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ルセカーの章  作者: 夏衣一衣(なつい・かさね)
一章 宮廷騎士シースティア・ラ・ソール
4/6

一章 (3)

 夜明けは何ら変わりなくやってきた。

 東の大地と分かたれた朝日が邸に差し込んでいる。

 邸内では爽やかな朝らしく、白一色の布地と紋様の刺繍で飾られた食卓に、量を抑えて品数をそろえた朝食が並べられる。肉料理は控えられ、スープやサラダ、焼きたてのパンが中心だ。品は有り体だが、種類は豊富だ。

 ここ数週間、シースティアはこの食卓に一人だった。母親とは十年前に死別し、唯一の家族たる伯爵が王都を留守にしているからである。一人といっても伯爵家の食卓だ。給仕が付く。ただ、ソール・デレフ家は大貴族というほどの家柄でもなく、伯爵も派手な人柄ではなかったので、客人など席の多いとき以外は、給仕は一人に任せている。

 今朝の食卓には、久しぶりにシースティア以外の人数分も用意されていた。彼女のと、伯爵の分、そして普段は別棟で使用人たちと朝食を採るはずのルセカーの分である。

「いやなに、そう固くなることはない。今朝方、旅先から帰り着いたら賊騒ぎがあったというじゃないか。事無きを得たのは、私が居ない間に従者になったばかりの少年のお陰だとも耳にしてね、会ってみたくなったというわけだよ」

 ルセカーは初対面である伯爵家の主の声も耳に届かず、ただ得体の知れぬものを見るかのように、食卓の隅々を目だけがぐるぐると見回していた。夕食だって、こんなに皿が並んだのを見たことがない。伯爵家にきてから、それまでとは比べものにならないほど食生活が豊かになったが、使用人が朝食までこうはいかない。量としてはさほど変わらないはずだが、種類の豊富さでルセカーの眼にはそう見えた。

「寝坊したのを叱るつもりで呼んだのではないのだよ。逆に礼を言いたい気持ちで招いたのだから」

「お父さま、この子は寝坊くらいで恐縮するほど礼儀正しい子じゃありません」

 父親の誤解を訂正すると、彼女は少年の額を指で弾く。豆鉄砲を食らったように面食らってルセカーは姿勢を正した。ぼさぼさ頭がひどい寝癖だ。

 落ち着いた面差しの伯爵はめずらしく破顔した。普段は穏やかに笑みこそするが、声をあげて笑うことなど滅多にない。

「さすがに、エレほど良く出来た娘もそうはおらぬか」

「あの子は……」

 その名が出た途端、シースティアは表情を翳らせて俯いた。

「……エレは特別です」

 曇るシースを見て、伯爵も沈黙した。親子が黙ると部屋の雰囲気も沈む。ルセカーは居心地悪く感じながら二人が食事を再開するのを待った。ようやく手をつけたパンも、これでは飲み込めやしない。

「すまぬ。まだ思い出に語るには早すぎたか」

「いえ、いいのです」

 シースティアは急に明るい笑顔をつくって話題をかえた。ルセカーと出会ったときの事、特に騎士ガブレイにしてやった痛快さを楽しそうに語り、ルセカーの度胸を誉め、また彼の城での慣れない働きぶりを笑ったりなど種が尽きない。




