異世界
PV数が増えてきたのでつい。
俗物なので待たせちゃったZE。
ワームホールの大きさは直径にして50センチ程度。人が潜り抜ける程度の大きさだが、周期的にサイズが変わる。
内部は地底のような世界で、明かりは無い。研究施設から電気が通じているが、通電していない部分は闇の中なのだという。
ここまではニュースだの何だので判る公表された情報。実際は行かなくては判らないのだが、そこまで押し通る過程が楽しみだった。
研究所構内の警備員は、身分証明を見ない。研究所は自動ドアで、内部施設の様子は判らない。ワームホール研究棟は、地図に載っているだけで細部まで公表されてはいなかった。
ジイドは、地井戸と書くとか。調べまわれば雑学程度の事までは判るが、どうしたら入り込めるかなんて情報は公開されていない。
僕は困り果てていたけれど、今更愛子に協力をお願いするなんてしたくはなかった。
無茶を押し通せるだけの暴力的手段が僕にあるということを証明したかった。
結局、準備したのは200時間程度の光源と、30食分の缶詰。バックパックに収められる量としてはそれが限界だった。
無論、バックパックを背負いながら動く練習もする。それで1週間なんてすぐ過ぎてしまったから、僕はもっと細かいところの調整に入った。
どこで戦闘するか、とか。天気はどんな日が有利か、とか。傷は凡そ治ってしまったから、暴力的な考え方は少し面倒でもある。
骨刀は、傷を受けなければできない技だ。怪我をしたくない気持ちは誰にもある。僕にも。それで計画を取りやめるなんてことまでは考えないが。
考えた結果だ。平日の昼頃。人通りができる時間帯になれば人質を取って戦闘を回避することもできると思いついた。
雨であればなお良い。傘で顔を見られないようにもできるし、スタンガン系統が使いにくくなる。火器が相手なら判らないけれど、
滑りやすくなることで、投げ技が仕掛けにくい足場があるのは、僕の骨刀にとって有利だった。
準備ができたと思った時点で。僕は愛子を呼び出した。電柱に張り紙をした後、道を歩いていれば彼女が道端に車を止めている。
「早いな」
「あなたもね。もう取ってきたのかしら?」
悪戯っぽい表情で彼女は尋ねる。
「いや。準備ができたから、明日にでも行こうと思う」
車のミラーに、愛子が頬を歪めた表情が写る。
「やめてよね。私と会ったすぐ後なんて」
「車に乗る所は見られていない」
社会なんて、すれ違う相手を全部覚えていられるほど几帳面ではないと僕は思うから。言い返した。
「知り合いやご家族だって居るでしょう」
「そりゃ、まあ」
「あなたの素性が割れた時点で、あなたがジイドから戻ったとしても無駄よ。私はあなたとコンタクトできなくなる」
「危険だから、か」
「ええ」
「じゃあ、お前じゃなくてもいい」
ごちゃごちゃ言われるのはどうでも良いけれど。僕の能力を認める相手が居なくなるなら、代わりが欲しいと僕は思う。
「ちょっと」
愛子は怯えたように身じろぎした。
「すぐに戦いたい気分じゃない。準備もした。ただ、あんたが窓口じゃなくなるなら代理を出して欲しいってだけさ」
「また脅すのかと思ったわよ。無茶は嫌い」
「煙草でも吸えば」
そしたら落ち着くんじゃないかと思っただけだ。
「いい」
こんな話ばかりしているからか。唐突だけど、ふと思った。
「愛子の困り顔、好きだな」
「はぁ?」
「うん。そんな表情が気に入ったから、お前を」
彼女を生かしておいたのは、その表情が気に入ったからなんだと僕は思い返して。
「唐突ね」
「そうだな。蜥蜴を捕まえたら、次はお前を探すのも面白いかもしれないって思った」
愛子は冗談だと思ったのか、表情を和らげて言う。
「私が欲しいなら、まだ遅くはないわ。あなたが時間をかけて協力をしてくれるなら、私だって」
「それでは、戦えない」
戦いたい。それだけは明確な願望だ。だから襲ってきた男を追いかけもした。
「私と比べて」
愛子は困り顔をして、僕を見た。
その表情はそそる。
「お前が困る方」
僕の答えは決まっている。
「それで決まり?」
「そうさ」
車から降りて、僕は師匠や山田に連絡を取った。旅行に行きます、とかの偽装。愛子は、僕が疑われないようにいくつかのアドバイスをした。
あまりにも丁寧な偽装はできないけど、連絡を取らない理由を説明する。それが終わったら、休む。
準備は終わりだ。
夜半、眼が覚めた。興奮しているのだけれど、収まりがつかない程じゃない。夢なのかもしれないし、動く気もしない。ただ、天井を眺めて思うだけだ。
雨音がする。月は隠れているんだろう。バックパックはダンボールに詰めてあるし、洗い物も片付いている。
