チャプター2 スキン≪受肉体≫(1/2)
かつて……人間、あるいはホモ・サピエンスという種は、間違いなく自然環境に根ざした生物だった。
ターニングポイントである産業革命以降、少しの退廃をきたしたが、結局自分たちはどう進歩しようとも地球への配慮をせねば存続できない生物である、という事実に回帰した。
その後、文化的で、自然融和的で、しかし極めて破壊的、刹那的、退廃的な社会を求めて、それから……疲れてしまったのだろうか。
かれらは遂に、とある組織へ法治を任せはじめた。
その、新循環機構とか『政府』とか呼ばれる組織は、新たにグローバルな≪憲章≫を施行することで、今こうして≪スキン≫による社会を構築している。
≪スキン≫とは交換前提、量産可能の人型の肉。
それから≪人命データ≫、体に依存しないデータ化された人格。そう、あくまでデータだ。
――2つはいずれもヒトと呼ぶべきものを指すが、今の社会では、この2つをもつ存在のみを『人間』と定義する。
どちらか一方が欠ければ、魂の寄る辺なき『道具』に成り下がる。
すばらしいことに、今世の人間といえば、身体は死しても心は死なずを体現しているというのだ。……≪人倫統制器≫の使用なしに、そのような人道無視はまかり通らないが。
ただし、またも諦めの悪いことに人間たちは思い至った。
この社会はいつまで維持し続けることができるのか、と。
もっとも、熟考することを放棄し、今回も『政府』に一任した。
人間たち――便宜上、人類と呼ぶべき概念が、未来永劫廃れないための手段を模索すること。これを目的として『政府』の創設したものこそが、
「――今、君たちのいる≪学園≫というわけだ」
せりふの後、講義室は静かになる。
せりふを放った、真っ白いモップのような頭髪で、眼鏡をかけた、幼児の見た目の≪スキン≫が静かなるキメ顔をする。
「……なんて。つまらない説明で申し訳ない。君たちがなぜ生まれ、なぜ育てられ、なぜここへ通うことになるのか――それを知っていてくれれば、納得しなくてもいい、先生は本望だ」
幼児めいた≪スキン≫は舌足らずに不相応なおおらかさで、講義室じゅうの学生たちに言い聞かせる。
「また知っての通り、明日から1週間はこの講義室で社会のおはなし。そして、振り分け前教育が終われば、各自学科にて悠久の学問にいそしむことになる。だから、あまり根を詰めすぎないようにね。以上!」
水鈴も、講義室で静かに聴いていた。
旧人類から『政府』へ、『政府』からさらに思考する責任を押しつけられた≪学園≫なる施設。
その場所へ通う初日の洗礼として、膨大な知識に長時間さらされた学生たちの心労はとほうもないものだった。
講義の終わった空室から少し歩く正門。10、20……枚挙にいとまがない多数の≪スキン≫がいるものの、入学したばかりの学生はぐったりしており、一目でわかった。
正門前には、他と似たように背中を丸めた水鈴、それから事故死する以前の友人・日月 しずりが歩いている。しずりは姿勢よく前を見据えるが、目元に疲労感がにじむ。
肩の上で切り揃えた髪型、シルエットが並んで2つ。
「ああー、これがあと1週間……」
ぼやいたしずり。
「どうせ、≪スキン≫が使い捨てなんならさ、こういうおベンキョーはオプションで頭に入れといてほしいよ。ムダにアナログなやり方にしなくたって……」
「何か考えがあるんだよ。先生たちにだって」
「違うね。さっきの話聞いてた? 絶対そんなことなぁい!」
頭のしびれを甘受しつつある水鈴に、隣からしずりが非難する。
「どうせ、『自分たちはこういうやり方でしてきたんだから、愛玩用だってそうするべき』とかそういう腹だよ! 父さんだってたまにやるもん。ああもう腹立つっ!」
身体に圧しかかった疲労感を燃料に、しずりが発火せん勢いで怒りの炎を燃やし始めている。
水鈴はたしなめることもなく、鉄製の簡易な正門から外に出たところで、ふいに背中の景色が気になった。
「水鈴、実はね、こんなにたくさん≪スキン≫を見たの、初めてなんだ」
「そうなの? 朝来るときも……っていうか昔から、買い物とか、ピクニックのときとかでさんざ見たじゃん」
たくさんの≪スキン≫。
顔の輪郭、パーツの配置、髪や肌の地の色、背丈、着ている制服、声質、匂い。
挙げたものなどよりも、当然として、大小種々の非常に多くの違いはある。
水鈴の手前の≪スキン≫は縮れた髪をしているし、その奥の≪スキン≫はサンタン、隣を歩く≪スキン≫のジグザグした歩相はいやに目につく。
しかし、挙げたものについてまったく同じ、イコールである人型の存在が無数にその場所を歩いている。
水鈴がシルクスカーフを巻いて水鈴でなければ、どれが水鈴であるのか矢印も立たない≪スキン≫社会において、その異様さには言葉にならないものがあった。
「水鈴が≪スキン≫だって意識して見たのは、って意味だよ! なんて言うか……」
水鈴が≪学園≫の学生らしく、思索する。
正門のところにたたずむ水鈴としずりをこえて、周りの雑踏がしだいに外へ外へと引いていく。
