葉を全て信じているわけではない」

 予想外の展開だった。二人ともすっかりマローリンを魔法使いだと信じているかと思っていたのに。

「あの魔法使いが本当は何を考えているのか、そしてチェド少年が本当に宝剣を扱い、魔王を倒せうる者か見極めるのが君の任務だ」

 どうやら、実際のウルドの任務とは彼らの護衛と同時に彼らを監視することのようだ。

「彼らと国王軍が強く結びつくことを、閣下は何よりも恐れている」

 そうディーンは独り言のように呟いた。

「どういうことですか?」

 ウルドは尋ねる。しかしディーンは首を振った。

「……分からなくてもいい。まあ無茶はするな」

 これも予想外だった。部下の心配をしてくれるとは。なんだかんだ言って上司らしいところもあるじゃないか。

 二人は隊長執務室の前に到着する。

「アイラー君、明日出発だ。すぐに準備に取りかかってくれ。最優先事項だ、他の仕事など気にするな」

 ウルドはディーンの言葉にはたと思い出す。そういえばまだ月末の書類作業が残っていた。もうとっくに本来の勤務時間は終わっている。

「分かりました。だとすると、まだ残っている書類作成が間に合いません。これらはこの任務が終了してからでいいですか?」

「いや、それは今すぐやってくれ」

 ディーンは即答した。


  □ □ □ □ □


 「魔法使い? いないとはいえんな」

 そう言って、ウルドの弟イェニーはジョッキをあおった。

 その言葉にウルドは驚く。イェニーなら、「魔法使い? そんな得体のしれないもの」などと言って当然否定するものだと思っていたからだ。

 宰相の執務室での会談の後、怒濤の勢いで残りの書類作成を終わらせたが、弟と待ち合わせていた酒場に、予定より一時間以上も遅れてしまった。もっとも、弟も二時間遅れでやって来たのでお互い様である。

「そうなのか?」

 ウルドもジョッキをあおる。

 仕事の後の酒はやっぱり最高だ。特に今日は全てを忘れて深酒したい気分だった。……しかし明日のことを考えると難しい。

 酒場は大変な賑わいで、そこら中で笑い声があがり、奥のホールでは楽団が流行りの曲を演奏している。かなりの大声を出さないと声が相手に届かない。

 ウルドは今日王宮であったことを弟のイェニーに話した。——守秘義務? 何だそれは。大丈夫だ弟は口が堅い。たとえ、鶏冠ように逆立った髪に、シャツの上半分のボタンを外して男らしい胸板を大胆に見せているような、奇天烈な格好をしていてもだ。ウルドの詰め襟まできちんと留めた白い軍服とは正反対である。しかしイェニーはこう見えても、王立アカデミーの歴史学部で助手を勤めている立派な学者先生なのだ。人を見かけで判断してはいけない。

 イェニーはつまみの干し肉を口に運ぶ。

「ああ、魔法使いの話なんて、掃いて捨てるほどあるからな。多くの人が想像する魔法使いってのは、箒にまたがって空を飛び、何もないところから黄金を生み出すって感じだろ。そう、子供向けの絵本とかによくあるあれだ。でもそんな話は絵本だけでなく歴史的な文献の至る所に記述されている。昔の人はみんな魔法使いだったんじゃないかと思えるほどだ。それに魔法の技術をまとめたとされる魔道書も幾つか現存している。あとは遺跡から魔法具と呼ばれる遺品も発見されている。それもかなりの量だ。これから兄貴が探すっていう英雄が使ったウエンリハトも魔法具、つまり魔剣だと言われている」

 へえと、ウルドは素直に感心する。てっきり魔法使いなんておとぎ話にだけ出てくるだけで、インチキだと思っていたのだが、学者先生であるイェニーが言うと説得力が違った。

「じゃあ、その老人も実は魔法使いなのか?」

 ウルドが尋ねる。するとイェニーはにやりと意地悪そうに笑った。——こいつからかったな。

「魔法使いの話が出てくるのは五百年以上も前の文献だ。ここ数百年以内の記録は残っていない。……全くないって訳じゃないが、後にインチキだったと確認されているものばかりだ。魔道書も全く意味不明な文字で書かれていて、未だ解読されていないし、今後解読できる気配もない。ただの落書きだって言い張る学者もいる。それにたくさん出土した魔法具ってのもさっぱり使い方が分からんとなっては、本当にその道具に魔法が宿ってるのかは確かめようがない」

