たぶん六月の花嫁
「なによ、どの面下げてここにいるのよ! でも羨ましいんでしょ? 悪かったわね、さきに幸せになんかなっちゃって」
ふんっと、音がしそうなほど盛大に鼻息を吐いて、三沙子はそっぽを向いた。彼女の着ている黒地に鶴が舞う打掛が目に眩しい。三沙子は腕を組もうとして、はっと思いとどまったようすだった。たぶん、帯が苦しくてやめたんだろう。打掛も着ていて、高島田も結っているから、肩も首も重いんだろう。
「わたしは素直に喜んでるんだけど。それに呼んだのはアンタでしょ。どの面下げてなんて、旦那に聞こえてたらどうすんのよ」
「聞こえるわけがないでしょ。仮に聞こえたって空耳だと思うわよ」
これまた音がしそうに鼻息を吐いて、彼女はぷりぷり怒っている。
「……仮にも旦那を、その言い草はないでしょ」
呆れたわたしに、彼女は眉尻を吊り上げた。
「あのひとが、そんな細かいこと気にすると思う!? あんたに断られたから、次にわたしをデートに誘うようなひとがさあっ」
「わかったから、どっちにしてもボリューム落としなよ。せっかく化粧してんのに」
「関係ないっ。どうせわたしは、あんたの二の次よ! なによ、なによ、いつもそうなんだから。余裕ぶっこいて、わたしのことなんか見向きもしないで……」
親友よ、そのツンデレはわたしに使うな。もっと効果的な場面はいくらでもあるだろうに。ビスクドールみたいな顔して、“ぶっこいて”なんて言うのも、いただけないし。
「見向きもしないなんてこと、わたしがしてると思う? 今までアンタがどんな男と付き合って、どんな別れ方して、どれくらい泣いてきたか、さんざん見せられてきたわたしがさあ」
「な、ななな……! なんでぜんぶ話が男なのよ!」
「アンタの相談事はほとんどが男絡みだったからだよ! 毎回、付き合わされるわたしの身にもなれってんだよ」
「迷惑だったって言いたいわけね? そうよね、可南子はいっつも呆れた顔してわたしのこと見てたもんね」
なんだ、自覚はあるのか。そりゃあ、呆れるなってほうが無理な話でしょ。男が欲しいって言ったものは言われるがまま与えて、貯めてたボーナス丸々すっちゃったり。別の男には二股かけられた挙げ句、相手の女が会社に怒鳴り込んでくるなんて修羅場になったりさ。それとは違う男に振られそうになったときは、土砂降りのなかすがりついて大泣きして、鬱陶しがった男が思いっきり腕を振り切ったために道端に捨ててあるゴミ袋の山にダイブさせられたり。自棄酒して、夜中、わたしのアパート近くの路上に転がってたり。憂さ晴らしに観に行ったコメディー映画の途中で咽び泣いたり……って、こんなに恨みがましい目で見られる意味がわからないってもんよ。
だいたい、三沙子はなにかが少し残念なのだ。自分の美貌を最大限に活かす方法を知らない。今日の衣裳だって、華やかで綺麗だけど、三沙子にはあんまり合ってない。ビスクドールには黒の鶴の打掛じゃなくて、やっぱり白や青や赤の花をあしらったドレスが似合うと思うなあ。
小・中・高校のときは十二年間ずっとお下げだったし。……お下げって!!
いや、お下げをバカにするわけじゃないけど、アンタのその顔でお下げはないよ! ゆるふわカールでしょ、もしくは艶やかストレート!
小学校から園芸部で、ジャージに軍手、カエルとか虫(ムカデ・ゲジゲジ・蛾、たまにゴキ……いや、なんでもない)とか捕まえて、にへにへしてた。そういうのを、所構わずやるから、女子受けは良くても男子達はドン引きの嵐。いや……、女子受けも良くなかったか。
一方で、すぐにめそめそして、公衆の面前でわたしに抱きついてきたり、とにかくもう子どものお守りをしてるみたいだった。
“あいつの横でよく親友なんてやってられるな”なんて、最高の褒め言葉だと受け止めるようにしたことは、もう彼方の昔だ。
そんな、ずっと面倒みてきた親友もやっと今日で結婚する。わたしのお下がりだったけど。……ってこれは、この子が言ってることだから!