「これから、水鈴もこの中の一部になるんだ、って思って……」
ついに正門の前が静かになる。すると、わざとらしく、しずりが鼻で小生意気な音を立てた。
「何言ってんの、みすぅもぼくも≪スキン≫じゃないじゃん。大事なのはここ、ソウルっ!」
しずりは自身の平らな胸をぽんっと打つ。
「≪スキン≫が死んだって、ここはなくならない。誰かの一部になったりしない! そうでしょ」
「ふっ、何それ。どういう意味?」
水鈴は小さく息をつき、しずりに向かって笑顔を浮かべる。
「帰ろっか、しずりん」
「ちょっ、イイ感じのせりふスルーしないでよぉ!」
しずりが意味もなく声を張り上げても、水鈴は取り合わず、一方的にしずりの手を取る。しずりも、しょうがないなと水鈴の手を握りかえす。
相同遺伝子をもつ手。
つないでいるようで、それは通行人にとって、独りの手当てと見えかねない。
水鈴としずりのそれが≪スキン≫であると知らなければ、区別すら困難だ。
そうとはならないよう、≪スキン≫社会の祖は、≪スキン≫たちが遺伝子を同じくしながら、データ化してでも≪人命データ≫を異にすることにこだわった。
だからこそ、水鈴としずりは2人の『人間』と断言できる。
そのとき――否。今でも誰もが、≪スキン≫のことは徹頭徹尾『道具』とした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
しずりが死んだのは、水鈴たちの世代の愛玩用≪スキン≫が≪学園≫へ入学した5日後のことだ。
入学してはじめての週末だった。
この日、水鈴の家族――双子にしか見えないが、同じ遺伝子をもつ≪スキン≫というだけで、歴とした父親と母親――の都合がよく、誕生日パーティーをもよおすには最も適していた。
そうしたスケジュール重視の開催ということもあり、水鈴はふさぎ込むなかで「もし別の日にしていたら、しずりんは……」と何度か考える。
もし、水鈴が≪学園≫入学以前の無知な子どもままであったのなら、この思考は一時の逃避として機能したかもしれない。
しかし事実、水鈴の世界はすでに≪スキン≫社会へと切り替わっていた。
ここでの死は、水鈴の悲観するべき事由、つまり命の喪失と、基本的にはつながらない。
人は死を死として片づけながら、
「大丈夫! すぐに新しい≪スキン≫で、もどって来るよ」
と、トイレ休憩のごとき諦めと軽視によって非問題化する。
この励ましは水鈴の両親が、我が子へのなぐさめのために飴玉を与えたものではない。それならば、まだ水鈴にとっては救いだっただろう。
……しずりの家族が放った言葉だ。そして言葉は事実となった。
私室に引きこもった水鈴を、内外からの衝撃で目覚めさせたしずり。≪スキン≫は確かに死んだ、しずりという存在の死と直接結びつかない形で。
実際、死亡時のしずりは愛らしい真っ赤なワンピースを着ていたが、このしずりを名乗る≪スキン≫はダサいスウェット姿をしている。
しかしながら、水鈴は一度も死んだことがない、死んだ人間を見たことがない初代≪スキン≫の身。眼前の出来事は、ゾンビやゴーストを前にした状況と大差ないものといえる。
「おはよう、みすぅ!」
「……し、ず、え、違うよね?」
そのため水鈴はおびえながらも、能動的に確認する。相手と意思疎通が取れるか、否かを。
「違わないよ。正真正銘、生まれたてのしずりんです!」
毛の塊のような≪スキン≫はハッキリと水鈴の問いかけに答える。考えうる最悪の危機はまぬがれたと、パジャマを着た平たい胸を撫でおろす水鈴。
「生まれたてって、どういうこと?」
「そのまんまの意味だよ。工場直送で会いに来ちゃった」
「そ、それはウソだよ。≪人命データ≫は親じゃないと入れられないし……」
「もうっ! 相変わらず頭カタいなー。父さんに起こしてもらって、すぐみすぅのとこに来たって意味!」
はじける声とともに、毛の塊から今度、手や足のほかにふくれた頬が左右に飛び出した。
それに水鈴はぷっと噴き出す。自分の知っているしずりによく似たナンセンスを覚え、心地よい。
可笑しさだけではなく、同時に異様さも水鈴の中で噴き出してくる。
その異様さは、一見つるりとした表面を撫ぜると、こまかな針や切端があらわれ、鋭く痛みが走るような感覚だ。
水鈴は苦しさをこらえた表情になり、胸裡の傷口を手で押さえようとする。
胸郭がジャマで触れられない。
そのとき、水鈴のパジャマの首回りから甲高い機械音がする。
≪人倫統制器≫が鳴いている。水鈴は首元に熱を感じる。
「――そっか。うん。ありがと、しずりん」
水鈴は≪人倫統制器≫のリング状に沿って手を触れると、しずりへ向けて顔をほころばせた。
「おかえり……っで、いいんだよね、しずりん?」
「違うよ。おはよう、だよ」
その言葉を聞いた水鈴の胸では、言葉にできない感情が爆発する。
爆発は推力をうみ、水鈴をしずりにぶつけ、深く抱きしめさせる。
しずりの胸のスウェット生地にこめかみを埋める水鈴は、先のあいさつに「おはよう」と返す。