機能不全
この小説には、流血表現や残酷な描写があります。
日常にはうんざりしていた______
制服に袖を通す度にうんざりする。決まりきった授業、練習、全て僕には意味がない。
どんな機械にだって、機能があれば活躍の場があるというのに。僕の性能というものは、
いつ、どこで、何に使用すべきなのか判らない。
どんなに機能を追加していくことができる機器でも。使わなければ、スクラップとどう違うのか意味が判らない。
端的に考えれば。つまりは、興味を沸くに足る燃料が欠けているのだ。
お腹が空いたから食べる。眠いから眠る。考えてする行動には、理由と結果が付随するべきだと僕は思う。
ならば、機能を身につけるということは。機能が必要だと感じなくてはいけないのだ。
古文の読解力には。外国語の習得には。数式の理解には。早く走ることには。地理には、歴史には、生物化学の構成には。
その知識を、体験を使用する理由が必要なのだと感じなくてはいけない____
僕は理由が欲しかった。理由の無い平和も、理由の無い闘争も、理由の無い勉学も。振り上げたまま拳を振り下ろすことができないまま、立ちつくしているような心象。
暇潰しにパズルを解くような、性能確認作業。それが僕にとっての日常なのだ。
「山河君って暗いよね」
「そだね」
日常の倦怠感を、誰かと共有するつもりはない。
「昨日もパズルに夢中になっちゃってさぁ。眠いんだよ」
軽く流すけど、僕の趣味はパズルになるだろう。暗号解読みたいな、意図を解読する能力が存在しているならば、
「パズルかぁ。やっぱり暗いなぁ」
僕の日常の意味だって、解読できるかもしれない。
「深夜に明るいことしてたら、近所メーワクだろ」
「それもそっかぁ」
雑談で気分を転換するのはいいことだ。気分が変われば、憂鬱な考えを頭から押しのけておくことができる。
「自分でも暗いなあって思うけどさ」
じゃあ、遊ぶのか。デートしたいって女の子を誘うのか。
機能保全にうんざりしている僕が、リフレッシュして機能保全しなくてはいけない理由なんてそれこそ話が循環していて迷路の中に迷い込んでいるような違和感しかない。
「なにかしたい、ってもう口癖」
「なにかしたいよ」
「やればいいじゃん。あたしに音楽やればって言ってくらたの、あんたでしょが」
そうだ。僕は僕みたいにやる気がなさげに見えた山田を。
「お前、変わったよな」
僕と同類なのか試したくって焚き付けたのは、僕らしい。
「あんたも変われ、って言うの」
ふん、って怒った様子の山田は手を振って。
バイバイ、と背を向けた。
変わりたくないわけなんて、ない。
日常の中にヒントはない。ただ、環境を変えるチャンスは存在した。
それは、ただすれ違っただけの奴から殺気を感じたというだけの代物だけれど。僕は、僕の機能を使用しなければならないという感覚を得るには十分なものだった。
「あんた、何だ?」
安っぽい不良みたいに声を掛けた。
「ああ、いや。君、大丈夫かい?」
「何が」
「血が、滲んでいるよ」
は。
「あんた、眼が本気だ。僕を心配する理由でもあるのかい」
確かに。痛くも無いのにワイシャツに血が滲んでいる。けれど、そんなものに目を奪われている暇はない。
だって、半歩下がらなければ。目の前の背広の男は僕の腹に拳を突き立てていたのだ。僕の肉体が稼動する。機能を使用できることが嬉しいのだと骨格が、筋肉が、愉悦する。口元が釣り上る。
「通り魔なんて、漫画にしか居ないって思っていたけどさぁ」
背広が、踏み込んだ。僕は避ける。間合いを取るだけならば安易なものだ。僕が攻めるにはあと一手が必要だけれど、それが待ち遠しいけれど。
すぐに終わることが惜しい。
だから僕は、相手に拳を打たせるままに隙を待つ。
「く」
そんな余裕は、僕の隙だったのだろう。相手は、背中を向けて逃げ出した。
「ふざけやがってぇ」
安っぽい不良みたいな科白もすらすらと口を突いて出る。こんな愉しい瞬間を、消化不良で終わらせるなんてつまらない。
ならば追うのは当然の理。
住宅街を走り。
公園の脇を抜け。
ビルの非常階段を登る男に追随する。
「追うのはここまででいいのかい」
ああ。本当に安っぽい。言葉ではこの嬉しさを伝えられないし、この感情を分け与えてやる気もない。ビルの中ほど、2階の空き部屋に追い詰めた、それとも誘い込まれたか。
立ち止まって、振り向いた男を相手に告げる。
愚にもつかない自己紹介だから、聞き流してほしい。
