Ⅱ-2.学級会での“断罪”
ある日の学級会の時、担任のT先生(40代の女性教師だった)が突然、三人娘を名指しで起立させてこう言ったのだ。
「あなたたちはKくんのことをイジメていますね。何故そんなことをするんです」
これには当事者のぼくがびっくりした。本当に突然の出来事でまったく予想していなかったからだ。先生からも誰からも事前に何も知らされていなかった。そもそもイジメの事を誰にも言っていないし、聞かれたこともなかったのだ。
だが、T先生はイジメの具体的な内容を知っていた。やったやらないの問答すらなく、イジメがあることを前提に三人娘を断罪していた。そう、文字通り断罪していたのだ。
そして誰が主犯なのかも理解していた。先生はまずYさんとIさんにイジメの理由を聞いた。Sさんに言われるままイジメに加担していたらしい二人ははっきりとした理由を言うことが出来ず、しどろもどろになっていた。
そして先生は最後にSさんに理由を聞いた。YさんやIさんに対する態度とは明らかに違っていた。いい加減な返答は許さない、と前置きして、「答えなさい!」と厳しく返答を迫ったのだ。
Sさんはうつむきながらも、優等生らしい明瞭なことばで答えていた。「Kくんが男の子らしくないのが嫌だったから」と述べたのだ。
しっかりとした声で気丈に答えるその姿にぼくは正直感心した。YさんやIさんのように狼狽えたみっともない姿を見せなかったのだ。
と同時に、ぼくは先生に叱られているその姿に愉悦の念を憶えたことも確かだった。
冗談でもなんでもなく、ぼくは思わず笑みが漏れ「ぷぷっ、ザマァ」とつぶやいていた。ほんとうはSさんを指さして「ざまー見ろー」と言いたいくらいだった。
それにしても疑問だったのはイジメの理由だった。「男の子らしくない」とは。他の男の子にイジメられて泣かされていたのが男の子らしくない、とも言っていたが、それを理由にさらにぼくをイジメた、というのは訳が分からなかった。
さらに訳が分からなかったのは先生の言葉だった。
「いくらKくんがかわいいからって、イジメたりからかったりしちゃいけません」
ええっ? とぼくは心の中で反論した。ぼくはそんなにかわいくないよ? かわいいで言ったらSさんの方がかわいいのに、と。
そして先生はKくんに謝りなさい、と三人に命じた。彼女たちはつぶやくようなか細い声で「ごめんなさい」と言った。すっかりいい気分になっていたぼくは屈託なく「うん、いいよ」と明るく答えた。それでこの“断罪”ショーは終わりになった。
そしてその学級会の後、三人娘からのイジメはなくなった。
これはぼくには少し意外だった。どうせ人が見ていないところでは陰湿なイジメをしてくるんだろうな、と思っていたのだ。
けれどこの日以降、ぼくが偶然にSさんの近くに行っただけで、Sさんは目を伏せて逃げるようにぼくの前から去っていくようになったのだ。
イジメてこないならそれでいいや、とぼくは至極単純に考えた。その時点でぼくはSさんたちに対する興味を失っていたのだ。学級会で先生に叱られている姿を見て大いに留飲が下がったので、居ても居なくてもいいどうでもいい子たち、という認識になったのだ。
それにしてもどうして担任のT先生はイジメのことを知ったのだろう。そしてなぜ学級会であんな“断罪”イベントを仕掛けたのだろうか。
先生が偶然にイジメの現場を見た、という可能性もある。
けれど、三人娘たちは人目に触れないような場所とシチエーションでぼくのことをイジメていた。とはいえMくんとのキスの時とは違って密室のような場所ではなかったし、生徒の誰かに偶然見られてもおかしくはなかったと思う。
生徒の誰か・・・ぼくがイジメられているのを見て先生に訴え出た誰か。後述するような理由から、それは複数のクラスメートだったのではないかと推察している。
学級会のあった翌週にこんな出来事があった。
昼休みに校庭で友達と遊んで教室に戻った時のことだ。ある男の子がぼくの前に走って来て、言ったのだ。
「Kちゃん、こっち来て」
どうしたの、と問うと、
「学級新聞でKちゃんのイジメのことが記事になってるよ」
「ええ?」
「早く早く」
学級新聞とは、前の週にクラスであったことを紹介する手書きの壁新聞で、新聞係りが作成して教室の後ろの壁に張り出していた。
新聞の前には幾人もの生徒がいてワイワイ騒いでいた。ぼくが近づくと、皆は左右に分かれてぼくが記事を読みやすいようにしてくれた。ほらここ、と言って記事を指さしてくれる子もいた。
そこには、クラスのある男子が三人の女子にイジメられていた、として具体的なイジメの内容まで書かれていた。名前はなかったが、クラスメートたちは学級会の事を知っているのだ。誰の事が書かれているのかは明白だった。
一番印象に残っているのはこんな一文があったことだ。「私たちのクラスで一年も前からこんなひどいイジメがあったなんて信じられない」と。
この部分だけでなく、全体にぼくに同情的で、イジメ三人娘を糾弾するようなトーンで書かれていた。記事を書いたのは新聞係りの女の子だったと記憶していた。ぼくと仲良しの子だったろうか?
