月壺
えーと、視点を変えてみました。今回だけだZE。
「月壺ちゃん。照明小さくない?」
「いえ。私はこれで十分です」
「明るい方が、月ちゃんのきれーな顔が見えるから嬉しいなぁ、なんて」
「山川さん。私の顔よりも地面を見るのが仕事です」
「どこを向いても地面だろ」
それは事実だ。けれど、彼らは土壌検査の作業を行っているのだ。
「あなた、なぜここに来たんですか?」
月壺、と呼ばれた声に棘が混ざった。
「借金から逃げてさ」
「そうなんですか」
「騙されたようなもんさ。月ちゃんは?」
「虫の知らせよ」
「ロマンチックだな」
「そうかしら。実用的なんですけど」
月壺は苛立っていた。やる気の無い同僚には困るのだ。
「山川さん。時間の無駄はしたくありません」
黙って早々に作業を終わらせたかった。
「へえ。時間、時間か。いくらでもあるだろう。期限なんて無い」
私にはある。年単位の猶予だけれど、過ぎればそれだけ駄目になってしまう。
「ここから出れないのが、そんなに辛い?」
「ああ、嫌だね。太陽が恋しい」
「私とは正反対ね」
それで会話を終わらせたかった。
私は人間に対して無関心だ。好きでもなく、嫌いでもない。幼少の頃はどうだったのか思い返しても、やっぱり人の思い出というものはおぼろだ。
私の興味や関心は蟲に向けられていて、他の活動はそれを支えるためのものでしかない。先祖代々そうだったのだし、私もその嗜好を引き継いでいた。
祖先は陰陽師だとかで呪いや何かの媒体として蟲を育てていたのだという。何代にも渡り育て続けた蟲は、人間と共生できるように変化していったし、
それは私みたいな人間側でもそうだったと思う。蚕や蜂みたいなものは、学ぶ人が居たのだろう。記録や、道具は今でも蔵にある。
ただ、口伝だけば別だ。温度や湿度、気圧といった微細な変動を記載するには。現代の計器でも不十分なのだと思う。一定濃度のガス圧で育成するとかは、
ガスの精製の時点からして科学的手法で考え直すのが困難なのだ。
できる事はやっていたけれど。面倒でもある。いわゆる科学的手法は再現性を求めるけれど、私は私の求めている結果さえあれば、
方法や過程は気にする程のものではない。
だから、この地に来て。蟲が繁栄することができれば、それで満足できた。
ただ、更なる増殖を。
生存圏の拡大を。
実現していくならば、時間がもっともっと欲しいのだ。
土壌調査の情報は、ネットワーク接続を通じて地上の研究施設に送られる。他にもデータを求められる作業はあったのだけど、私はこれを優先的に行うことにしていた。それは、蟲の生存に適しているかを確認する上で重要な事だからだ。
他にも、ジイド内部環境や生物の調査も行われている。その目的はやっぱり、人類の生存の上でどうこう問題にならないかを確認したり、有用な物質や生物を発見できないかという事。
初期の調査では、ワームホールの形状や場所を移動させられないか試行錯誤があったらしい。ワームホールを光速で移動させることが可能なら、
タイムマシンが造れるという理屈。
そのために、ワームホールの入り口と出口の距離を求めようと調査が続いた。
私はそれに便乗することができたから。この地に来ることができた。
私は。
寒冷化と温暖化の波に、駄目にされてしまった月壺の郷を、このジイド内部で再生することができるかもしれないと希望する。
「あと半年で、羽化する」
太陽も月も星も無い地下では、蟲は成体になっても自活できない。
「暫くは電灯でも誤魔化せるけれど、やはり地上まで到達できれば」
ジイドは、巨大な地下空洞と考えられている。温度変化も気圧変化もほとんど無い、理想的な自然。地上到達さえできれば、幼生は地下で、成体は地上で繁殖という普通の生活ができるだろう。
それが楽しみであり、目標だった。
「月壺か。変な苗字だな」
「定森さん。それ、三度目です」
本気で怒ってはいないけど、膨れ顔で返す。定森さんは、初対面の時から数えて三度も私の苗字をからかった。
それは、私がどうこうできる事象じゃあないから、ずるい。
「ん、そうか。私が三度も言うくらい変なんだ。諦めろ」
私が収集したデータを受け取りながら、彼女は仏頂面でモニターを眺めていた。
「そんな、ひどい」
「あー、そうか。それよりさ、山川。お前のデータはもっとどうにかならんのか」
「え、何かミスでもありましたっけ?」