 親娘の楽しげな朝食に交じった後、いつもどおりシースティアの身仕度を済ませてから、伯爵の見送りで王城へ出掛けた。

 出仕の身仕度の間、シースティアは笑顔を作ることをやめ、何かに堪えるように押し黙っていた。

「なあ……聞いていいか?」

 出仕の道すがらも、シースティアは無言だった。彼女の背中に触れ難いものを感じてはいたが、ルセカーは思い切って訊くことにした。

「エレって、誰だ?」

 王城への道中で彼女は初めて口を開いた。彼女はなぜかルセカーに馬を牽かせたがらず、ルセカーの先に馬を往かせている。そして振り返りもせずルセカーに答えた。

「エレは、あなたの前の私の従者」

 彼女の背中に哀しみを感じて、これ以上は聞いてはいけないと胸の内に感じていたのに、ルセカーは自分の口から追随する言葉を塞き止めることが出来なかった。

「辞めたのか?」

「今日は随分と聞きたがりやさんね」

 驚いたことに、シースティアは笑ってルセカーを振り返った。哀しげな微笑みではあったが。

「答えたくないならいい。悪かった」

 今度はルセカーが眼を逸らす番だった。予想通りの答えが返ってくるのに罪悪感を感じて。

「死んだのよ」

 冷たい表情だった。そこには涙も哀しみもなく、なにかを呪うかのような冷酷さが潜んでいるかのようだった。




 あぶくが、ふわふわと空に向かって舞った。つるりと、虹色に輝く球体の表面をぼんやり眺めながら、主人の後ろ姿を思い出す。

 泣いてたのかな。

 と、そんな物思いを、元気な甲高い声が妨げた。

「ちょっと! さっさとしてよ、仕事、片付かないじゃない」

 びっくりして振り返ると、赤毛の少女が眩しい陽射しを遮ってルセカーを見下ろしていた。集められた洗濯物で、手に持つ籠をいっぱいに膨らませている。

「なんだか知らないけどさ、あんたが来てから、ちぃっとも仕事が減らないのよね。いい迷惑よ」

「……おまえ、誰?」

 相手の無知に鼻白んだように少女は顔を引いた。顔をひきつらせているのは、当然怒りによるものだ、とさえもルセカーは気づかずに相手の沈黙を(いぶか)った。

「誰とは何よ失礼ねー!!」

 次の瞬間、彼女の手にあった洗濯物を、ルセカーは頭からかぶっていた。

「あ、た、し、は、ね! あんたの尻切れとんぼのきちんと片付いてない仕事をあちこち廻って尻拭いしている偉いお方よ!」

 ふんっ、と鼻息一つ残すと、少女はくるりと回れ右してすたすた行ってしまう。

「ま、待て」

 呆気に取られて気の抜けた声が少女を呼び止めた。少女の方は応じる様子もなかったが、しばらく行った後で何かしら思い返したのか足を止めた。

「なによ」

 つっけんどんな口調が返ってきてルセカーは困った。思わず呼び止めたが別に用はないのだ。

「あ、おまえ女だよな」

 咄嗟(とっさ)に、急場を凌ぐ用向きを思いついた。

「あたしのどこが男に見えるっていうのよ!!」

「ち、違う!」

 少女が握りこぶしをつくって肩を震わせたので慌てて(なだ)める。それから、殴られない内に言い訳も含めて続きを切り出した。

「エレって従者のこと、教えて欲しいんだ」

 この少女は、女性ながらも女中や侍女といった女物の格好ではなく、従者らしき男装をしていた。城内で女の従者はほとんど見かけることがない。数が少なければそれなりの面識もあるだろうとルセカーは考えたのだ。

 少女は急に真顔になってルセカーを見つめた。それは、一歩引いて警戒した態度の(あらわ)れだということがルセカーには分かった。最初はだれしも他人という旅の出会いの経験が、未知の他者に対する洞察力を、少年に備えさせていた。

「あんた、いったい何者?」

「なに……って、騎士見習いだ」

 何者といわれても見ての通り、日は浅いが自分は騎士見習いの従者であるはずだ。だが少女はそんなことを言っているのではなかった。ただ事ではない表情の瞳が、少年の素性探ろうと食い入るように見つめていた。

「どうしてエレのことを知りたがるの」

 少女は質問を変えた。

「俺の前の従者で、死んだと聞いたんだ」

 ルセカーはごくりと唾を呑んだ。これが正直なところで、それ以上はない。隠すこともなく明かすと、少女に漂う緊張感が解けたのが分かった。

 ふう、と少女は息を抜く。

「なんだ、シースティア様の新しい従者ってのはあんたなの」

 少女は改めてルセカーを上から下まで観察した。こんな風に品定めされることが多くなったのは気のせいだろうか。

 少女は、緊張は解いたが警戒を緩める気はなかったようだ。それほどの事が、エレという少女の死にはあったということだろうか。例えば、ソール・デレフ邸を襲った暗殺者とのつながりとか。ルセカーは想像の翼を広げた。だが、広げる羽はまだ小さい。それ以上に思い当る節もなければ確信もない。

