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第2話:嘲笑のティーパーティー

王家が主催する季節のティーパーティー。それは、ケルディア王国の貴族たちにとって、自らの富と権勢を誇示し、新たな人脈を築くための、優雅なる戦場だった。


王宮の庭園に設えられた会場は、まるで夢の世界のようだった。色とりどりの花々が咲き乱れ、甘い香りが風に乗って運ばれてくる。テーブルには、宝石のようにきらめく菓子と、最高級の茶葉で淹れられた紅茶が並び、着飾った貴族たちの楽しげな笑い声が、そこかしこでさざ波のように広がっていた。


その華やかな輪から少し離れた場所で、リリアーナは居心地の悪さに身を縮こまらせていた。


今日の彼女の目的は、社交ではない。父の代からの数少ないコネを頼り、借金の返済期限の延長を、財務官僚の誰かに取り次いでもらうこと。その一心で、この場に不相応なことを承知の上で、やって来たのだ。


昨日の夜、結局彼女は母のドレスを売ることができなかった。代わりに、このティーパーティーへの参加を決意したのだ。最後の賭けとして。


彼女が身にまとっているのは、母の形見のドレスを、自分で少しだけ手直ししたもの。袖の長さを調整し、裾を詰めて、現代の流行に少しでも近づけようと努力した。デザインは古いが、生地と仕立ての良さは一目瞭然だった。


しかし、周囲の令嬢たちが身に着けているものと比べれば、その差は歴然としていた。真珠やダイヤモンドで飾り立てられた、目も眩むような最新のドレス。それらに比べると、リリアーナの装いは、まるで数十年前の肖像画から抜け出してきたかのようだった。


「あら、グレイ子爵家のご令嬢ではありませんか。お久しぶりですわね」


声をかけてきたのは、マルティン伯爵家の令嬢、イザベラだった。金色の巻き毛を豪華に結い上げ、首元には大粒のエメラルドのネックレスを光らせている。扇で口元を隠しているが、その瞳は明らかにリリアーナを値踏みしていた。


取り巻きの令嬢たちも、くすくすと下品な笑いを漏らしながら近づいてくる。フォンテーヌ男爵家のセシリア、ペリグリン子爵家のアデライドも含まれていた。いずれも、リリアーナが幼い頃から知っている顔ぶれだったが、今の彼女に向ける視線は、明らかに同等の相手を見るものではなかった。


「ごきげんよう、マルティン様。皆様もお変わりなく」


リリアーナは、内心の動揺を完璧に隠し、貴族令嬢として叩き込まれた完璧な淑女の笑みを浮かべてみせる。ここで感情的になれば、相手の思う壺だ。母から教わった教訓を思い出す。「どんな時も、品位を保ちなさい。それが、私たちの最後の武器よ」


「まあ、そのドレス、とても素敵ですわね」


イザベラの言葉は、表面上は褒め言葉だった。しかし、その口調には明らかな皮肉が込められている。


「ええ、とても『個性的』ですわ」セシリアが続ける。「まるで、歴史の教科書から抜け出してきたみたい」


「わたくしどもには、とても着こなせませんわね」アデライドも加わった。「そんな『クラシック』なデザインは」


続く言葉は、賞賛の形を借りた、紛れもない侮辱だった。リリアーナの家の困窮ぶりと、流行遅れのドレスを、これでもかと嘲笑っているのだ。


「そういえば、グレイ子爵領では、近頃珍しい『キノコ』が特産だと伺いましたわ」


イザベラの次の攻撃は、より直接的だった。


「それも、『屋根』に生えるとか……?」


きゃはは、と甲高い笑い声が上がる。屋敷の管理もままならないほどの貧しさを、面白おかしく言い立てているのだ。他の貴族たちも、この会話に気づき始め、好奇の視線を向けてくる。


リリアーナの頬が、かすかに紅潮した。屋根の雨漏りは事実だった。修理する金もなく、雨の日にはバケツを並べて凌いでいる。それを知られているとは思わなかった。


「あら、それに、最近は貴重な『書物』も手放されたとか」セシリアが畳み掛ける。「古書商の方が、『名家の蔵書を買い取らせていただいた』と、あちこちで自慢なさっていましたわよ」


リリアーナの拳が、スカートの陰で強く握られた。父の書斎から持ち出した本のことまで、既に噂になっているのか。


(耐えるのよ、リリアーナ。目的を果たすまでは)