「つまり、どういうことだ?」

「魔法使いはいたかもしれない、ただし昔はって前提付きだ。もちろん今も魔法が残ってることを否定できない。でも、時代を経るにつれ、その技術は失われていったと考える方が自然じゃないかな。その老人がもし本当の魔法使いだったら、……革命的だな、学問的にも政治的にも」

 イェニーは近くに来た給仕を呼び止めると、飲み物の追加を注文した。

「だから、本当に魔法使いかどうか是非確かめてくれ」

 そう言って、ハハハと声をあげて笑った。そんな弟の姿を見てウルドは舌打ちする。そんな怪しい老人と今から旅をするこっちの身にもなってみろってんだ。

「それよりも」

 新しいジョッキを手にしたイェニーが真面目な表情に戻って、話しかける。

「俺は、英雄の末裔っていう子供の方が興味あるな」

「と、言うと?」

 ウルドも干し肉に手を伸ばす。

「当然、建国物語の英雄のことだよな?」

「ああ、英雄ペルの末裔だって言ってた。紹介したのはその怪しげな魔法使いだけどな。だからこっちの信憑性も正直怪しい」

「そうとも限らない」

 またからかってるんじゃないだろうな。しかしイェニーの表情は真剣だった。

「建国物語の最後で英雄ペルは王位を弟に譲った。その後のペルの消息は不明とされている。異形のモノを駆逐した後、大英雄の消息はぱったりと途絶えるんだ。古代史の大きな謎の一つだよ。ああ、もちろん他にもまだ色々面白い謎があるんだが……」

 イェニーは最早飲むことを忘れて語り始めている。彼は一度歴史について語り始めると止まらない。昔飲まず食わずで六時間延々と講義を聞かされたこともあった。

 しかし酒の席で長々と講義をされても困るので、重要な点だけを言うように促した。

「ペルのその後については様々な説がある。人里離れた山奥でひっそりと余生を暮らしたという説もあれば、国外へ旅に出たという説もある。ま、いずれにしろ、ペルの弟オクが初代トウマ国王に就任してから、ペルは歴史の表舞台から消えた。ただ、ペルには当時妻がいた。これは複数の文献で言及されている」

「つまり、子供がいた可能性があると?」

「ああ、ペルの子孫がどこかで脈々と生き続けていた可能性も当然ある」

「でも、それじゃあ魔法使いが現在でも存在する可能性と大差なくないか?」

 ウルドは当然の疑問を口に出す。

「まあ、そうだな。でも、本当にその少年が英雄の末裔なら歴史学にとっては、魔法使いの有無以上に一大事件だ。なにせ、消えた英雄の謎が解けるかもしれないんだぞ!」

 イェニーは目を輝かせる。

 ウルドよりイェニーの方が彼らと一緒に旅に出た方がいいんじゃないだろうか。その方がお互い幸せになれそうだ。そんなことを冗談で言うと、

「付いて行きたいのは山々なんだが、仕事が溜まっていて……」

 イェニーはとても悔しそうな顔をした。——なんならその仕事代わってやってもいいぞ。

 イェニーは突然話題を変えた。 

「兄貴、旅と言えば、俺の婚約者も今論文作成の情報収集の為に旅に出ててな」

 イェニーは将来を約束した女性がいる。その相手がイェニーの研究室にいる学生ときたもんだ。とんだ手癖の悪い先生である。確か名前は……、何度か聞いたがまた忘れてしまった。

「そ、そうか」

 名前忘れましたとは言えず適当に相づちを打つ。しかし論文作成の為に旅って、学者も体力が必要なのだなと思う。

「行き先? それが奇遇なことに、異形のモノを観察するために戦場へ行ってる。もし途中で会ったら、便宜を図ってやってくれ」

 随分と活動的な女性である。しかしそんな危険なところへ行かせるとんでもない先生もいたものだ。……ああ俺の弟だ。

 その後、しばらく王都を留守にする為、身の回りのことや、母親のことなどをイェニーに依頼した。イェニーは任せておけと快く引き受けてくれた。

「家のことは心配するな。仕事を頑張れ。そして是非仕事の成果を教えてくれ! で、大体どれくらいで戻ってくるんだ?」

 だいぶ顔が赤くなったイェニーが尋ねた。

 その言葉にウルドははっと気づかされる。今回の旅がどのくらいかかるか見当もつかない。ハクラの砦までは馬車を使えば十日ほど、馬を必死に走らせればその半分くらいだろう。でもその後はどうなるか分からない。宝剣を手に入れ、魔王討伐となれば、任務が終わるのが何時になるか想像できない。一年以上かかるかもしれない。いや、戦場へ向かうのだ。当然戦闘も覚悟しなくてはならない。

 果たして帰ってくることはできるのだろうか?