「ま、いいわ、教えたげる」

 少女は接して良い度合いの線引きを定めたらしく、態度を崩した。

「エレはあたしの親友で、シースティア様付きの従者だったわ。気立てが良くて可愛くて、シースティア様もエレをそれは信頼なさっていたの。でも一月前だったわ。シースティア様がお屋敷にお帰りになる途中、刺客に襲われて……エレはシースティア様を守って殺されてしまったの……とてもいい娘だったのに」

 心の傷に近づくにつれ、声色は沈む。ルセカーは再び罪悪感に駆られた。

「すまない。思い出させて」

 少女は不思議そうにルセカーを見つめた。

「あんた、意外と優しいね」

 少女はけろっとした表情で笑う。ルセカーは、まるで嘘泣きにだまされた気分だったがその裏の真実を想えないほど浅はかではなかった。

「その、どんな奴なんだ?……シースティア、様、って」

 途端、ぼかっと少し小さい握りこぶしが飛んできた。シースティアとの類似点を見つけてルセカーは思った。騎士だとか騎士見習いの女は乱暴だ。

「どこの従者が主人を『やつ』呼ばわりするの!」

 なっちゃあいないんだから、とかぶつぶつと呟く少女であった。

 一方でジ~ンと痛む頭を抱えながら、シースティアを名指しで呼んだことがないのに気づいた。どう呼べばいいのだろう。やはり少女のように〝様〟を付けなければならないのだろうか。だとしたら最悪だ。

「シースティア様はお優しいから何も言わないだろうけど、きちんとなさいよ?」

 優しい? 少女の認識とルセカーのそれとの相違は突飛だ。

 ルセカーの頭のうえの疑問符が見えたのか、少女はまたこつんと頭を小突いた。その時気づいたのだが、少女の背はルセカーより少し高い。

「みえみえね、あんたって」

「いいから教えろよ」

 目線をやや持ち上げなければならないのが(しゃく)に触ったが、目で訴えるのには我慢した。

 少女は、やや、わずかに下からの目線に満足すると、腕組みをして語りだした。

「そうね。まずは何といっても剣の腕ね。この国で一、二。五本の指には間違いなく入るわ。それでいて宮廷の貴婦人方も見劣りするほど美しいの。そういった事を笠に着ない素晴らしい方よ。騎士たちも尊敬してるし……一部例外もいるけど……。ひどいのよね、エリオス殿下との恋仲を悪く言う輩がいて」

「恋仲?」

 これには驚きだ。あんなのを恋人にしたがる男が存在するとは。まあ見てくれは認めてもいい。しかし、げんこつが飛んでくる数を差し引いて割りに合うのだろうか。

 ルセカーには解らない勘定である。

「で? 相手はなんてったっけ。殿下ってくらいだから偉い奴か?」

「あんた、いったい何処から来たの? ほんとに知らないの?」

 少女はルセカーのことをみえみえだといったが、彼女だって呆れたのがありあり判る。が、そんなことが判ってうれしいルセカーではない。倍に馬鹿にされた気分だ。

 しょうがないわね、という顔が、まるで勝ち誇って見えるから憎たらしい。

「エリオス様は、この国の王太子殿下よ。国王陛下がまだ在位にあらせられるけれど、政務を取り仕切ってるのはエリオス殿下だそうよ。知恵と美貌を兼ね備えていらして、もうぴったりのお二人なんだから」

 少々興奮気味に少女は語った。

 エリオス王子は幼少から利発で評判だったという。王家に対する民の支持が強ければ、国の嗣子は持てはやされて然るべきだろうが、王子は事実聡明であった。世に謂う神童とは彼のことで、十二で(まつりごと)の場で頭角を現し、十五ですでに実権を握っていた。王はそれほど老齢ではなかったがそれを容認した。凡庸で、疎むどころか逆に王子の台頭を喜んだくらいであるから、権力への執着は最高権力者としては皆無に等しいといえるだろう。国王は王子の主君ではなく、父親だったのである。