ぼくが記事を読み終わると、周りの子たち(男の子も女の子も)はぼくがなんと言うのか固唾を呑んで待っているようだった。これは何かリアクションをしなければ、と思ったぼくは、
「わぁい、新聞に載っちゃったぁ」
とおどけて見せた。するとクラスメートたちはどっと笑い、
「もー、Kちゃんたらー」
「うけるー」
などと軽口を言い合って、和やかな雰囲気になったことを憶えている。
ちなみにイジメ三人娘もこの記事を読んだはずだったが、どんな反応だったかは憶えていない。というより、彼女たちが読んだかどうかすら意識していなかった。本当に彼女たちのことはもうどうでもよくなっていたんだなあ、と今あらためて気づいた。
ところで学級新聞は新聞係が作成していたが、編集責任は当然担任のT先生だった。ということは、あの記事はT先生の意向で書かれたということになる。
あるいは、もしかしたらこの学級新聞と学級会は順番が逆だったのかもしれない。つまり、三人娘のぼくへのイジメを快く思わない新聞係の女の子が暴露記事を書き、それを読んだT先生がイジメに気づいて、学級新聞が掲示される前に学級会で取り上げたのかもしれない。
いずれにしても、学級会で取り上げ、さらに文章として皆の目に触れるようしたということは、イジメは許さない、という生徒たちへの強いメッセージを意図してのことだろう。つまり見せしめだ。
あの学級会での公開処刑に等しい断罪と、そして追い打ちの学級新聞はあらたなイジメを起こさせないための先生の策略だったのだと思う。
それを裏付ける思い出があった。
学校でPTAの集まりがあった日、出席した母が父に話しているのを偶然聞いてしまったのだ。リビングに入ろうと戸口まで来た時、母の声が聞こえたのだ。
「うちの子がSさんの娘さんにイジメられていたのですって」
ぼくは戸口の前で動きを止めてしまった。このまま中に入るのは躊躇われた。けれど、どんな風に話すのか気になって動くことも出来なくなってしまった。立ち聞きはいけないことだとは思ったけれど、好奇心がそれに勝った。
扉の向こうから母の冷静な声が聞こえた。
「Sさんの家は両親が離婚していて、母親と暮らしているのだそうよ。母親は “男なんかに負けるな”て厳しく躾けていたそうなの。Sさんは勉強が良く出来きる子で、“男の子なんて何さ”っていう感じの、勝ち気な女の子なんですって」
そして続けてこう言った。
「そういう女の子からみたら、のんびりしているうちの子なんてまどろっこしく見えたのでしょうね。イライラしてイジメてしまったのだと思う」
そこまで聞いてぼくは扉から離れて自分の部屋に戻った。
Sさんの両親が離婚していたことは初めて知った。そして母の見立てを聞いてイジメの理由もなんとなく理解できた。
意外だったのは母がSさんに対して怒っていず、父の反応も穏やかなものだったことだ。イジメといっても肉体的な暴力を伴うものではなかったし、Sさんに対してもどこか同情的だった。
自分の母は幼いころに父親を亡くしている。だからSさんの境遇に同情していたのだと思う。
当時のぼくはそう聞いてもSさんへの同情の念は起きなかった。不幸な境遇だったからイジメをしてもいいとは思えなかった。ただ、彼女の事情は理解できたので、ことさら騒ぎ立てることもせず、そういうものか、と胸にしまっておくに留めた。
ところで、その時は意識していなかったのだけど、PTAでその話が出たということは、イジメ事件について学校が保護者に説明したということになる。
学級会、学級新聞、そしてPTA。つまりイジメ事件についての情報が教師と生徒と保護者の間で共有されたのだ。それこそが次のイジメを防ぐための学校側の施策だったのだろう。
次回、Ⅱ-3.“お姫様”いじめ に続く