episode 5 作戦会議 I
帝国標準時15:00 帝都ミュンヘリア
「現時点までの共和国戦線における損害状況を申し上げます。死者おおよそ3万人うち魔導士は3600人、負傷兵は5万人にも上ります。魔導士戦士率は56%、各地の損耗率は60%を超えており、特に東4区では掃討戦が行われてしまったのことです。そして、非常に悪い状況です。現在東部戦線で戦闘可能と判断される兵士は12%程にとどまります………」
エッカルト情報将校による重苦しい被害データの全容。東部戦線からの報告書にも目を通したが、その大きな被害に目を背けたくなる。
参謀本部の会議室。大きな机を椅子で囲むその空間には長い沈黙が落ちる。ゴクリ、唾を飲む音さえ出すのを憚る。そんな重苦しい空気感だ。無理もない。当初では楽に戦線維持をできて、1年後には敵国の首都シャンパーニュに我々の国旗を刺すそんな絵を描いていた。
だが、今はどうだ?我々の国旗を指すどころか刺されんとする。参謀将校が聞いて呆れるな。
もっとも、こうなる兆候はあった。
およそ五ヶ月前。共和国で新たな法律が議決された。
その法律の名は『国家総動員法』。その法律は即日に施行されて、共和国の根本そのものがあの日変わったと言えるだろう。
その法律の効用範囲は産業、教育、徴兵、報道、宗教、魔導研究など多岐にわたる。産業や文化・社会形成そのものを政府、ひいては軍部が差し押さえるそんな自由の忘却とも言える法律だ。
ありえない。当時の私はそう思った。共和国民は、数百年前の革命時に自らが自由を勝ち取ったという誇りにも近いアイデンティティーが種族そのものに存在していると言える。なぜ、その彼らが自由を捨て去ることができようかと、私はそう思った。
もちろん、参謀本部の賢将方も同様の意見であった。
だが、私はこれを対帝国を睨んだものでもあると理解していた。だからこそ、至急対策を熟考するべしとの上申を行ってはいたものの、少将閣下以外はまともに取り合ってくれなかった。
もし、この法律が成功する。その意味がわからないのか?その意味は国家そのものが軍隊になるということだ。私たち帝国軍は国の軍隊なのであり、国家ではない。だが、総動員法は国家そのものを軍にする法律だ。つまり軍こそが国家になるということなのである。
もはや、これは国家ではない。
私は当時、論文を書いた。その題名は『総力戦』についてだ。
やはり、参謀本部はまともに取り合わず誰しもが鼻で笑った。新しい言葉にすぎない、知識人ぶりたい若手の思考実験だと、受け取られた。
少将閣下のみ、この論文を目を通してくれた。「まだ早い」と言いつつ書類棚に納めた彼の手元に、今もそれがあるかはわからない。他の者たちは書かれた用語の意味を深く考えなかった。
無理もない。帝国は前線全勝でその栄光の道を駆け上がり、今や世界の覇権国家とならんとしている。その栄光も驕りという参謀本部あってはならないものとて成り下がっていたのだ。それに「国家」が軍になるなど、デモクラシーのなのもとに築かれた国家が自ら進んでそれを踏み躙っているものだ。信じ難いことだ。
参謀本部は忘れていたんだ。共和国人の対帝教育を。その積み重ねが今やこういた事態を招いているのだろう。
悪夢だ。まさに悪夢である。だが、その悪夢が現実になっている。
故に、我々は戦争のやり方そのものを変えなければならない。
「戦争のやり方そのものを変える必要があります。カール少将閣下」
私は目の前の席に対峙するタバコを吹かせる軍人にそう告げる。カール少将はその閉じていた目をゆっくりとあけ、その強かな口を開く。
「貴様の論文にこう書いてあったな。総力戦と」
「ええ。それが現実のものになったと愚考いたします」
「私もそれについて考えてみたのだが、結論はありえないだった。貴様の先見の明には恐れ入る」
「恐縮でございます」
「ではどう変える??フリッツ大佐」
カール少将はタバコを灰皿に押し付け、今度こそ真っ直ぐにこちらを見据えてきた。その眼差しは、問うているというより、すでに試している。
私は軽く背筋を伸ばす。覚悟は、とっくに固めてある。
「——まず、敵と同じことはできません。共和国のような国家総動員体制を、我が帝国に敷くことはできない。制度も、思想も、覚悟も、まだそこまで至っていないからです」
会議室内の将校たちの視線が集中する。だが私は構わず続けた。
「ゆえに我々は、選ぶ必要があります。全てを守るのではなく、守るべきものだけを守る。そのための方針を、私は選択集中ドクトリンと名付けました」
誰かが椅子を軋ませ、身じろぎする気配があった。
「具体的には、前線の全面維持を放棄します。その代わり、鉄道、兵站都市、要衝地帯など、軍略的価値の高い地点に戦力を集中。逆に言えば、それ以外の地は撤収・譲渡を含めた柔軟な対応を行う」
私は卓上の地図に手を伸ばし、赤く印をつけた数点を指し示す。
「ここ、グランベルグ、そしてこの集積地帯——勝つべき場所です。ここだけは死守する。そのために他を捨てる。遊撃部隊による補給遮断と後方撹乱を並行して行い、敵の総力の流れを断ち切る。それが狙いです」