 ふわふわと舞い上がるあぶくを、やっぱり目が追ってしまう。

 少女はルセカーに、仕事を徹底指導して行ってしまったが、聞くことを聞いてしまうと物思いの種はつきない。

 つまり、ソール・デレフ家はなにものかに(おびや)かされていて、今もそれは続いているのだ。

 なんとかしなければと思う。とんでもないところに来てしまったな、とも思ったが、放りだしてゆけるほど、自分は恩知らずではないはずだ。

 すくっと、ルセカーは何かを決めて立ち上がった。これ以上考え込んでも埒が明かないので、シースティアに問い質すことに決めたのだ。

 と、そういえば、ルセカーは少女の名前を聞き忘れたことも気づいた。




 日も暮れる頃、ようやく雑用から解放されたルセカーは、騎士団棟にあるシースティアの仕事部屋へ引き上げる途中だった。

 廊下の先で、可笑しそうに笑う女性の声がするので、どこかの貴婦人が騎士を訪ねて来ているのかと思った。

 夕日が差す窓辺に人影が二人分。少し赤みを帯びた亜麻色の髪が、夕日を浴びていっそう赤い。

 ルセカーは立ち尽くした。

 白金の髪を夕日にさらして颯爽と立つ貴公子と談笑をしているのは、何処(いずこ)の貴婦人でもなく、シースティアだった。

 明るく笑い、優しげに微笑み、物憂げに口を閉ざす。二人の間で交わされる言葉の端々に浮かべる彼女の表情は、いつもルセカーが見るものとは違っていた。

 やがて、娘はいとおしげに青年の胸に手をおいた。それを青年は握り返す。

 ふと、貴公子がこちらを向いた。シースティアがそれにつられる。

「ルセカー」

 彼女の唇が自分の名を紡いだとき、鼓動が高鳴るのを彼は感じた。

「君の従者かい?」

「はい。ルセカー、仕事は片付いた?」

 シースティアは青年に頷くと、ルセカーに訊ねた。二人の仲を隠すように、二人はいつしか握りあった手を離していた。

「あ、ああ」

 何だか、疎外感を感じる。

「そう、じゃあ、馬の用意をしておいて。すぐにいくから」

 言葉が喉につっかえて言い付けに返事もできず、ルセカーはただ厩舎へと踵を返すしかなかった。

 背中の恋人たちの行為(くちづけ)に、腹立たしさを感じながら。




 ルセカーは黙々と馬を引いた。頭のなかは苛立ったり考え込んだり、その波に合わせて歩調が変わるものだから、引かれる馬が不機嫌に嘶いた。

「ちょっと、ルセカー。もう少しましに歩けないの? 馬脚が乱れるじゃない」

 馬が人間の不規則な足並みに合わせようとするものだから、止まったり動いたり、背中の上で揺すられるお尻が痛い。

「……わかった」

 さしもの彼女も、今日のルセカーの頭のなかは読めなかった。

「そこ、右よ」

 シースティアが声を掛けた。いつもは通り過ぎる角だ。

「なんでだ?」

 ルセカーの顔は仏頂面だ。何のせいかは知らないが不機嫌だ。自分でもどうしてだか分からないというのも、彼の歳ならままあることだ。

「なんだか知らないけど、そんな顔しないの。今日はご褒美に、いい所へ連れてってあげるから」

 ちょっと膨れたルセカーの顔を笑って、彼女は言った。

 シースティアは機嫌がよかった。その理由を知っているルセカーが、だから不機嫌なのだと、シースティアは気づかなかった。実をいえばルセカー自身も。




 どこかで見たことのある店の入り口を、騎士と従者の二人連れはくぐった。そこは二人が、主人と従者の関係となる前に出会った酒場であった。

 王都へやってきた日以来、従者の身となったルセカーは王都を見物するまもなく伯爵家と王城を行き来するだけの毎日であったから、このての界隈へは今日の今日まで足を向けたことがなかった。