幼少期の頃から祖父に習っていた護身法があって、それを使うには条件があった。
武道によくある、守りを尊ぶ心得。
そんなもんがあるから、先手を譲るほうが僕には有利だ。
だから、始めるなら君が先手を取ってくれ。
そう告げて。僕はぶらりと自然体のまま。片手を差し出した。
毎週の土曜夕方に、祖父の稽古が3時間ばかりあるのが僕には困りものだった。というのも、毎度のように怪我が絶えないからだ。それは稽古が厳しいとかそういう事情じゃあない。型稽古だけでも絶対に怪我をしなくてはいけない。
巻き藁とか、青竹に技を仕掛ける前にでも一つ生傷をこしらえておかなくてはいけない。
怪我が治るのに凡そ一週間かかるから、週に一度の稽古というのは理にかなっている。でも、そのせいで僕は生傷が耐えない生活を続けていた。
大きくなるにつれ、七部袖で隠せる程度の傷に場所は変わっているけれど、実際にそんな技を使うときには怪我をしているわけだから。
持久戦とかで喧嘩になれば、不利は隠せない。
空手や柔術で転ばされたり、体内にダメージを受けるのも辛い。技を出す条件が、そもそも整わないからだ。
そんなに強い護身術でもないというか、不都合な面だけはいくらでも挙げられる。
けれど、攻撃力だけで考えれば僕はこの護身術を気に入っていた。
祖父はこれを、骨刀と呼んでいる。
短いナイフだ。足元から引き抜いたあたり、相当使い慣れているように思う。
「親指か…」
右手の親指が、根元からぱっくり割れる。
「久しぶりだな」
親指を使うのは、幼少の頃以来だ。勉強に差しさわりが出ないくらいの小さな頃以来。
血は飛び散ったけれど、肘よりは攻撃力が高い。指先までしっかり削ぎとられたのを感覚的に確認して、踏み込んだ。
右親指の斬り込みはあくまで怯ませるための一手。僕が半歩下がった所で心臓か内蔵のどこかに突きを入れたら相手の勝ち。
そんなことを許していたら、僕はこれまでの稽古が意味のないものになると思うから、唯一できることをする。踏み込んでくる相手の迎撃に、僕は右手の親指を突き出すのだ。
骨刀と呼ぶこの護身方法は。
傷口から見えるこの骨のみを武装として。
相手を切る。
骨でものを切るという時点で、無駄と矛盾だらけ。護身といいながらも生傷が絶えないし、そもそも怪我をしなくては何もできない。
ただ、僕の親指は、相手の首下をなぞる様に滑って、僕が相手とすれ違った頃には敵は血柱に変わっている。これが鍛錬の結果だった。
実際に、僕は僕の骨を使用することで何でも切れる。切ろうと思えば切れて、治そうとしている時に自分の肉を切るようなことはない、不思議な代物だけれど。
僕はこの攻撃力が気に入っている。
「Ha」
外国語じみた感嘆符。
「Ninjyaなのかい?」
もう一人が、隠れていたという事実に。僕はまだツカエルのだと歓びを新たにする。戦闘態勢になったの、すぐ逃げ帰るだなんてもったいない。持久戦でもなんでも構わないから、血止めの必要を感じた。右手の袖を捲くって、止血点に指を押し込む。
「そうだったら?」
「君に興味が沸いたわ」
高い声は女のもの。鈴を鳴らしたような音とはこのことだろう。ぞくぞくする。
彼女はどんな機能があって、僕よりそれは優れているのか気になってしかたない。
しかし。胸から小さな蜥蜴が這い出した。
「邪魔ッけなもんが」
どこから迷い込んだか知らないが。
「止めてッ」
焦ったな、女が。
「何に焦っているんだか知らないが________」
こんなちいさな糞虫に。
「邪魔は要らない。お前もさっきの男とお仲間なんだろ?」
潰せば切欠にもなるだろう。放り投げて、潰して。その足で声の元まで踏み込んだ。
「あ、あああ」
けれど、女は戦意を失ったかのように崩れ落ちていて。
「なんだよ、それ」
「なんて__________こと」
振り向いて後ろを見れば。片側だけの赤い足跡。
「あんな糞虫になにか価値でもあったのか?」
「ええ!」
顔を起こした彼女は青ざめて、いつかの山田よりもそそる。いい表情をしていた。
「聞くよ。面白いなら、最後まで」
だから僕は、彼女が気に入った。
「あの蜥蜴は、異世界の生物なの」
へぇ。
「ジイドか」
ジイド。数年前に発見された、ワームホールの先にあるという異世界。フィクションをニュースにしたような内容だから、ほとんどの人々が半ば冗談として取り扱う新天地。
「ええ。この国にあの地の生物も物質も独占されている」