  □ □ □ □ □


 翌日。天気は快晴、絶好の旅日和だった。これが休暇旅行だったらどんなに良かったことだろう……。

 ウルド達は王宮の謁見の間に集められていた。英雄の末裔御一行が出発する前に国王陛下からありがたいお言葉を賜るためである。

 ウルドは大きなあくびをする。イェニーと別れた後、深夜まで旅の準備をしていた。それに、取り留めもなく思考がぐるぐると回っていたせいでよく眠れなかった。

 ウルドのあくびを見て、玉座の脇に立っていたディーンがウルドを睨みつける。もう一回あくびが出そうだったので、ウルドは口を押さえてなんとか堪えた。

 謁見の間は、五百人は収容できるほどの広さで、壁も柱も床も大理石で覆われている。装飾は少なく全体的に簡素だが、その分、一番奥の壁に飾られている王家の紋章が刺繍された巨大なタペストリーと、その前に鎮座している玉座の豪華さが際立っていた。

 玉座を目の前にして旅に出るウルド、チェド、マローリンが立ち、玉座の脇には旅を送り出す側のアスとディーンが立っている。そして謁見の間入り口には、国王軍総司令と参謀長ジェフが立っていた。ウルド達は丁度アス達とジェフ達に挟まれる位置にいる。この位置関係が政治的縮図に見えて、思わず溜息をついた。

 ウルド達は国王の到着を待っていた。

「間もなく陛下がいらっしゃる。ちゃんと予行練習通りやること」

 アスがマローリンを睨みつけた。

 ウルド達は先ほどまで謁見の為の予行練習をしていた。国王の登場からご講話、そして退場まで。礼をするタイミング、どんな体勢で話しを聞くか、そして受け答え方まで。伝統を格式を重んじる王宮では珍しいことではない。たまにばかばかしいと思う時はあるが。

 その予行練習でマローリンだけがちっとも決められた通り動こうとしなかった。理由は分からないが、全く言うことを聞かない。結局最後まで予行練習が終わらなかった為、アスはかなり苛立っていた。

 マローリン達は昨日も謁見の間で国王と面会したはずだ。その時はどんな様子だったのだろう。よっぽど酷い態度を取ったのではなかろうか?

 今もマローリンはアスの忠告を全く気に留めていない様子で、小さく鼻歌なんぞ歌っていた。こんな横柄な態度を取っている老人がよく打ち首にもならず、それどころか、国王や宰相に自身の主張を認めさせたものだ。驚きというよりほかにない。昨日のマローリン達の謁見の様子をディーンに尋ねてはみたが、ディーンの説明は相変わらず要領をえなかった。分かったことは、最初、国王はマローリンの話を胡散臭そうに聞いていたが、気がついたらマローリンの言葉に感銘を受けて涙を流しながら全面的な支援を約束していた、とのことだった。

 魔法、という言葉が脳裏をよぎる。

 国王陛下はこのマローリンという自称魔法使いに魔法を掛けられ騙されているんじゃないだろうか?

 イェニーは現代に魔法使いはもう存在しない、と言っていた。ウルドもそう思う。少なくともマローリンが魔法使いだとは思えなかった。確かに格好だけ見れば魔法使いそのものだ。しかし威厳というか貫禄というか、とても名のある魔法使いとは思えない。詐欺師にしか見えない。

 ウルドはマローリンを挟んで立っているチェドへと目を向ける。チェドは相変わらず緊張した面持ちで、落ち着きなくあちこちを見回している。彼も本当に英雄の末裔なのだろうか?

 部屋の奥にある国王専用の扉がぎいいと音をたてて開いた。その音にウルドの思考が中断された。

 部屋の中が静まる。

 コツ、コツ、と足音が響き渡り、扉の奥からゆっくりと第四十四代トウマ国王メージェ五世が姿を表した。

 謁見の間の空気が一気に張りつめる。

 臣下の中では密かに大玉と形容されるほどの丸々と肥えた腹と頬、ほとんど頭髪が残っていないその頭上には、三つの大きな宝石が埋め込まれた黄金の冠が輝いていた。赤い生地に金糸でタペストリーと同じ王家の紋章が刺繍されたマントを羽織り、手には大きな扇子を持っている。

 国王は腹と頬を震わせながらゆっくりと玉座の前に到着した。そしてウルド達の方を向いた。予行演習通りウルドは片膝をついて頭を垂れた。

 そのままの体勢でしばらく待つ。国王は何も喋らずそのまま立ち続けていた。予行演習通りならこの後国王は玉座に座りそれから話し始める。

 国王はまだ立っている。座る気配はない。どうしたことだろう?