「どうでもいいけど、何のご褒美だ?」

「あら、つれない言い方ね。今夜は刺客を撃退した勇者としてもてなそうっていうのに」

 ルセカーの額を細い人差し指がつんと押しやる。

「よお、いらっしゃい」

 店の入り口に二人を見つけた主人が声を掛ける。

「ちょっと、そこの席、あけてやってくれ」

 主人はそう言うと、立ち渋る先客をカウンターの向かいの席から二人ほど追っ払って、シースティアとルセカーのための席をつくった。どうやらそこに陣取らなければならないようである。シースティアは苦笑して腰を落ち着けることにした。

「ふたりとも、いつぞや以来だな。いろいろ噂は聞いているよ」

「こんなことばかりやってると、お客さん来なくなるわよ?」

「構わねえよ、あんたが来てくれりゃあさ。それに奴らだって、譲る相手があんたなら文句ねえさ。なあ」

 親父は後ろのテーブルに追いやられた常連に振った。シースティアもそちらを振り返る。

「ごめんなさいね」

 その一言で常連はたち所に顔を赤くしてしまった。これだから男ってのは。ルセカーは同性の情けなさに、内心で額に手をやっていた。どうもこの顔に騙されているのだ、皆は。自分がされた事をされてみれば分かるだろう。服を一枚残さずひん剥かれて、隅からすみまで床ブラシで擦られたのだ。まさしく隅からすみまで。だがやっぱり喜ぶんだろうなあ、こいつらは。ほとほと美人に弱い男の性を、少年は客観的に痛感した。

 その点自分は大丈夫だ、とルセカー少年は免疫を自負した。それは彼の生まれに理由があるのだが、それはまた別の話。

「さ、何でも頼んでいいわよ?」

「う、ああ」

 と言われても、そらで言える酒の名前なんてたかが知れている。ルセカーは旅の寒さしのぎで覚えたアルニムという果実酒を頼んだ。栄養価が高く酒精のきつい酒で、旅のそういった持ち物にはもってこいなのである。味も多彩で、渋みから甘味まで造り手の加減に委ねられていて飽きない。好む人の多い酒だが、ルセカーの場合は他に酒の名前が思い浮かばなかったせいもあった。

「じゃ、私はエール酒を」

 シースティアもごく一般的なものを迷うことなく注文して、二人は木の杯を鳴らした。

 その後のルセカーといったら、もくもくとつまみの料理に手をだすばかりで何も喋らない。シースティアはそれを、何故だがわからないが、上機嫌で眺めながら杯を傾けている。

「おいおいなんだ?」

 主人がつまらなさそうに声をかける。

「せっかく面白い話の種が来たと思ったのに、二人して黙っちまって」

「いえね、ルセカーの食欲を見てると、エレと初めて逢った時みたいだなって思ってたの」

 シースティアはふふっ、と思い出すように笑った。

「エレがか?」

 主人はルセカーの食べっぷりと比べるようにエレを思い起して、さも意外そうな声を漏らした。

「大ぐらいだったのか?」

 ルセカーが料理を口に運ぶ合間に口をきく。

「やあね、芯の強いおしとやかな娘だったわ。ただ、その時はとってもお腹を空かせていたの。あなたみたいに、旅をしてここに辿り着いたって言ってたわ。考えてみれば、私の従者は二人とも外から拾ってきたことになるのね」

 おしとやか、といわれても頭から鵜呑みにはできなかった。王都でのルセカーの経験では、女とは本来そういった生きものではないように思えるのだ。

「親父さんは知ってるわよね?」

「ああ、礼儀正しい娘だったな」

「あの娘ったら、私を呼ぶときはシースでいいわって言ったら、シース〝様〟って付けたのよ? 少し生真面目で、でも明るくて、男の子にしてみれば理想的じゃない?」

 シースティアが自分に振るのを聞きながら、ルセカーは他のことを考えていた。エレというルセカーの知らない少女の死に、深く傷ついたであろう彼女が、こうも明るく少女の話題を口にするなんて。本当はどんな思いをしているのだろう。蔭の濃い緑の瞳の奥を見つめて、ルセカーはシースティアの心の奥底を覗き見ようと試みた。