だから奪おうとしたのか、とか。あんなムシケラが欲しかったから僕を殴ろうとしたのか、とか。なんでそんな蜥蜴が僕にひっついていたのか、とか。
聞きたいことはいくらでもあった。
でも。
「そういえば、僕。人を殺してしまったんだな」
口を突いて出たのはそんな後悔じみた呟きだった。胸の内の熱はどこか冷めてしまっていて、張り付いた血とか汗とかが気持ち悪い。釣り上がっていた頬はへの字に戻っていて、さっきの感覚の余韻に浸るにはちょっとばかり気分転換が必要だった。
「あら。手馴れているように見えたのですけど」
拗ねたように。女は膝の埃を払って起き上がった。
「ああ、うん。そういう心算じゃないんだ」
「じゃあ、なに」
「後片付けって、できる?」
そう。過ちには対価がある。罪を犯せば裁かれるのは当然で、そうやって日常に復帰することが社会では求められる。だって、そうじゃなかったら平穏とか秩序なんて守れない。
「日常に戻りたくなくってね」
「おかしなことを言うのね。
人殺しを隠蔽するのは、日常生活を送る上で必要だからでしょう?」
「そうかな?」
社会を保っていくことは、日常生活を保つことだ。なら、
「裁かれること、矯正を受けることは。日常生活に戻るためのものだろう」
「Ha.あんた、おかしいよ」
女は口元を歪めた。
「それは、僕の能力に影響を及ぼすほどのものか?」
僕は、僕ができることをやりたい。何かをする上で、おかしい、と言われる事が問題であるなら。それは問題だろう。
「No.あなたは彼より強かった。
私からもお願いしたいことがあるの。交換条件にしましょう」
「聴くよ」
さっきの興奮ほどではないが。悪くは無い。
「その前に、あんたの名前を聞いておこうか」
「フォックスアイ。本名は無いから、好きに呼んでいいわよ」
まるでスパイみたいだ。と、いうより。スパイなのか。
「フォックスアイ。アイちゃん。愛子だな。宗一と呼んでくれ」
「OK.交渉の前に一つだけお願い。あの蜥蜴の死体、ちょうだい」
「いいよ。代価は後で貰おうか」
それくらい、構わない。
愛子がビニール袋に蜥蜴の屍骸を入れようと床を這い。僕の靴の裏まで舐めるように覗き込む。気恥ずかしいと思わないのか、それとも演技なのか。彼女に、代価として何を要求しようかと思うだけで気分が高揚する。
窓の外では既に日が暮れていた。
「明日の午前五時、来て欲しい場所があります」
ふう、と愛子はため息をついた。
「なにをすればいい?」
面白いことなら、待てる。でも、僕が面白くしてやらなきゃいけないなら彼女を逃がす道理はない。
彼女はタバコを咥えた。
「連れて行くから、そこで聞いてね」
笑みを浮かべて、煙を揺らす。同時に、僕の視界が黒く染まった。薬か、暗示か。瞼の奥で小さな炎が踊っていて、僕は自分がなさけないなあと落胆した。
既に思考はできない。
機能不全。
ジイドというワームホールは、僕の家から1時間ほど離れた場所にある大学の研究所で発見された、何か難しい物理の実験結果らしい。内部の写真はどこかの洞窟内部みたいで、水晶のような半透明の結晶が鈍く光っている。テレビで見たっきりだけど、そこが新天地だと考えられていることだけは承知していた。
内部には海月のような生命体が存在しており。地球上の生命体とは異なる物質で組織ができているから、異世界なのだと考える科学者も居た。
ああ。そういえば、その研究所の近くを今日通った。大学の案内で、山田と一緒に行ったのだ。
「あなた、何か訓練していたの?」
骨刀は山河家に伝わる護身術。親指の傷が疼く。思考が回復しているのだと脈絡も無く感知して、僕は目を開いた。
「愛子か」
僕は汗をかいている。シャツが肌に張り付いている。
「拘束はしていない、傷口には手当て。優しいんだな?」
状況が判らない。
「ええ。話をしたかっただけだもの」
無表情になった女が正面に腰掛けていた。
「話しやすくなってもらうのは、当然の努力と思ってもらいたいわね」
なんとも勝手な言い草だと思う。
「そうかい」
今はそんなに話をしやすいとも思えない。
「話ってのは、僕だけが喋ることじゃないだろ」
「そうね。なにを喋ったらいいかしら、宗一さん。
私、あなたのことを知りたいのですけど」
「あんた、何だ?」
もう僕のことは、僕は夢の中で喋ってしまっただろうに。
「私を愛子と名づけたのは貴方」
「何をしたい」
「変な高校生。あなたが蜥蜴を殺してしまったから、代わりが必要なの」
「なにが代わりになる」
