土海月
ニートやめるよ!
光が蠢いていた。僕は深く落ちていって、2日もそれを続けたらもう。戻ろうと考えていたんだ。
ジイド内部の光源は限られていて、一番大きい光は入り口のそれだ。他にも坑道の端々に電灯が吊るされているのだけど、それは後になって判ったことだ。
僕は下に向かって進んでいて、研究者とか他の人たちは上を目指して活動していたから、誰と会うこともなく闇の中に向かっていくことができた。
最初の頃は洞窟の壁だの天井だのに頭をぶつけていたけど、数時間で僕はこの狭い環境に慣れることができた。タオルで頭を覆って、薄暗がりの中を手探りで進めば勘も冴えるというものだ。それに、外傷には慣れている。
そうして何時間も潜っていって、入り口の明かりも見えなくなって後に。
僕は、湖のような場所を見つけた。
懐中電灯で照らすと、波打つ表面は泥が浮かぶ水面に似ていた。
「何だ、ここは」
異臭が漂う空間だ。湖だと素直に風景を楽しめないのは、ぐちゃりぐちゃりと咀嚼音が響いているからだけではない。
蠢く泥のようなものは、何かの生物に違いないと僕は想像して。サンプルを得なくてはいけないんだと思い返した。
手が届くくらいの距離まで近寄れば、波打つような動きは弱まった。磯巾着のような生き物なのだろうかと想像しながら、
小石を投げ込むとそれば僅かに跳ねてから落ちていく。
水筒、金属製のやつに掬っておけば保存できるだろうと思って。椀の部分で触ると、それは溶けた。
「ち」
舌打ちしながら水筒を放り投げる。土、その中の金属を使って生きているならそんな事がありうるのかもしれなかった。
樹脂製のタッパーで試すと、無事に持ち上げることもできたのだが。ぶよぶよとした海月のような泥。
透明なタッパー越しに眺めれば、ぶよぶよとしたヤモリの足みたいな器官を出して逃げようと動いている。
僕はその蓋を縛り付けて、暫くの間溶けないか観察した。
密閉して死んでしまうなら仕方ないが。他の生物も捕まえて、早々に脱出したいと思う。狭い空間から抜け出したと思えば、こんな気分悪い物が蠢いていた。
気分がいいものではないけど、一定の成果だった。
穴は、まだまだ下まで続いていて。所々に泥の海月もどきが蠢いていた。
奇妙で狭い空間を歩いて。48時間が経過した、僕はこれまでになく広い空洞に到達することができた。
ボウルの内側に、螺子を切ったみたいな空間だった。地面が捻れて広がっているから、降りていくにも戻るにも苦労はない。
所々に落ちた土塊が転がっているが、すぐにぼとぼと落ちるものではないのだろう。静かな空間で、珍しく悪臭も無い。
「休憩、する」
歩き続けで疲れてもいた。
ごろり、と座り込む。懐中電灯の明かりを四方へ飛ばすと、水晶のような光を反射する物は無かった。何も動かない、静かな空間。
何を考えるのも面倒になって、僕は休憩した。
骨刀が使えない時に、僕は争いを避けるようになっていた、怪我をしなくては戦う気にならない、別人格とまでは言わないが。考え方が変わるのだ。
競争とか、そういう事もしない。ただ、植物みたいに静かにしていられればそれで良い。
骨で戦うから、骨刀。どんな祖先が考えたかは判らないが、どんな武道よりも穏やかではいられるのだ。怪我をしない限りは。
戦うために怪我をするのだから、好戦的であればダメージを負ってしまう。それが穏やかな性格を仮想的にでも作り出すのだろう。
じゃあ、本当の僕ってのは何だろう。下らないことを考えたと却下して、僕は物音に気付いた。
「岩?」
ぺたり、ぺたりと垂れる音がする。地下水脈であれば危険だと思い返して、僕は眼を覚ました。
「誰だ、お前」
声に応える様子は無い、それこそ聞こえていない様子で。ぼろきれに身を包んだ少女が、脇に佇んでいた。汚い、痩せた少女だ。
汚臭が漂ってきて、僕は顔を顰める。問いかけにも返答は無く、面倒な事だと思えた。
もう眠っていられるような気分ではない。無臭だった空間が、つんとした醗酵臭と不審人物があっては台無しである。
僅かな光源の中、彼女はふらふらと僕に近づいていた。ぺたり、ぺたりと続く音は、足音だと知れた。
「何だよ」
意図が判らない。殴りつけるにはあまりにも哀れで、汚い相手。僕は舌打ちをして、睨みつけた。
「ひゅ」
吐息を漏らし、三歩の間合いまで彼女が寄ると、僕は跳び下がった。同時に、足元に岩が落下した。
「はぁ?」
予兆など、砂が落ちてきている、軋む音がするなど一切無く。
さっきまでいた場所に岩がある、砂埃と轟音が響いて僕は冷や汗を流した。対峙する少女は、無事だ。砂埃に影が揺らめいて、僕の方に向かう様子が見て取れた。
不安定な足場になった。砂利と、闇にまぎれた落石。
あの落石が、攻撃なのか。それとも、声が危機を告げるものであったのか。僕にはまだ判別がつかない。
「何だよ、お前ッ」
飛び跳ねた石で、頬から血が流れた。骨が出るほどの裂傷ではない、けれど。
僕が好戦的な状態になるには、十分な痛みだった。
血の匂いが、醗酵臭を誤魔化すから。僕が間合いを詰めるのは容易なこと。斬らせたい腕、右腕を伸ばして摑みかかる素振りをする。
ぼろきれの中に武装があったとしても、右手で受けることができれば良し。そのまま摑めれば、投げるなり殴るなりできる。
「ひゅ」
再び、吐息が空洞内に響いた。同時に落石があって、僕にはそれが攻撃だとしか感じることができなかった。石の落下と一秒の誤差もない発声なのだ。
そして、その瞬間までに。
右手は彼女を摑むことに成功していた。
「はぁッ」
案外、重いのだと考える余裕まである。岩に女をぶつけて直撃を避けると、そのまま投げ落とした。
技の流れに従うならば、そのまま肘なり踵なりで追撃をする。けど、僕は彼女から話を聞きだしたいと欲を出した。
この程度のことなら。何度繰り返しても、同じ結果が出せることだからだ。
「おい」
声を掛けた。と、同時に足元の砂利が震えた。
僕は躊躇した。飛び下がろうにも、それができないまでに滑る。そして、そのまま足首が埋まった。咄嗟に体を丸めると、足場はそのまま崩れ。
足元から、土中に引き込まれる。体を丸めていなければ、潰れたか、骨でも折れたか。
周囲から及ぶ土砂の圧力に耐えながら。落ちていく。
もがくのは、静かになってからでなくてはいけない。荷物と離れてしまった事が問題ではある、焦りながらも。
どう戻るかを考えながら、僕は重圧に耐えた。
お待たせしました。
がんばりませんかつまでは