「ど、どうしたの?」

 声を上擦らせてシースティアは言う。ルセカーの自分を見る瞳は言いようもなかった。少年の大人びた瞳、しかしながらそれはやはり少年のもの。静かな視線に、シースティアはどぎまぎした。

「ふうん、シースでいいのか」

「え?」 とシースティアは眼を丸くした。

「オレ、なんて呼べばいいのかずっと考えてたんだ」

 料理の方に向き直って頬張る。

「なんだ、その事ね。ええ、シースでいいわ。でも、やっぱりルセカーね。エレは様を付けたのに」

「だって、シースでいいんだろ」

「ふふっ、そうね」

 なんだ、とシースは思った。少年の瞳は、ちょっとした物思いの瞳だったのだ。深い意味などない、偶然垣間みえた表情にすぎなかったのだ。

 それから二人は、時が経つほどに杯を乾した。酒場は盛り場を装い、主人も二人だけを相手しているわけにもいかなくなって、店内のそこかしこで忙しくしている。

 しばらく、また二人は黙って杯を傾けていた。

「ルセカー?」

 そうシースが呼んだとき、周囲の喧騒が、少し遠い騒めきに感じられるくらい時間が過ぎていた。

「ありがとうルセカー」

 静かに、シースは感謝の言葉を口にした。ごくん、とルセカーは口に含んでいた酒を一息に飲み下してしまった。それくらい彼女の雰囲気は違っていたのだ。

「あなたが居なければ、私はエレの事でいつまでも塞ぎ込んでいたかもしれない。あなたのおかげよ」

 そして、エリオス王子のおかげなのだろうな、とルセカーは思った。

「だから、今日はそのお礼。賊を追い返したご褒美でもあるけど」

 その言葉には何も返さず、ルセカーは杯の中の水面(みなも)を見つめていた。

「こないだ酒場に来たのは、酒で紛らわせるため……だったのか?」

 今度は、シースが無言だった。

 と、ルセカーの肩に重みがかかった。暖かい重みだ。びっくりして身を捩ろうとすると、瞳を閉じたシースが、ルセカーの肩に寄り掛かって穏やかな寝息をたてている。ルセカーは身じろぎをやめて固まった。彼女の赤みを帯びた亜麻色の髪が、さらりと肩にかかってくすぐったい気分だ。

「ほお、ルセカー、坊やのくせに酒が強いな」

 そこへ店の主人が戻ってきた。頼みもしないのに酒を注ぎ足す。

「坊やじゃない」 と真顔で言い返したつもりだったが、肩のシースが気になって、ちゃんと大人相手に張り合えたか分からない。ルセカーはぐっと杯を呷った。

「そうさな、それだけ飲んで酒に呑まれなきゃ一人前だ」 またまた注ぎ足す。

「それにしてもなあ、おい」

 主人の眼はルセカーの肩に向いていた。

「この人を肩に眠らせるのはこの世にただ一人と思ってたよ」

「それってエリオス王子?」

「おいおい、あまり大きな声で言うもんじゃない。周知とはいっても、なかなか公にはできない物事だからなあ。それより、お前さんも随分信頼されているようじゃないか。何かあったのか? ご褒美とかなんとかいってたけど」 

 別段隠す事でもないので、ルセカーは件の暗殺者の侵入の話を主人にしてやった。とはいえ、ルセカーは自分の手柄を誇るような性格でもないから、その話は実に客観的だった。

 主人は黙ってそれを聞き遂げると、神妙に口を開いた。

「この人は優しい方だ。エレのことは俺も知ってる。良い娘だったさ。だから、あの時のこの人の落ち込み様はそりゃあひどかった。そんな方だ、お前のご主人さまは。だから、家族同然の家の者を守ったお前のことを、さぞかし心強く思ったに違いねえよ」

 主人はそういって真剣に誉めてくれた。

「お前はいいことをしたんだよ」

 また、彼は酒を注ぎ足す。それをまたルセカーは呷った。そういえば、エレの死の真相を聞きそびれてしまったと、ルセカーは思った。ぼんやりと重みのある肩を見やる。酒精が過ぎたか、少年の頬が赤い。

 その日の払いは酒場の主人の奢りだった。

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