体中の傷跡が疼く。気圧が変わったとかそれだけじゃなくて、肉体のどの部位も、武器になりたくってじくじくと膿んでいるような感覚。
このまま余分な肉体を切り裂いて、骸骨になったまま起き上がれそう。
ただ、それは今じゃないから。僕は眠る。
夜半から続く雨はそのままで、計画通りに事を進められそうだった。
廊下を歩く。キャリーカートに括った段ボールに、バックパックを収めたものだ。駅から大学まで運び込むのは、特に苦にならなかったし、傘を差せば顔は隠れる。
人から注目されない程度の荷物で、構内に入ってしまえば人影は疎らだった。マスクとサングラスは常套手段だけれど、道中ずっと付けるのは逆に注目されかねない。
時刻は12時14分。食堂に向かう人の流れも収まり、ロビーから立ち上がるには良いタイミングだったと思う。研究棟は殆ど無人、キャリーカートを押していてもすれ違う相手は居ない。
案内板には経路が表示されていて。警備が無い様子だというのが不思議ではあるけれど。空間制御室はすぐに侵入できた。
不思議な場所だった。虹色の輪の中に風が吹き込んでいて、輪が何重にもぶれているから菊とか何かの花弁にも似ている。ワイヤーや導線が何本も中央を通って、逆からは見えなかった。
50センチの直径と聞いた話だが、感覚的にはそれほど大きくない感覚。
「この先か」
すぐに行くのは残念だ。敵が居ないということが、残念。
注意書きが書かれたプレートや奇妙な機械が並ぶ中で、虹色の輪だけが空中に浮かんでいる。
まごついても仕方が無い。
決意してカートごと荷物を落とすと、輪に弾かれた。
「は?」
すぐに、警報音。
磁石が弾きあうみたいに。段ボールが歪んで押し戻す感覚が手に残る。押せば僅かに歪むけれど、ただ落とすだけでは駄目だった。
空気は吸い込んでいる、上着を落とせば通る。バックパックの向きを縦に換えて押し込むが、引っかかるのは相変わらず。警報音は続いているから、急がなくてはいけなかった。
「上着は入った、だから」
段ボールを引き裂いて、バックパックを開ける。
「細かくすれば、入る」
缶も、電灯も押し込めば吸い込まれる。
「後は、僕が行けるか」
花弁のような虹が歪んで潰れる。狭い空間に片足を押し込んだ瞬間に、警備員が来た。
「君、危ないっ」
「もう、遅い」
年老いた警備員だった。気遣うような口調、けれど室内に入るのを躊躇っているから。その隙に僕は自分の肩を外した。
「これなら、いい」
半ばまで体を押し込めば、あとは空気の動きと同調して沈んでいく。
ずぶり、ぽとん。
世界が暗転する。
臭い。
オゾンじみた薬品、それはすぐに済んだけど酸っぱいような腐敗臭が続いて、涙がこぼれそうになった。
「なんだ、これ」
落ちる。
すぐに地面には落ちた、けれどケーブルを?んで滑りながら。
臭い。
落ちていたマスクをつけて、なんとか落ち着くことができた。肩をはめ直すと、地面に落ちたバックパックと中身を拾い集める。
「ああ、面倒だ」
「何だぁ、おい」
誰かの声が響いた。答えれば声が知られてしまう。
僕は闇雲に走って逃げることにした。
相手の位置が判らなければ、骨刀も意味が無い。足音が響く、足場は岩盤で坂道になっていた。バックパックを持って動けるだけ、最悪じゃあない。
それだけが慰めだ。眼が慣れるまで待てば、僕が斬られるまで待てば。
暴れられる。
「物資もメカも聞いてねぇぞ」
ため息と、男の声。追ってはこない様子に、僕は安堵した。
そして、苛立った。
僕は、戦いたいって思っていたのに。
「こんな出れないクソ穴に誰か来たっていうのか?あほくさい」
「何を騒いでいるのかしら」
女の、声。僕は立ち止まって身を潜めた。
「ああ、音がしたんだぜ」
「落盤でしょ。馬鹿らしい」
「へえへえ。で、月ちゃんはなんか用でも?デートのお誘いなら歓迎だ」
「虫が好いていないから、それは無理ね。夕飯でしょ。みんな集まってるわ」
「あいよ」
夕飯?僕が来たのは昼時だ。時間までも違うというのか、戸惑ったけれど。そんな事は後で考えればいい。とにかく蜥蜴を捕まえて、何か愛子に手土産となる物を得れば。
それでこの臭い場所にさよならだ。案外、人が居るかなら。暴れる事だってできるかもしれないから。
そんな考えで機嫌を直した俺は、ぶらついて中の様子を探ることにした。
次の悪巧みをしたいから。
それにしても暗い。
足元がおぼつかないけど、壁がどっちにあるかは判る程度に眼は慣れた。
暗い、臭い、狭い。
少し進むと、砂利道になって、その先に砂が積もっていた。
道は僅かな上り坂、穴の高さが下がってきているから、いつかは中腰にならないと駄目だろう。
そろそろ視点を変えてみようかな