ぐっと歯を食いしばり、無表情の仮面を貼り付ける。彼女たちの言葉を、右から左へと受け流す。その凛とした態度が、かえってイザベラたちの嗜虐心を煽った。


「でも、本当にお気の毒ですわ」イザベラの声に、偽りの同情が込められる。「お父様があれほど『お人好し』でいらしたばかりに……」


「ええ、保証人になったり、担保もなしにお金を貸したり」


「『人の善意』ほど高くつくものはありませんわね」


彼女たちは、リリアーナの父親の人柄まで、嘲笑の対象にし始めた。それは、リリアーナにとって最も我慢ならないことだった。父は確かに商才はなかったが、心優しい、立派な人だった。


「失礼ですが」


ついに、リリアーナの口から、これまでとは違う調子の言葉が出た。それは、怒りを必死に抑制した、氷のように冷たい声だった。


「亡き父の人格についてとやかく言われる筋合いはございません」


その凛とした態度に、イザベラたちは一瞬、怯んだ。しかし、すぐに持ち直す。


「まあまあ、そんなに怒らないでくださいな」イザベラが扇をひらりと振る。「事実を申し上げただけですのよ。それに……」


彼女は、意地悪な笑みを浮かべた。


「今更そんな『プライド』にしがみついていても、仕方がないのではありませんこと? 現実を受け入れて、身の丈に合った生活をなさった方が……」


その時だった。


少し離れたガゼボの影から、一人の男がその光景を冷ややかに見つめていた。アシュトン・ロックウェル公爵。


彼もまた、このパーティーの喧騒から逃れるように、一人で佇んでいたのだ。


最初は、いつもの退屈な光景だと思っていた。強者が弱者をいたぶり、自らの優位性を確認する。貴族社会の縮図のような、ありふれた一場面。普段の彼であれば、眉ひとつ動かさずにその場を立ち去っていただろう。


だが、なぜか今日は、足が動かなかった。


嘲笑の輪の中心にいる、あの令嬢。栗色の髪に、落ち着いた翠の瞳。侮辱の言葉を浴びせられてもなお、彼女は決してうつむくことなく、背筋をすっと伸ばして耐えている。


その瞳の奥に宿る、静かだが、決して折れることのない光。


アシュトンの胸に、これまで感じたことのない、奇妙な感情が芽生えた。それは、憐憫ではなかった。同情でもない。もっと、ざらりとした、心の表面を何かが引っ掻くような……興味、と呼ぶべきものだったのかもしれない。


なぜ、彼女は逃げ出さない? なぜ、泣き叫ばない? なぜ、あんなにも静かに、立っていられる?


彼の完璧で、退屈な世界に、初めて現れた「理解できないもの」。アシュトンは、自分でも気づかぬうちに、その没落令嬢から目が離せなくなっていた。


「申し訳ございません。少し、風にあたってまいりますわ」


ついに、リリアーナが静かに頭を下げ、その場を離れる決意を固めた。これ以上ここにいては、感情を抑えきれなくなりそうだった。


その動きには一分の隙もなく、まるで舞台から退場する気高い悲劇のヒロインのようだった。周囲の視線を一身に浴びながらも、彼女は毅然として歩いていく。


その後ろ姿を、アシュトンはただ、じっと見つめていた。


(あの女性は……何者だ?)


彼女の名前も、素性も、アシュトンは知らなかった。しかし、彼女の姿は、強烈な印象となって彼の記憶に刻まれた。


会場から離れた庭園の片隅で、リリアーナは一人、ベンチに座っていた。


「結局、何も成し遂げられなかった……」


今日の目的だった、借金返済の件について相談することもできずじまいだった。イザベラたちの嘲笑に気を取られ、肝心の財務官僚たちに近づく機会を逸してしまったのだ。


風が、彼女の髪を優しく撫でていく。庭園には、色とりどりの花が咲いているが、その美しさも、今の彼女の心には届かない。


「お父様、わたくし、どうすればよいのでしょう……」


小さく呟いた言葉は、風に消えていった。


夕刻、帰路についたリリアーナを乗せた質素な辻馬車と、王宮を後にする豪奢な公爵家の馬車が、偶然にも同じ街道を通った。


互いに相手のことを知らないまま、二人の運命は、確実に交差点へと向かっていた。


この時の彼らは、まだ知らない。


数日後、嵐の夜に起こる出会いが、二人の人生を根底から変えることになるということを。

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