蛇口。
一度止めたら五分後に再び鳴る目覚まし時計を五回程止めた後にようやく体を起こした。元々一回目のベルで起きるつもりはサラサラない。いや昨日の夜はすこしはあったか。スヌーズ機能とかいったっけな。携帯の目覚ましでは起きれない俺に上京前に母親がくれた。本人曰く「高性能」な目覚まし時計だ。その高性能っぷりにどっぷりと甘えた結果、たとえ目が覚めていても布団のなかでダラダラする変な習慣ができてしまった。この目覚まし時計も俺のだらしなさに呆れてるのかもしれない。まあ持ち前の能力を十分に発揮させてやってるのだからいいだろとか訳のわからないことを思う。
小学校のころからチャイムと同時に教室に飛び込むような子供だった俺の習性は大学生となった今でも治るどころか悪化しており、今日もいつものように朝飯もそこそこに駅へと小走りでむかった。
きちんと締められていない蛇口からポタポタと漏れる水滴のリズム様に単調な毎日。変わり映えのない毎日。退屈な日常。誰かが蛇口を右にでも左にでもいいから思いっきりひねって欲しい。その結果水が溢れようが一向に構わない。いや蛇口を捻るのは他人ではなく自分なのだ。俺はしたたる水滴をポカンと口をあけて眺めているだけなのかもしれない。
電車にはなんとか間に合った。九時を回っているのに平日の西武新宿線はなかなかの混み具合だ。俺がいつも乗る駅は田無駅である。初めてこの地名を聞いたときはせっかく長野から上京したのにまた田舎っぽい感じのところに住むことになるのかと戸惑ったが案外周辺はデパートなどで充実しており急行も止まる駅である。田んぼが無いところと考えれば当然都会か。それにしてもダサい地名だなと思う。また人が取り立てて多い訳ではなく、この土地に来て一年とたっていないが俺は田無を気に入っていた。
ニ十分ほど電車に揺られ高田馬場駅に着く。
早稲田には一浪して入った。高校は地元ではそこそこ有名な進学校であり、その厳しい校則が時代の流れを完全に無視しているのと同じ様に先生たちも親も生徒までもが融通が利かない人間が多かった。当然、地元の国立大学志望者が圧倒的に多く俺も現役のときはご多分にもれず地元の大学を受けた。多分受かるだろうと鷹をくくって滑り止めも受けなかった結果、心の底では小馬鹿にしていたその大学に落ちてしまった。当然親に頭下げて浪人。
浪人のときに早稲田を受けた理由はいくつかある。高校時代か数学や理科がからっきしダメな俺にとって得意科目の英語、国語、歴史で受けられる早稲田は科目数が多い国立大学よりえらく簡単そうに思えた。また高校時代に演劇に青春を捧げた俺には演劇といえば早稲田という世間の大部分の人と同じ、単純なイメージをもっていたためである。
政治経済学部から合格通知が来たときには本当は文学部に入りたかったことなど完璧に忘れて喜んだ。
あのときはこんな空っぽな大学生活をおくるとは夢にも思ってなかった。