ひと呼吸置いて、核心を語る。
「すなわち、戦線ではなく戦場を選ぶ戦いです。無理に守らず、無理に攻めず。勝てる場で勝ち、全体の均衡を保つ。それが選択集中ドクトリンの本質です」
再び静寂。今度は、咀嚼するための静けさだった。
やがて、カール少将が小さく笑った。皮肉ではない。何かを噛み締めるような、静かな笑みだった。
「つまり……量には質で、広さには一点で対抗するということか。並の参謀なら机上の空論と笑うところだが——私は、面白いと思う」
タバコの残り香を切るように手を払うと、彼はゆっくりと頷いた。
「よかろう。フリッツ大佐」
「お待ちを、少将閣下」
ここで挙手して、話し始めるのはアンドレアス・ファルクナー准将である。その厳かで強い声色は会議室の空気を振るわせる。帝国軍屈指の実力派参謀にして、戦場という名の盤面を読み解く力を持っておられるお方だ。彼は立ち上がり、話し始めた。
「一点集中。その理屈は理解するが、この作戦の先はグランベルグ近郊での大規模誘引戦術に帰結すると認識している。が、敵がこの誘因に気付いた場合戦略としては下の下の下に成り下がるのでは??」
参謀たちの目がこちらに集まる。無理もない。もしそうなった場合この戦略は無駄となり、ただ兵を死なせただけで終わる。私の名は後世で晒しあげられ、嘲笑の的となるだろう。しかし、それがどうした??今やるべきことは母なる祖国帝国の防衛だ。私に向けられる嘲笑など虫の音にも聞こえない。
戦略というものは鼻からリスクが存在している。それを恐れて何が参謀本部であろうか。失敗した場合は私1人でも鉄パイプを持って防衛戦をしてやろう。
「はいそうです。しかし、お言葉ですがリスクのない戦略、作戦はあるのでしょうか??」
「ふっ、ないな。そのような作戦など帝国には相応しくなかろう」
と、カール少将は言う。
「ですから、我々は進まなければならないのです。故にこの作戦をいたします」
敵をグランベルグを餌に釣って、そこを包囲撃滅する。言うなればはちみつによってきたアリを踏み潰すためだ。そして、弾き伸びたやつらの補給戦を切る。そこから東南部より本軍が敵を各個撃破しつつ北へと進軍していく。
「大佐の言うことも理解はする。だが、リアスを取られるわけにはいかないだろう」
1人の参謀が声をあげてそう言う。
補給戦の要所はもう一つある。それがリアスだ。
リアスは東南部地域の鉄道網の中心地でもあり、グランベルグ攻略に向けて敵が奪取した重要地だ。リアス自体も山地に囲まれた高原であり、まさに天然の要塞である。故に敵はここを放っては置けないし、手にいれなければならない
選択集中ドクトリンの真骨頂である守る場所は守る作戦になる。
「ええ。だからこそここは守ることが先決です。ここを守らないとこの作戦は話になりません」
「だが、敵にも当然、司令部があるでしょう。仮にもリアスを守り切った場合、本軍の北上を許すほど、間抜けではありませんよ?」
静かに問いかけたのは、若き作戦幕僚の一人だった。口調は穏やかだが、その眼にはわずかな挑戦の色が混じっている。フリッツにとって、それは好ましいことだった。盲信より、懐疑のほうが健全だ。
私は頷き、返す。
「ええ、もちろんです。だが、彼らは前に出すぎている」
「……前に?」
「はい。敵の司令部機能はすでにグランベルグ攻略を支えるため、戦線近傍へ移設されていると推定しています。理由は単純。前線の供給と統制を最適化するためです」
私は地図を指し、補給路の要所をいくつか示す。
「彼らが総動員体制に入った以上、生産も補給も、すべてが止まれない構造になっている。前に進まねば、後ろが詰まり、回らなくなる。ならば、彼らは進み続けるしかない。……後ろを焼かれたとしても、だ」
「なるほど……つまり、前進こそが彼らの呪いであると?」
ファルクナー准将が口元を歪めた。皮肉でも嘲笑でもない。むしろ、その瞳に宿っていたのは──共感だった。
「その通りです。敵が進んだ先で、我々が包囲網を完成させる。その瞬間、敵の後方指揮系統は遮断され、現場の指揮官たちは孤立します。……勝っているつもりの軍隊ほど脆いものはない。敗北を自覚する頃には、すでに四方を囲まれている」
私はひとつ息を吐く。
「この作戦は確かに賭けです。しかし、これは勝つための賭けではない。生き延びるための現実です」
静寂が落ちる。
だが今度の沈黙には、さきほどまでの重苦しさはなかった。恐らく、それぞれが何かを感じ取り始めていたからだ。希望でも、焦燥でも、責任でも。それでも、空気は動いたのだ。
「……よかろう。フリッツ大佐」
カール少将が再び言う。
「だが、伸び切った補給線をどのように切る??」
「それは、魔導士大隊による機動戦術です」
魔導士の空挺降下による一撃離脱の高速戦これをやらねばならない。
危険はつきものだ。故に、これには中央軍、ひいては帝国の切り札を使う。
「アリア、かの火の魔女の部隊を使います」