白々しく驚いたような表情を浮かべる山川は、能天気だと思う。
「ミスは無いが、同じサンプルばかりでは困る」
「同じような地面ばかり掘っちゃったんだ」
いい年して、掘っちゃった、は無いだろう。
「月壺は湿度が違ったり岩石の粒子が違ったり、変なもんを持ってきてくれるんだが」
定森さんが、また変だ変だと言うので私の膨れ顔は治まらない。
「変じゃないです。実際に掘った結果なんですから」
定森さんは研究者として、ジイドに入った。
最初に判明した研究結果が、出れないという代物だったので、性格までひねくれてしまったのだろう。
「あー、あー。判ったよ」
ひらひらと手を振り、彼女は肩をすくめた。
「しかし、地表の手掛かりが無いままなんだ。いい加減、発見が欲しい」
山川さんが口を挟んだ。
「地上に出るための発見ですか?もう無理って判ってるでしょうに」
「うるさい黙れ」
「はいはい」
すごすごと山川さんは引き下がって。
「休憩してますよ」
私たちの居る岩盤から降りていった。
ジイド内部では、地下空洞を活動毎に使っている。実験室や、機材置き場、休憩室みたいに。
定森さんは、コンピューター室って呼ぶ岩盤の上が定位置だった。パソコンと机が壁から吊り下げられていて、最先端の野宿といった感じ。
ちぐはぐな印象を受ける場所だけど、それはデータ分析用の装置を置けるのがその広い岩盤の上だけだったからだという。
休憩所や機材置き場なんかはもっと狭い空間だ。
「月壺は、蜥蜴を見たか?」
「はい。小さいやつですよね?」
「そうだ。歩く海月に、昆虫サイズの蜥蜴。植物は無い。動物しか見つかっていないんだよ、この空間では」
定森さんはしかめ顔で続けた。
「でもな、動物だけでは生存できない。植物があって、地上とかから太陽光が差し込まなくてはああいう生物が居る筈ない」
ふうん、と私は頷く。
「まあ、地表の手掛かりがあれば次のステップに行けるんだ。からかってすまんが、頑張ってくれ」
「はい」
「ワームホールが移動させることができて、タイムマシンが完成したら私はここに来ようとした自分をぶんなぐってやりたいね。
君ならどうする?」
「考えたこともありません」
「無欲なこと」
「ああ、でも。三年前の異常気象が無かったことにできるなら、それがいいです」
「へえ。何かあったの?」
「はい。実家で飼っていた蟲が、何匹も死にました」
「虫?」
ぎょっとした表情で定森さんは私を見た。
「ちょっと待て、ここにまで持ち込んできたあれか?」
「はい」
私は蟲から離れる気は無い。
「趣味が悪いからもっとかわいいことを言ってくれ」
「小鳥と会話して紅茶でも飲めばいいんですか?」
意地悪く返すと、彼女は苦笑いをして頷いた。
「ああ、そういうのがいい」
私も苦笑いをした。
「紅茶でも飲みましょうか」
「うん」
私達も休憩しようと誘えば、彼女も同意した。
私にとって蟲は、体の一部だ。比喩としての表現ではなく、実際に共生しているということ。
蟲の感覚器は外部に露出していて、他の部分は半ば以上肉体と同化している。寄生虫と見ることもできるだろう。
その、感覚器の情報が私にも感知できるということが、蟲と共生していることの利点だ。
どのように役立つとかは、考えず。ただその感覚だけは欠かせない私の一部。
蟲が感知するのは、嗅覚とか温度変化の知覚と並んで、運勢の判定がある。言葉にすると感覚が薄れるけれど、バイオリズムや調子の乗りといったものに近い。
私がコイントスを行ったときに、蟲の感覚を使うことで的中率を75%に上昇させることができた。これは三千回の試行を基にしたものだから、ただの話の種でしかないけれど。
嗅覚や温度、運勢それぞれを蟲が感知すると、私の肉体にそれが伝達される。
そのように月壺の一族は人体改造を行っているし、蟲の品種改良を続けている。
ジイド内部は温度の変化が殆ど無く、光源が不足している他は蟲にとって過ごし良い環境だ。私はこの場所で過ごせることが嬉しいし、蟲もそう感じているだろう。
土壌調査や、研究の資料探しといった手間を除けば不満は無い。それも、実家で行っていた農作業とのトレードオフ。
穴掘りしかしていない生活で、私の人間としての生活は不安定なのだろう。定森さんも、山川さんも、ストレスを表すことは多い。
けれど、私はここの生活が気に入っていた。蟲が好いているからだ。
次くらいまでに全キャラ登場させたいなあと思いつつあああ