「わたしがアンタにいつ愛想尽かしたっていうのよ。アンタこそ、二十年来の親友に、ありがとうの一言もないわけ?」
「招待状に欠席の文字だってあったでしょう? 選択肢をあげたんだから、逆に感謝してほしいくらいよ」
もうヤダ。どんだけわたしに恨みもってんだ、この子は。
「三沙子! お下がりでもなんでも、彼はアンタを選んだのよ!? その彼に対して申し訳ないくらい、思わないの!?」
「やっぱりやっぱり、お下がりだって思ってんじゃないのよっ。彼がわたしを誘ったって聞いたときだって、心のなかで嘲笑ってたんでしょ、わたしのこと!」
「なんでそーなる! 普通言わないよ、そんなことは。アンタが傷つくだとかそういうことじゃなくて、常識で言わない!」
「わたしには常識がないって言いたいのね!?」
「男に振られるたびに言ってきたつもりだったけど!?」
「な、なんですってえええ」
すごい応酬だ。晴れがましい式の前に、控え室でこんなやり合いをしてたら、この新婦、絶対祝福されてないって思われる。
お互い顔は真っ赤だし、息はあがってるし、カロリー消費量、ケーキ三個分ってところか。
ぷるぷると唇をふるわせて、三沙子は仁王立ちだ。どこの世界に、式直前に仁王立ちしてる花嫁がいるよ、ここにいたよ。
着付けた裾が開いてるし、打掛も床に落ちて鶴がよれてるし、目尻にうっすら垂れる汗で化粧がとれかかってるし。涙じゃないってところが、この子がとことん残念な証だ。でもいい加減、この不毛な言い合いに蹴りをつけないと、まずいことになりそうだ。とりあえずここは折れて、わたしは悪くないけど謝ろう、そう息を吸ったとき。
「み――」
「三沙子さん」
幽霊が出たのかと思った。本気で思った。マジ、口から心臓飛び出したぞ今のは。
いやもう、魂が出てるやつがここにいる。三沙子、メッキが剥がれたり……!
いや待て。彼はこのアホみたいなやり取りを聞いていない可能性もある! 一筋の光明見たり! 先手必勝、果敢に攻めろ、可南子!
「野田さん、ほほ本日はまことにおめでとう――」
新郎もとい、三沙子の旦那さんは、ぽよぽよとした身体に羽織と袴をゆらしながら、ぷるんとした笑顔を見せた。ぱかっと開いた口の前歯は、一本欠けていた。……三沙子、アンタは本当に、残念だ!!
「ぼぼ、僕は気にしませんよ。だだだって三沙子さん、かかかわいいじゃないですかあぁ」
このひと、運動でもしてきたのか。なんか顔が茹っている。てかってるし。
「み、三沙子……」
怖くなってわたしは三沙子を振り返った。すると三沙子は目をうるうるさせて控え室に、草履からお肉がはみ出そうなほどぽよぽよとした足取りで入ってきた新郎を呼んだ。
「れ、玲央くん……」
そーだった、この茹ぽよ……じゃなかった、この花婿、こんななりして玲央って名前だった。
「三沙子さん、なな泣かないで、ぼぼ僕はしあわせさ」
「玲央くん……」
び、美女と野獣!? いや、美女とぽよだ、キミ達なんか。ここで泣いてる三沙子も理解できないし。もう勝手にして、前半のわたし達の喧嘩めいた友情はなんだったの。
まあでも、この子が幸せならそれでいいのよ、わたしは。……ぽよだろうが、なんだろうが。
「アンタらしいよ、まったく」
打掛は床に落ちたまんまで、けど見ようによっては裾の鶴がそこから飛び立とうとしているようでもある。
手を取り合う二人を背にして、わたしは控え室をあとにした。
「おめでとう、六月の花嫁」
友情話かと思いきや、ただのギャグになりました。ありがとうございました。