「ごほん」

 アスの咳払いが聞こえた。ウルドはそれで気がついた。マローリンが片膝をつかず、ずっと立ち続けていた。国王はマローリンが膝をつくのを待っていたようだ。国王の話を聞く者は全員例外なく膝をつく必要がある。逆に言えば、聞く側がその体勢を取ってくれなければ国王は玉座に座ることができない。伝統と格式とはそういうものである。

 ウルドは国王の姿を盗み見る。国王の額には玉のような汗が流れ出していた。足も小刻みに震えている。あの体格の国王にとって、立ち続けること自体、かなり体力を使うようだ。右手は震えながら扇子を力強く握りしめている。限界は近いようだ。

 ウルドはマローリンのローブの袖を引っ張る。そして小声で言う。

「膝をつけ」

「おっと、そうじゃった。こりゃ失礼」

 マローリンはとぼけ顔でそう言うと、ゆっくりと片膝をついた。

 それを見て国王はやっと玉座に背をあずけた。国王はヒーヒーと肩で息をしながら扇子で自身の顔をあおり始めた。もう少し立っていたら倒れていたかもしれない。

 ウルドはマローリンを見る。マローリンは何事もなかったかのように下を向いている。このジイさん、わざと焦らして、国王を疲れさせていたんじゃないだろうな、と思ってしまう。

 ようやく息が落ち着いた国王が話し始めた。

「苦しゅうない、面をあげよ」

 一番苦しそうなのは国王陛下です、とは突っ込まずに、ウルドは黙って顔を上げた。

「チェド=フェヒナー、そしてマローリンよ。朕はこの度、そなたらの嘆願を受けて、王家の秘宝、ウエンリハトを貸与することとした」

 国王はウルド達と左手を交互に見ながら話し続ける。……左手にはメモ書きがあるに違いない。

「しかし宝剣は王宮にはなく、遠くハクラの地にある砦にて保管しておる。しかしその砦は朕の国に悪害をもたらす、憎き異形のモノの手に落ちてしまった。そこで軍と協力し、砦と宝剣を奪い返すのだ。その為、朕はそなたらの旅の安全を憂慮し、従者として親衛隊であるウルド=アイランドを同行させることとする」

「アイラーでございます。陛下」

 ディーンが小声で国王に伝える。

 待て、突っ込むところはそこじゃない。いやそこも突っ込んでほしいけど……。従者? 任務は護衛じゃないのか?

「ははっ、有り難き幸せ」

 さきほどまでの横柄な態度とは打って変ってマローリンが慇懃な態度で答える。

「道中、困った事があれば遠慮なく……」国王がディーンの方を向いて何やら確認した。すぐにウルド達へ向き直る。「遠慮なくアイラーを頼るがよい。栄誉ある朕の親衛隊の中でも特に優秀な人材だ。全力でそなたらの力となろう」

 優秀……、まあそれほどでもあるがなって、うまいことおだてられているが、要はこいつらの雑用係ってことだろ!

 ウルドはマローリンの方を見ると、マローリンは薄ら笑みを浮かべてウルドの方を向いていた。「よろしく」そう口パクで言っていた。思わず歯ぎしりをする。

 その後国王の貴重なお話は延々と続いた。歴代の国王の偉業について言及し、トウマ国の繁栄の歴史をとうとうと語っていった。よく飽きずに喋るなあと思うこと約三十分。アス達までもがいい加減にしてくれと、げんなりした表情を見せ始めた頃、ようやく終わりに近づいてきた。

「そもそも、古の伝承より語り継がれてきた異形のモノが朕の土地を荒らし始めること、早一年。街の灯は日々衰えゆき、民は恐怖で怯え、そして朕はそのような状況に涙し、哀しみのあまり食事は喉を通らず、夜も眠れぬ」

 そんな体格で言われてもな、とアスもディーンも苦笑していた。

「これより朕は、国を救うため全力でそなたらの力になろう。これは民を救い平和を願う、朕の善政である」

 ウルド達の冷めた目線を全く気にせず、国王の方は声がだんだん熱を帯びてきた。純粋に自身の言葉に酔いしているようだ。そして遂に玉座から立ち上がると、扇子を順にチェド、マローリン、ウルドへ向けた。

「行け、英雄の末裔たるチェド=フェヒナー、そしてその仲間達よ。災いをもたらす悪しき異形のモノ達に正義の鉄槌を下し、朕の国に平和と安定をもたらすのだ!」

 国王の顔は決まったと言わんばかりに満面の笑みをたたえていた。

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