「同じものが欲しい」
愛子が、僕を睨み付ける。
「あなたは、研究所の近くまで行くことができた。同じものを得ることができると思う」
「理由は?」
理由が欲しい。腹が減ったから食事をするように。眠いから眠るように。やられたからやり返すように。蜥蜴を捕まえるには、
「僕はあんなムシケラが欲しいなんて思ってもいないんだぜ_____」
納得しなくちゃ、いけない。
「私を好きにするということでは、不足?」
「ふん。そうしたくなる理由がない」
「痩せ我慢を眺めるのは好きよ。けど、私はそんなに魅力的ではないかしら?」
「そうじゃないんだ。愛子は、僕を使いこなせる?」
彼女は一瞬、考え込んだ。
「私には、私の目的と理由があります。そのために宗一を使用したい」
まどろっこしい交渉がめんどうになって。本音を呟く。
「あの男より、強い相手が居る?闘っていいの?」
愛子は戸惑って、首を振ってから微笑んだ。
「やってみないと判らないけど。君なら、蜥蜴を強奪だってできるかもしれない」
「やってみないと、か」
僕は、僕の機能を活用したい。
「役に立つなら手伝うよ」
片手を差し出す。
「おいおい」
彼女はそこに頬を寄せる。唐突に劣情を覚えて、僕は焦った。
「ちがう。手だ」
愛子が真っ赤に頬を染めた。
「違うわよ、ええと、その」
「君は僕を使う。君は僕に、腕試しの相手をくれる」
「そういうことなの。いいわ、約束しましょう」
顔を少し背けたまま。彼女も手を伸ばした。
「多少の手助けはお願いするよ、死体の片付けとか______」
僕と彼女は握手する。
「今晩は、僕は帰るよ」
「真面目なのね」
「うん。家に傷薬があって、それが有ったら便利だから。一度帰りたい」
「そう。このまま泊まって欲しいけど」
愛子は寂しそうに俯いた。
「勘弁してくれよ。僕がどんな怪我をしているか、あんただって知ってるだろ」
「指を裂かれているとは思えないくらい元気」
「明日の朝五時に、ここに来ればいいんだろ」
「ええ」
「じゃ」
目覚めたここは、ホテルの一室だった。部屋番号は208号。フロントでパンフレットを一部貰っていく。もう一度来る時はこれで迷わないだろう。家から5キロほど離れた所だから、早朝でも歩いて来ることができる。
まあ、今は電車を使うけど。
「ああ、そうだ」
金、貰ってくればよかった。
家に帰れば、時間は既に20時を回っていた。
「ただいま」
応える相手は居ない。
翌朝五時。ホテルに着いた僕は、扉をノックした。
「愛子、起きているか」
「ちょっと待ってね」
案外元気そうな声。扉が開くと、腕を引かれた。
「入って」
鞄が扉につかえる。とにかく進んで、僕は後ろ手に扉を閉めた。
「何、この大荷物?」
愛子が警戒して一歩下がる。ベッドサイドに畳まれた服、小さなキャリーバッグ。
「あの研究所に潜入するなら、資料が要ると思って。持ってきた」
大学のパンフレット、研究所の関わりがある進学資料。
「盗聴器とか笑えないから、貸して」
彼女が鞄ごと奪い取って、探る。
「そんな手段もあるんだ?」
単なる好奇心で聞くけど、僕を警戒したまま彼女は言った。
「面倒だけど、次は服もチェックするから」
「あんた、やっぱり色情魔の類か?」
僕の顔を彼女が覗き込む。
「脅される方が好み?」
愛子は拳銃を取り出して、構えた。
「裸にするまではしないから。手を上げて」
僕は緊張したけれど、
「これで、安心できるか?」
僕の服の上から、ポケットをなぞるようにしてボディチェックが終わる。
「ええ」
「じゃあ今度は僕の番だ」
足払いをかけてから、喉を掴む。
「面倒だから、話し合いで気分を鎮めさせて欲しいんだけどな」
片手間に拳銃をもぎ取って捨てる。喉を絞めない程度に引っ張って。耳に直接囁いてやれば、聞こえるだろう。
「こんなテストじみたこと、まどろっこしい。
あんたが僕に敵をくれないか、話し合いに来たっていうのにつれないじゃあないか」
愛子をベッドに突き飛ばして、近くにあったチェアに腰掛ける。
「悪巧みをしようぜ」
それができないなら、僕はここまで来た意味がない。
お読み頂きありがとうございます。
こうした場に小説をアップロードするのは初めてですので、不手際がありましたらご一報頂ければ幸いです。
皆様方の感想を通じ勉強したく思いますので、ご教授ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。